5-4-1 鏡の線、噂の中から来る
第三試合前の会場は、二回戦の時よりも、明らかに空気が違っていた。
ここは、Sound Session本戦のメイン会場。
巨大な客席の上を、まだ本番前の照明が薄く流れている。
ステージ上ではスタッフが転換を続けている。
DJブースのケーブル確認。
マイクチェック。
モニター位置の調整。
スクリーンの表示確認。
観客は、まだ座席にいる。
売店から戻ってきた人。
スマホで次のカードを確認している人。
前の試合の感想を話している人。
タオルを膝に置いたまま、ステージをじっと見ている人。
前回、二回戦の動員は約一万六千人だった。
それでも、十分すぎるほど大きかった。
リバクラの名前があちこちで聞こえた。
サングラスの五人組が目撃された。
楽器を持った清楚系の三人が、少し離れた席からステージを見ていた。
いろいろな界隈のファンが混ざって、会場の空気が一段変わった。
けれど、今回は違う。
第三試合。
観客は、約二万五千人まで増えていた。
一万六千から、二万五千。
数字だけ見れば、ただ九千人増えただけにも思える。
だが、会場に入れば分かる。
ざわめきの厚さが違う。
拍手前の空気が違う。
人の波が、ひとつ大きくなっている。
通路を歩くスタッフの動きも、前より少しだけ慎重だった。
客席の反応も、前より少しだけ早い。
一度ざわめきが起こると、広がる速度が違う。
もう、リバクラを「前回ちょっと目立ったチーム」として見ている人だけではなかった。
「あの逆さの王冠の?」
「前回、三曲で夏やったとこ?」
「WAVEのとこでしょ」
「Holiday刺さった」
「リバクラ、今日ミラーラインと当たるらしい」
「うわ、そこか」
そんな声が、客席のあちこちから聞こえていた。
ただ人が多い、というだけではない。
ざわめきの質が違う。
前回は、まだ祭りのような浮つきがあった。
「どこが勝つかな」
「リバクラ、また見たい」
「SUNNY DRIVEって名前聞いたことある」
そんな、期待と好奇心が客席のあちこちで跳ねていた。
けれど今日は、その中に、少しだけ別のものが混ざっていた。
緊張。
名前だけで客席の温度を変えるチームが、今日のカードにいる。
MIRROR LINE。
その名前がスクリーンに映るたび、客席の一部が、少しだけ前のめりになった。
「ミラーライン来たな」
「今日そこか」
「リバクラ、いきなり山場じゃん」
「いや、いきなりっていうか三戦目だけどな」
「でも山場だろ」
「山場」
「わかる」
客席のあちこちで、そんな声が重なる。
まだ、どちらのチームもステージには出ていない。
中央の大型スクリーンには、第三試合のカードが映っている。
Reverse Crown
vs
MIRROR LINE
その文字を見て、初めて来たらしい若い男が、隣の友人に聞いた。
「ミラーラインって、そんな強いの?」
友人は、即答した。
「強い」
「即答?」
「即答するくらいには強い」
後ろの席にいた別の客が、自然に会話へ乗った。
「優勝候補の一角って言われてる」
「へえ」
「派手にバズってるっていうより、ずっと強いタイプ」
「ずっと強い?」
「そう。大会とかライブとか、場数踏んでる。慣れてる。事故らない」
「事故らないの、強いな」
「強いよ。見てて安心するし、ちゃんと上がる」
少し離れた席では、別のグループが話していた。
「ミラーラインって三人組?」
「三人とDJ」
「DJ込みなんだ」
「うん。三MC一DJ。見た目だけなら、かなりバラバラ」
「バラバラ?」
「まず一人目。めちゃくちゃ背高い。ロン毛。迷彩服」
「迷彩?」
「そう。ステージで見ると、かなり目立つ。なんか森から出てきた都市型ラッパーみたいな」
「何その矛盾」
「でも分かるんだって。あの人、言葉で場所を作るんだよ」
