5-5-2 伝えなきゃ、伝わらない
会場の熱は、前回より明らかに大きくなっていた。
約三万二千人。
その数字は、Reverse Crownだけで膨らんだものではない。
Sound Sessionそのものが、もう大会として育っていた。
SNSでは毎日のように切り抜きが流れている。
テレビの音楽番組では、出場チームの特集が組まれた。
朝の情報番組では、MIRROR LINEの完成度や、Reverse Crownの観客反応、BEEF加入後の変化まで短く紹介された。
配信の解説では、三曲構成、曲間MC、DJのつなぎ、観客評価と審査員評価の違いまで語られていた。
勝敗表を見て来た人がいる。
推しチームを追って来た人がいる。
SNSの一部分だけを見て来た人がいる。
テレビで初めて名前を知った人がいる。
大会の熱は、もうステージの外で先に燃えていた。
客席は、綺麗に分かれていない。
リバクルーが前方に固まっているわけではない。
BEEF勢が一角を占めているわけでもない。
ReShiNa勢がまとまって座っているわけでもない。
みんな、それぞれ予約を取って、それぞれの席にいる。
ただ、なんとなく分かる。
首にかかったタオル。
キャップの刺繍。
胸元の缶バッジ。
手に持った赤ペン。
スマホケースに貼られた逆さの王冠。
膝の上に置いたグッズ。
リバクルーは、やっぱりタオルが多かった。
黒地に逆さの王冠。
READYタオル。
「飯は感情」と入ったタオル。
古いライブ物販のタオル。
何度も洗われて、端が少し柔らかくなったタオル。
ある男は、そのタオルを首にかけたまま、スクリーンの対戦カードを見上げていた。
ある女は、タオルの端を両手で握りしめている。
別の席では、若い二人組が、互いのタオルを見せ合って小さく笑った。
BEEF勢は、ワークキャップで分かる。
肉マーク。
BEEFロゴ。
黒いTシャツ。
首の後ろにかけたヘッドホン。
ステージ中央よりも、まずDJブースを確認する目。
彼らは、歓声の上げ方も少し違う。
名前を叫ぶより、手元を見る。
機材を見る。
BEEFの立ち位置を見る。
音が出る前から、何を削って何を残すつもりなのかを探っている。
ReShiNa勢もいた。
男のファンが多い。
「ReShiNa」と入ったタオル。
「れなたん」タオル。
「しほたん」タオル。
「ふぇありーなつき」タオル。
リバクラの黒い客席の中に、少しだけ別の温度のタオルが混じっている。
その男たちは、リバクラの低音にまだ慣れていないのか、少し緊張した顔をしていた。
けれど、興味ははっきりあった。
ReShiNaとのコラボを聴いて、リバクラのことが気になった。
あの水や森や風の音と混ざった男たちが、単独でどんなステージを作るのか。
その熱が、どれくらい荒くて、どれくらい優しいのか。
そんな気配が、彼らの視線にあった。
「コラボの時、男声の圧が思ったより邪魔じゃなかったんだよな」
「わかる。ReShiNaの音を潰すと思ってたけど、意外と受けてた」
「リバクラ単体だと、もっと熱いんかな」
「BEEFの低音、現地で聴くと体に来るな」
「れなたんの声と混ざった時とは、全然違う顔しそう」
「しほたんがあの重さに何を感じたのか、ちょっと分かる気がする」
「ふぇありーなつきの風と、このビートが混ざったの、今思うと不思議だったな」
照れたような言い方だった。
でも、目は本気だった。
会場の中には、ReShiNaの三人もいた。
関係者席ではない。
普通の観客席の中に、三人で座っている。
三人ともマスクをつけていた。
renaは、アコギケースを抱えるようにして座っていた。
大きなケースを持って、人の流れの中を抜けてきたせいで、マスクの上からでも少し息が上がっているのが分かる。
肩紐の跡が服に残っている。
座ってからも、何度かケースの位置を直していた。
疲れている。
それでも、目はステージから離れない。
ここに来るだけでも少し大変だったはずなのに、帰りたい顔ではなかった。
shihoは、バスクラリネットのケースを足元に置いていた。
大きい。
黒くて、重そうで、客席の足元ではかなり扱いづらい。
入場時も、座席に入る時も、周りにぶつけないように何度も気を遣ったのだろう。
