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ラップ付き小説 ReversCrown 元気ないやつこっちおいで  作者: egubi
reshina編

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109/186

4-2-1 花びらの下



カフェライブの数日後。


ReShiNaは、駅から少し離れた歩道にいた。


そこは、広場というほど広くはない。


駅前の大きな人の流れから、一本だけ横へ外れた場所だった。


夕方の光がビルの隙間に引っかかり、歩道の端に細長い影を作っている。


通りには、帰宅する人たちが流れていた。


買い物袋を持った人。


イヤホンをつけた人。


スマホを見ながら歩く人。


誰かと笑いながら通り過ぎる人。


誰も、最初から音楽を聴くためにそこにいるわけではなかった。


だからこそ、怖かった。


カフェとは違う。


配信とも違う。


ここでは、聴きたい人だけが来るわけではない。


通り過ぎる人がいる。


立ち止まらない人がいる。


少し見て、すぐ去る人もいる。


それでも、今日はここで鳴らすと決めた。


renaはアコースティックギターを抱え、弦を軽く鳴らした。


黒髪が頬の横に落ちる。


風で少し揺れた髪を、耳にかける。


指先は冷たかった。


shihoは、ケースからバスクラリネットを取り出していた。


本当はピアノがある場所の方が安心する。


けれど、今日はストリートだった。


低い音がどこまで届くのか。


人の足音や車の音の中で、沈みすぎずに残るのか。


分からない。


shihoはリードを確認しながら、道の向こうを見た。


人は流れている。


誰も待っていない。


その事実が、思ったよりも胸に来た。


natsuはフルートケースを開けていた。


今日はフルートとローホイッスルを持ってきている。


彼女は、空を見上げていた。


ビルの隙間の空。


雲は薄い。


その奥に、夕方の色が残っている。


「今日、風がまっすぐじゃない」


renaが聞く。


「まっすぐじゃない?」


「うん。横から来て、上に逃げる」


shihoが息を吐いた。


「それ、演奏に関係ある?」


natsuは少し考えた。


「ある」


「どう?」


「音が、持っていかれる」


renaの指が止まる。


natsuは続けた。


「でも、遠くにも行く」


shihoは小さく笑った。


「いつも通り、怖いことといいことを同時に言うね」


natsuは首をかしげた。


「同じこと」


renaは、ギターのボディに手を置いた。


同じこと。


持っていかれる。


遠くに行く。


それは、たぶん今日の自分たちにも近かった。


怖い場所。


でも、遠くまで届くかもしれない場所。


renaは小さく息を吸った。


「やろうか」


shihoが頷く。


natsuも、フルートを持って立った。


三人は、歩道の端に並んだ。


譜面台は出さない。


大きな看板もない。


ただ、小さな立て札だけを置いた。


ReShiNa


acoustic street set


その文字を見て、数人がちらりと視線を向けた。


けれど、すぐに流れていく。


それが普通だった。


renaはマイクの前に立った。


路上用の小さなスピーカーから、軽いノイズが鳴る。


shihoのバスクラが、試しに低く一音を置いた。


歩道の空気が、一瞬だけ変わった。


それでも、足を止める人はまだ少ない。


renaは、マイクに近づいた。


「こんばんは。ReShiNaです」


何人かがこちらを見る。


足を止めたのは、三人。


少し離れたところに、女性が一人。


向かい側の柱の近くに、若い男性が二人。


あとは、流れていく。


renaは続けた。


「今日は、短く何曲かやります」


言葉を置いてから、少しだけ間を空けた。


その間に、誰かがスマホを構えかけた。


shihoの視線が一瞬だけそちらへ向く。


相手は、少し気まずそうにスマホを下げた。


撮るなと言ったわけではない。


でも、その視線だけで伝わったらしい。


natsuは、そのやりとりを見ていなかった。


ビルの上の方を見ていた。


「最初にやる曲は」


renaは、ギターの弦に指を置いた。


「美しきものは花びらにあらず」


その曲名を言った瞬間、通りかかった女性が少し足を緩めた。


「花びら?」


誰かが小さく呟いた。


別の誰かが、少し笑った。


