5-4-12 一拍、空けろ
wataは、個室の隅でBEEFのタブレットを見ていた。
さっきまで、店の小さなスピーカーからMy restを鳴らしていたタブレット。
会場のDJブースとは比べものにならない。
ターンテーブルもない。
MPCもない。
照明もない。
低音も足りない。
それでも、BEEFは音を作った。
小さなキックを立てて、三人の声が乗る場所を作った。
簡易DJ。
言葉にすると軽い。
でも、実際に見たら、軽くなかった。
wataは、まだ少し笑いながら言った。
「いや、あれでやるの、ほんま反則やろ」
BEEFはタブレットの画面を消しながら言う。
「反則じゃねえ」
「機材ないから無理、ってなる流れやったやん」
「お前らが勝手に思っただけだ」
「普通は思うわ」
BEEFは、変換ケーブルを巻き始めた。
だが、すぐに絡まった。
wataはそれを見て、にやっとする。
「伝説の男、ケーブルに負けてるで」
BEEFが睨む。
「負けてねえ」
「絡まってる」
「絡まってねえ」
「いや、物理的に絡まってる」
少し離れた席から、Saraの声が飛んだ。
「絡まっています」
BEEFが振り返る。
「見るな」
Saraは淡々としている。
「視界に入りました」
「入れるな」
「BEEFさんがこちら側で作業しているためです」
wataは、笑いをこらえながら言った。
「完全に詰んでる」
BEEFは、舌打ちしてケーブルをほどいた。
「外行くぞ」
wataは眉を上げる。
「俺?」
「お前だよ」
「なんで?」
「話がある」
その言い方は、少し荒かった。
でも、怒鳴ってはいない。
wataは、空になりかけたグラスを置いた。
「え、説教?」
「説教じゃねえ」
「その声量は説教寄りやけど」
「来い」
「はいはい」
wataは立ち上がった。
部屋の中では、RCさんとrenaさんが戻ってきたばかりで、少し静かな顔をしている。
EGUIとshihoさんは、壁際の荷物の近くで何か話している。
natsuさんは、フルートケースを抱えたまま、三人の方を見ているようで、もっと遠くを見ていた。
wataは、その視線に少しだけ気づいた。
でも、何も聞かなかった。
BEEFについて、店の入口近くへ出る。
外というほど外ではない。
店の玄関脇にある、小さな空間。
冷たい夜気が少しだけ入ってくる。
会場の熱も、個室の湯気も、ここまでは届かない。
BEEFは、壁にもたれた。
タブレットを片手に持ったまま、少し黙る。
wataが先に言う。
「で?」
BEEFは、すぐには答えなかった。
画面の黒いタブレットを、指で一度だけ叩く。
音は出ない。
それから、低く言った。
「お前、一拍で響いたの、何度かあったの気づいてるか」
wataは、少しだけ笑いかけた顔で止まった。
「一拍?」
「ああ」
「何の話?」
「今日の話だ」
BEEFは、wataを見る。
「お前、まだ詰める気でいるだろ」
wataは、眉を寄せた。
「いや、詰めるのが俺やろ」
「違う」
即答だった。
wataの顔が少し変わる。
「違うん?」
「詰められるのが、お前の武器だ」
BEEFは、はっきり言った。
「詰めるしかできねえのは、癖だ」
wataは、少しだけ口を開けた。
それから、ゆっくり笑った。
「……腹立つな」
「腹立てろ」
「いや、ほんまに腹立つで」
「でも分かるだろ」
wataはすぐには返せなかった。
分かる。
その言葉を認めるのが、少し嫌だった。
BEEFの言い方は雑だ。
優しくない。
負けた直後の乱れも、まだ少し残っている。
でも、音の話になった瞬間、妙に逃げ道がなくなる。
BEEFは、言葉の人間ではない。
だからこそ、嘘が少ない。
wataは腕を組んだ。
「具体的に言えよ」
BEEFは、タブレットを持ち上げる。
「My rest」
「そこ?」
「ああ」
BEEFは、画面を開かないまま言う。
「お前の二番。詰めたとこ、気持ちよかった」
wataは少し得意げになる。
「やろ?」
BEEFは即座に言う。
「調子乗るな」
「なんでやねん」
「まだ続きがある」
BEEFは、指で空中に拍を刻んだ。
「ここ」
そして、wataの歌詞を低く読む。
≫ 白銀、湿気、静寂、刺激
≫ 息継ぎみたいに戻る意識
wataは、少しだけ目を細めた。
BEEFは続ける。
「あそこは、お前らしい。音の並びもいい。詰め方もいい」
「褒めてる?」
