3-4-2 俺の一言が消えた
KEEP MOVINGが終わった。
拍手が近かった。
音じゃなくて、手のひらの熱がそのまま飛んでくるみたいだった。
最前のリバクルーが笑っている。
中央の初見らしき二人が、まだ少し肩を揺らしている。
壁際のBEEF勢は、腕を組んだままのやつもいるけど、さっきより顔が上がっていた。
入った。
そう思った。
軽く始める。
それができた。
俺はマイクを少し下げて、息を吸った。
ここで一言置く予定だった。
セットリスト上でも、ここは短いMC。
KEEP MOVINGでほどけた空気に、
「今日は一分だけでも動けたら勝ちでいい」
みたいな言葉を置いて、そこからshowtimeへ入る。
そのつもりだった。
重くしない。
でも、ただ騒いで終わりにもさせない。
客席が少し笑って、少し頷いて、そのまま次へ行けるようにする。
俺は客席を見た。
最前の女性が、まだ口元を押さえて笑っていた。
中央の初見が、隣に何か言っていた。
壁際の男が、腕を組み直した。
今なら置ける。
今なら、届く。
俺はマイクを上げた。
「一分だけで——」
その瞬間だった。
背後で音が鳴った。
クラップじゃない。
さっきの余韻でもない。
BEEFが、KEEP MOVINGのフックを細かく切った。
Keep—
Keep—
Keep moving—
そこへ、showtimeのイントロが斜めから差し込んできた。
俺の声が、途中で消えた。
いや、消された。
客席は、一瞬だけ「おっ」と反応した。
BEEF勢の壁際が先に揺れた。
「来た」
誰かが低く言った。
リバクルーの前方は、少しだけ戸惑った顔をした。
今、mcRC何か言いかけたよね。
その顔だった。
俺はマイクを持ったまま、半拍止まった。
半拍。
でも、この距離では長い。
背中の奥が熱くなる。
ふざけんな。
そこは、俺が言葉を置く場所だった。
今じゃない。
俺は客席を見てた。
あの子が笑ったところを拾おうとしてた。
壁際の足が動いたことを、言葉に変えようとしてた。
今の空気を、次の曲へ橋にしようとしてた。
なのに、音が来た。
俺の橋が、踏まれた。
喉の奥が一瞬詰まった。
BEEFの方を見そうになる。
見たら終わる。
ここで俺が振り返ったら、客席に出る。
「今、何かあった」って伝わる。
もう少しで、顔に出るところだった。
出ていたかもしれない。
wataが横で、ほんの少しだけ眉を動かした。
EGUIも、目だけで俺を見た。
分かってる。
二人にも分かった。
でも音はもう来ている。
showtimeのイントロが、小箱の床を持ち上げている。
客席の前方が、さっきの拍手のまま手を上げかけている。
中央の初見が、次の曲だと理解して身体を向け直す。
壁際のBEEF勢は、さっきより明らかに乗っている。
止められない。
止めたら冷える。
止めたら、こっちが負ける。
俺は、飲み込んだ。
飲み込んだというより、噛み砕いた。
腹の中で、怒りが音になった。
「……一分で動いたなら」
声が思ったより低く出た。
自分でも少し驚いた。
客席が、こっちを見る。
BEEFの音の上に、俺の声が乗る。
「次は目ぇ開けろ」
予定にない言葉だった。
でも、今見えている景色には合っていた。
最前のリバクルーが、息を止めたような顔をした。
中央の初見が、隣を見るのをやめて、俺を見る。
壁際の男が、腕をほどきかけたまま止まる。
俺は一歩前に出た。
「軽く始めた」
BEEFのビートが、少しだけ前に出る。
腹が立つ。
でも、乗るしかない。
「でも、軽く終わるとは言ってねえ」
客席が沸いた。
リバクルーが先に声を出した。
「おお!」
その声に中央が釣られる。
壁際からも、低い笑いが漏れた。
「いいじゃん」
BEEF勢の誰かが言った。
聞こえた。
聞こえてしまった。
良くねえよ。
俺は心の中で吐き捨てた。
でも、マイクには出さない。
出すなら、別の形にする。
「showtime」
俺が言うより先に、wataが横で笑った。
笑った顔をしていた。
でも目は笑っていなかった。
「あー、もう始まってるやつやん」
その声に客席が笑う。
wataは軽く肩を回し、マイクを上げる。
「じゃあ置いてかれんなよ」
EGUIが静かに言った。
「始まったなら、進むだけ」
俺は二人の声を聞いた。
助かった、と思った。
同時に、悔しかった。
助けられたことじゃない。
助けが必要になる場所を作られたことが悔しかった。
俺はScene Makerだ。
場所を作る。
入り口を作る。
客席の目線を拾って、そこに言葉を置く。
その仕事を、今、奪われた。
でも奪われたままで終わったら、俺が俺でいる意味がない。
BEEFの音が跳ねる。
showtimeのイントロが、想定より早く本編へ入ろうとしている。
リハでは、もっと余裕があった。
本番では違う。
BEEFが言った通りだった。
客が入ると変わる。
それは分かる。
分かるけど、腹が立つ。
分かることと、許せることは違う。
俺は客席を見た。
前方のリバクルーは、少し心配そうな顔をしている。
たぶん、俺が一瞬止まったのを見ている。
中央の初見は、事情までは分からない。
