3-4-5 熱すぎるライブ
takeoffの音が鳴った。
白いライトが、小箱の低い天井を跳ねた。
さっきまでTHAT SEATの余韻で固まっていた客席が、一瞬遅れて顔を上げる。
誰も、すぐには声を出さなかった。
刺さりすぎた空気が、まだフロアに残っていた。
EGUIの声が低すぎた。
wataの言葉が鋭すぎた。
mcRCの目が強すぎた。
客席には、それが全部見えていた。
意味が分かった人もいる。
全部は分からなかった人もいる。
でも、何かがいつもと違うことは、分かっていた。
その空気の上に、BEEFがtakeoffのビートを置いた。
明るい音ではない。
けれど、沈ませる音でもなかった。
底に残った重さを、そのまま持ち上げるような音だった。
無理やり明るくするのではない。
見なかったことにするのでもない。
刺さったものを抱えたまま、上へ飛ばす。
そんな入り方だった。
mcRCはマイクを握り直した。
指先に、まだ力が残っている。
さっきのTHAT SEATの熱が、手のひらに残っていた。
怒りも、焦りも、飲み込めていない。
でも、ライブは終わっていない。
終わっていない以上、客席の前では立つ。
mcRCは前に出た。
「まだ終わってないぞ」
その声は、少し荒かった。
いつものように柔らかく場を作る声ではない。
でも、落ちてはいない。
客席が反応する。
「おお!」
声が返る。
その声に、mcRCはさらに一歩出た。
「刺さったなら、そのまま飛べ」
言ってから、自分でも少しだけ胸が詰まった。
今日の自分は、言葉が強い。
強すぎる。
分かっている。
でも、今は弱められない。
弱めたら嘘になる。
BEEFの低音が、そこへ押し上げるように入る。
wataが横から飛び込んだ。
「takeoff, takeoff, まだ地面じゃ終われねえ」
いつもより声が荒い。
ブレスも短い。
それでも言葉は走っている。
怒りを飲み込むのではなく、燃料にしている。
「足元ぐらつく? なら飛び方変えろ」
客席が揺れる。
BEEF勢が、壁際から声を出した。
「いいぞ!」
さっきまで腕を組んでいた男が、もう腕を組んでいない。
前には出ない。
でも、身体は完全にこちらを向いている。
初見の二人組の片方が、小声で言った。
「これ、最後の曲?」
隣が頷く。
「たぶん」
「なんか、終わらせに来てるっていうより、逃がさない感じする」
「分かる。すごいけど、ちょっと怖い」
その声は、音の中に沈んだ。
でも、近い小箱だから、ところどころ拾えてしまう。
EGUIはその声を聞いた。
怖い。
その言葉が、胸に小さく刺さる。
そう見えている。
分かっている。
でも、ここで熱を落としたら、今日のライブは崩れる。
THAT SEATで刺しすぎたものを、最後に持ち上げないといけない。
責めっぱなしで帰すわけにはいかない。
EGUIはマイクを上げた。
「落ちたままで終わるな」
声が低い。
でも、さっきより少しだけ開いている。
「痛いままでいい」
客席が静かになる。
「そのまま飛べ」
その瞬間、BEEFが音を少しだけ広げた。
低音の底に、明るいシンセが入る。
BEEFは何も言わない。
平気な顔のまま、フェーダーを動かしている。
けれど、音だけは確かに変わった。
客席の手が上がる。
最前のリバクルーが、声を出した。
「飛べ!」
そこから、声が広がった。
「飛べ!」
「飛べ!」
「飛べ!」
リバクルーだけではない。
中央の初見も、少し遅れて声を出す。
BEEF勢の一人も、低い声で混ざる。
「飛べ」
その声が、妙に重かった。
mcRCは、その声を拾った。
客席の温度が、少し変わる。
怖さだけではない。
熱すぎるけれど、前へ進もうとしている。
まだ、間に合う。
このライブを、ちゃんと着地させることはできる。
mcRCはマイクを上げた。
「じゃあ、全員で飛ばすぞ」
wataがすぐに重ねる。
「足だけでもいい、声だけでもいい」
EGUIが続ける。
「今ここにいるなら、それでいい」
三人の声が重なった。
takeoffのフックが、小箱の天井に当たり、客席へ落ちてくる。
熱い。
熱すぎる。
でも、動く。
客席が跳ねる。
最前のリバクルーが手を上げる。
中央の初見が笑いながら声を出す。
壁際のBEEF勢が、少しだけ前へ出る。
スタッフの一人が、バーカウンター横で思わず頷いた。
新川さんは、客席の後方で全体を見ていた。
表情は変わらない。
だが、タブレットを持つ手だけが、ほんの少し止まっていた。
小箱の空気は、もう綺麗ではなかった。
