3-2-3 一度、鳴らしてみる
翌日の夜、リバクラボラトリーには、いつもより少しだけ整った空気があった。
机の上には、昨日までのように紙が散らばっていない。
いや、散らばってはいる。
歌詞。
音源メモ。
セットリスト案。
水。
赤ペン。
ノートパソコン。
スマホ三台。
それでも、前よりは少しだけ見通しがいい。
何を三人で考えるべきか。
何を外へ相談すべきか。
何をまだ決めなくていいか。
その線が、少しずつ見えるようになってきていた。
mcRCはノートパソコンの画面を見ながら、腕を組んでいた。
画面には、新川から届いたメッセージが開かれている。
⸻
新川:
配信形式で試す件、候補を出します。
会場は三か所あります。
A:小さめのライブハウス
音響は良い。配信設備あり。客入れ少人数も可能。
ただし箱代はやや高め。
B:スタジオ兼ラウンジ
昨日の場所に近い形式。配信は別途機材必要。
自由度は高い。
C:イベントスペース
配信環境は作れる。客入れも可能。
ただし音響面は調整が必要。
BEEFさんは、AかBなら対応可能とのことです。
⸻
wataは、椅子の背もたれに体を預けながら言った。
「AかB」
EGUIは、紙のメモを見ながら答える。
「音で見るならA」
mcRCが頷く。
「配信もあるしな」
wataは少しだけ眉を寄せた。
「でも箱代高め」
EGUIが言う。
「高い理由はある」
「まあな」
wataは、机の上の赤ペンを手に取った。
「Bは自由度高いけど、配信機材こっちで考える感じか」
mcRCは画面をスクロールする。
「そうなる。新川さんは、初回ならAが無難って」
EGUIが頷く。
「無難でいい」
wataが少し笑う。
「BEEFさん呼ぶ時点で、無難って言葉が似合わんけどな」
その言葉で、三人の間に少しだけ沈黙が落ちた。
昨日のBEEFの姿が、それぞれの頭に浮かぶ。
黒いパーカー。
低い声。
短い返事。
余計なことを言わない態度。
曲を大きく壊さず、三人が入りやすい場所に音を置いた手。
音は良かった。
でも、好きかと言われると、まだ違う。
wataは赤ペンを指で回しながら言った。
「正直、まだちょっと嫌」
mcRCは頷いた。
「うん」
EGUIも静かに言う。
「俺も、距離はある」
wataがEGUIを見る。
「お前も?」
「ある」
EGUIは水を一口飲んだ。
「ただ、音は否定できない」
wataは苦笑した。
「そこなんよな」
mcRCは、昨日の喫茶店で話したことを思い出していた。
上からに見える。
嫌いな匂いがする。
でも、曲への扱いは雑ではない。
音楽的な可能性を、第一印象だけで閉じるのは違う。
大人の心で一度やってみる。
その結論は、まだ胸の中に残っている。
mcRCは言った。
「一回だけのゲスト配信として考えよう」
wataが頷く。
「正式加入でも、継続でもなく」
「うん」
EGUIが続ける。
「経験としてやる」
mcRCはノートパソコンにメモを打った。
DJ BEEF ゲスト配信企画
目的:曲間とライブ感の検証
形式:小規模配信ライブ
立場:ゲスト参加
継続前提ではない
wataは、その文字を見て言った。
「目的、硬いな」
mcRCは画面から目を離さない。
「硬くていい」
「まあ、今回は硬い方がいいか」
EGUIが頷く。
「曖昧にすると、後で困る」
wataは赤ペンを置いた。
「たしかに」
BEEFのことは、まだ分からない。
だからこそ、最初から言葉を柔らかくしすぎない方がいい。
期待しすぎない。
恐れすぎない。
盛り上げすぎない。
でも、軽く扱わない。
ゲストとして、一度鳴らす。
それだけを、きちんと形にする。
mcRCは新川へ返信を打った。
⸻
新川さん
候補ありがとうございます。
三人で話しました。
初回はAの小さめのライブハウスが良いと思います。
理由は、音響と配信環境が安定していること、BEEFさんとの初回配信としてリスクが少ないことです。
今回は、正式加入や継続前提ではなく、BEEFさんをゲストとして迎えて、一度ライブ形式で鳴らしてみる企画として進めたいです。
詳細の条件を確認したいです。
⸻
送信。
しばらくして、新川から返事が来た。
⸻
新川:
承知しました。
A会場で仮押さえ確認します。