マスク越しに、ゆっくり呼吸を整えている。
それでも、姿勢は崩さない。
両手を膝の上に重ね、ステージの中央を静かに見ていた。
natsuは、二人に比べるとずっと楽そうだった。
細いフルートケース。
本人の言い方なら、棒一本。
肩もそこまで苦しそうではない。
それでも、いつもより静かだった。
ステージを見ている。
けれど、ステージだけを見ている感じではない。
会場の空気。
三万二千人の呼吸。
照明が作る熱。
音が鳴る前の揺れ。
その揺れを、目で追っているようだった。
リバックラインの五人は、ReShiNaの三人から離れた別の席にいた。
互いの小声は聞こえない。
五人は、全員サングラスをしていた。
屋内なのに。
けれど、逆さの王冠と黒衣装とサングラスがリバクラの印になってから、リバクラ周辺でサングラスは少しだけ意味を持つようになっていた。
Kateは、細身のサングラスに黒いジャケット。
胸元にはReverse Crownの小さなマーク。
落ち着いた顔をしている。
ただ、足元のつま先だけが、ほんの少し動いていた。
Miwaは、もう泣きそうだった。
サングラスで目元は隠れているが、口元の力の入り方で分かる。
膝には「飯は感情」タオル。
その端をぎゅっと握っている。
Ninaはスマホを持っている。
けれど、画面は消している。
今は拡散する前に、まず観る。
その顔だった。
Saraは、サングラス越しでも冷静だった。
ステージ中央。
DJブース。
照明。
観客の熱。
BEEFの立ち位置。
全部を見ている。
Yuiは、小さなメモ帳を持っていた。
持っているだけで、まだ開いていない。
Miwaが小声で言う。
「Yuiちゃん、今日は書くの?」
Yuiは少し考えた。
「書かないようにする」
Ninaが笑う。
「それ、書く人の言い方じゃない?」
「努力はする」
Saraが静かに言った。
「始まる前から議事録にしないでね」
Yuiは、真面目に頷いた。
「うん。今日は、まず見る」
Kateはステージを見たまま、少しだけ笑った。
「そう。まず、見よう」
Miwaがタオルを握り直す。
「見るだけで済むかな」
Ninaが小さく返す。
「済まないと思う」
「だよね」
その言葉に、五人が少しだけ笑った。
笑ったあと、すぐにステージへ視線が戻る。
スクリーンには、第4戦の対戦カードが映っていた。
先攻。
Reverse Crown
その文字が出た瞬間、会場のあちこちから歓声が上がった。
「先攻リバクラ!」
「先に来る!」
「空気作る側だ!」
「後から合わせられないぞ!」
「ここ、大事!」
続いて、後攻チームのロゴが映る。
派手な爆発ではない。
だが、会場のあちこちから低く濃い歓声が起きた。
その反応で分かる。
根強いファンがいる。
一度好きになった人間が、離れにくいタイプのユニット。
分かりやすい大合唱で押すというより、複雑なリズムや癖のある展開で、聴く人間を自分たちの音へ引き込むチーム。
ハマれば、強い。
ただ、入口をつかめなければ、少し遠く感じる。
そういう個性派だった。
ステージ袖。
mcRCは、マイクを握っていた。
黒いジャケット。
内側には白いインナー。
前髪が目にかかる。
サングラスは胸元に下げている。
袖の暗がりの中で、彼はスクリーンの対戦カードを見ていた。
先攻。
後攻は、根強いファンを持つテクニカルな個性派ユニット。
向こうの音には、向こうの重力がある。
一度そのペースに入れば、会場の耳を持っていかれる。
癖のあるリズム。
変則的な展開。
聴き慣れたファンが先に反応し、その反応が周囲の耳を引っ張っていく。
こちらが先攻。
先に空気を作る側。
でも、自分たちも前回の負けを抱えたままだった。
余白を残す。
入り直す。
学び直す。
観察し直す。
必要なことだ。
でも、間違えれば迷いに見える。
課題を意識していることと、縮こまっていることは違う。
mcRCは、その差を考えていた。
wataは、指先で一拍を数えていた。
詰める。
走る。
畳む。
でも、一拍空ける。
BEEFは、あの夜、落とすわけねえだろ、と言った。
それでも、怖いものは怖い。
空けた瞬間、何もないのが見える気がする。
音で走っている間は、自分の足音で不安を消せる。
止まった瞬間、言葉そのものが立つ。