整ってはいなかった。
でも、強かった。
怖いほど強かった。
最後のフックで、wataは予定より一拍早く前に出た。
BEEFの音に合わせたわけではない。
身体が先に出た。
mcRCも続く。
EGUIも前に出る。
三人が横に並ぶ。
客席との距離がさらに近くなる。
最前の客が、一瞬だけ身を引く。
近すぎる。
圧が強い。
でも、目を逸らさない。
mcRCが叫ぶ。
「Reverse Crown!」
客席が返す。
「Reverse Crown!」
wataがさらに煽る。
「まだ行けるやろ!」
客席が返す。
「行ける!」
EGUIが静かに、でも強く言う。
「じゃあ、飛べ」
最後の音が落ちた。
BEEFが一気に音を切らなかった。
余韻を残した。
低音の尾が、小箱の床を薄く震わせる。
三人の息が、マイクに少しだけ乗った。
客席も、すぐには拍手しなかった。
一瞬、誰も動かなかった。
それから、拍手が来た。
大きかった。
小箱の拍手とは思えないほど、密度があった。
声が飛ぶ。
「やばかった!」
「すごい!」
「今日、何?」
「怖かった!」
「でも最高!」
「wataえぐい!」
「EGUI刺さりすぎ!」
「mcRC、目ぇやばかった!」
「BEEFやば!」
「リバクラ食われてない!」
「いや、これ食い合ってた!」
その言葉が、次々に飛んだ。
三人は笑った。
笑わなければならなかった。
いや、笑いたくないわけではない。
客席の熱は本物だった。
来てくれた人は、ちゃんと楽しんでくれた。
揺れてくれた。
声を出してくれた。
何かを受け取ってくれた。
それは嬉しい。
その嬉しさまで、嘘ではない。
でも、その下に、怒りがある。
納得できなさがある。
傷ついた感覚がある。
mcRCは、マイクを両手で持った。
「ありがとう」
声は少し掠れていた。
「今日、近かったな」
客席から笑いが返る。
「近かった!」
「見えすぎ!」
wataが笑って言う。
「こっちも見えすぎや。腕組んでるくせに足動いてる人、だいぶいました」
壁際から声が飛ぶ。
「バラすな!」
客席が笑う。
その笑いに、少しだけ救われる。
EGUIがマイクを上げた。
「来てくれてありがとう」
短い。
でも、まっすぐだった。
「気をつけて帰ってください」
リバクルーの何人かが、頷いた。
その優しさが出た瞬間、前方の一人が少しほっとした顔をした。
それを見て、mcRCは胸が痛くなった。
今日のライブで、その顔をさせたのか。
安心させたのではなく、心配させたのか。
でも、今はステージを締める。
mcRCは頭を下げた。
wataも下げる。
EGUIも下げる。
三人の背中に、拍手が落ちる。
BEEFはDJブースで、片手だけ軽く上げた。
BEEF勢が反応する。
「BEEF!」
「よかったぞ!」
BEEFは、いつもの平気な顔のまま、軽く頷くだけだった。
それがまた、少し腹立たしいほどBEEFらしかった。
三人はステージ袖へ下がった。
その瞬間、wataの笑顔が消えた。
mcRCの表情も落ちた。
EGUIは、無言でマイクをスタッフに渡した。
でも、すぐには何も言わない。
小箱では、終演後すぐに裏で怒鳴るわけにはいかない。
客席が近い。
壁も薄い。
スタッフも動いている。
物販の導線もある。
ドリンクを飲み終える客もいる。
帰り支度をする客もいる。
最後まで、ライブは続いている。
客が会場を出るまで、ちゃんと終わらせる必要がある。
mcRCは自分にそう言い聞かせた。
終わるまで、終わっていない。
wataも分かっている。
EGUIも分かっている。
だから三人は、一度深く息を吸った。
そして、ステージ横の導線に立った。
「ありがとうございました」
mcRCが言う。
客が通る。
「めっちゃよかったです」
「ありがとう」
「今日すごかった」
「ありがとう」
「ちょっと怖かったです」
mcRCは一瞬だけ止まりかけた。
でも、すぐに頷いた。
「ありがとう。気をつけて帰ってな」
その客は、少し戸惑った顔で笑った。
「はい」
wataの前にも客が来る。
「wataさん、今日キレッキレでした」
wataは笑った。
「切れすぎてなかった?」
「いや、最高でした」
「ならよかった」
でも、客が離れた瞬間、wataの目から笑いが消えた。
EGUIの前には、初見らしき男性が立った。
「THAT SEAT、初めて聴いたんですけど」
EGUIは頷く。
「ありがとう」
「怖かったです。でも、すごかったです」
EGUIは少しだけ目を伏せた。
「怖かったか」