ただ、急に空気が鋭くなったのを感じている。
壁際のBEEF勢は、面白がっている。
あの顔。
「お、食らいついたな」って顔。
俺はマイクを握る手に力が入るのを感じた。
強く握りすぎるな。
声が硬くなる。
でも、今日は硬くなってもいい。
いや、よくない。
違う。
どっちだ。
頭の中で言葉がぶつかる。
理屈を立てようとする自分がいる。
客席を見ろ。
音を聞け。
怒りを処理しろ。
予定を捨てろ。
でも芯は捨てるな。
うるさい。
うるさい。
今は考えている時間じゃない。
KEEP MOVINGで、自分たちが言ったばかりだ。
考えすぎる前に動け。
その言葉が、自分に返ってきた。
最悪だ。
自分の歌に殴られるのは、思っているより痛い。
俺は笑った。
笑ったつもりだった。
でも、たぶん少し怖かったと思う。
客席の前方が、一瞬だけ静かになったから。
俺はその静けさを逃がさなかった。
「近いな」
さっき言った言葉を、もう一度言った。
今度はマイクに乗せて。
「顔、全部見えるわ」
フロアが少し笑う。
「笑ってるやつも、様子見てるやつも」
壁際を見る。
「腕組んでるくせに足動いてるやつも」
壁際から声が上がった。
「バレてるぞ!」
別の男が言う。
「言うな!」
客席が笑う。
よし。
景色が戻った。
俺はこの会場を、もう一度手の中に戻す。
BEEFの音がある。
腹立つ。
でも、音は悪くない。
その音を使って、俺の景色にする。
俺は続けた。
「いいよ。今日はそれでいい」
BEEFの低音が、一瞬だけ沈む。
俺の声が前に出る。
「最初から全部分かる必要ない。英語分からんでもいい。ノリだけでもいい。足だけでもいい」
中央の初見が笑った。
「それ俺だ」
周りが笑う。
俺は頷く。
「そう、お前だ」
その一言で、さらに笑いが起きた。
wataが横で小さく言う。
「拾うなあ」
EGUIが静かに言う。
「それでいい」
showtimeのビートが、本格的に入る。
三人の立ち位置が自然に決まる。
俺は一歩引いて、wataを見る。
wataが前に出る。
でも、その前に俺は客席へ言った。
「じゃあ、ここからちゃんとショーにする」
リバクルーが声を上げる。
「いけ!」
BEEF勢の誰かが低く言う。
「やってみろ」
聞こえた。
俺はそっちを見た。
睨んだつもりはなかった。
でも、たぶん目は強かった。
「見てろ」
その言葉は、予定にない。
言うつもりもなかった。
でも、出た。
客席が沸いた。
沸き方が、さっきと違う。
軽さだけじゃない。
少し火が混じった。
BEEFが、showtimeの頭を落とした。
ドラムが入る。
wataが飛び込む。
俺も続く。
EGUIの声が後ろから支える。
三人の声が、さっきより少し荒い。
でも、落ちていない。
むしろ、前に出ている。
客席が揺れる。
最前が手を上げる。
中央が笑いながら乗る。
壁際が腕をほどく。
BEEFは平気な顔でフェーダーを触っている。
何もなかったみたいに。
本当に腹が立つ。
今、こっちは結構なものを飲み込んだ。
飲み込んだというより、燃やした。
それをたぶん、あいつは分かっていない。
客が動いた。
だからいい。
そんな顔をしている。
違う。
それだけじゃない。
俺はそう思いながら、声を出した。
showtimeの中で、いつもより言葉が尖る。
景色を作るはずの声が、少し刃物みたいになった。
でも、客席は引かなかった。
むしろ前に来た。
目が開いていく。
さっきまで様子見だった初見が、明らかに身体をこちらへ向けている。
BEEF勢の一人が、壁から少し離れた。
リバクルーは、少し心配そうな顔を残しながらも、手を上げている。
ああ。
伝わってる。
でも、何が伝わってる?
気迫か。
怒りか。
ライブ感か。
それとも、何かあったことか。
分からない。
分からないまま、曲は進む。
俺はマイクを握り直した。
プロとしてやる。
客には楽しんでもらう。
でも、心の奥では、もうはっきり燃えていた。
BEEF。
そこは俺の一言だった。
その怒りは、showtimeの最後まで消えなかった。
曲が終わる。
拍手が来る。
さっきより大きい。
近い小箱の拍手が、胸を叩く。
「今日、熱くね?」
誰かが言った。
「mcRC、目ぇ怖かった」
「いや、かっこよかった」
「何かあった?」
「演出じゃね?」
「BEEFやべえな」
「リバクラも食われてない」
声が混ざる。
俺は息を整えながら、客席を見た。
笑った。
たぶん、ちゃんと笑えてはいなかった。
wataが横に来て、小声で言った。
「いまの、だいぶ出てたで」
俺は客席を見たまま答えた。
「分かってる」
EGUIが反対側から言った。
「でも落としてない」
「落とすかよ」
声が少し強くなった。
自分でも分かった。
EGUIは何も言わなかった。
BEEFはDJブースで次の曲を準備している。
平気な顔。
何も言わない。
俺は一瞬だけ、そっちを見た。
今は言わない。
ステージの上では言わない。
でも、終わったら言う。
絶対に言う。
次の曲、attackのイントロが低く鳴り始めた。
客席がまた前に出る。
ライブはまだ序盤だった。
俺の怒りも、まだ序盤だった。