企画名と告知文は、煽りすぎない方がいいです。
BEEFさんの名前は出して構いませんが、「正式加入」や「新体制」のような表現は避けてください。
あくまで、ゲスト参加。
⸻
wataが読みながら言った。
「新体制って言うと大ごとになるもんな」
EGUIが頷く。
「まだ違う」
mcRCはメモに書き足した。
告知:正式加入ではない
新体制と言わない
ゲスト参加
一度鳴らしてみる
wataは少しだけ前のめりになった。
「でも、BEEFって名前出したら、ざわつくやろ」
「ざわつくと思う」
mcRCは頷いた。
「出さない方がいい?」
EGUIが少し考えた。
「出さないのは違う」
wataが見る。
EGUIは続けた。
「あとで分かる方が変に見える。ゲストとして呼ぶなら、名前は出す。ただし、意味を盛りすぎない」
mcRCが頷く。
「そうだな」
BEEFを隠して配信する必要はない。
でも、必要以上に持ち上げれば、リバクラの企画ではなくBEEFのイベントに見えてしまう。
それも違う。
主役は、あくまでReverse Crown。
BEEFはゲスト。
ただし、ただの添え物でもない。
三人にとっても、リバクルーにとっても、かなり大きな違和感と期待を生む存在になる。
wataは、少しだけ息を吐いた。
「告知、難しいな」
mcRCは頷いた。
「難しい」
EGUIが言った。
「正直に書けばいい」
wataがEGUIを見る。
「どう正直に?」
EGUIは、少しだけ目線を落としてから言った。
「Reverse Crownが、DJ BEEFをゲストに迎えて、一度だけ配信ライブをする」
「うん」
「目的は、新しいライブの形を試すこと」
「うん」
「まだ何かが決まったわけではない。でも、今の三人が次に進むために、一度鳴らしてみる」
mcRCは、その言葉を少しずつ打った。
wataは黙って聞いていた。
EGUIは、さらに続ける。
「BEEFさんの名前で煽るより、三人がなぜやるのかを出した方がいい」
mcRCが頷く。
「それでいこう」
wataは小さく笑った。
「それ言われたら、もうふざけて逃げられへんやん」
EGUIは静かに返した。
「逃げる話じゃない」
wataは両手を上げた。
「はい」
三人は、告知文の下書きを作った。
⸻
Reverse Crown 配信ライブのお知らせ
次回配信ライブでは、DJ BEEFさんをゲストに迎えます。
これは正式加入や新体制の発表ではありません。
単独ライブを終えたあと、三人でこれからのライブの形を考えてきました。
曲と曲の間、空気のつなぎ方、現場でしか生まれない熱。
その可能性を、一度鳴らしてみるためのゲスト回です。
Reverse Crownは三人の声を軸にしたまま、DJ BEEFさんと一緒に、いつもとは少し違うライブを試します。
ぜひ見届けてください。
⸻
wataは読み終えて、少しだけ頷いた。
「ちゃんとしてる」
mcRCが言う。
「ちゃんとしとかないと」
EGUIも頷いた。
「これなら過剰に煽ってない」
wataは、少しだけ不安そうに言った。
「でも、リスナーはざわつくやろな」
「ざわつくやろ」
mcRCは言った。
「それは仕方ない」
BEEFの名前を知っている人は、反応する。
wataがそうだったように。
「え、本物のBEEFじゃん」
そうなる人は、たぶんいる。
逆に、BEEFを知らないリバクルーもいる。
その人たちには、「誰?」となる。
どちらにも、変な誤解をさせないようにする必要がある。
wataは言った。
「コメント欄、荒れるかな」
EGUIが答える。
「荒れるかは分からない。ただ、揺れるとは思う」
「揺れる」
「知らない人には疑問。知ってる人には驚き。BEEF目当ての人も来るかもしれない」
mcRCは、少しだけ眉を寄せた。
「BEEF目当て」
「可能性はある」
EGUIは続けた。
「でも、それも悪いことではない。リバクラを知らない人が来る機会でもある」
wataは、少しだけ複雑そうな顔をした。
「BEEFを見に来た人に、俺らが見られるわけか」
「そう」
mcRCは頷いた。
「それはそれで、やるしかない」
wataは赤ペンを手に取った。
「急に緊張するな」
EGUIが言う。
「今から緊張しても早い」