「場所?」
「曲が始まった瞬間に、どこに立ってるか分かる感じ。路地とか、駅前とか、雨の高架下とか、そういう絵が出る」
「へえ、景色作る系か」
「そうそう。リバクラでいうと……いや、同じではないけど、近い系統で言えば、mcRCっぽい役目を持ってる人」
「同じじゃないんだ」
「同じじゃない。ミラーラインの方は、もっと乾いてる。生活感というより、映像っぽい」
「映画っぽい?」
「そう。画角が広い」
その横で、別の女性客がスマホを見ながら言った。
「二人目、坊主の人でしょ」
「そう。低身長で、Tシャツにハーフパンツ」
「見た目だけなら一番ラフ」
「でも一番えぐい」
「何が?」
「音。畳みかけ。韻の置き方。めちゃくちゃ細かい」
「坊主でハーフパンツで?」
「そこがいいんだよ。見た目は体育館にいそうなのに、口開いたら音の機械みたいになる」
「音の機械」
「しかも機械っぽいのに、冷たくない。リズムの乗り方が人間」
「それ、強いやつじゃん」
「強い」
「リバクラだとwata系?」
「近い系統ではある。でも、wataよりもっと安定してる。wataは勢いで跳ねる感じあるけど、あっちは最初から最後まで精密」
「え、怖」
「怖いよ」
「でもwataの方が変なとこ行きそう」
「それはある」
「褒めてる?」
「褒めてる」
「たぶんね」
その「たぶんね」に、周りの何人かが笑った。
別の場所では、年配の男性が腕を組んでスクリーンを見ていた。
隣の若い客が、少し遠慮がちに聞く。
「金髪スーツの人って、あれもMCですか?」
男性は頷いた。
「あれが締める人」
「締める?」
「最後に言葉を通す。変に飾らない。だけど軽くない」
「スーツで金髪って、めちゃくちゃ派手ですけど」
「派手だよ。しかも、結構下品な派手さ」
「下品?」
「いい意味でな」
「いい意味の下品ってあります?」
「ある。ステージだとある」
若い客は、ますます分からない顔をした。
男性は続ける。
「金髪でスーツなんだけど、品行方正なスーツじゃない。色気と柄の悪さがある。立ち方も派手。すぐポジション直す」
「ポジション?」
「うん」
「なんの?」
男性は、少しだけ間を置いた。
「あれ?」
「なんで?」
「知らん」
近くの客が吹き出した。
「いや、説明しろよ」
「知らんもんは知らん」
「でも分かる」
「分かるんかい」
「なんか、ちょいちょい直すよな」
「ネクタイ?」
「いや、ネクタイではない時もある」
「マイク?」
「マイクでもない時もある」
「じゃあ何」
「知らん」
そこでまた、小さな笑いが起きた。
だが、すぐに誰かが言った。
「でも、あの人の最後の言葉、めちゃくちゃ通るんだよ」
空気が少し戻る。
年配の男性も頷いた。
「そう。派手で、ちょっと下品で、ステージ上ではやたら目が行く。でも、言葉は真っ直ぐだよ」
「ギャップありますね」
「かなりある。見た目は一番ステージ映えする。でも、やってることは意外と地味に強い」
「地味に強い?」
「声の置き方。間。最後の一言。客席のどこに刺すか分かってる」
「リバクラでいうEGUIみたいな?」
男性は少し考えた。
「系統としては近い。でも同じじゃない。EGUIは体温で通す。ミラーラインの金髪は、もっと刃物みたいに通す」
「刃物」
「切れる。でも、乱暴じゃない」
「怖いな」
「怖いよ」
「でも見たい」
「見た方がいい」
さらに後方では、別の客がDJの話をしていた。
「で、DJがまたすごいんだよな」
「あの大柄な人?」
「そう。かなり大柄。見た目の圧がすごい」
「ミラーラインのDJ?」
「うん。動きはそんなに派手じゃないんだけど、音の支え方が重い」
「重いって、低音?」
「低音もだけど、曲の足場を作る感じ。あのDJがいるから、三人がバラバラに見えても一本になる」
「へえ」