「褒めてる」
「珍しい」
「うるせえ」
BEEFは、すぐに表情を戻す。
「でも、そこで終わらない」
また、低く読む。
≫ 自然は無口 だけど deep
≫ 何も言わずにくれる healing
BEEFは、そこで一拍、黙った。
本当に、一拍だけ。
夜の空気が、その間に入った。
wataは、思わず何も言えなくなった。
BEEFが言う。
「今の間だ」
wataは黙る。
「“自然は無口”って言葉のあと、詰めずに一拍置いたら、景色が鳴る」
wataは、少しだけ視線を外した。
BEEFは続ける。
「お前、そこでも詰めようとする。言葉を足そうとする。音を埋めようとする」
「……まあ」
「でも、自然は無口って言ってんのに、お前が喋りすぎたら台無しだろ」
wataは、思わず笑った。
「言い方、腹立つわ」
「事実だ」
「Saraさんみたいになってるで」
「一緒にすんな」
BEEFは、本気で嫌そうな顔をした。
その顔で、wataは少しだけ笑う。
でも、言われたことは刺さっていた。
自然は無口。
何も言わずにくれる healing。
そこは、たしかに詰めない方が鳴る気がした。
wataは、小さく言った。
「俺、沈黙が苦手なんよ」
BEEFは、wataを見た。
wataは、自分で言ったあと、少しだけ笑う。
「いや、変な意味じゃなくてな。ラップしてる時、空くの怖い」
「何が怖い」
「何もないのがバレる」
BEEFは、黙った。
wataは続ける。
「詰めてたら、技術で走れるやん。母音とか、内韻とか、言葉遊びとか。詰めてる間は、自分がちゃんとやってる感じがする」
BEEFは、何も言わない。
「でも、空けた瞬間に、言葉そのものが立つやん」
wataは、少しだけ苦笑した。
「それが怖い」
BEEFは、タブレットを片手で持ち替えた。
「じゃあ、立たせろ」
wataが眉を寄せる。
「簡単に言うな」
「簡単じゃねえから言ってる」
BEEFの声は低い。
「一拍空けたら、何もないのがバレるんじゃねえ」
一度、切る。
「一拍空けたら、あるものがバレる」
wataは、少し動けなくなった。
BEEFは続ける。
「言葉が弱けりゃ、空けたら死ぬ。だけど強い言葉なら、空けた方が鳴る」
wataは、BEEFを見た。
「俺の言葉、鳴ると思ってるん?」
BEEFは、すぐには答えなかった。
少しだけ気まずそうに目を逸らす。
「鳴ってたから言ってんだよ」
wataは、何かを言いかけて、やめた。
茶化そうと思えばできた。
「素直に褒めろや」と言える。
でも、今それをすると、もったいない気がした。
BEEFが自分を褒める時、ほとんどの場合、雑だ。
でも、雑だから本音に近い。
wataは、小さく言った。
「……それは、嬉しいな」
BEEFは、顔をしかめた。
「喜ぶな」
「無理やろ」
「悔しがれ」
「それはもう悔しいわ」
wataは、少しだけ夜の空を見た。
「ミラーラインの坊主、えぐかったしな」
BEEFは、黙る。
wataは続ける。
「速いのに、置いていかんかった。遅くしても強かった。俺、あれ見て、ちょっと腹立った」
BEEFが言う。
「腹立てろ」
「そればっかやな」
「大事だろ」
「まあな」
wataは、肩で息をした。
「俺、速さと詰めで勝負してるつもりやった。でも、あの人、速さだけじゃないやん」
「そうだな」
「空けても強い」
BEEFは、頷いた。
「だから、お前も空けろ」
wataは、すぐに反発する。
「いや、そこで“お前も”ってなるのが腹立つねん」
「なるだろ」
「なるけど」
「じゃあ、なる」
wataは、笑った。
BEEFの会話は乱暴だ。
でも、無駄に遠回りしない。
BEEFは、またタブレットを軽く叩いた。
「お前のMy rest、もう一個ある」
「どこ?」
BEEFは、少しだけ歌詞を探すように目を細めた。
そして言う。
≫ Hot spring therapy
≫ Body に clarity
≫ 無理して張った見栄も
≫ ここじゃ丸ごと湯気に変わり
BEEFは、そこで止めた。
「ここ」
wataは、少しだけ気まずそうに笑った。
「そこか」
「そこ、お前自身だろ」
「やめろ」
「見栄、張ってるだろ」
「やめろって」
BEEFは、容赦しない。
「詰めてる時も、見栄張ってる時あるだろ」
wataは、反射で言い返そうとして、止まった。
ある。
ありすぎる。