「正論で前倒し緊張を止めるな」
mcRCは少し笑った。
でも、その笑いもすぐに引いた。
これまでの配信は、リバクラを見に来る人が中心だった。
もちろん初見もいた。
けれど、基本的には三人の声や曲に興味を持った人たちが来てくれていた。
今回は違うかもしれない。
BEEFの名前で来る人がいる。
BEEFを知っている人。
BEEFに思い入れがある人。
BEEFが好きな人。
逆に、BEEFに複雑な印象を持っている人。
その人たちの前で、Reverse Crownが鳴る。
それは、少し怖い。
でも、だからこそ意味がある。
mcRCは、告知文をもう一度見直した。
「これ、出す前に新川さんにも確認してもらおう」
wataが頷く。
「BEEFさん側にも、変に失礼ないか見てもらった方がいい」
EGUIも言う。
「名前を借りる以上、そこは必要」
mcRCは新川へ下書きを送った。
数分後、返事が来た。
⸻
新川:
この文面で良いと思います。
BEEFさんにも確認します。
一点だけ。
「いつもとは少し違うライブを試します」は良い表現です。
期待は作れますが、言いすぎていません。
⸻
wataが少し安心したように息を吐いた。
「新川さんチェック通った」
EGUIが頷く。
「なら、次はBEEFさん確認」
さらにしばらくして、新川から短い返信が来た。
⸻
新川:
BEEFさん確認済みです。
問題ないそうです。
⸻
wataが、画面を見て少し笑った。
「問題ないそうです、だけ?」
mcRCは頷く。
「らしいな」
EGUIが言う。
「本人が長文で返すとは思えない」
「たしかに」
wataは、少しだけ肩の力を抜いた。
「じゃあ、出すか」
mcRCは頷いた。
「出そう」
告知は、その夜に公開された。
⸻
Reverse Crown 配信ライブのお知らせ
次回配信ライブでは、DJ BEEFさんをゲストに迎えます。
これは正式加入や新体制の発表ではありません。
単独ライブを終えたあと、三人でこれからのライブの形を考えてきました。
曲と曲の間、空気のつなぎ方、現場でしか生まれない熱。
その可能性を、一度鳴らしてみるためのゲスト回です。
Reverse Crownは三人の声を軸にしたまま、DJ BEEFさんと一緒に、いつもとは少し違うライブを試します。
ぜひ見届けてください。
⸻
投稿ボタンを押して、数秒。
最初の反応は、思ったより早かった。
コメントが一つ。
え? DJ BEEF?
次。
本物?
次。
リバクラにBEEF来るの?
次。
正式加入じゃないって書いてあるけど、ゲストでもすごくない?
wataが、スマホを見ながら小さく言った。
「やっぱりざわついた」
mcRCは頷いた。
「うん」
さらに流れる。
BEEF知らないんだけど、すごい人?
界隈ではかなり有名
え、あのBEEF?
リバクラどうなるの?
ちょっと怖いけど楽しみ
三人の声がちゃんと残るなら見たい
BEEFさん、ライブ壊す人って聞いたことあるけど大丈夫?
wataの表情が、少しだけ固まった。
「壊す人」
mcRCも、そのコメントで止まった。
EGUIが静かに画面を見ている。
まだ何も起きていない。
でも、BEEFという名前が持っている空気だけは、もう少しずつ画面に流れ込んでいる。
期待。
驚き。
不安。
好奇心。
三人は、その全部を見ていた。
mcRCは言った。
「ちゃんと見られてるな」
wataが頷く。
「BEEFさんも、俺らも」
EGUIが言う。
「だから、準備する」
wataはスマホを伏せた。
「うん」
三人は、もう一度セットリスト案へ向かった。
まだ本番ではない。
まだ衝突も起きていない。
ただ、ひとつの企画が動き出しただけ。
DJ BEEFをゲストに迎える配信ライブ。
一度、鳴らしてみる。
それだけのはずだった。
けれど、コメント欄に流れた小さな不安が、部屋の中にも少しだけ残った。
BEEFさん、ライブ壊す人って聞いたことあるけど大丈夫?
wataは、赤ペンを持ったまま、その言葉を思い出していた。
mcRCも、画面ではなく、スピーカーの方を見ていた。
EGUIは、静かに歌詞の紙を揃えた。
まだ何も壊れていない。
でも、次に鳴る音が、今までと同じではないことだけは分かっていた。