「見た目はデコボコなんだよ。高身長ロン毛迷彩、坊主ハーフパンツ、金髪スーツ、大柄DJ」
「情報量多いな」
「多い。でも並ぶと、なぜか成立する」
「なんで?」
「それが味」
「雑な説明」
「見たら分かる」
その言葉に、別の客が乗る。
「ミラーラインって、見た目だけなら本当に統一感ないのに、音が鳴ると急に一本になるんだよな」
「あー、分かる」
「衣装の統一感じゃなくて、役割の統一感がある」
「それ、強いな」
「強い。見た目はデコボコ、でもステージは整ってる」
「リバクラと逆?」
「逆っていうか、リバクラは黒と逆さクラウンで見た目の印象が強いじゃん。三人のキャラも分かれてるけど、チームの記号がある」
「うん」
「ミラーラインは、見た目の記号はバラバラ。でも音を出すと、ああ、この四人でひとつなんだって分かる」
「へえ」
「だからベテラン感がある」
「しかも大会慣れしてる」
「それよく聞くな」
「曲間がうまい。客席の熱を落とさない。MCも長すぎない。DJも出すぎない。全部、分かってる感じ」
「リバクラ、そこ勝てるの?」
「分からん」
「分からんのかい」
「いや、リバクラも強いよ。前回でかなり来た」
「夏のやつ?」
「そう。Summer SignalからWAVE、Holidayの流れ」
「あれよかった」
「よかった。でもミラーラインは、ああいう三曲構成を昔からやってる感じがある」
「上位互換って言ってた人いた」
「上位互換って言うとちょっと違う」
「違う?」
「同じものの上位じゃない。リバクラが今登ってる山の、先の方にいる先輩みたいな感じ」
「それ、逆に嫌だな」
「嫌だよ。相手が全然違うタイプなら、比べなくて済む。でも、系統が近いと比べられる」
「鏡か」
「そう。ミラーラインって名前、ずるいよな」
「名前で圧ある」
「ある」
客席のざわめきは、少しずつ熱を帯びていった。
単純な期待ではない。
ただの応援でもない。
強いものを見たい。
その強いものに、リバクラがどうぶつかるのか見たい。
前回、夏を三つの角度で見せた三人が、今度は何を見せるのか知りたい。
そういう空気だった。
「リバクラ、先攻だっけ?」
「たぶん先攻」
「先にやるの、きつくない?」
「きついけど、逆に先に空気作れる」
「ミラーライン後攻は怖いな」
「怖い。受けて返すの上手いから」
「リバクラ、最初にどれだけ持っていけるかだな」
「今回の大会でやろうとしてる曲、いくつか公表されてたじゃん」
「されてたな」
「そこにRIVALってあったよな」
「あった」
「どんな曲か知らないけど、ここでそれやったら熱くない?」
「相手ミラーラインでRIVALは、熱い」
「曲名だけで熱い」
「でも、どんな曲か分からんからな」
「分からん。でも、このカードでRIVALってタイトル見たら、期待するだろ」
「する」
「むしろやらなかったら、ちょっと肩透かしまである」
「それは勝手に期待しすぎ」
「そうだけど、期待する」
「わかる」
別の席では、リバクルーらしい客たちが、少し落ち着かない様子で座っていた。
サングラスはしていない。
でも、タオルや小さなグッズで、リバクラを応援していることは分かる。
「ミラーライン、そんな強いん?」
「強いって聞く」
「やばい?」
「やばい。でも、うちらがやばいって言ってどうすんの」
「そうだけど」
「リバクラならやるでしょ」
「やるけど、相手が相手じゃん」
「だから応援するんでしょ」
その言葉に、数人が黙った。
そうだ。
こういう時に応援するために、ここに来ている。
勝ちそうな時だけ声を出すのは、簡単だ。
でも、相手が強い時。
怖い時。
会場全体が「ミラーラインすごい」と言っている時。
その中で、リバクラの名前を呼ぶ。
それが応援だった。
少し離れた席で、誰かが言った。