技術を見せたい。
上手いと言われたい。
置いていきたい。
驚かせたい。
自分だけの速さを見せたい。
それは武器でもある。
でも、見栄でもある。
wataは、少しだけ口元を歪めた。
「……腹立つなぁ」
「三回目だ」
「何回でも腹立つわ」
BEEFは、低く笑った。
「でも、そこを湯気に変えろって、自分で歌ってたろ」
wataは、何も返せなかった。
自分で歌った言葉が、自分へ戻ってくる。
無理して張った見栄も、ここじゃ丸ごと湯気に変わり。
それは、温泉の歌詞のつもりだった。
休み方の歌詞のつもりだった。
でも、今BEEFに言われると、ラップの話になる。
詰めることで張っていた見栄。
それも、一拍の湯気に変えられるかもしれない。
wataは、小さく息を吐いた。
「俺、空けたら負ける気がしてた」
BEEFが見る。
「詰めた方が強そうやん」
「強そう、な」
BEEFはそこを拾った。
wataは、少しだけ笑う。
「いやな拾い方するな」
「強いと、強そうは違う」
「Saraさんやん」
「だから一緒にすんな」
BEEFは、少し苛立ったように言う。
「詰めた方が強そうに見える時はある。でも、空けて鳴らせるやつの方が強い時もある」
wataは、ゆっくり頷いた。
「空けて鳴らせるやつ」
「ああ」
BEEFは、少しだけ目を細める。
「一拍空けたら、客が入る。想像が入る。呼吸が入る」
wataは、黙って聞く。
「お前が全部埋めたら、客は聴くだけだ」
「うん」
「一拍空けたら、客が自分で乗る」
wataは、胸の奥で何かが動いた。
それは、RCさんがrenaさんから聞いた話と、まだ本人は知らないけれど、似ていた。
椅子。
聴く人が、自分で座る場所。
wataの場合は、一拍。
客が自分で入る場所。
BEEFは続けた。
「お前は、客を置いていける」
wataが顔を上げる。
「それ、褒めてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「置いていくな」
wataは笑った。
「ひどい」
「置いていける速度はある。でも、本当に強い時は、置いていくんじゃなくて、引っ張る」
BEEFの声が、少しだけ熱を帯びる。
「引っ張るには、掴む場所がいる」
「一拍?」
「一拍」
wataは、夜気を吸った。
涼しい。
少しだけ、頭が冷える。
My restの歌詞が、また自分の中で鳴る。
≫ Slow down, no doubt
≫ 雪見でほどける burnout
≫ 心拍、体温、呼吸の flow
≫ 全部そろって mellow mode
wataは、思わず呟いた。
「Slow down、って自分で言ってたな」
BEEFが頷く。
「言ってた」
「俺、全然slow downしてないやん」
「してねえ」
「即答すんな」
「事実だ」
wataは笑った。
でも、少しだけ悔しかった。
自分で歌っている。
休む。
戻す。
整える。
呼吸をそろえる。
ゆっくりする。
それなのに、ラップになると、詰めてしまう。
勝負になると、詰めてしまう。
自分の速さで、自分を守ってしまう。
BEEFは、少しだけ声を落とした。
「俺も同じだ」
wataは、BEEFを見る。
「何が?」
「壊せるのが武器だ」
BEEFは、タブレットを見下ろした。
「でも、壊すしかできねえなら癖だ」
wataは、何も言えなかった。
BEEFが、自分にも同じ言葉を向けている。
それが分かった。
「俺は、ソロなら暴れられる。切れる。落とせる。ひっくり返せる」
BEEFは、少しだけ唇を噛む。
「でも、今日のミラーラインのDJは、三人を知ってた」
wataは黙る。
「どこで誰が息を吸うか。どこで客が返すか。どこで金髪が余計なことするか」
wataは、思わず笑った。
「そこも含むんや」
「含むだろ」
「まあ、含むな」
BEEFは、続ける。
「あいつは、チームの音を知ってた」
その言葉に、BEEF自身が少し傷ついているようだった。
伝説の男。
でも、リバクラのチームDJとしては、まだ積み上げが少ない。
それを認めるのは、簡単ではない。
wataは、静かに言った。
「BEEF」
「何だよ」
「さっきの簡易DJ、めちゃくちゃ助かったで」
BEEFは、顔をしかめる。
「今その話じゃねえ」
「いや、その話や」
wataは、少しだけ笑った。
