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ラップ付き小説 ReversCrown 元気ないやつこっちおいで  作者: egubi
reshina編

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120/186

4-3-8 閉じたから見える



配信が始まった。


黒い布の前に、三本のマイクが並んでいる。


小さなライト。


折りたたみテーブル。


ノートパソコン。


水。


ケーブル。


いつもの配置。


いつもの距離。


いつもの配信部屋。


けれど、三人の胸の奥には、いつもではない音が残っていた。


眠れる音だと笑ってくれるよ、みんな。


でも私たちは、ずっと眠れなかったのに。


花じゃない私たちを、土ごと見てよ。


百合根。


その名前を、誰も口にしなかった。


黒百合。


その名前も出さなかった。


触れないと決めた。


見世物にしないと決めた。


あれは今日の配信で話すものではない。


コメント欄の勢いに乗せて消費するものでもない。


「やばかった」で片づけるものでもない。


だから三人は、いつも通りの顔で画面の前に座った。


ただ、胸の奥にひとつ、重いものを置いたまま。


コメント欄が動き出す。


「こんばんは」


「雨すごい」


「今日ちょっと寒い」


「仕事帰りに見る」


「雨の日配信たすかる」


「今日は何やるん?」


「新曲ある?」


「三人ともサングラス濃いな」


「雨の日仕様?」


mcRCは画面を見て、軽く手を上げた。


「こんばんは」


wataが続ける。


「雨で予定狂った人、多いやろ」


コメントが流れる。


「狂った」


「洗濯終わった」


「出かけるのやめた」


「傘忘れた」


「駅で詰んでる」


「雨の日は全部だるい」


EGUIが、コメント欄を見ながら静かに言った。


「雨で止まった日が、全部ダメな日とは限らん」


wataが、横目で見る。


「いきなりええこと言うやん」


「雨の日やからな」


「雨の日関係ある?」


「ある」


mcRCが少し笑った。


けれど、その笑いは軽すぎなかった。


「今日は新曲やります」


コメント欄が少し速くなる。


「新曲!」


「きた」


「雨曲?」


「タイトルは?」


「初出し?」


「待ってた」


mcRCは、マイクに少し近づいた。


「タイトルは、RAINY RESET」


コメント欄が跳ねた。


「RAINY RESET」


「タイトルいい」


「雨リセット?」


「雨の日用だ」


「新曲きたー」


wataが指で軽く机を叩く。


「止められた日を、止まっただけで終わらせへん曲です」


EGUIが頷いた。


「沈む曲やない。雨の日の遊び方の曲や」


mcRCが言う。


「じゃあ、いきます」


ビートが入った。


強すぎないキック。


跳ねすぎないベース。


雨の日の湿った空気に、少しだけ弾むクラップ。


暗くはない。


けれど、無理に晴らそうともしない。


外が閉じることで、内側に小さな灯りがつくような音。


三人の声が重なった。


≫ Rain rain, force me slow

≫ 急ぐ俺を止める flow

≫ 外が閉じる だから見える

≫ 雨の音で breathe again


コメント欄が動く。


「外が閉じるだから見える、いい」


「強制的に止められる感じわかる」


「雨の日の呼吸」


「breathe again 好き」


三人は続ける。


≫ Rain rain, reset my day

≫ 普段しないことで okay

≫ 晴れた日なら流すもの

≫ 今日は雨で拾ってく


wataの声が少し跳ねる。


EGUIの声が低く支える。


mcRCは、景色を置くようにHookの言葉を運ぶ。


≫ 強制スロー 強制スロー

≫ 走りすぎた心を hold on

≫ 強制スロー 強制スロー

≫ 雨が俺を戻す mode


コメント欄がさらに流れる。


「強制スローいい」


「走りすぎた心を hold on 刺さる」


「雨に止められるの嫌いだったけど、ちょっと分かる」


「今日これいる」


≫ 止まる日じゃない

≫ 沈む日じゃない

≫ 雨がくれた遊び方

≫ また明日へ go my way


Hookが終わり、mcRCが一歩前へ出るように声を入れた。


≫ 仕事終わり シャツに残る重さ

≫ ため息ひとつ 雨粒がこぼした

≫ いつもなら家 そのまま寝るだけ

≫ 今日はちょっとだけ違う道へ


景色が立つ。


仕事終わりのシャツ。


湿った重さ。


ため息。


雨粒。


いつもなら家へ帰って終わるだけの夜。


でも、少しだけ違う道へ行く。


コメント欄が静かになる。


読んでいるというより、見ている。


画面の中の三人ではなく、自分の帰り道を見ている。


≫ ワイパー刻む slow な clap

≫ コンビニの灯り にじむ black

≫ 助手席 タオル 着替えと cash

≫ 向かう風呂屋へ rain night dash


wataが横で、軽く体を揺らす。


EGUIは黙って、mcRCの景色を崩さない。


mcRCは続ける。


≫ 湯気の向こう 露天の light

≫ 肩に雨粒 落ちる night

≫ 熱い湯と冷たい雨の mix

≫ 固まった背中ほどける magic






------

そのころ、renaはスマホを伏せたまま、床に座っていた。


部屋は暗かった。


カーテンは半分だけ開いている。


外は雨。


窓ガラスには細かい水滴がついていて、街灯の光がぼやけていた。


ギターケースは、机の横に置かれている。


留め具はひとつだけ外れている。


開けたわけではない。


閉じたわけでもない。


その半端さが、今の自分みたいで嫌だった。


renaは、何もしていなかった。


正確には、何もできなかった。


黒百合のあと、自分の声が自分のものではないように感じた。


百合根のあと、自分の中身を土ごと見られたような気がした。


見られたのか、まだ見られていないのか。


どこまで外に出ているのか。


誰が何を知っているのか。


分からない。


分からないのに、何かがもう戻らないことだけは分かった。


スマホは、さっきから何度か光っていた。


おすすめ欄。


通知。


誰かの投稿。


見たくない。


でも、見ないのも怖い。


renaは、ゆっくりスマホを裏返した。


おすすめ欄に、いくつかの配信が並んでいた。


弾き語り。


雑談。


ゲーム。


音楽。


黒い布。


三本のマイク。


三人の男。


サングラス。


renaの指が止まった。


「……また出てる」


声は小さかった。


この三人組は、ここ数日、やけにおすすめ欄に出てきていた。


名前は覚えていない。


見ようと思って見たこともない。


ただ、黒い布と三本のマイクと、サングラスの三人という画だけが、何度か目に入っていた。


「この人たち、よくおすすめ出るな」


それだけなら、流していた。


雨の日の音楽配信。


男性三人組。


ヒップホップっぽい。


自分たちとは違う世界。


そう思って、指を動かしかけた。


その時、スマホの小さなプレビュー音が、ほんの少しだけ流れた。


声。


短いHookの残り。


雨。


flow。


breathe again。


renaの指が止まった。


顔では分からない。


サングラスをしているから、表情もよく見えない。


けれど、音で分かった。


景色を置く人の声。


音で遊ぶ人の跳ね方。


言葉をまっすぐ置く人の低さ。


renaは、息を止めた。


「……あれ?」


三人のチャットを開く。


すぐには打てない。


この人たちかもしれない。


違うかもしれない。


前夜祭の記憶は、ぼんやりしている。


黒百合の後、周りの景色はほとんど滲んでいた。


でも、音だけは残っていた。


あの時、客席とも出演者とも違う場所で、三人の男の音が引っかかった。


景色の人。


音の人。


言葉の人。


名前ではなく、役割で残っていた。


renaは、少し迷ってから打った。


rena:

おすすめに出てる三人組


送ってから、言葉が足りないと思った。


でも、足す気力が出なかった。


しばらくして、shihoから返事が来た。


shiho:

黒い布?


rena:

うん


shiho:

サングラス?


rena:

うん


natsu:

よく出る


renaは、少しだけ画面を見つめた。


natsuも見ていたのか。


shihoも見たことがあったのか。


三人とも、見ないふりをしていただけなのかもしれない。


shiho:

あの時の人?


rena:

顔は分からない


natsu:


shiho:

音で?


natsu:

うん


renaは、プレビューをもう一度少しだけ聞いた。


声が流れる。


外が閉じる。


だから見える。


雨の音で breathe again。


胸の奥が、少しだけ動いた。


rena:

音は、たぶん


shiho:

見るの?