「タイトル、綺麗」


綺麗。


その言葉に、renaの胸がほんの少しだけ硬くなる。


でも、今日は止まらない。


綺麗だけで終わらせないための曲だった。


natsuがローホイッスルを構える。


shihoがバスクラの低音を、地面へ置く。


音は、カフェよりも荒れた。


車の音に少し削られる。


人の足音に混ざる。


けれど、消えなかった。


renaの声が入る。


≫ 桜が風に舞い、地に落ちる

≫ 春の息吹が、命を呼び覚ます

≫ けれど人は、ただ花びらを追い

≫ その下の芽吹きを見ようともしない


その最初の四行で、足を止める人が少し増えた。


ただし、派手な反応はない。


誰かが綺麗だと言いかけて、言葉を飲み込む。


曲の中で、その言葉が少しだけ置き場を失ったようだった。


通りの向こうから、三人の男が歩いてきた。


一人は、周囲の景色を見るように歩いていた。


店の看板。


歩道の傷。


街灯の位置。


流れる人の顔。


何かを探しているわけではないのに、通り過ぎるものを見逃さない目をしていた。


一人は、少し軽い足取りだった。


けれど、音が聞こえた瞬間に、歩き方が変わった。


言葉を拾うように、耳が前へ向く。


もう一人は、ほとんど表情を変えなかった。


けれど、三人の中で一番早く足を止めた。


三人は、名乗らなかった。


声もかけなかった。


ただ、歩道の端で足を止めた。


renaは歌いながら、それに気づいた。


初見。


たぶん、常連ではない。


けれど、見る場所が少し違う。


顔ではない。


服でもない。


楽器だけでもない。


音の中を見ている。


そんな気がした。


≫ かつては私も、空を見上げ

≫ 散りゆく桜に、ため息をついた

≫ 美しいものは、短いほど愛おしいと

≫ そう呟いて、立ち去る人々を真似た


景色を見る男が、小さく言った。


「桜を見てるようで、地面の歌やな」


隣の軽い足取りの男が、その声を聞いて少しだけ笑った。


「花びらから入って、下に落とすんや」


三人目の男は黙っていた。


ただ、目線が地面へ向いた。


足元には、桜の花びらなど落ちていない。


季節も、場所も、歌詞とは違う。


それでも、そこに何かがあるように見える。


shihoの低音が、その視線を受け取ったように少し深くなる。


natsuの笛は、花びらを追わない。


風の上を滑るのではなく、地面に落ちたものの上を撫でていく。


景色を見る男が、また小さく呟いた。


「……なんちゅう綺麗な音、出すんや」


言葉を拾う男が、すぐに反応した。


「今の、声だけやないな」


「うん」


「下にある音が、めっちゃ持っていく」


三人目の男が、視線をshihoの方へ向けた。


「これ、バスクラリネットか」


景色を見る男が頷く。


「一音一音に、すごい気持ち持ってかれるな」


言葉を拾う男が、shihoの指の動きを見ながら言った。


「低いのに、重たいだけちゃうな。ちゃんと呼吸してる」


三人目の男が短く返す。


「沈ませてる。でも止めてない」


景色を見る男が、少しだけ息を吐いた。


「地面が動いてる感じする」


shihoの指が、ほんの少しだけ動きそうになった。


聴かれている。


低い音を、聴かれている。


それは嬉しい。


でも、怖い。


自分でもまだ言葉にできていないものを、知らない人が拾っていく。


嬉しいのに、怖い。


その両方が、shihoの胸の奥で同時に鳴った。


≫ 風が唸り、山が静かに歌う

≫ 花びらが地面に、涙のように積もり

≫ 何かが違うと、心がざわめき

≫ 目を閉じて、初めて耳を傾けた


通りかかった若い女性が、少し足を止めた。


「声きれい」


その隣の友人が頷く。


「見た目も雰囲気あるね」


その言葉は、悪意ではない。


むしろ好意だった。


renaにも、それは分かる。


分かるからこそ、痛み方が難しい。


ありがとう、と言えばいいのか。


音を聴いて、と言えばいいのか。


そんなことを思った瞬間、言葉を拾っていた男が少しだけ首を傾けた。


「“目を閉じて、初めて耳を傾けた”か」


その声は大きくない。


けれど、周りの数人にも聞こえた。


男は続ける。


「見た目から耳に戻してるんやな」


景色を見る男が頷いた。


「花を見る話じゃなくて、見方を変える話や」


三人目の男が、低く言った。


「表だけ見るなってことやろ」


その一言で、renaの指が一瞬だけ震えそうになった。


表だけ見るな。


そう。


そう言いたかった。


