3-4-4 誰に向けた音だ
UNSEEN HANDSの最初の音が落ちた瞬間、小箱の空気が変わった。
さっきまで、熱は前に倒れていた。
KEEP MOVINGでほどけて、showtimeで火が入り、attackで身体が前に出た。
GREEN LIGHTは飛ばされ、RUN ITが先に来て、Call me outで会場は荒くなった。
wataの声は、いつもより尖っていた。
あいつは笑っていた。
でも、笑っていなかった。
横で見ていて分かった。
wataは本気でキレていた。
mcRCもそうだった。
BEEFがmcRCの一言を潰した時、mcRCの目が変わった。
客席には、気迫に見えたかもしれない。
でも俺には、少し違って見えた。
あれは、怒りだった。
そして今、その怒りを抱えたまま、俺たちはUNSEEN HANDSに入ろうとしている。
俺はマイクを握り直した。
ここは、落とす場所だ。
熱を消すわけじゃない。
ただ、前に倒れすぎた熱を、一度、人の方へ向け直す場所。
UNSEEN HANDSは、ただ泣かせる曲じゃない。
ただ感謝する曲でもない。
見えないまま支えている人の手を、ちゃんと見る曲だ。
ライブの熱で見えなくなりがちなものを、もう一度見つける曲だ。
今日みたいな客席だからこそ、余計に丁寧にやりたかった。
リバクルーもいる。
初見もいる。
BEEF勢もいる。
さっきまで煽っていた壁際の連中にも、伝えたかった。
俺たちは勝ちに来ただけじゃない。
食らわせに来ただけじゃない。
誰かを黙らせに来ただけじゃない。
見えていない手を、見に来た。
それを、ここで通したかった。
BEEFの音は、静かだった。
低音をかなり引いている。
リハで聞いた時より、ずっと薄い。
薄いのに、消えてはいない。
足元に、かすかに重さだけが残っている。
悪くない。
そう思った。
悔しいけど、悪くなかった。
mcRCが前に出る。
声はさっきより低かった。
「誰にも見えない手がある」
客席が静かになる。
さっきまで笑っていた前方の客が、少し表情を変えた。
中央の初見も、スマホを下ろした。
壁際のBEEF勢は、腕を組み直している。
でも、目はステージに向いていた。
mcRCの声が続く。
「誰にも呼ばれない名がある」
その言葉が、小箱の天井に当たって、すぐに返ってくる。
近い。
痛いくらい近い。
wataが続く。
いつもなら、ここで少し音を遊ばせる。
でも今日は違った。
wataの声には、まださっきの怒りが残っている。
それが危ない。
怒りのまま感謝を歌うと、感謝が責めに見える。
俺は、それが怖かった。
でもwataは落とさなかった。
声は荒い。
けれど、言葉はちゃんと前を向いている。
「見えてねえなら見ろ、じゃなくて」
wataが少しだけ客席を見る。
「俺らが見る番だろ」
その瞬間、前方から小さな息が漏れた。
刺さった。
でも、少し鋭すぎる。
俺は次の自分の入りを意識した。
ここで柔らかくしすぎたら、今日の熱から浮く。
でも、強く行きすぎたら、曲が責めになる。
難しい。
今日のライブは、ずっと難しい。
予定していた通りに来ていない。
流れが、何度も変わっている。
それでも、曲は落としていない。
だから余計に、心が荒れる。
落ちていないから、怒りの逃げ場がない。
客席は盛り上がっている。
反応もある。
たぶん数字も悪くない。
でも、俺たちの中では、何度も何度も小さく壊れている。
俺はマイクを上げた。
「でも俺らは忘れない」
声が思ったより前に出た。
強い。
強すぎる。
自分で分かった。
客席の前方が、少しだけ固まった。
でも止められない。
「その支えで、今日も立ってる」
言葉が、まっすぐ刺さる。
刺さりすぎる。
俺は息を吸った。
ここからフックへ入る。
Unseen hands.
We know your name.