「はい。でも、嫌じゃなかったです」
EGUIは、少しだけ息を吐いた。
「ありがとう」
その客は深く頭を下げて出ていった。
壁際にいたBEEF勢の一人が、BEEFではなく三人の方へ来た。
少し気まずそうな顔をしている。
「えっと」
mcRCが見る。
男は、視線を少しだけ逸らして言った。
「一曲目、よかった」
wataがすぐ反応する。
「急にそこ?」
男は顔をしかめた。
「うるせえな。褒めてんだよ」
mcRCは笑った。
「ありがとう」
男は続けた。
「あと、途中、ガチで揉めてんのかと思った」
三人の空気が一瞬だけ止まる。
男はすぐに手を振った。
「いや、でもライブとしては熱かった。BEEFとやって、飲まれてないのはすごいと思う」
wataは、少しだけ笑った。
「上からやな」
男は肩をすくめた。
「BEEF勢なんで」
「免罪符にするな」
少し笑いが起きる。
男は軽く頭を下げて、出口へ向かった。
その後ろ姿を見送りながら、wataは小さく言った。
「飲まれてない、ね」
EGUIが言う。
「食らってはいる」
mcRCも頷いた。
「かなり」
その言葉は、三人だけに聞こえるくらい小さかった。
客席の後方に、Kateがいた。
リバックラインから来られたのは、彼女一人だった。
他の四人は仕事や予定があって来られない。
それぞれオンラインで反応を追う予定になっていた。
Kateは、秘書・外部連絡の担当として、普段は冷静に物事を整理する。
数字を見る。
反応を見る。
誰に何を伝えるかを判断する。
その役割を持って、今日は途中から会場に入った。
仕事帰りの服装のまま。
手には小さなメモ帳。
スマホには、簡易の反応ログ。
けれど、今はメモを取る手が止まっていた。
怖い。
最初に出てきた感想は、それだった。
気迫はある。
意味もある。
雑だとは思わない。
むしろ、言葉は強く届いていた。
BEEFの音も、三人の声も、客席の熱も、全部が噛み合っているように見えた。
でも。
胸が落ち着かない。
Kateは、ステージ横で客に頭を下げる三人を見た。
mcRCが笑っている。
wataが冗談を返している。
EGUIが短く礼を言っている。
いつもの三人に見える。
でも、さっきのステージ上の三人は違った。
人を見つけて、拾って、横に来てくれる感じ。
痛いところに手を置いてくれる感じ。
ちゃんと怒っているのに、最後は包んでくれる感じ。
Kateが好きになったReverse Crownには、それがあった。
今日も、意味はあった。
けれど、熱が強すぎた。
刺さりすぎた。
人を焦がしすぎる。
このReverse Crownがずっと続くなら、私はきっとついていけない。
そう思った。
でも。
かっこいい。
それも、消せなかった。
今日の三人は、間違いなくかっこよかった。
BEEFとぶつかるように鳴って、飲まれず、むしろ声を強くしていた。
小箱の空気を、最後まで持っていった。
怖いのに、目が離せなかった。
これはこれで、新しい魅力なのかもしれない。
Kateは、そこまで考えて、すぐに首を小さく振った。
ううん、違う。
そういう話じゃない。
かっこいいかどうかだけで判断したら、見落とす。
これは、良い悪いだけではない。
三人が、何かをかなり削っている。
部長。
Kateは、心の中でそう呼んだ。
昔の呼び方。
今はmcRCと呼ぶべきなのかもしれない。
でも、心が揺れると、その呼び方が先に出る。
部長。
大丈夫ですか。
声には出せなかった。
近づくこともできなかった。
三人の周りには、まだ客がいる。
スタッフも動いている。
BEEFもDJブースを片づけている。
新川さんは後方で、客の流れと三人の表情を見ている。
Kateは、スマホを握った。
リバックLINEを開く。
文字を打とうとして、止める。
何と書けばいいのか分からなかった。
数字なら書ける。
客の反応も書ける。
「盛り上がった」
「BEEF勢が反応した」
「初見にも刺さった」
「THAT SEATで空気が変わった」
「takeoffで着地した」
書ける。
でも、自分の胸の揺れを、まだ言葉にできなかった。
怖い。
かっこいい。
でも、これが続いたらついていけない。
その三つが、同時にある。
Kateは、ひとまず短く送った。
Kate@秘書・外部連絡:
終演確認。
ライブとしての熱量は非常に高いです。
ただ、かなり強いです。
詳細は後ほど整理します。
送信。
すぐにMiwaから返った。
Miwa@物販:
強い、って良い意味? 悪い意味?