だからこそ、今日はやる。
EGUIは、壁に背を預けず、まっすぐ立っていた。
声を沈める。
押し出すより、残す。
切るより、支える。
その言葉は、まだ身体に馴染んでいない。
強く言い切る方が楽な時もある。
短く刺す方が、自分らしいと思える時もある。
でも今日は、少し違う。
勝ち負けの場で、弱くなるわけではない。
丸くなるわけでもない。
低く響かせて、それでも届かせる。
BEEFは、誰より先にDJブースへ行く準備をしていた。
肉マークのワークキャップ。
横に小さくついた逆さの王冠ピン。
黒いTシャツ。
指先は落ち着いている。
ただ、顔は相変わらず不機嫌そうだった。
wataが横目で見る。
「今日の対戦相手、濃いな」
BEEFが短く返す。
「癖があるだけだ」
「それが濃いんやろ」
「こっちのペースなら飲める。向こうのペースなら飲まれる」
EGUIが言う。
「先攻だから、先に作るしかない」
mcRCは頷いた。
「課題を持っていくの、怖いな」
wataが鼻で笑う。
「怖い。普通に大ゴケするかもしれん」
BEEFが、機材ケースの持ち手を握ったまま言った。
「ビビって薄くなるくらいなら、壊した方がマシだ」
wataが見る。
「それはそれで困るんやけど」
「お前が空けたら鳴らす。俺が落としたら上げろ」
「無茶言うな」
「無茶じゃねえ。ライブだ」
EGUIが短く言った。
「チャレンジしない、ではない」
mcRCが、ゆっくり息を吐いた。
「うん」
少しだけ間が空く。
会場のざわめきが、袖の奥まで届いている。
先攻。
最初に空気を作る。
相手は癖が強い。
こちらは課題を持っている。
変えようとすれば崩れる可能性がある。
変えなければ、前回と同じ弱点を持ったままになる。
mcRCは、三人とBEEFを見た。
「ここも、いつも通りガチで行こう」
wataが、小さく笑った。
「結局それなんよな」
EGUIが頷く。
「逃げない」
BEEFは、機材ケースを持ち上げた。
「じゃあ行け。音は逃がさねえ」
その言葉で、wataの口元が少しだけ緩んだ。
司会者の声が、会場に響く。
「第4戦、先攻は――」
スクリーンに逆さの王冠が映る。
「Reverse Crown!」
歓声が上がる。
「リバクラ!」
「先攻!」
「いけ!」
「下からだろ!」
「這い上がれ!」
「見せてくれ!」
司会者が続ける。
「with DJ BEEF!」
DJブース側に細い光が走った。
BEEFが先に出る。
黒いTシャツ。
黒いパンツ。
重いスニーカー。
肉マークのワークキャップ。
その横の逆さの王冠ピン。
BEEF勢がざわつく。
「肉マーク!」
「王冠ピンついてる」
「今日は先入りか」
BEEFは、客席を煽らない。
手も上げない。
笑わない。
マイクも持たない。
ただ、DJブースに立つ。
それだけで、会場の空気が締まった。
彼が機材に手を置く。
低音だけが落ちた。
どん。
床が鳴る。
三万二千人の足元が、同じ一拍だけ沈む。
歓声が少し止まる。
BEEFは、もう一度鳴らした。
どん。
音数は少ない。
けれど、その少なさが会場を整える。
ここから話す。
ここから渡す。
そんな間だった。
ステージ袖から、三人が出る。
mcRC。
wata。
EGUI。
三人とも黒を基調にした衣装だった。
mcRCは、黒いジャケットの内側に白いインナー。
前髪が少し目にかかる。
サングラスをかけ、客席を見た。
口元は硬い。
けれど、俯いてはいない。
wataは、長い黒髪を後ろで結んでいる。
黒い衣装に、細い銀のライン。
結んだ毛先がライトを受けて少しだけ光る。
右手の指が、無意識に一拍を数えていた。
EGUIは、短髪。
黒いシャツに、余計な飾りの少ないジャケット。
動きが少ない。
そのぶん、立ち姿に重みがあった。
三人が中央に並んだ瞬間、会場が大きく揺れた。
「リバクラ!」
「待ってた!」
「今日は見せろ!」
「下からだろ!」
「這い上がれ!」
「BEEF、頼むぞ!」
mcRCは、すぐには喋らなかった。
客席の声を、少しだけ待つ。
全部を自分の言葉で埋めない。
その間に、会場の声が入る。
renaは、その間を見ていた。
アコギケースの肩紐を握ったまま、マスクの上の目が少し動く。