「俺らが返そうってなった時、音あったから返せた。あれなかったら、たぶん言葉でぐだぐだ言って終わってた」
BEEFは黙る。
「今日のチームDJとしては、かなり救われた」
BEEFは、少しだけ目を逸らした。
「……簡易だ」
「簡易でも本物やった」
「うるせえ」
「そこは認めろや」
「認めねえ」
「頑固」
「お前が言うな」
少し笑いが戻る。
でも、二人の間には、さっきまでと違うものがあった。
BEEFが見るもの。
wataが怖がるもの。
その両方が、少しだけ見えた。
wataは、ゆっくり言った。
「じゃあ、一拍空ける」
BEEFは、すぐに顔を上げた。
「軽く言うな」
「いや、言わなやらんやん」
「試すな。やれ」
「厳しい」
「一拍だけでいい」
BEEFは、指を一本立てる。
「全部を変えろとは言ってねえ。お前は詰めろ。畳め。走れ」
wataは頷く。
「うん」
「でも、鳴る言葉の前か後に、一拍だけ空けろ」
「前か後」
「ああ」
BEEFは、少しだけ手で拍を切る。
「前に空ければ、客が待つ。後に空ければ、言葉が残る」
wataは、声に出さずにその言葉を繰り返した。
前に空ければ、客が待つ。
後に空ければ、言葉が残る。
「それ、めっちゃ大事やん」
「だから言ってる」
「なんでさっきから偉そうなん」
「俺の方がDJだからだ」
「そこは事実やな」
BEEFは、少しだけ笑った。
ほんの少しだった。
でも、笑った。
wataは見逃さなかった。
「戻ってきたな」
BEEFの目が細くなる。
「何が」
「牛」
BEEFは、すぐに一歩詰めた。
「言うな」
wataは笑って下がる。
「natsuさんのせいや」
「お前が言うな」
「牛、戻った」
BEEFは、タブレットを軽く持ち上げた。
「殴るぞ」
「機材で殴るな。伝説が泣く」
BEEFは、ため息をついた。
そのため息には、さっきまでの荒れとは違うものが混ざっていた。
疲れ。
悔しさ。
少しの笑い。
そして、次に向かうための苛立ち。
wataは、ふと真面目な顔になる。
「BEEF」
「何だよ」
「俺が一拍空けたら、ちゃんと拾えよ」
BEEFは、すぐに答えた。
「落とすわけねえだろ」
その一言は、強かった。
雑でもない。
照れでもない。
まっすぐだった。
wataは、少しだけ安心した顔になった。
「なら、やるわ」
BEEFは、鼻で笑う。
「やれ」
「腹立つな」
「四回目だ」
「覚えてんな」
「音も言葉も覚えてる」
wataは、少しだけ黙った。
そうだ。
BEEFは覚えている。
RIVALの空白も。
PRESSUREの切り方も。
GIVE & GLOWのクラップも。
My restの一拍も。
だから、怖い。
だから、頼れる。
wataは、店の扉の方を見た。
中から、小さな笑い声が漏れてくる。
きっと、また誰かがBEEFの話をしているのだろう。
「戻るか」
BEEFが言う。
wataは頷いた。
「戻ろ」
二人は、店の中へ戻った。
個室の扉を開けると、部屋の空気はさっきより少し穏やかだった。
RCさんとrenaさんは席に戻っている。
EGUIとshihoさんも、壁際から戻っていた。
それぞれ、何かを受け取った顔をしている。
誰も、すぐに何を話したのか聞かない。
それでよかった。
natsuさんだけが、フルートケースを抱えたまま、三人を見ていた。
RCさん。
EGUI。
wata。
そして、少し遅れてBEEF。
見ているようで、もっと遠くを見ている。
誰もその視線を拾わない。
natsuさんも、何も言わない。
ただ、ぽつんとそこにいた。
wataは席に戻りながら、自分の中でさっきの言葉を確認した。
一拍空けろ。
前に空ければ、客が待つ。
後に空ければ、言葉が残る。
詰められるのが武器。
詰めるしかできないのは癖。
腹立つ。
めちゃくちゃ腹立つ。
でも、残った。
wataは、冷めた水を一口飲んだ。
そして、誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。
「一拍か」
BEEFは、聞こえていたのかいないのか、タブレットを置きながら低く言った。
「忘れんな」
wataは、少しだけ笑った。
「覚えんな、使え、やろ」
BEEFは、ほんの少しだけ口元を動かした。
「分かってんじゃねえか」
wataは、また腹が立った。
でも、その腹立たしさは、さっきより少しだけ前を向いていた。