ありがとう。
ちゃんと見えてる。
その流れで、会場を少し温かい方へ戻す。
そのはずだった。
BEEFが、そこで音を切った。
完全に消したわけではない。
でも、ほとんど消えた。
小箱の空気だけが残った。
客席の呼吸が聞こえた。
誰かが飲み込む音まで聞こえた。
俺は一瞬、何が起きたか分からなかった。
次のフックの入りが、ない。
BEEFがフェーダーを下げている。
そして、UNSEEN HANDSのフレーズを、細かく切った。
Unseen—
hands—
Unseen—
その切り方が、さっきまでと違った。
客席を上げるためのチョップじゃない。
遊びでもない。
間を作るためでもない。
もっと硬い。
冷たい。
何かを噛み潰すような切り方だった。
そこに、低音が一つ落ちる。
深い。
深すぎる。
床を揺らす低音ではなかった。
胸の中を下から押し潰すような音だった。
嫌な予感がした。
違う。
そこじゃない。
まだだ。
まだTHAT SEATじゃない。
UNSEEN HANDSをちゃんと着地させてからだ。
見えない手を見たあとに、その席の責任へ行くから意味がある。
支えている人を見てから、上に立つ人へ言うから、ただの攻撃にならない。
順番がある。
意味の順番がある。
なのに、BEEFの音は、もう次の場所へ向かっている。
いや、向かっているというより、引きずっている。
客席を連れていくというより、何かを引きずり出している。
この音は、客席だけを見ていない。
そう思った。
俺はBEEFの方を見そうになった。
見たら、たぶん顔に出る。
もう出ているかもしれない。
BEEFは平気な顔をしていた。
機材を見ている。
客席を見ている。
表情は変わらない。
ただ、指先だけが少し硬い。
ほんの少し。
でも、この距離ではそれも見えた。
誰に向けた音だ。
俺はそう思った。
客席か。
俺たちか。
それとも、ここにいない誰かか。
分からない。
分からないまま、THAT SEATのイントロが入った。
予定より早い。
鋭い。
低音が、床ではなく胸に来る。
客席がざわっとした。
BEEF勢が反応した。
「来た」
「この曲か」
リバクルーの前方は、一瞬だけ表情を変えた。
早い。
そう思った顔だった。
分かる人には分かる。
この流れは早い。
まだ、ありがとうを言い切っていない。
まだ、見えない手をちゃんと抱き上げていない。
なのに、その席へ行く。
上に立つ責任へ行く。
このままだと、怒りだけが前に出る。
俺はマイクを握る手に力が入った。
違う。
違うだろ。
俺たちは責めに来たんじゃない。
言葉が、喉の奥で熱くなる。
怒鳴りたくなった。
BEEFに向かって。
今じゃない、と。
でも客席がいる。
お客さんに、俺たちの内部の怒りをそのまま投げてはいけない。
そんなことは分かってる。
分かってるのに、怒りが強すぎる。
目の奥が熱い。
手が震えている。
静かに震えている。
俺は、自分が思っているより感情的だった。
いつもは、言葉にすれば整うと思っていた。
意味にすれば、怒りも扱えると思っていた。
でも違う。
意味を壊されそうになると、こんなに腹が立つ。
こんなに怖い。
俺は息を吸った。
THAT SEATの頭が来る。
mcRCが入る位置。
でもmcRCも一瞬、迷った。
迷ったのが見えた。
wataも、顎を少し上げた。
今、全員が食らっている。
だったら、俺が意味を置く。
予定と違う。
でも、このまま怒りに見せるよりはいい。
俺は、mcRCより半歩前に出た。
自分でも、前に出るつもりはなかった。
足が出た。
客席が俺を見る。
BEEFの音が、ほんの少し引いた。
それにも腹が立つ。
引けるなら、分かってるんじゃないのか。
分かっててやってるのか。
分かってないのか。
どっちでも腹が立つ。
俺はマイクを上げた。
声は、低く出た。
「その席は」
客席が止まる。
怖いくらい止まる。
「人を見下ろすための場所じゃない」
静かだった。
でも、俺の中は静かじゃなかった。
怒りで煮えていた。
「誰かの心を、机の上の書類みたいに扱う場所でもない」
言いながら、自分で分かった。
これは歌詞じゃない。
今の俺の言葉だ。
予定していたMCでもない。
本来の入りでもない。
でも、ここで言わないと、曲がただの怒りになる。
なら、怒りのまま、意味を通すしかない。
「見えない手があったから、そこに座れてる」
前方のリバクルーが、息を呑んだ。
中央の初見が、動きを止めた。
壁際のBEEF勢の一人が、腕を完全に下ろした。
俺は続けた。
「なら、偉そうにする前に、見ろ」
声が強くなった。
強くなりすぎた。
小箱全体が、少し怖くなる。
分かった。
これは、いつものEGUIじゃない。
自分でも分かった。
でも止まらない。
「甘いとか、弱いとか、遅いとか」
言葉が前に出る。
「言う前に、見ろ」
誰かが小さく呟いた。
「こわ……」
聞こえた。
聞こえてしまった。
でも、その隣の声も聞こえた。
「でも、刺さる」
それも聞こえた。
俺は、一瞬だけ目を閉じそうになった。
怖いと思わせたいわけじゃない。
でも、軽くもしたくない。
この曲は、優しいだけの曲じゃない。
責任の曲だ。
痛い曲だ。
でも、人を潰す曲じゃない。
俺はそこを間違えたくなかった。
BEEFの低音が、さらに少し引いた。
そのせいで、俺の声が前に出る。
出すぎる。
逃げ場がない。
客席にも、俺にも。
mcRCが横に並んだ。
目が合う。