今の間に、客席が入っている。
そう感じた。
mcRCは、すぐ景色を作れる人だ。
場所も、光も、匂いも、手触りも描ける。
でも今日は、最初の空白を全部埋めない。
誰かの声が入る場所を残している。
shihoは、ステージを見ていた。
EGUIがまだ喋っていないのに、彼の立ち方の低さを見ているようだった。
natsuは、会場の上の方へ視線を向けた。
照明の熱が、薄く揺れている。
mcRCが、マイクを上げた。
「俺たち、前回負けました」
会場が揺れる。
「言った……」
「逃げない」
「そりゃ悔しいよな」
mcRCは、少しだけ頷いた。
「悔しいです」
短い言葉だった。
説明をつけない。
相手を下げない。
点差の話に逃げない。
運の話にもしない。
ただ、悔しい。
その一言で、前回を見ていた人たちの胸に、もう一度あの夜の温度が戻る。
wataが、半歩前に出た。
「悔しいです」
同じ言葉。
でも、wataの声には少しだけ荒さがある。
「腹立ってます」
客席に笑いが起きた。
「正直!」
「wata、それ言うんだ!」
「腹立つよな!」
「そらそう!」
wataは、そこで笑わなかった。
一拍、空けた。
BEEFは、そこに何も入れない。
音を足さない。
その一拍が、会場に残る。
wataは続けた。
「でも、それを言い訳にして止まるなら」
もう一拍。
「俺らが今まで歌ってきたことが、嘘になる」
笑いが止まった。
Kateは、サングラスの奥でまばたきをした。
「……ちゃんと言った」
Miwaは、タオルを握りしめる。
「もう無理かも」
Ninaが小声で返す。
「まだ歌ってないよ」
「分かってる」
Saraは、静かに言った。
「でも、ここで言葉にするのは必要ですね」
Yuiは、メモ帳を開きかけて、また閉じた。
mcRCが、もう一度前へ出た。
「今日は、強がって戻ってきた顔じゃなくて」
一拍。
「新入社員みたいな気持ちで行きます!」
客席がざわっと笑った。
「新入社員!」
「そこでそれ言う?」
「でも分かる!」
「入り直しってそういうことか!」
mcRCは、少しだけ笑った。
「知らない場所に入って」
「何が正解かも分からなくて」
「周りの目も気になって」
「それでも、そこに立って、自分の仕事を覚えていく」
一拍。
「今日、今から歌う歌詞には」
さらに一拍。
「今の俺たちの思いが、積もってます」
会場が、さらに静かになる。
この一言は、ただの前置きではなかった。
歌詞を聴いてください、という軽いお願いではない。
今からの曲を、ただの新曲として流さないでほしい、という意思だった。
mcRCは、ゆっくり言葉を続ける。
「負けたこと」
「悔しいこと」
「分からなくなったこと」
「それでも、もう一回入っていくこと」
「強がって、完成した顔で戻るんじゃなくて」
一拍。
「まだ何者でもないまま、新しい場所に立つこと」
客席の誰かが、小さく息を飲んだ。
mcRCは続けた。
「歌えば勝手に伝わるとは、思ってません」
「いい曲なら全部伝わる、とも思ってません」
「伝えなきゃ、伝わらない」
その言葉で、会場の表情が変わった。
伝えなきゃ、伝わらない。
第4戦の入口に置かれたのは、勝利宣言ではなかった。
でも、弱音でもなかった。
伝えるという決意だった。
mcRCは、マイクを握り直した。
「だから、まず言葉で渡します」
「俺たちの決意を、聞いてほしい」
会場は、叫ばなかった。
その代わり、前へ傾いた。
三万二千人の身体が、ほんの少しステージへ近づく。
それが、返事だった。
mcRCは、客席の奥を見た。
「俺たちの新しい世界を――」
そこで止めた。
言い切らない。
空白が生まれる。
そこに、客席の誰かが叫んだ。
「見せろ!」
すぐに別の場所から返る。
「見せろ!」
「見せてくれ!」
「下から這い上がる姿を見せてくれ!」
「リバクラ、見せろ!」
「行け!」
「やれ!」
声が、ばらばらの場所から上がる。
固まったファンブロックからではない。
三万二千人の中に散っていた火種から。
mcRCは、少しだけ笑った。
「見せるぞ!」
BEEFが、そこでターンテーブルを切った。
シャッ。
短いスクラッチ。
そしてチョップされた声が、音の隙間に落ちる。
“New era, new bell.”