Kateは画面を見た。
指が止まる。
しばらくして、短く返した。
Kate@秘書・外部連絡:
両方です。
その一言を送ったあと、Kateはスマホを下ろした。
客が少しずつ帰っていく。
ドリンクカップが片づけられる。
スタッフが床の確認をする。
物販列が短くなる。
出口の扉が開くたび、外の冷たい空気が少し入る。
小箱の熱が、少しずつ薄まっていく。
それでも、ステージ上に残ったものは消えない。
三人は最後の客を見送った。
「ありがとうございました」
「気をつけて」
「また」
扉が閉まる。
客席のざわめきが消える。
小箱に残ったのは、スタッフと、Reverse Crownの三人と、BEEFと、新川さん。
そして、少し離れた場所にいるKateだけだった。
空気が変わった。
さっきまで客に向けていた笑顔が、ゆっくり消える。
wataが、最初にマイクを置いた。
音が小さく響く。
EGUIは無言で水を飲んだ。
mcRCは、客席の方を一度だけ見た。
誰もいないフロア。
さっきまで熱で満ちていた場所。
そこに、今は黒い床だけがある。
BEEFはDJブースで片づけをしている。
相変わらず平気な顔だった。
その顔を見た瞬間、三人の中で何かが揃った。
言わなければならない。
でも、三人で同時に詰め寄れば、三対一になる。
それは違う。
怒っていても、そこは分かっていた。
分かっているから、余計に苦しい。
wataが一歩動きかける。
EGUIも同じタイミングで顔を上げる。
mcRCも、BEEFの方へ足を向けた。
三人が、ほぼ同時に動いた。
その瞬間、三人とも止まった。
まずい。
同時に詰めたら、ただの圧になる。
wataが舌打ちしそうな顔をして、一歩引いた。
EGUIも静かに視線を落とし、半歩下がった。
mcRCだけが、その場に残った。
新川さんは何も言わなかった。
ただ、見ていた。
Kateは、部屋に入れなかった。
足が動かなかった。
さっきまでステージにいた三人とは違う。
今の三人は、怖い。
特にmcRC。
いつも場を整える人が、今は静かに怒っている。
静かだから、余計に怖い。
Kateは、壁際でメモ帳を握ったまま立ち止まった。
mcRCが、BEEFへ向かって言った。
「BEEFさん」
声は低かった。
客席に向けた声ではない。
ステージの声でもない。
抑えた声。
でも、抑えているからこそ、奥が熱い。
BEEFが、機材ケースに手を置いたまま振り返る。
「何だ」
wataの眉が動く。
EGUIの目が細くなる。
mcRCは、すぐには怒鳴らなかった。
深く息を吸った。
「さっきのライブについて、説明してもらえますか」
BEEFは、平気な顔で答えた。
「客は動いた」
その瞬間。
空気が、もう一段冷えた。
wataが小さく笑った。
笑いではなかった。
EGUIが水のキャップを閉めた。
mcRCの表情から、完全に笑みが消えた。
新川さんは、まだ何も言わない。
Kateは、喉が詰まった。
この部屋には入れない。
そう思った。
mcRCが、もう一度言った。
「説明してもらえますか」
さっきより、声が低かった。
BEEFは、まだ平気な顔をしている。
ライブは終わった。
でも、熱はまだ終わっていなかった。