その目には、まだ怒りがあった。
でも、俺に任せるという合図もあった。
wataが後ろで息を整えている。
さっきまで荒く走っていたwataが、今は抑えている。
三人が、曲を取り戻そうとしている。
BEEFが作った入りを、三人で意味に戻す。
それが分かった瞬間、俺の怒りが少し別の形になった。
消えたわけじゃない。
鋭くなった。
俺はTHAT SEATのVerseに入った。
「その席に座るなら」
声が低い。
客席は静か。
「下を見るな、横を見ろ」
この一文で、リバクルーの前方が反応した。
知っている人たちの顔だった。
ああ、来た。
その顔。
でも今日は、安心した顔ではない。
いつものTHAT SEATじゃない。
今日のTHAT SEATは、熱すぎる。
刺さりすぎる。
それでも、客席は離れない。
むしろ、目を逸らせなくなっている。
wataが入る。
いつもより言葉数を少し減らしている。
さっきまでのwataなら畳みかけていたはずだ。
でも今は、俺の低さに合わせている。
「肩書きで語るな」
wataの声も、怒っている。
でも、さっきとは違う怒り。
「心を飛ばして育てた顔すんな」
客席が、ざわっとした。
リバクルーの何人かが、真顔になった。
初見の一人が、隣に小声で聞く。
「これ、上司の曲?」
隣が答える。
「たぶん。でも、それだけじゃない」
「こわいな」
「うん。でも分かる」
壁際のBEEF勢の一人が、低く言った。
「これ、刺さるやつ多そうだな」
別の一人が言う。
「上に言いたいやつだろ」
「だろうな」
BEEFは、平気な顔をしている。
でも、手元の動きが少しだけ減った。
スクラッチも足さない。
余計なチョップもしない。
低音だけを置く。
言葉を立てる。
それが分かった。
分かったから、さらに複雑だった。
触るなと思っていた。
でも、ここでは触らない。
壊すなと思っていた。
でも、ここでは壊さない。
じゃあ、さっきの音は何だった。
さっきの切り方は、誰に向けていた。
俺には分からない。
分からないまま、曲は進む。
mcRCが前に出る。
「お前が見てないだけで」
客席を見る。
「そこに手はあった」
この一文は、UNSEEN HANDSとTHAT SEATの間をつないだ。
少しだけ、戻った。
少しだけ。
俺はそれを感じた。
さすがだと思った。
腹が立っていても、mcRCは景色を作る。
wataが続ける。
「見えないなら、まず目ぇ洗え」
客席が少し笑った。
緊張がほんの少しだけ緩む。
でも、笑いすぎない。
まだ曲の熱は強い。
俺は最後に入る。
ここで、落とす。
責めるだけで終わらせない。
俺は息を吸った。
「その席にいるなら」
声を少しだけ抑える。
「誰かの価値を、勝手に決めるな」
自分に刺さった。
言った瞬間、自分の胸に返ってきた。
誰かの価値を、勝手に決めるな。
BEEFのことが頭をよぎった。
一瞬だけ。
すぐに消した。
今は曲だ。
今は客席だ。
今は、THAT SEATだ。
でも、消しきれなかった。
俺たちは、BEEFの価値をちゃんと見ているのか。
その問いが、一瞬だけ来た。
邪魔だった。
ライブ中に考えることじゃない。
でも、来た。
俺はその問いごと、声に乗せた。
「その席に座るなら」
三人の声が重なる。
「人を雑に扱うな」
客席が、息を飲んだ。
その後に、拍手ではなく、声が来た。
「うわ……」
誰かの声。
「やば」
別の声。
それから拍手が来た。
大きい。
でも、いつもの盛り上がりとは違った。
熱狂というより、何かを叩きつけられた後の拍手。
怖かった。
刺さった。
かっこよかった。
でも、少し心が乱れた。
そんな拍手。
俺は息を吐いた。
喉が熱い。
手もまだ震えている。
BEEFは、次の音をすぐには出さなかった。
珍しく、少し間があった。
ほんの一拍。
その一拍に、客席のざわめきが入った。
「EGUI、今日怖くね?」
「でも、めっちゃ良かった」
「THAT SEAT、こんな曲だった?」
「なんか違った」
「違ったけど、刺さった」
「BEEF、今、音引いたよな」
「分からん。でも声すごかった」
その声が聞こえる。
聞こえてしまう。
全部近い。
俺はマイクを下ろした。
mcRCが横に来る。
小声で言った。
「出たな」
俺は答えた。
「出た」
wataも来る。
「めちゃくちゃ怖かったで」
俺はwataを見た。
「お前に言われたくない」
wataは少しだけ笑った。
でも、笑いきれていなかった。
三人とも、かなり出ている。
感情が。
怒りが。
焦りが。
それをプロの顔で包んでいるだけ。
包みきれてはいない。
客席には、たぶん見えている。
迫力として。
気迫として。
あるいは、怖さとして。
BEEFが、ようやくtakeoffの前の音を準備し始めた。
最後に飛ばす。
このライブを着地させるために。
俺はマイクを握り直した。
まだ終わっていない。
終わるまでは、やる。
どれだけ腹が立っても。
どれだけ意味の順番を崩されても。
客席の前では、落とさない。
それがプロだ。
それが、今の俺たちにできる唯一の正解だった。
でも、終わったら。
終わったら、言う。
絶対に言う。
takeoffの音が鳴る。
客席が、まだざわついたまま顔を上げる。
俺は息を吸った。
胸の奥に残った怒りを、最後の曲へ押し込める。
飛ぶために。
逃げるためじゃない。
この場を、ちゃんと終わらせるために。
ライトが白く跳ねた。
三人は、同時に前へ出た。