BEEFは、その声をきれいに並べない。
少し刻む。
少し揺らす。
少しだけざらつかせる。
新しい始まりは、なめらかではない。
知らない教室。
知らない職場。
知らないステージ。
少し浮いた自分。
まだ正解のない場所。
その不安定さごと、音にしていた。
mcRCが叫ぶ。
「NEW ERA!いくぞ!」
低音が落ちる。
三人の声が重なった。
≫New era, new bell 鳴ったら go
≫まだ何者でもないまま on the road
≫New page, new game 迷っても roll
≫わからないままでも make it my own
客席が、一気に前へ出た。
「まだ何者でもないまま!」
「ここでそれ言うの、かなり覚悟いる」
「完成した顔じゃないんだ」
「負けた後に“まだ何者でもない”って言うの、逃げじゃなくて入り直しだ」
「make it my own、自分で引き受けるって感じがする」
Hookは明るい。
跳ねる。
上がる。
会場を押し出す。
でも、言葉の芯は軽くない。
俺たちはもう平気です、と言っているわけではない。
負けは気にしていません、と笑っているわけでもない。
まだ何者でもないまま、行く。
その言葉が、客席の耳に残る。
≫敵か味方か 見えない today
≫正解ないなら 踏み出すだけ
≫New era, new bell ここから show
≫俺らの時代へ turn it up, let’s go
「敵か味方か見えない today、初日の緊張だ」
「正解ないなら踏み出すだけ、今のリバクラそのものじゃん」
「俺らの時代って言ってるのに、威張ってない」
「まだ怖さが残ってるのがいい」
「BEEFのベル、前に出すぎないのにずっと耳に残る」
BEEF勢の男が、小さく言った。
「ベルをHookの後ろに敷いてる。でも声を食ってない」
隣が頷く。
「ソロならもっと遊ぶよな」
「今日は三人の下に回ってる」
「チームDJしてる」
BEEFは表情を変えない。
でも、手元は細かく動いている。
三人の声が前に出る瞬間は引く。
Hookの隙間にだけ、ベルを返す。
客席が声を出しかける場所は潰さない。
BEEFは、三人の呼吸を音でつかんでいく。
mcRCが前へ出た。
照明が白っぽく変わる。
朝のビルの入口。
新しい部署の廊下。
少し冷たいオフィス。
蛍光灯の下で、自分だけ少し浮いている時間。
そんな光だった。
≫新品の靴でくぐる automatic door
≫首から ID ちょい浮いてる floor
≫朝礼終わっても 何すりゃいいの
≫メールの CC すらまだ迷子
客席が、どっと笑った。
「CC迷子!」
「分かる!」
「首からID浮くの、初日すぎる!」
「朝礼後の放置、ほんと怖い!」
「automatic doorで会社入る絵が出た!」
「新入社員の足元、見えるわ」
笑いがある。
でも、馬鹿にする笑いではない。
分かるから笑っている。
知らない場所で、何をすればいいか分からない。
IDカードだけが、自分をそこにいる人間として扱ってくれる。
でも、自分の中身はまだ追いついていない。
その浮き方が、客席のそれぞれの記憶を引っ張った。
リバックラインの席で、Ninaが肩を震わせる。
「CC迷子、現場すぎる」
Saraが真面目に返す。
「CCは本当に迷います。全員に入れると多すぎるし、抜くと問題になります」
Miwaが頷く。
「首からIDが浮くのも分かる。慣れてない人って、首元まで緊張して見える」
Kateが、少し笑う。
「新しい場所に入ったばかりの人は、立ち方がまだその場所の形になってないんだよね」
Yuiが小さく言う。
「所属前の姿勢」
Ninaが横を見る。
「Yuiちゃん、今のちょっと好き」
Saraがすぐ言う。
「でも書かない」
Yuiは頷いた。
「書かない」
renaは、別の席でステージを見ていた。
mcRCの景色は細かい。
新品の靴。
自動ドア。
ID。
朝礼。
メールのCC。
でも、全部を説明していない。
どこの会社なのか。
どんな先輩なのか。
何を失敗したのか。
誰に怒られたのか。
そこは言わない。
だから、聴いている人が自分の初日を思い出せる。
renaは、アコギケースのストラップを指先で触った。
入れる。
そう思った。
自分の記憶が、歌詞の中に入れる。
mcRCは続ける。
≫先輩の背中は早足で fade
≫聞きたいけど空気が読めない break
≫メモ帳開いて ペンだけ走る
≫やってる風の俺がデスクに残る
また笑いが起きた。
「やってる風!」
「ペンだけ走るの、分かりすぎる!」
「理解してないのにメモだけ速い!」
「先輩の背中fade、置いてかれるやつ!」
「聞きたいけど聞けない空気、あるよな」
笑いながら、少し苦い。
新しい場所で、まだ何もできない自分。
聞きたいのに、声をかけられない自分。
メモを取ることで、なんとかそこにいるふりをしている自分。
それは、ただの新入社員あるあるではなかった。
今日のリバクラ自身でもあった。
MIRROR LINEに負けたあと、もう一度ステージに立つ。
周囲は見ている。
大会の解説も回っている。
SNSも比べている。
何も分かっていないふりはできない。
でも、分かった顔で進むこともできない。
それでも、デスクに残る。
ステージに残る。
mcRCの声が、少し低くなる。
≫コピー機の音 コーヒーの湯気
≫名前も部署もまだぼやけてる上
≫敵か味方か 笑顔じゃ読めない
≫優しい人ほど忙しくて聞けない
笑いが、少しだけ引いた。
「優しい人ほど忙しい……」
「これ、何気に一番しんどい」
「聞きたい人ほど声かけづらいんだよな」
「笑顔じゃ読めない today って、初日も大会も同じだ」
「コピー機とコーヒーの湯気で、職場の匂いまで出る」
テレビの特集で来たらしい男性が、隣の友人に言った。
「これ、ただの職場ネタじゃないな」
友人が頷く。
「負けたあと、周りが敵か味方か分からない場所にもう一回入るってことか」
「なるほどな」
「なのに笑えるのがいい」
その感想は、客席の中で静かに広がっていく。
歌詞が、ひとつの意味に固定されない。
職場初日として笑える。
リバクラの第4戦として読める。
自分の人生の入り直しとしても響く。
mcRCは、最後の四行へ向かう。
≫だけど鳴ってる 胸ん中 bell
≫配属初日から始まった tale
≫New era まだ地図は白紙
≫でも白紙だから描ける証
会場が大きく反応した。
「白紙だから描ける!」
「怖いけど、白紙なんだ」
「負けた後に白紙って言えるのいいな」
「胸ん中bell、BEEFのベルとつながってる」
「新しい場所に来た不安が、始まりに変わった」
BEEFが、そこでベルの音を短く切る。
カン。
ザッ。
カン。
胸の中で鳴るベルみたいに、音が奥へ引っ込んでいく。
そして、Turntable Break。
スクリーンに、机の上の資料を思わせる線が走った。
赤ペン。
付箋。
開いたままのファイル。
少し斜めになった書類。
wataが前へ出る。
サングラスの奥の表情は見えない。
でも、口元に少しだけ力が入っている。
ここからが、彼の場所だった。
≫机に資料 赤ペン 付箋
≫学んだつもりが 揺らぐ伏線
≫正解?警戒?限界?展開?