renaはすぐには返せなかった。


見る。


それは簡単なことではなかった。


今のReShiNaは、何かを受け取れる状態ではない。


褒め言葉すら痛い。


コメント欄を見るだけで怖い。


他人が楽しそうにしている配信を見るのも、胸にざらつきが出る。


自分たちは止まっている。


沈んでいる。


外へ出られない。


そこへ、知らない三人が雨の日の曲を楽しそうにやっている。


それだけで、少し腹が立ちそうだった。


羨ましいのかもしれない。


眩しいのかもしれない。


あるいは、自分たちが何もできないことを見せつけられそうで怖いのかもしれない。


renaは、チャットに打った。


rena:

分からない


shiho:

無理しなくていい


natsu:

風だけ見る


shiho:

風だけ?


natsu:

音の向き


renaは、その言葉を見て、少しだけ目を伏せた。


風だけ見る。


音の向きだけ見る。


それなら、できるかもしれない。


コメントはしない。


名前も出さない。


ただ見るだけ。


そう決めて、renaは配信を開いた。


画面が大きくなる。


黒い布。


三本のマイク。


サングラスの三人。


顔はよく分からない。


でも、音は分かる。


景色の人が、今ちょうどバースを歌っていた。


≫ 何もしないの苦手な俺も

≫ 湯船の中で落としてく tempo

≫ 騒がない遊びも悪くない

≫ 黙ってる時間も悪くない


renaは、スマホを持つ指に少し力を込めた。


黙ってる時間も悪くない。


その言葉が、今の自分には遠かった。


ReShiNaの沈黙は、悪くない沈黙ではなかった。


何を言っても違う気がする沈黙。


言葉を出せば、自分の中身がまた漏れそうな沈黙。


誰かに見られるのが怖くて、でも見られないのも怖くて、動けなくなる沈黙。


黙っている時間を「悪くない」と言える場所には、まだいなかった。


それでも、画面の中の声は、責めてこなかった。


ただ、雨の日の帰り道を置いている。


ただ、風呂屋へ向かい、湯気の中で雨を浴びている。


自分の痛みを覗き込んでこない。


そこが、少しだけ楽だった。


≫ そのまま車で海まで go

≫ エンジン低めに rain side road

≫ 真っ暗すぎて何も見えない

≫ でも波の音だけ近くで鳴りたい


natsuは、自分の部屋でその音を聴いていた。


配信画面は小さく開いている。


ローホイッスルのケースは膝の上。


まだ開けていない。


開けたくない。


でも、離したくない。


真っ暗すぎて何も見えない。


でも波の音だけ近くで鳴る。


natsuは、その一行で少しだけ画面へ近づいた。


見えないことを、悪いことにしていない。


見えないから、耳が開く。


風が戻らないことも、何もないことではないのかもしれない。


戻らない風は、見えないところで別の音になっているのかもしれない。


そんなことを思って、すぐに首を横に振った。


まだ、そこまで簡単に思えない。


戻らない風は、やっぱり痛い。


でも、少しだけ、画面から目を離せなくなった。


≫ 目が慣れたら黒が動く

≫ 空と海の境目ほどく

≫ 見えないから耳が開く

≫ 雨と波だけ胸に届く


shihoは、別の部屋で画面を見ていた。


バスクラリネットのケースは閉じている。


その上に手を置いている。


開ける気力はない。


でも、手は離せない。


見えないから耳が開く。


それは、低音に少し似ていた。


低音は見えにくい。


目立たない。


前に出ない。


でも、見えないから聞こえるものもあるのかもしれない。


そう思いかけて、shihoはすぐに表情を硬くした。


そんなふうに綺麗に考えられるほど、今はまだ回復していない。


前に出ない音も美しい。


支える音も大事。


そういう正しい言葉は、今のshihoには痛い。


けれど、画面の中の曲は、それを直接言わない。


正しい言葉で慰めてこない。


雨の海を見せるだけだった。


そこが、少しだけずるかった。


≫ このまま朝までいてもいい

≫ 眠くなるまでここでいい

≫ 晴れた日なら来なかった場所

≫ 雨が連れてきた secret show


コメント欄が流れる。


「露天風呂行きたい」


「雨の海いいな」


「見えないから耳が開く、好き」


「晴れなら行かなかった場所っていい」


「景色見えた」


ReShiNaの三人は、まだコメントしなかった。


何かを書ける状態ではない。


ただ、それぞれの部屋で、画面を見ていた。


Hookが戻る。


≫ Rain rain, force me slow

≫ 急ぐ俺を止める flow

≫ 外が閉じる だから見える

≫ 雨の音で breathe again


renaは、その行を聞きながら、胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。


外が閉じる。


だから見える。


閉じることを、悪いことにしていない。


止まることを、終わりにしていない。


自分たちは、閉じている。


配信もできない。


外へ出られない。


ちゃんと笑えない。


そんな自分たちを、どこかで責めていた。


でも、この曲は、閉じたことを責めていない。


閉じたから見えるものがある、と言っている。


それを信じられるほど、今のrenaは明るくなかった。


でも、否定しきれるほど、耳を閉じることもできなかった。


曲は、音の人のバースへ入った。


≫ 雨天決行 予定変更

≫ 低音脳から別の方向

≫ kick と snare だけじゃねぇぞ

≫ 弦と静寂くれる映像


音の人の声は、跳ねていた。


でも、軽いだけではない。


言葉が小刻みに当たり、転がり、雨粒のようにリズムの上を跳ねる。


shihoは「低音脳」という言葉に反応した。


低音。


自分の場所。


でも、音の人はそこから「別の方向」と言う。


低音を捨てるのではない。


低音脳から、別の方向へ行く。


それは、shihoにとって少し不思議だった。


低い場所からでも、方向は変えられるのか。


低音は、閉じた場所ではなく、出発点にもなるのか。


そう思いかけて、また胸が痛んだ。


前に出ない音も、出発点になる。


そう言われたい自分がいる。


でも、そんな簡単に救われたくない自分もいる。


≫ 濡れた傘 閉じる entrance

≫ 知らない音へ take a chance

≫ 普段行かない音楽祭

≫ 名前も知らない artist たち


renaは、少し息を吸った。


名前も知らない artist たち。


今、画面の中の三人がそうだった。


名前を知らない。


顔もサングラスでよく分からない。


でも、音で分かる。


景色の人。


音の人。


言葉の人。


名前を知らなくても、音の入り口はある。


それが少しだけ不思議だった。


≫ クラシック 静寂 一音集中

≫ 余韻で揺れる胸の中心

≫ 拍の隙間 間の呼吸

≫ 言葉ないのに意味が通じる


shihoは、画面を見つめた。


言葉ないのに意味が通じる。


それは、自分がずっとやってきたことだった。


バスクラリネットで。


低音で。


歌の下で。


誰かの声の奥で。


言葉ではなく、余韻で胸の中心を揺らすこと。


でも、いつの間にかそれを「前に出ない音」と呼ばれることに傷ついていた。


音の人は、言葉で遊ぶ人なのに、言葉のない音をちゃんと見ている。


そこが、shihoには刺さった。


刺さったから、少し腹が立った。


どうして、知らない人がそんなところに触れるのか。


どうして、今それを言うのか。


どうして、こんな雨の日に、自分の奥へ入ってくるのか。


shihoは、チャットに打ちかけた。


でも、消した。


まだ言えない。


≫ 童謡で子どもが跳ねる理由

≫ 単純なのに深い自由

≫ ラッパーの俺が見落とした groove

≫ 短いメロに宿る truth


コメント欄が少し沸く。


「童謡まで行くのいい」


「知らない音を吸収してる」


「音楽祭バース好き」


「短いメロに宿る truth」


音の人は、さらに畳みかける。


≫ 音符 音色 音圧 音像

≫ 言葉 言霊 言い回し構造

≫ 韻も flow も全部材料

≫ 知らない音で増える容量


shihoは、胸の中でその行を繰り返した。


知らない音で増える容量。


知らない音に触れることは、自分が薄まることではない。


自分が壊れることでもない。


容量が増える。


器が広がる。


森が広がる。


shihoは、ようやくチャットに短く打った。


shiho:

知らない音で増えるって、何


rena:

わからない


natsu:

森が広がる?


shiho:

広がったら迷う


natsu:

迷える


shiho:

それ、いいこと?


natsu:

たぶん。風は抜ける


shihoは、その言葉を見て、少しだけ目を伏せた。


風は抜ける。


その一言が、今はまだ優しすぎて、痛かった。


≫ 雨が街を slow にする

≫ だから耳が遠くまで行く

≫ 好きな音だけ聴いてたら

≫ 好きな俺しか出てこない


その一行で、shihoの呼吸が止まった。


好きな音だけ聴いてたら。


好きな俺しか出てこない。


それは、痛かった。


ReShiNaは、自分たちの音を磨いてきた。


透明な声。


森の低音。


自由な風。


自分たちの美しさを磨いてきた。


それは誇りだった。


でも、その分、自分たちの中に閉じていたのかもしれない。


勝負が好きではなかった。


比較も好きではなかった。


だから、自分たちはただ音に向き合っていると思っていた。


けれど、もしかしたら、自分たちの好きな自分だけを磨いていたのかもしれない。


shihoは、何も打てなくなった。


画面の中で、音の人が最後を駆け抜ける。


≫ ジャンル越境 価値観洗浄

≫ 濡れた感性 ここで点灯

≫ いつもの型を少し壊す

≫ そのズレから verse が鳴り出す


≫ rain on rhythm, brain got vision

≫ 弦の vibration, new precision

≫ 違う音ほど胸に刺さる

≫ 知らない遊びが俺を変える


コメント欄が一気に動いた。


「wataバース気持ちいい」


「知らない遊びが俺を変える、いい」


「ジャンル越境!」


「音楽祭行きたくなる」


「雨の日に外へ出ないのに、耳だけ出かけてる感じ」


renaは、そのコメントを見ながら、また少しだけ沈んだ。


画面の向こうは楽しそうだった。


コメント欄は温かい。


新曲を喜んでいる。


歌詞に反応している。


いいね、と言っている。


自分たちの黒百合や百合根とは違う。


こちらは、入口が開いている。


誰かが安心して入ってこられる。


それが分かった。


分かったから、痛かった。


自分たちの入口は、たぶん開いていなかった。


見てほしい。


でも来るな。


触らないで。


でも認めて。


自分たちは、そんな矛盾を音にしていたのかもしれない。


Hookが戻る。


≫ Rain rain, force me slow

≫ 急ぐ俺を止める flow

≫ 外が閉じる だから見える

≫ 雨の音で breathe again


natsuは、ローホイッスルのケースを膝に抱えていた。


まだ開けない。


でも、手は離せない。


曲は言葉の人のバースへ入った。


≫ 雨だから外に行けない

≫ 最初はそう思っていた

≫ でも車の中に座れば

≫ そこは小さな部屋だった


natsuは、その瞬間、画面を見つめた。


車の中。


小さな部屋。


外に行けないのに、場所ができる。


風が遠くへ行けない日でも、内側に部屋ができる。


それが刺さった。


風は外へ行きたい。


吹き抜けたい。


戻ってきたい。


でも、戻らない風でも、ここにいた。


百合根の最後で、そう言った。


その言葉を、どう受け止めればいいのか分からなかった。


戻らない風は、どこにいていいのか。


帰ってこないなら、消えたのと同じなのか。


けれど、言葉の人のバースは、少し違う場所を作った。


外に行けない日でも、車の中に座れば、小さな部屋になる。


閉じた場所は、逃げ場じゃない。


場所になる。


≫ 窓を叩く雨の音

≫ 街の灯りがぼやけてる

≫ いつも通る道なのに

≫ 今日は知らない顔をしてる


natsuは、小さく言った。


「知らない顔」


自分たちも、そうだったのかもしれない。


いつも通る道。


いつもの音。


いつもの楽器。


いつもの三人。


でも、黒百合の後、百合根の後、全部が知らない顔をしている。


それを怖いと思っていた。


でも、この曲では、その知らない顔が入口になっている。


≫ ぼんやりするって決めたのに

≫ すぐに頭が動き出す

≫ 仕事のこと 社会のこと

≫ 技術のことまで浮かび出す


shihoが、少しだけ笑った。


画面に向かってではない。


自分の部屋で、小さく。


「この人、休めてない」


renaがチャットで返す。


rena:

でも、わかる


natsu:

止まってるのに、動いてる


言葉の人の声は、まっすぐだった。


飾らない。


難しくしない。


でも、逃げない。


≫ 結局スマホを開いてる

≫ 気になったことを調べてる

≫ 休むつもりだったのに

≫ また学びたくなっている


コメント欄が流れる。


「それ俺」


「休むつもりで調べものするの分かりすぎる」


「学びたくなる休み方」


「それ休んでる?」


「でも分かる」


≫ でもそれでいいと思えた

≫ これも俺の休み方だ

≫ 止まっているように見えて

≫ 中ではちゃんと進んでた


natsuの目が揺れた。


止まっているように見えて。


中ではちゃんと進んでた。


その言葉を、誰かに言ってほしかったのかもしれない。


ReShiNaは止まっている。


配信していない。


ライブしていない。


まともに告知もできない。


外から見れば、止まっている。


でも、本当に止まっているのだろうか。


黒百合が出た。


百合根が出た。


痛くて、怖くて、無気力になっている。


でも、その中で何かが動いているのかもしれない。


natsuは、チャットに打った。


natsu:

止まってる風も、中で動いてる?


rena:

たぶん


shiho:

そう思いたい


natsu:

うん


言葉の人は続ける。


≫ 雨は外を閉じるけど

≫ 考える場所を作ってくれる

≫ 余計な音が消えるから

≫ 小さな疑問が聞こえてくる


renaは、その行で、胸の奥が少し痛くなった。


小さな疑問。


自分たちの中にあった疑問。


どうして綺麗と言われるのが怖いのか。


どうして癒しと言われると苦しいのか。


どうして前に出すぎないと言われるたびに、自分たちは少しずつ沈むのか。


どうして見てほしいのに、見られたら壊れそうなのか。


それは、小さな疑問だった。


でも、ずっと聞こえないようにしていた。


雨が外を閉じるから、聞こえてしまう。


閉じた場所で、ようやく聞こえてしまう。


≫ 休むって眠るだけじゃない

≫ 遊ぶって騒ぐだけじゃない

≫ いつもと違う止まり方で

≫ いつもと違う俺に会う


コメント欄がゆっくり流れる。


「これいい」


「いつもと違う止まり方」


「止まり方にも種類あるのか」


「今日この曲聴けてよかった」


「雨の日ちょっと許した」


Bridgeに入る。


三人が順番に言葉を置く。


≫ 湯気の中で雨を浴びる


景色の人。


renaは、水がほどける感覚を思い出す。


≫ 知らない音に耳を預ける


音の人。


shihoは、自分の森が少し広がる感覚を覚える。


≫ 車の中で雨を眺める


言葉の人。


natsuは、閉じた場所にも風の居場所がある気がした。


三人の声が重なる。


≫ 別々の場所で同じ雨に触れる


ReShiNaの三人は、別々の部屋で同じ曲を見ていた。


renaの部屋。


shihoの部屋。


natsuの部屋。


別々の場所。


同じ雨。


同じではない痛み。


同じではない傷。


でも、同じ画面を見ている。


同じ曲を聴いている。


≫ 夜の海は何も見せない


景色の人。


≫ 静かな音は何も急かさない


音の人。


≫ 小さな車内は逃げ場じゃない


言葉の人。


≫ 雨が止めたから 深く入れた


renaは、画面の前で息を止めた。


雨が止めたから、深く入れた。


自分たちは、止まった。


黒百合で止まった。


百合根で止まった。


配信もライブも止まった。


でも、止まったから見えたものがあるのかもしれない。


それをまだ、認めることはできない。


でも、完全には否定できない。


≫ 強制スローで見えたもの

≫ 強制スローで聞けた音

≫ 強制スローで考えたこと

≫ 全部 明日の俺になる


コメント欄が熱くなっていく。


「明日の俺になる、いい」


「強制スロー回収」


「これ雨の日アンセムでは」


「明るいのに深い」


「止まっていいんだな」


三人はさらに重ねる。


≫ 晴れた日なら通りすぎた

≫ 忙しさなら消してしまった

≫ 雨が閉じたこの世界で

≫ 俺らはちゃんと開いていた


その一行で、ReShiNaの三人は、それぞれ別の部屋で黙った。


雨が閉じたこの世界で。


俺らはちゃんと開いていた。


閉じることと、開くことが同時にある。


閉じたから、開く。


それが、この曲の入口だった。


Final Hookへ入る。


≫ Rain rain, force me slow

≫ 急ぐ俺を止める flow

≫ 外が閉じる だから見える

≫ 雨の音で breathe again


renaは、胸の奥が熱くなるのを感じた。


泣きそうではない。


まだ泣かない。


でも、何かが動いている。


≫ Rain rain, reset my day

≫ 普段しないことで okay

≫ 晴れた日なら流すもの

≫ 今日は雨で拾ってく


shihoは、バスクラリネットのケースを見た。


しまい込むためではなく、次に使うために置かれている気がした。


≫ 強制スロー 強制スロー

≫ 走りすぎた心を hold on

≫ 強制スロー 強制スロー

≫ 雨が俺を戻す mode


natsuは、ローホイッスルのケースを少しだけ開けた。


鳴らさない。


でも、開けた。


≫ Rain rain, reset my soul

≫ 疲れた俺を戻す slow

≫ 外が閉じる だから開く

≫ 内側に light が差す


renaは、その一行で、とうとうコメント欄を開いた。


打つつもりはなかった。


見るだけのつもりだった。


でも、指が動いた。


そのまま本名では打てない。


ReShiNaとしても打てない。


今の自分たちは、まだ画面の前に立てない。


でも、この曲に何も返さずに閉じることもできなかった。


renaは、名前欄を変えた。


水の人。


一度打って、消した。


また打った。


水の人。


送信はまだ押さない。


同じころ、shihoも画面を見ていた。


本名では打てない。


ReShiNaとしては、もっと無理だった。


でも、自分の中の何かが、前に出ないまま言葉になりたがっている。


shihoは、名前欄を変えた。


森の人。


natsuは迷わなかった。


風の人。


それは、ほとんどnatsuの中では決まっていた。


三人のチャットに、natsuが送った。


natsu:

名前、変える


rena:

もう変えた


shiho:

私も


natsu:

水?


rena:

うん


shiho:


natsu:


shiho:

ほぼ私たちじゃん


natsu:

でも、私たちじゃない


renaは、その言葉を見て、少しだけ頷いた。


私たちじゃない。


でも、私たち。


その距離なら、打てるかもしれない。


曲の最後が近づいている。


≫ 止まる日じゃない

≫ 沈む日じゃない

≫ 雨がくれた遊び方

≫ また明日へ go my way


音が終わった。


コメント欄が一気に流れた。


「めちゃくちゃよかった」


「雨の日の曲なのに上がる」


「強制スロー最高」


「新曲よすぎ」


「RAINY RESET、音源ほしい」


「今日聴けてよかった」


「外が閉じるだから開く、刺さった」


三人は、少し息を整えていた。


mcRCが水を飲む。


wataがコメント欄を見ながら、軽く笑う。


EGUIが、マイクから少し離れる。




その時、



最初のコメントが流れた。


水の人:

閉じた場所でも、戻る水はありますか


コメント欄の流れが、ほんの少しだけ遅くなった。


さっきまで、


「新曲よかった」


「雨の日ちょっと好きになった」


「強制スロー最高」


と流れていた空気の中に、その一文だけ、温度の違う雨粒みたいに落ちた。


mcRCは、すぐには読まなかった。


読めなかった、に近い。


目には入っていた。


けれど、反射で拾ってはいけない言葉だと、体の方が先に分かった。


閉じた場所。


戻る水。


それは、ただの感想ではなかった。


曲のフレーズをなぞっただけでもなかった。


RAINY RESETを聴いた誰かが、自分の奥にあるものを一度通して、ようやく画面へ置いた言葉だった。


wataもコメント欄を見ていた。


いつもなら、


「水の人、急に詩人やな」


くらいは言ったかもしれない。


でも、言わなかった。


言えば、壊れる。


そういう言葉だった。


EGUIが、マイクから少しだけ身を引いた。


逃げたわけではない。


言葉の距離を測っていた。


コメント欄には、まだ普通の反応も流れている。


「いいコメント」


「閉じた場所でも戻る水、好き」


「雨曲に合う」


けれど、その一文の周りだけ、少し空気が違っていた。


mcRCは、ゆっくり息を吸った。


「水の人」


名前だけを呼んだ。


それ以上は、すぐに続けなかった。


画面の向こうで、renaはスマホを握ったまま固まっていた。


送ってしまった。


本当に送ってしまった。


閉じた場所でも、戻る水はありますか。


自分で打ったのに、他人の言葉みたいだった。


閉じた場所。


それは、今の自分たちだった。


配信もできない。


歌えない。


外へ出られない。


声を出そうとすると、黒い水が喉に戻ってくる。


水は、戻るのか。


一度黒くなった水は。


飲み込むために使っていた水は。


澄んだ声を作るために、ずっと奥へ沈めてきた水は。


もう一度、自分の方へ戻ってこられるのか。


それを聞きたかったのかもしれない。


でも、聞いた瞬間、怖くなった。


コメントを消したい。


名前を戻したい。


画面を閉じたい。


でも、もう流れてしまった。


自分の言葉が、誰かの画面に乗ってしまった。


renaはチャットに打った。


水の人:

ごめんなさい


送ってから、自分でも分からなくなった。


誰に謝ったのか。


画面の三人にか。


一緒に見ている二人にか。


それとも、自分自身にか。


コメント欄が少しざわついた。


「謝らなくていい」


「水の人、大丈夫」


「なんか重いな」


「これは軽く返せないやつ」


mcRCは、その「ごめんなさい」を見て、すぐに返した。


「謝らんでいい」


声は、配信用の明るさではなかった。


かといって、重くしすぎてもいなかった。


ただ、言葉を落とさないように両手で持つみたいな声だった。


「今のは、謝る言葉ちゃう」


wataが、横で小さく頷いた。


「ここ、感想欄やけどな」


いつもの軽さが、ほんの少しだけ戻る。


でも、すぐにふざけない。


「でも、感想だけしか置いたらあかん場所でもない」


EGUIが続けた。


「名前も事情も、言わんでええ。言葉だけ置いてくれたらええ」


renaは、画面の前で目を伏せた。


名前も事情も、言わなくていい。


それだけで、少しだけ息ができた。


その直後、二つ目のコメントが流れた。


森の人:

前に出ない音も、入口になれますか


今度は、コメント欄がはっきり止まった。


止まったように見えた。


実際には流れている。


けれど、誰も軽く拾わなかった。


「森の人……」


「これ、さっきの水の人と関係ある?」


「なんか同じ場所から来てる感じ」


「前に出ない音も入口になれるか、ってすごいな」


「これ、音楽やってる人?」


shihoは、送信した瞬間、胸の奥が冷たくなった。


前に出ない音も、入口になれますか。


それは、自分がずっと避けていた問いだった。


前に出ない音。


支える音。


空間を作る音。


落ち着く音。


深い音。


それは、全部褒め言葉だった。


分かっている。


分かっているから、つらかった。


自分は、誰かが入るための床になりたかったのか。


誰かの声を支える影になりたかったのか。


それとも、自分の低音そのものが、誰かの入口になりたかったのか。


前に出ない音は、ただ後ろにいるだけなのか。


それとも、誰かが深い場所へ入るための入口になれるのか。


shihoは、その答えを誰かにすぐ言われたら、たぶん腹が立った。


「なれます」と言われても信じられない。


「大丈夫」と言われても、違うと思う。


でも、聞かずにはいられなかった。


聞いてしまった。


森の人:

消した方がいいなら消します


コメント欄に、さらに沈黙が生まれた。


この場は、いつもの配信のはずだった。


新曲が終わって、みんなが盛り上がって、感想を言う時間のはずだった。


でも、何か違うものが開きかけていた。


wataが、マイクに少し近づいた。


「消さなくていい」


すぐに言った。


それから、少しだけ間を置いた。


「でも、俺が今すぐ『なれる』って言うのも、たぶん違う」


shihoは、画面の前で動けなくなった。


欲しかったのは、即答ではなかった。


でも、否定でもなかった。


wataは続ける。


「前に出ない音って、めちゃくちゃ難しいやろ」


コメント欄が静かに流れる。


「うん」


「わかる」


「音楽の話?」


「仕事でもそうかも」


wataは、指先で机を一度だけ叩いた。


リズムを取るというより、自分の中の言葉を探している動きだった。


「前に出へんって、消えることと似て見える時あるやん」


EGUIが横から言った。


「でも、違う」


wataは頷いた。


「違う。けど、違うって言うだけなら簡単やねん」


mcRCは、森の人のコメントを見ていた。


前に出ない音も、入口になれますか。


その言葉の奥に、さっき聴いた百合根の低音があった。


バスクラリネットの底で、まだ息をしている。


踏まれたままの音が、私の名前を覚えている。


あの音は、見世物にしないと決めた。


だから、ここで言うことはできない。


でも、胸の奥には残っている。


忘れたふりはできない。


mcRCは、静かに言った。


「入口って、目立つ門だけちゃうからな」


wataが彼を見る。


EGUIも、少しだけ顔を上げた。


mcRCは続けた。


「明るい看板があって、こっちですって呼ぶ入口もある」


少し間を置く。


「でも、気づいたら足元が変わってる入口もある。気づいたら、空気が深くなってる入口もある」


コメント欄が静かになる。


「前に出ない音が入口になるかどうかは、今ここで簡単に答えたくない」


mcRCは、森の人へ向けて言った。


「でも、その問いは、入口になってる」


shihoの指が、スマホの端を強く押した。


その問いは、入口になってる。


前に出ない音も入口になれますか。


それに直接「なれる」とは言われなかった。


でも、自分が置いた問いそのものが、もう誰かの入口になっていると言われた。


胸の奥が、痛いような、少しだけ温かいような感覚になった。


その時、三つ目のコメントが流れた。


風の人:

戻らない風でも、ここにいていいですか


natsuは、送信した直後にローホイッスルのケースを抱きしめていた。


画面を見られない。


でも、目を逸らすこともできない。


戻らない風でも、ここにいていいですか。


それは、たぶん一番言葉にしてはいけない問いだった。


風は戻らない。


呼んでも、もう。


同じ名前では帰らない。


自分たちが出した音は、聴いた人の中で変わる。


癒しになる。


BGMになる。


怖い森になる。


黒百合になる。


百合根になる。


出した音は、自分たちの形では戻ってこない。


戻ってこないなら、捨てられたのか。


戻ってこないなら、間違っていたのか。


戻ってこない風は、ここにいていいのか。


画面の中の三人は、すぐに答えなかった。


コメント欄も、さっきより静かだった。


「戻らない風……」


「これ、三つつながってる?」


「水、森、風」


「なんか泣きそう」


「茶化したらダメなやつ」


「静かにしてる」


その中で、EGUIがマイクに近づいた。


「戻らない風でも、ここにいていいですか」


彼は、コメントをそのまま読み上げた。


でも、読み方が違った。


コメントを紹介する声ではなかった。


その言葉を、一度自分の中に通してから、もう一度外へ置く声だった。


natsuは、画面を見つめた。


言葉の人。


やっぱり、この人だ。


名前は知らない。


顔もサングラスでよく分からない。


でも、言葉の置き方で分かる。


この人は、言葉を雑に置かない。


EGUIは少し黙った。


その沈黙の間、誰も急かさなかった。


コメント欄も、少しだけ静かになっていた。


EGUIは、ゆっくり言った。


「いいです、って俺が簡単に許可するのは違うと思う」


natsuの胸が、少しだけ沈む。


でも、EGUIの声は冷たくなかった。


「風が戻らん理由は、俺には分からん」


コメント欄も止まる。


「でも、戻らないって言葉を持って、ここに来たなら」


EGUIは、少しだけ画面に近づいた。


「もう、ここにいるやろ」


natsuは、息を止めた。


もう、ここにいるやろ。


許可ではなかった。


励ましでもなかった。


事実として置かれた。


戻らない風でも、ここにいていいですか。


その問いを打った時点で、もうここにいる。


そう言われた。


natsuの目が滲んだ。


泣いているのかは分からない。


でも、ローホイッスルのケースを抱える手が、少し震えた。


三つのコメントが、画面の中に残っている。


水の人。


森の人。


風の人。


閉じた場所でも、戻る水はありますか。


前に出ない音も、入口になれますか。


戻らない風でも、ここにいていいですか。


mcRCは、三つのコメントをもう一度見た。


これは、ただの感想ではない。


質問でもない。


救いを求める声、と言い切るのも違う。


もっと手前。


まだ形になる前のもの。


まだ自分でも分かっていない痛みが、雨の曲に触れて、少しだけ外へ出てきたもの。


それは、百合根の音に似ていた。


けれど、同じではない。


百合根は、掘られた音だった。


これは、自分からそっと置かれた問いだった。


そこが違う。


それが大事だった。


wataは、まだ黙っていた。


いつもの彼なら、音の連鎖を見つけている。


水。


森。


風。


閉じる。


入口。


戻らない。


音としては、もう繋がっている。


母音も、余韻も、流れもある。


言葉の材料としては、美しすぎるくらい揃っている。


でも、だからこそ、触れない。


素材に見えた瞬間、危ない。


人の痛みを、ただの材料にしてしまう。


wataは、そこに一番敏感だった。


「これさ」


ようやく、wataが口を開いた。


「韻とかフロウの話にしたら、たぶん一瞬で壊れる」


コメント欄が静かに流れる。


「たしかに」


「wataがそれ言うの重い」


「音にしたくなるけど、今じゃない感じ」


wataは続ける。


ここから下、コメントを引き出して、会話が深まってからオーダーに至る版で書き直します。


「水、森、風って、音としてはめちゃくちゃ強い。でも、強いからってすぐ曲にしたら、たぶん違う」


wataは、そこで言葉を切った。


いつもなら、そこから畳みかける。


水、森、風。


母音もいい。


景色も立つ。


三人の声にも分けやすい。


Hookにもできる。


Bridgeにもできる。


言葉の連鎖としては、あまりに扱いやすい。


でも、だからこそ危なかった。


扱いやすい言葉は、雑に扱われやすい。


強い言葉は、すぐ看板にされる。


看板にされた瞬間、その奥にある震えが消えることがある。


wataは、それを分かっていた。


だから、すぐに乗らなかった。


「今は、音として気持ちいいから拾う、じゃない気がする」


コメント欄が、少しだけ静かになった。


「wataが止まった」


「これは軽くないやつ」


「たしかに水森風って曲にしやすそうだけど」


「だから危ないのか」


「強い言葉をすぐ曲にしないの、いい」


EGUIが、画面を見たまま言った。


「今の三つは、こっちが気持ちよくなるための言葉じゃない」


その声は、いつもより低かった。


「水の人、森の人、風の人。答えたくなかったら答えなくていい」


コメント欄が止まる。


EGUIは続けた。


「でも、もしまだ言葉があるなら、もう少しだけ聞かせてほしい」


画面の向こうで、renaはスマホを握ったまま、息を止めた。


もう少しだけ。


それが怖かった。


閉じた場所でも、戻る水はありますか。


それだけで、もう十分に出しすぎた気がしていた。


これ以上出したら、自分だと分かるかもしれない。


ReShiNaだと分かるかもしれない。


いや、分からないかもしれない。


でも、自分の中ではもう分かっている。


これは自分の奥にあるものだ。


匿名にしても、薄まらない。


むしろ、名前を隠しているぶん、言葉だけが裸になってしまう。


renaは、チャットを開いた。


rena:

これ以上言ったら、だめかも


shiho:

だめっていうか、怖い


natsu:

でも、聞いてる


shiho:

聞いてるね


natsu:

掘ってない


renaは、その言葉を見つめた。


掘ってない。


そうだった。


画面の中の三人は、掘っていない。


名前を聞かない。


事情を聞かない。


でも、言葉は聞いている。


覗き込むのではなく、前に置かれた器を見ているようだった。


それでも怖い。


怖いけれど、閉じた場所で水が戻るかどうかを聞いたのは、自分だ。


renaは、もう一度コメント欄を開いた。


水の人:

戻るって、元に戻ることじゃない気がしています


送ってから、胸が痛くなった。


続けて、指が動いた。


水の人:

でも、違う形で戻ったら、それはもう私の水じゃないのかもしれない


コメント欄が、ふっと揺れた。


「うわ」


「これ深い」


「元に戻ることじゃない」


「違う形で戻ったら私の水じゃない、か」


「これ誰かの創作の話にも聞こえる」


「人生の話にも聞こえる」


mcRCは、コメントを読んでいた。


言葉が静かに胸に入ってくる。


戻る水。


でも、元に戻ることではない。


違う形で戻ったら、自分の水ではないのかもしれない。


それは、音楽にも似ていた。


一度出した曲は、聴いた人の中で変わる。


自分たちが込めた意味と違う形で戻ってくる。


笑いになることもある。


涙になることもある。


誤解になることもある。


期待になることもある。


その時、それはもう自分の曲ではないのか。


それとも、変わって戻ってきたものまで含めて、自分の曲なのか。


mcRCは、少しだけ目を伏せた。


「水の人」


renaの指が止まる。


「戻った水が、元の形じゃなくなるのは、たぶん避けられへん」


mcRCは、ゆっくり言った。


「雨もそうやろ。降った時と、川に戻った時と、湯気になった時と、海に戻った時では、形が違う」


コメント欄が静かに流れる。


「雨、川、湯気、海」


「水の形が変わる」


「でも水は水か」


mcRCは続けた。


「でも、それが自分の水じゃなくなるかどうかは、たぶん、誰に奪われたかで変わる」


wataが、横で小さく反応した。


「奪われたか」


mcRCは頷いた。


「自分で流した水が、誰かの中で形を変えて戻ってくるなら、それは怖いけど、まだ対話かもしれん」


少し間。


「でも、勝手にすくわれて、勝手に瓶に詰められて、勝手に名前貼られたら、それはもう戻ったんじゃない。持っていかれたんやと思う」


画面の前で、renaの胸がきしんだ。


持っていかれた。


その言葉は、百合根そのものだった。


まだ誰にも言っていない。


この三人は、そのことを言っていない。


でも、まるで知っているみたいに、奥に届いてくる。


いや、知っているのかもしれない。


知っているかどうかは、今はどうでもよかった。


掘っていない。


それだけが救いだった。


水の人:

持っていかれた水も、戻れますか


打ってから、renaは目を閉じた。


これは、もう言いすぎかもしれない。


でも、止められなかった。


コメント欄が、さらに静かになる。


「持っていかれた水……」


「これ、かなり具体的じゃない?」


「無理に聞くな」


「水の人、答えなくていいからね」


「でも聞いてほしいんだと思う」


mcRCは、すぐには返さなかった。


返せなかった。


持っていかれた水も戻れるか。


簡単に戻れるとは言えない。


戻れるよ、と言えば嘘になる。


戻れない、と言う資格もない。


EGUIが、静かに言った。


「戻れるかは、俺らには分からん」


renaの胸が少し沈む。


でも、EGUIは続けた。


「でも、持っていかれたことを、なかったことにせん方がええとは思う」


mcRCが頷く。


wataも、ゆっくり頷いた。


EGUIは言った。


「水が戻る前に、まず『持っていかれた』って言える場所がいるんやと思う」


renaは、スマホを見つめた。


持っていかれたって言える場所。


それが欲しかったのかもしれない。


怒りたいわけではない。


責めたいだけでもない。


でも、勝手に持っていかれた。


それを、どこかで認めてほしかった。


水の人:

ありがとうございます


それ以上は打てなかった。


次に、森の人が動いた。


shihoは、しばらく画面を見ていた。


自分の番になったような気がした。


でも、そんなふうに思うこと自体が嫌だった。


番なんてない。


舞台ではない。


順番に救われる場面でもない。


けれど、水の人の言葉が置かれたことで、自分の中の森も少しだけざわついていた。


shihoは、スマホのキーボードを開いた。


森の人:

入口になりたいのか、奥にいたいのか、自分でも分かりません


送信。


すぐに消したくなった。


でも、もう流れた。


森の人:

前に出ない音と言われると、安心されている気もするし、そこに閉じ込められた気もします


コメント欄の空気が、また変わった。


「これも刺さる」


「前に出ない音って言葉、褒め言葉にも呪いにもなるのか」


「安心されるけど閉じ込められる」


「役割の話っぽい」


「職場でもある」


「支える人の話にも聞こえる」


wataは、そのコメントを見て、深く息を吐いた。


これは、彼に刺さった。


音の人だからだ。


彼は、音を前へ出す。


言葉も、韻も、フロウも、耳に残るように置く。


それが役割だ。


でも、前に出る音だけで曲は立たない。


後ろにいる音。


見えない音。


支える音。


深さを作る音。


それがなければ、どれだけ韻が跳ねても、曲は薄くなる。


ただ、それを「大事だ」と言うだけでは足りない。


大事と言われても、見えないままなら痛い。


必要と言われても、便利な床みたいに扱われたら痛い。


wataは、マイクに近づいた。


「森の人」


shihoの手が止まる。


「今の、めちゃくちゃ分かる……って言うのも、たぶん違うか」


wataは、少し苦笑した。


「俺は前に出る方の音やから、完全には分からん」


コメント欄が静かに反応する。


「正直」


「全部分かるって言わないのいい」


「wataがそこ言うのいい」


wataは続けた。


「でも、前に出ない音を、前に出ないまま閉じ込めるのは、たぶん違う」


shihoは、画面を見ていた。


wataは言葉を探した。


普段なら、韻を踏めば言葉が進む。


でも今は、韻ではなく、意味の足場を探していた。


「入口ってさ、必ず真正面にあるとは限らんやん」


mcRCが視線を向ける。


wataは続ける。


「門みたいに、ここから入ってくださいって立ってる入口もある。でも、音楽って、気づいたら入ってた、みたいな入口もあるやろ」


コメント欄が流れる。


「ある」


「気づいたら入ってた」


「BGMだと思ってたら泣いてたみたいな」


wataは頷いた。


「そういう入口って、たぶん前に出てない音が作る時ある」


shihoは、息を止めた。


「派手なフレーズじゃない。看板でもない。でも、その音があるから、こっち側に一歩入ってる」


wataの声が、少しだけ強くなる。


「ただな」


そこで止める。


「それを、前に出てないんだから文句言うな、って使ったら最悪やと思う」


コメント欄が一気に反応する。


「それ」


「ほんとそれ」


「支えてるんだから満足しろ、は違う」


「役割の押し付け」


「見えてないのに都合よく使うやつ」


wataは、続けた。


「安心される音って、強い。でも、安心される役割に閉じ込められたら、たぶんしんどい」


shihoの目が熱くなった。


安心される役割に閉じ込められる。


それだ。


それだった。


低音があると安心する。


深くて落ち着く。


前に出すぎないのがいい。


その全部が褒め言葉だと知っている。


でも、その褒め言葉の中で、自分が閉じ込められていく感じがあった。


森の人:

入口になれるなら嬉しいです


しばらく打てなかった。


それから、続けた。


森の人:

でも、入口になったまま、誰にも入ってきてもらえないのは、少し怖いです


コメント欄がまた静まる。


「うわ……」


「入口なのに誰も入ってこない」


「それきつい」


「見えてるのに使われない感じ?」


「存在してるのに通られない感じ」


mcRCが、目を閉じた。


これは、仕事でも音楽でもある。


入口を作っている人がいる。


導線を作っている人がいる。


場を整えている人がいる。


でも、誰もその入口を入口として認めない。


通っているのに、作った人を見ない。


それは、ReShiNaだけの話ではない。


リバックラインにもある。


裏方にもある。


誰かが整えた道を、何もない場所のように通っていく人は多い。


EGUIが、静かに言った。


「入口は、通られて初めて入口になるわけちゃうと思う」


shihoは画面を見た。


「入口を作った人が、そこにいる。それを見つけることも、たぶん大事や」


EGUIは、ゆっくり続けた。


「誰も入ってこない入口は、無意味なんじゃない。まだ見つけられてないだけかもしれん」


wataが頷く。


「それを見つける耳が、こっち側にいる」


shihoは、その言葉で、胸の奥が少しだけ揺れた。


見つける耳。


入口を作る音だけではなく、入口を見つける耳。


自分たちには、それが足りなかったのかもしれない。


あるいは、自分たちの入口を、自分たち自身が信じられていなかったのかもしれない。


森の人:

見つける耳


それだけ送った。


wataが、画面を見て頷いた。


「うん。そこ、大事やと思う」


次に、風の人が動いた。


natsuは、二人のコメントを見ていた。


水が戻れるか。


森が入口になれるか。


二人は、自分の中のものを少しずつ出していた。


natsuも、出したかった。


でも、風は言葉にするとすぐ違うものになる。


戻らない風でも、ここにいていいですか。


その問いだけでもう十分だった気がしていた。


でも、画面の中の三人は、まだ急かしていない。


掘っていない。


風の人の言葉を待っているわけでもない。


ただ、置いている。


それが逆に、natsuの中の風を少し動かした。


風の人:

戻ってこない音を、失敗だと思っていました


送信。


続けて、ゆっくり打つ。


風の人:

聴いた人の中で変わるなら、それは届いたのか、なくなったのか、分からなくなります


コメント欄が動く。


「届いたのか、なくなったのか」


「音楽やってる人の言葉だ」


「創作全部そうかも」


「受け取られた時点で変わる」


「でも変わったら自分のものじゃない感じもする」


natsuは、さらに打った。


風の人:

優しい風として戻ってきたら嬉しいはずなのに、違う名前で帰ってくると怖いです


renaは、そのコメントを見て、胸が痛んだ。


shihoも、画面の前で息を止めた。


違う名前で帰ってくる。


黒百合。


百合根。


自分たちが名付ける前に、誰かが名前をつけた。


それが怖かった。


natsuは、泣いていなかった。


でも、文字が少し震えているように見えた。


風の人:

戻らないなら、せめて消えてないって思いたいです


そのコメントが流れた時、EGUIはすぐに反応できなかった。


戻らないなら、せめて消えてないって思いたい。


それは、説明ではなく、祈りに近かった。


EGUIは、しばらく画面を見ていた。


それから、ゆっくり言った。


「風の人」


natsuは、画面の前で固まった。


EGUIは、軽くしなかった。


「戻ってこない音が失敗かどうかは、俺には決められへん」


一度、言葉を切る。


「でも、戻ってこないから消えた、とは限らんと思う」


コメント欄が静かに流れる。


「うん」


「消えてない」


「戻らないけど消えてない」


EGUIは続けた。


「音って、出した人のところに同じ形で帰ってくるとは限らんやん」


wataが頷く。


mcRCも、静かに聞いている。


「誰かの中で、違う言葉になる。違う記憶になる。違う痛みになる。違う救いになる」


EGUIは、画面の向こうへ言った。


「それは怖い」


natsuの目が揺れた。


「怖いって言ってええと思う」


その一言で、natsuの指が震えた。


怖いって言っていい。


風が怖い。


戻ってこないのが怖い。


違う名前で帰ってくるのが怖い。


そう言っていい。


EGUIは続けた。


「でも、違う名前で帰ってきたもの全部が、敵とは限らん」


natsuは、画面を見た。


「ただ、勝手に奪われて、勝手に名前を貼られたものは、話が別や」


mcRCが、少しだけ目を伏せた。


wataも黙った。


その言葉は、百合根に触れすぎないぎりぎりの場所にあった。


でも、必要だった。


EGUIは、慎重に言った。


「だから、風の人が怖いと思うなら、その怖さは間違ってない」


natsuは、泣きそうになった。


間違ってない。


怖いことが。


戻ってこない風を怖がることが。


違う名前で帰ってきた音に怯えることが。


間違ってない。


風の人:

怖いままで、いてもいいですか


コメント欄に、その言葉が置かれた。


今度は、誰もすぐに反応しなかった。


コメント欄も、まるで息を止めたみたいだった。


EGUIは、深く息を吸った。


「それは」


一度止まる。


「俺が許可することじゃない」


natsuの胸が、また少し沈む。


でも、EGUIは続けた。


「でも、怖いままここに来たなら、もうここにいる」


前と似た言葉。


でも、少し違う。


「怖くなくなってから来いとは、俺は言わん」


natsuは、スマホを胸に寄せた。


何かが、少しだけほどけた。


水の人。


森の人。


風の人。


三人のコメントは、ただの感想ではなくなっていた。


配信のコメント欄は、もはや普通の盛り上がりではなかった。


でも、誰も茶化していない。


誰も「曲にしよう」と軽く言っていない。


むしろ、普段の視聴者たちも、少しずつ空気を変えていた。


「急がないで」


「このまま聞いてる」


「水の人、森の人、風の人、ありがとう」


「名前隠して来てるのに、言葉が強すぎる」


「この三つ、簡単にまとめないでほしい」


「でも流れてほしくない」


「置いてほしい」


「拾ってほしいけど、消費しないでほしい」


mcRCは、そのコメントを見ていた。


拾ってほしいけど、消費しないでほしい。


まさに、それだった。


これは、オーダーに近づいている。


でも、まだオーダーではない。


オーダーは、こちらが勝手に宣言するものではない。


相手が「作ってください」と言わなくても、言葉がこちらに届くことはある。


でも、それを受けるには、三人の中で一致しなければいけない。


ただの反応ではない。


ただの素材ではない。


ただの盛り上がりでもない。


mcRCは、wataを見た。


wataは、黙って頷いた。


まだ軽さはない。


でも、逃げてもいない。


mcRCは、EGUIを見た。


EGUIも、ゆっくり頷いた。


三人の間で、言葉にならない確認が通った。


受ける。


でも、今すぐ作らない。


答えを急がない。


名前を聞かない。


事情を聞かない。


ただ、三つの問いを流さずに預かる。


mcRCは、画面に向き直った。


「水の人、森の人、風の人」


三人は、それぞれ別の部屋で息を止めた。


「今、いくつか言葉をくれた」


mcRCは、コメント欄ではなく、画面の向こうの誰かを見るように言った。


「戻る水」


wataが続ける。


「入口になる音」


EGUIが続ける。


「ここにいる風」


三人の言葉が、少しずつひとつの場所へ集まっていく。


mcRCは言った。


「これ、たぶん全部、同じ問いに向かってる」


コメント欄も静かに見ている。


「形が変わっても、自分でいられるか」


wataが言う。


「前に出なくても、誰かの始まりになれるか」


EGUIが言う。


「戻らないものを抱えたまま、ここにいていいか」


その三つが並んだ瞬間、画面の向こうで、ReShiNaの三人は動けなくなった。


そうだ。


それだった。


水でも、森でも、風でも。


聞きたかったのは、そこだった。


自分の価値は、まだあるのか。


変わっても。


見えなくても。


戻らなくても。


ここにいていいのか。


mcRCは、少しだけ目を閉じた。


胸の奥が震えていた。


魂が震える、という言葉を使うなら、ここだった。


三つのコメントが上手かったからではない。


詩的だったからでもない。


水、森、風という言葉が綺麗だったからでもない。


その奥に、「消えたくない」という声があったからだ。


小さく、でも確かに。


消えたくない。


形が変わっても。


前に出なくても。


戻らなくても。


それでも、ここにいたい。


その声が、雨の日の配信の画面を越えて届いた。


mcRCは、マイクに近づいた。


「これは、軽く答えたら嘘になる」


wataが続けた。


「今すぐ曲にしたら、たぶん早すぎる」


EGUIが言った。


「でも、流したらあかん」


三人の声が、それぞれ違う方向から、同じ場所へ集まる。


mcRCは、少しだけ背筋を伸ばした。


「名前は聞かん」


wataが続ける。


「事情も聞かん」


EGUIが静かに言った。


「でも、言葉は預かれる」


コメント欄が、静かに波打った。


「預かる」


「それがいい」


「今はそれがいい」


「水の人たち、見てるかな」


「見てると思う」


画面の向こうで、renaはスマホを握ったまま動けなかった。


預かれる。


その言葉が、胸の奥に落ちた。


奪われるのではない。


掘られるのでもない。


勝手に名前を貼られるのでもない。


預かられる。


それは、今の自分たちにとって、あまりに遠くて、でも欲しかった形だった。


水の人:

預かるって、どういうことですか


mcRCは、そのコメントを見て、すぐには答えなかった。


軽く説明すれば、文化の説明になる。


でも、今ここで必要なのは用語説明ではない。


水の人が聞いているのは、システムの説明ではなく、自分たちの言葉がどう扱われるのかだった。


mcRCは、ゆっくり言った。


「俺らの中では、誰かが置いた問いを、曲にして返すことがある」


wataが補う。


「でも、勝手に料理するってことやない」


一度、言葉を止める。


「今の言葉は、すぐHookにして気持ちよくするようなもんちゃう」


EGUIが続けた。


「答えを渡すんでもない。正解にするんでもない」


画面の中で、三人はそれぞれ少しずつ違う方向を見ていた。


でも、向いている先は同じだった。


mcRCが言う。


「その人がまだ持ててない問いを、なくさないようにする」


wataが言う。


「流れて消えんようにする」


EGUIが言う。


「でも、本人から奪わんようにする」


コメント欄が静かになった。


ふざけた言葉は出てこない。


誰も茶化さない。


水の人も、森の人も、風の人も、画面の向こうで息を止めていた。


shihoは、スマホを見つめたまま、少しだけ眉を寄せた。


問いを、なくさないようにする。


本人から奪わないようにする。


それは、今まで一番欲しかった距離かもしれなかった。


森の人:

それは、お願いしてもいいものなんですか


wataは、そのコメントで少しだけ目を伏せた。


お願いしてもいいもの。


その言い方が、あまりにも慎重だった。


頼むこと自体を怖がっている。


求めること自体に、許可がいると思っている。


それが伝わってきた。


wataは、ふざけずに言った。


「お願いしてええよ」


でも、すぐに続けた。


「ただ、無理に今決めんでええ」


EGUIも頷く。


「頼んだら戻れない、みたいに思わなくていい」


mcRCが画面を見た。


「断ってもいいし、途中でやめてもいい。名前も出さなくていい」


水の人の画面が、少し滲んだ。


renaは、自分が泣きそうになっていることに気づいた。


ここまで言われても、まだ怖かった。


お願いする。


それは、自分たちの問いを相手に渡すことだ。


また、持っていかれるかもしれない。


また、違う名前を貼られるかもしれない。


また、美しく整えられて、自分たちの痛みではなくなるかもしれない。


でも、画面の中の三人は、奪おうとしていなかった。


待っていた。


水の人:

少しだけ、考えさせてください


mcRCは頷いた。


「もちろん」


コメント欄にも、静かな言葉が流れた。


「待とう」


「急がなくていい」


「この時間すごい」


「名前出さないのいい」


「これは大事にしてほしい」


画面の向こうで、三人のチャットが動いた。


rena:

どうする


shiho:

分からない


natsu:

怖い


rena:

うん


shiho:

でも、今なら頼める気もする


natsu:

取らないって言ってる


shiho:

まだ分からない


natsu:

でも、掘ってない


renaは、その言葉を見つめた。


掘ってない。


それが、いちばん大きかった。


黒百合は見られた。


百合根は掘られた。


でも、今この画面の向こうの三人は、掘っていない。


置かれたものだけを見ている。


流れそうな言葉を、流さずに待っている。


renaは、ゆっくり指を動かした。


水の人:

私たちは、たぶん


そこで止まる。


送れない。


「私たち」と打ってしまった。


匿名なのに。


水の人なのに。


でも、もう一人称は「私」では足りなかった。


これはrenaだけの問いではない。


水だけの問いではない。


森と風も、そこにいる。


renaは、そのまま続けた。


水の人:

私たちは、たぶん、自分たちの言葉をどう扱えばいいのか分かっていません


shihoは、そのコメントを見て、息を止めた。


natsuも、画面を見たままローホイッスルのケースを抱きしめた。


renaは続ける。


水の人:

見てほしいのに、見られるのが怖いです


shihoの指が震えた。


その言葉は、百合根の根っこだった。


森の人:

前に出たいのか、下にいたいのかも分かりません


natsuが、ゆっくり打つ。


風の人:

帰ってきてほしいのに、違う形で帰ってくるのが怖いです


三つのコメントが並んだ。


今度は、問いではなかった。


告白に近かった。


答えを求める形ではなく、自分たちが今どこにいるのかを、ようやく少しだけ置いた言葉だった。


コメント欄は、ほとんど止まったように見えた。


「……」


「これは」


「軽く言えない」


「読んでる」


「大事にして」


「この三人、無理しないで」


「でも言ってくれてありがとう」


mcRCは、三つのコメントを見ていた。


胸の奥が震えた。


魂が震えたのは、ここだった。


水、森、風という言葉が綺麗だったからではない。


三つのコメントが詩的だったからでもない。


その奥に、未承認の価値があった。


まだ自分たちでも見つけきれていない価値。


見てほしいのに、見られるのが怖い。


前に出たいのか、下にいたいのか分からない。


帰ってきてほしいのに、違う形で帰ってくるのが怖い。


それは弱音ではなかった。


矛盾を抱えたまま、それでも消えたくないという声だった。


wataは、何も言えなかった。


言葉を扱う人間だからこそ、ここで軽く音にできなかった。


韻も、フロウも、今は邪魔になる。


EGUIは、静かに画面を見ていた。


彼は、低く言った。


「ここまで言ってくれたなら、もう聞く側も責任あるな」


mcRCが頷く。


「うん」


wataも、ゆっくり頷いた。


「ある」


水の人のコメント欄に、文字が浮かぶ。


消える。


また浮かぶ。


消える。


renaは何度も打ち直していた。


お願いしていいのか。


頼んでいいのか。


知らない三人に。


名前も知らない三人に。


でも、名前を知らないから言えるのかもしれない。


相手が自分たちを暴かないから、言えるのかもしれない。


水の人:

もし


そこで止まる。


森の人:

もし、まだ早くないなら


風の人:

もし、重すぎないなら


三人のコメントが、少しずつ繋がっていく。


水の人:

この言葉を


森の人:

このまま流さずに


風の人:

預かってもらえるなら


少し間が空いた。


画面の向こうで、mcRCも、wataも、EGUIも、何も言わなかった。


急かさなかった。


コメント欄も、誰も先に結論を言わなかった。


そして、最後に水の人のコメントが流れた。


水の人:

オーダーを……


続いて、森の人。


森の人:

受けて


最後に、風の人。


風の人:

いただけませんか?


三つのコメントは、ひとつの文になった。


オーダーを……

受けて

いただけませんか?


コメント欄が完全に止まったように見えた。


誰も茶化さなかった。


誰も「きた」と叫ばなかった。


ただ、その言葉が画面の中に置かれた。


真摯だった。


知らない文化の言葉を、恐る恐る使っているのが分かった。


意味を完全に分かっているわけではない。


でも、さっき三人が説明した「預かる」という感覚だけを、懸命に受け取って、そこへ手を伸ばしている。


それが伝わった。


mcRCは、すぐには返事をしなかった。


すぐに返したら、軽くなる。


彼は、マイクの前で深く頭を下げた。


画面越しに。


名前も知らない三人へ。


水の人へ。


森の人へ。


風の人へ。


wataも、黙って頭を下げた。


EGUIも、ゆっくり頭を下げた。


コメント欄には、ようやく静かな言葉が流れ始めた。


「これは……」


「ちゃんと頼んだ」


「すごい」


「静かに見てる」


「お願いします」


「預かってあげてほしい」




mcRCは、すぐには返事をしなかった。


すぐに「受けます」と言えば、軽くなる。


待っていました、とでも言うように受け取れば、それは違う。


水の人、森の人、風の人が、どれだけ怖がりながら言葉を置いたか。


どれだけ迷いながら、名前を隠して、それでも手を伸ばしたか。


それを考えると、こちらが上から受け取る形にはできなかった。


オーダーは、依頼ではある。


けれど、今この場では、それだけではなかった。


彼女たちは、まだ自分たちの言葉を持てていない。


持てていないまま、流れそうな言葉を三つ、雨の中へ置いた。


戻る水。


入口になる音。


ここにいる風。


それは、曲の材料ではなかった。


心の奥でまだ震えている、名前になる前のものだった。






mcRCは、ゆっくり頭を下げた。






wataも、黙って頭を下げた。


EGUIも、同じように頭を下げた。


コメント欄が止まった。


誰も茶化さなかった。


誰も「きた」とは言わなかった。


画面の向こうで、水の人も、森の人も、風の人も、何も打てなかった。


mcRCは、顔を上げた。


「水の人」


少し間を置く。


「森の人」


さらに、少し間を置く。


「風の人」


三つの名前を、借り物のように丁寧に呼んだ。


「今の言葉、こっちが勝手に拾うものではないと思ってます」


wataは、視線を落としたまま頷いた。


EGUIも、静かに画面を見ている。


mcRCは続けた。


「だから、俺らから言わせてください」


一度、息を吸う。


「むしろ……」


言葉が、少しだけ震えた。


でも、逃げなかった。


「こちらからお願いしたい」


コメント欄の流れが、さらに静かになった。


「俺たちに」


mcRCは、マイクの前でまっすぐ言った。


「オーダーを」


wataが、低く息を吐いた。


EGUIが、目を伏せた。


mcRCは、最後の言葉を、丁寧に置いた。


「受けさせていただけませんか?」


画面の向こうで、renaはスマホを胸に寄せた。


shihoは、バスクラリネットのケースに置いた手を握りしめた。


natsuは、ローホイッスルのケースを抱えたまま、雨の音を聞いていた。


誰もすぐには返事を打てなかった。


それは、承認の言葉ではなかった。


救済の言葉でもなかった。


ただ、彼女たちが恐る恐る置いた問いを、リバクラが同じ高さまで降りて、両手で受け取ろうとしている言葉だった。


水の人:

お願いします


少し遅れて、森の人が続いた。


森の人:

お願いします


最後に、風の人が打った。


風の人:

お願いします


三つの「お願いします」が、画面に並んだ。


mcRCは、もう一度だけ深く頷いた。


wataも、静かに頷いた。


EGUIが、最後に言った。


「預かります」


雨は、まだ降っていた。


閉じた場所に、小さなドアができていた。



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