「でも、ミラーラインのファンも感じいいな」
「わかる。強いチームのファンって怖いイメージあったけど」
「いや、強いチームほど余裕あるのかも」
「それはある」
「でも今日、リバクラが食ったらすごいぞ」
「食うって言い方」
「勝ったら、会場ひっくり返る」
「勝たなくても、爪痕残せばでかい」
「いや、勝ってほしい」
「そりゃそう」
客席の中段あたりでは、ミラーラインをよく知っているらしい二人が話していた。
「リバクラ、相手悪いよな」
「でも、リバクラにとっては一番意味ある相手じゃない?」
「意味?」
「だって、似てるって言われてるじゃん。景色作る人、音で走る人、意味を通す人。そこにDJ。形だけ見ると近い」
「うん」
「でもミラーラインは、それを長くやってる。完成度もある。だからリバクラがこの先どこに行くか、鏡みたいに見える相手」
「嫌な鏡だな」
「だからミラーラインなんだろ」
「名前うま」
「うまい」
「でもリバクラは、ミラーラインみたいになりたいわけじゃないだろ」
「そこだよな」
「そこ見たい」
その会話の近くで、別の観客がスマホを伏せた。
「SNS、もうざわついてる」
「何て?」
「“リバクラ、ここでミラーラインは試練すぎる”」
「わかる」
「“でもこのカードが見たかった”」
「わかる」
「“リバクラがどこまで食らいつくか”」
「食らいつく前提か」
「相手ミラーラインだからな」
「でも、リバクラももう“食らいつく側”だけじゃないだろ」
「それもわかる」
「二回戦勝ってるし」
「前回の三曲構成、かなり評価されてる」
「でもミラーライン」
「でもミラーライン」
同じ言葉が、別々の席で繰り返された。
でもミラーライン。
その一言には、強さの説明が詰まっていた。
実績。
場数。
安定感。
役割の明確さ。
DJ込みの流れ。
曲間のうまさ。
客席の扱い。
そして、見た目のデコボコさまで味にしてしまう余裕。
高身長ロン毛の迷彩服。
坊主で低身長、Tシャツにハーフパンツ。
金髪スーツ。
大柄なDJ。
バラバラに見える。
なのに、ステージでは一つになる。
その噂だけで、まだ登場していないのに、客席はもうミラーラインを見た気になっていた。
そして同時に、リバクラを待っていた。
「先攻リバクラか」
「たぶんね」
「最初に出るなら、掴まないと」
「前回みたいに名前で覚えられてる人、多いよな」
「逆さの王冠の?」
「そう、それ」
「黒衣装とサングラスの三人」
「あとDJ BEEF」
「BEEF、今日も出るよな?」
「出るでしょ」
「BEEFがどこまで曲間つなぐか、そこも見たい」
「ミラーラインのDJと比べられるな」
「うわ、それもあるのか」
「あるよ。今日は3MCだけじゃなくて、DJも見られる」
「きつ」
「でも熱い」
ステージ上では、スタッフが最後の確認をしていた。
マイクスタンドの位置。
フロアの印。
DJブースのチェック。
モニターの角度。
照明の入り。
大きな会場が、一度だけ静かになる。
完全な沈黙ではない。
二万五千人がいる以上、音は消えない。
でも、ざわめきの粒が少しずつ小さくなっていく。
空気が、次の名前を待っていた。
大型スクリーンの表示が切り替わる。
第三試合。
先攻。
Reverse Crown。
その文字が出た瞬間、客席のあちこちから声が上がった。
「リバクラだ!」
「来た!」
「逆さの王冠!」
「先攻!」
「BEEFも来るか!?」
その声の中に、ミラーラインの名前を知っている者たちの緊張も混ざっていた。
強敵の説明は、もう十分だった。
あとは、ステージで何を鳴らすか。
照明が一段落ちる。
DJブースの奥に、影が動いた。
まだ三人は出てこない。
でも、客席はもう分かっていた。
ここから始まる。
Reverse Crownが、鏡の前に立つ。