≫自分の答えにまだない絶対
会場が一気に跳ねた。
「来た!」
「wata!」
「正解警戒限界展開!」
「音が気持ちいい!」
「言葉が詰まってるのに、意味が落ちない!」
「自分の答えにまだない絶対、迷ってる感じが残る」
赤ペンを持っていた客が、思わずそれを上げた。
「赤ペン!」
「CALL ME OUT勢いる!」
「変われる人は聞けるよ!」
別の席で誰かが笑う。
「赤ペン掲げるライブ、何?」
「でも今日の歌詞には合ってる」
wataは、ほんの少しだけ間を空けた。
短い。
でも、確かに空いた。
前なら、そこを埋めていたかもしれない。
音で埋める。
韻で埋める。
英語でつなぐ。
言葉遊びで走る。
でも今日は、空けた。
BEEFが、そこに薄くクラップを入れる。
強くない。
目立たない。
でも、その一拍が落ちない。
BEEF勢がすぐ反応した。
「今、拾った」
「wataが空けたところに入れたな」
「BEEF、出しゃばってない」
「空白を消さずに鳴らした」
wataは、胸の奥で少しだけ熱くなる。
落とさなかった。
本当に落とさなかった。
wataは続ける。
≫冷静装って形成する声明
≫経験足りずに訂正また低迷
≫でも停滞してたら消える存在
≫平凡の型にハマれば後悔
「形成する声明!」
「訂正また低迷!」
「停滞してたら消える存在、ここ大会にもかかってる」
「平凡の型にハマれば後悔、wataが言うと説得力ある」
「韻の硬さだけじゃなくて、今の立場とつながってる」
Ninaが、スマホを見ずに呟いた。
「音としては気持ちいいのに、状況がちゃんと見える」
Saraが頷く。
「前より、出口が分かりやすいですね」
Kateは、ステージから目を離さない。
「BEEFさんも、ちゃんと合わせてきてる」
Yuiが小さく言う。
「拾ってる」
Saraは横を見る。
「それは合っています」
Yuiが少し嬉しそうに頷いた。
wataの声が、さらに前へ出る。
≫周りから見りゃ なんだこいつ
≫でも黙ってたら ただの同一
≫枷に丸められ 角まで削れ
≫それで安全?いや魂が崩れ
会場の熱が上がる。
「なんだこいつ!」
「黙ってたらただの同一!」
「角まで削れ、嫌な言い方だけど分かる」
「安全でも魂が崩れるなら、安全じゃないよな」
「これ、個性守る曲でもある」
wataは畳む。
けれど、最後の前にもう一度だけ空ける。
ほんの少し。
その空白で、次の言葉が立つ。
Try。
cry。
rise。
BEEFが指先で、短く音を返す。
wataが乗る。
≫Tryしてcryして それでも rise
≫視線が刺さっても曲げない style
≫これが俺だと知られるまで
≫変な奴でも前へ出るだけ
会場が大きく揺れた。
「変な奴でも前へ出るだけ!」
「出ろ!」
「知られるまで、っていいな」
「最初から分かってもらえると思ってないのがリアル」
「wata、今日は速いだけじゃない」
「空けたところの言葉が残る」
natsuが、少しだけ顔を上げた。
wataの一拍。
BEEFの返し。
客席の呼吸。
何かが、少し通った気がした。
BEEFがドラムを切った。
Pre-Hook。
音が抜ける。
スクラッチが細く走る。
重い808が落ちる。
Hookが戻る。
≫New era, new bell 鳴ったら go
≫まだ何者でもないまま on the road
≫New page, new game 迷っても roll
≫わからないままでも make it my own
今度は、客席の声が少し混ざり始めた。
「New era!」
「New bell!」
「make it my own!」
揃いきってはいない。
でも、そのばらつきが今日のNEW ERAには合っていた。
初めて聴く人もいる。
リバクルーもいる。
BEEF勢もいる。
ReShiNa勢もいる。
テレビで見て来た客もいる。
それぞれが、自分のタイミングで入ってくる。
EGUIが前へ出た。
照明が落ち着いた色に変わる。
一人暮らしの部屋。
夜の蛍光灯。
少し散らかった床。
スマホの充電ケーブル。
洗濯物。
流しの皿。
そんな光だった。
EGUIの声が、低く響く。
≫一人の部屋で気づいたんだ
≫生きるだけでもこんな重いんだ
≫家賃 電気 水道 食費
≫財布を見ながら減ってく勇気
会場が静かになった。
「家賃……」
「電気、水道、食費……」
「生きるだけでも重い、ほんとそう」
「新時代の曲でここまで生活に落とすんだ」
「でも外れてない」
shihoは、マスクの上の目を細めた。
EGUIの声が、前に飛びすぎていない。
低いところで鳴っている。
だから、聴く側が身構えずに受け取れる。
EGUIは続ける。
≫洗濯物は山になって
≫流しの皿もまた残って
≫ゲームしようと電源入れて
≫気づけば寝落ちで朝になってる
今度は、会場が笑った。
「あー!」
「ゲーム起動して寝落ち!」
「皿、残るんよ!」
「洗濯物の山は敵!」
「新時代の前にまず皿w」
笑いが起きる。
でも、ただの生活ネタではない。
新しい自分になりたい。
趣味も増やしたい。
体も鍛えたい。
もっとちゃんとしたい。
でも、現実には皿がある。
洗濯物がある。
眠気がある。
家賃がある。
食費がある。
その重さが、曲の中にある。
≫筋トレの時間どこ行った
≫趣味を増やす夢どこ行った
≫新しい俺になるはずが
≫優先順位に潰されてた
「痛い痛い痛い!」
「筋トレの時間どこ行った、やめてくれ!」
「趣味を増やす夢、毎年消える」
「優先順位に潰されるって、言い方が現実」
Miwaが、タオルを目元に持っていきかけた。
Ninaが小声で言う。
「まだ一曲目だよ」
Miwaは涙声で返す。
「知ってるってば」
Saraが、静かにハンカチを差し出した。
「早めに渡しておきます」
Miwaは受け取った。
「ありがとう」
Kateが、柔らかく笑う。
「これは来るよね」
Yuiは、メモ帳を開かず、ただ頷いた。
EGUIの声が、さらに沈む。
≫でもそれでも 終わりじゃない
≫生活できるって弱くはない
≫飯を炊いて 服を畳んで
≫今日を回した俺を認めて
会場のあちこちで、小さな拍手が起きた。
曲中なのに。
ぱらぱらと、自然に。
「生活できるって弱くない……」
「今日を回した俺を認めて、残る」
「飯を炊いて服を畳むのがNEW ERAになるのか」
「革命じゃなくて、生活を回すところから始まるんだ」
「これは大人に来る」
飯は感情タオルを持った女性が泣いていた。
隣の人がそれを見て、小さく笑う。
「飯は感情、今使うところだね」
女性は泣きながら頷いた。
renaは、静かに見ていた。
NEW ERA。
最初は、もっと大きい言葉だと思っていた。
時代が変わる。
世界が変わる。
ステージが変わる。
でも、この曲は飯を炊くところへ戻った。
服を畳むところへ戻った。
今日を回した自分を認めるところへ戻った。
大きな流れは、生活の底から始まる。
renaは、そう感じた。
Bridgeに入る。
三人が、それぞれの景色を短くつなぐ。
mcRC。
≫知らないオフィス 白い予定表
≫俺の名前がまだ軽く浮いても
客席から声が上がる。
「名前が浮いてる!」
「白い予定表、怖い!」
「まだ馴染んでない感じ、分かる」
wata。
≫迷いも材料 未完成も才能
≫正解ないなら作るしかないよ
「未完成も才能!」
「正解ないなら作るしかない!」
「今日のリバクラ、そのものだな」
EGUI。
≫部屋の灯りを消す前に言う
≫今日も生きた それで進んでる
会場が、深く息をした。
「今日も生きた……」
「それで進んでる……」
「EGUI、強く叫ばないのに残る」
「声の低さがいい」
shihoは、ほんの少しだけ頷いた。
言葉が届いたあと、まだ胸の中に残っている。
それが分かった。
natsuは、フルートケースの上に置いた指を、少しだけ動かした。
BEEFが、声の断片を刻む。
“New bell, new era.”
スクラッチが細く入る。
Final Hook。
≫New era, new bell 鳴ったら go
≫まだ何者でもないまま on the road
≫New page, new game 迷っても roll
≫わからないままでも make it my own
今度は、客席の声が増えた。
「New era!」
「New bell!」
「まだ何者でもないまま!」
「make it my own!」
完璧には揃っていない。
でも、揃えるための曲ではない。
知らない場所に、それぞれが自分の足で入る曲だ。
だから、少しずれていていい。
BEEFは、そのずれを潰さない。
三人の声の後ろで、客席の揺れをビートに混ぜる。
≫敵か味方か 見えない today
≫正解ないなら 踏み出すだけ
≫New era, new bell ここから show
≫俺らの時代へ turn it up, let’s go
照明が少しだけ明るくなる。
黒衣装の三人の輪郭が、はっきり浮かぶ。
mcRCの前髪。
wataの結んだ髪。
EGUIのまっすぐな立ち方。
BEEFの肉マークのワークキャップと、逆さの王冠ピン。
客席には、散らばったタオルがある。
赤ペンがある。
飯は感情タオルがある。
BEEFキャップがある。
ReShiNaタオルがある。
れなたんタオルがある。
しほたんタオルがある。
ふぇありーなつきタオルがある。
リバックラインのサングラスがある。
ばらばらなのに、同じ音を聴いている。
最後の追加Hook。
≫New era, new bell 何度でも go
≫不安も荷物も乗せてく flow
≫New page, new game ここから own
≫まだ知らない俺へ make it my own
「不安も荷物も乗せてくflow!」
「まだ知らない俺へ、か」
「負けたことも荷物にしてる感じがする」
「新しい自分って、急に強くなることじゃないんだな」
「知らない俺へ行く曲なんだ」
最後のベルが鳴る。
カン。
カン。
カン。
BEEFが、最後のスクラッチで切る。
シャッ。
音が止まった。
一瞬、会場は静かになった。
その一瞬が、長く感じた。
そして、拍手が起きた。
歓声より先に、拍手だった。
大きい。
でも、乱暴ではない。
前方だけではない。
後方からも、中段からも、左右からも起きる。
リバクルーが、散らばった場所でタオルを握ったまま手を叩く。
BEEF勢が、DJブースへ向けて頷きながら拍手する。
ReShiNa勢の男たちが、タオルを握ったまま、少し照れた顔で手を鳴らす。
テレビで見て来た初見客が、隣に合わせるのではなく、自分のタイミングで叩く。
ばらばら。
でも、厚い。
mcRCは、その拍手を正面から受けた。
強がって戻ってきたことへの拍手ではない。
可哀想だから迎える拍手でもない。
派手に勝ちを宣言した拍手でもない。
新しい場所に、もう一度入り直したことへの拍手だった。
伝えなきゃ、伝わらない。
だから、言葉で渡した。
そのあとで、歌った。
負けたこと。
悔しいこと。
まだ何者でもないこと。
新しい場所へ入る怖さ。
生活を回す重さ。
未完成のまま進むこと。
それが、この一曲では、確かに届いた。
wataは、マイクを下げたまま小さく息を吐いた。
空けた一拍を、BEEFは落とさなかった。
EGUIは、客席を見ていた。
声を沈めても、届いた。
BEEFは、もう次の準備をしている。
表情は変わらない。
けれど、指先だけが、さっきより少しだけ速かった。
三人の呼吸を、音で掴み始めている。
renaは、アコギケースの横で両手をそっと重ねた。
shihoは、静かに目を伏せてから、もう一度ステージを見た。
natsuは、フルートケースの上に置いた指を、少しだけ動かした。
リバックラインの席で、Miwaは完全に泣いていた。
サングラスがあっても分かる。
Ninaが小声で言う。
「まだ一曲目だよ」
Miwaは、涙声で返した。
「分かってるってば」
Saraが淡々とハンカチを追加で渡す。
「予備です」
Miwaが受け取る。
「ありがとう……」
Kateはステージを見たまま、小さく笑った。
「復帰、じゃなかったね」
Ninaが頷く。
「入り直し、だった」
Yuiが、とうとうメモ帳を開いた。
Kateは止めなかった。
Yuiは一行だけ書いた。
NEW ERA:戻ったのではなく、入り直した。
その一行なら、必要だった。
ステージ上で、mcRCが深く頭を下げる。
wataも続く。
EGUIも。
BEEFは、ブースの奥でほんの少しだけ顎を下げた。
拍手は、まだ続いている。
NEW ERAは終わった。
でも、第4戦はまだ始まったばかりだった。
扉は開いた。
次は、火をつける。