でも、そこまでまっすぐに言うと、曲が壊れる気がして言えなかった。


それを、初見の男が短く言った。


近くにいた女性が、少し表情を変えた。


さっき「声きれい」と言った人だった。


彼女は、もう一度renaを見た。


今度は、顔ではなく、歌っている口元と、ギターを押さえる指と、音が出ている場所を見ていた。


隣の友人も、少し黙った。


「……そういう曲なんだ」


その小さな声が、歩道に落ちた。


言葉を拾う男が、それを聞いて小さく頷いた。


「そう。たぶん、そこやと思う」


景色を見る男が少し笑う。


「勝手に解説しすぎやろ」


言葉を拾う男は肩をすくめた。


「すまん。でも、言わんと流れるやん」


三人目の男が低く言う。


「流したくないんやろ」


その短いやりとりが、また周りの耳に入る。


周囲の客が、ただ音を浴びるのではなく、聴き方を探し始める。


shihoも気づいた。


バスクラの低音を支えながら、視線だけをそちらへ向ける。


この人たちは、何を聴いているのだろう。


ただ、綺麗だと思っているだけではない。


癒されると言いに来た人たちでもない。


何か、下を見ている。


曲の下。


言葉の下。


花びらの下。


≫ 桜よ、散れど、新しい命が芽吹く

≫ その美しさは、時を超えて響き

≫ けれど人は、華やかさだけを求め

≫ 散った後には、もう振り返らない


足を止めていた女性が、小さく息を吐いた。


「散った後……」


別の男性が、ぽつりと言った。


「それ、ちょっと分かる」


けれど、分かると言った彼も、それ以上の言葉を持っていないようだった。


分かる。


でも、何が分かったのかは言えない。


ReShiNaの曲は、よくそうなる。


聴いた人の中に何かを落とす。


けれど、それがすぐ言葉にならない。


だから、演奏する側には不安になる。


届いたのか。


届かないまま沈んだのか。


renaは歌いながら、また少し怖くなった。


でも、今日の怖さはカフェの時とは違った。


ここには、流れていく人もいる。


雑に褒める人もいる。


立ち止まっても、すぐ去る人もいる。


その中で、たしかに数人だけが深く聴いている。


それが余計に怖かった。


全部には届かない。


けれど、誰かには届く。


それが見える場所だった。


景色を見る男が、今度は客の方を少し見た。


「今、みんなちょっと下見たな」


言葉を拾う男が笑う。


「そら、あんな歌詞来たらな」


三人目の男が言う。


「華やかさだけを求めるな、って今この場に言うてる」


言葉を拾う男が小声で返す。


「この場に刺さりすぎやろ。ストリートでやる意味あるな」


景色を見る男は、通り過ぎる人の流れを見ながら言った。


「流れていく人の足元に、芽の話置いてるんやもんな」


「うわ、言い方ええな」


「お前が拾うな」


三人目の男がぼそっと言う。


「今のは拾っていい」


そのやりとりに、近くの若い男性が少し笑った。


でも、笑ったあとで、また曲へ耳を戻した。


≫ 春の終わり、土が動き出す

≫ 小さな緑が、ひそやかに顔を出す

≫ なんて地味なと、誰もが笑い

≫ 桜の影に隠れた命を忘れる


natsuの笛が、少しだけ前に出た。


小さな緑。


ひそやかな命。


誰も見ないもの。


natsuの音は、そういうものを見つけるのが得意だった。


目立つ花ではなく、葉の裏。


大きな枝ではなく、先端の芽。


誰かの言葉ではなく、言葉になる前の息。


景色を見る男が、思わず笑った。


馬鹿にした笑いではない。


驚きに近かった。


「フルートが会話してるぞ」


言葉を拾う男が目を細める。


「しかも、自由気ままに」


三人目の男が、natsuを見る。


「何なん、この子。妖精なんか」


その声は大きすぎなかった。


けれど、近くにいた何人かが少し笑った。


場が一瞬、ほどけた。


natsuは演奏しながら、少しだけ視線を動かした。


自分のことを言われたのは、たぶん分かった。


でも、気にした様子はない。


むしろ、次の音を少しだけ跳ねさせた。


言葉を拾う男が小さく吹き出す。


「返事した」


景色を見る男も笑う。


「今、完全に返事したな」


三人目の男が低く言う。


「自由やな」


言葉を拾う男が、まだnatsuのフルートを追っている。


「でも、勝手に飛んでるだけちゃうな。ちゃんと戻ってくる」


景色を見る男が頷く。


「風みたいやな。好きに動いてるのに、景色から外れへん」


三人目の男が言う。


「この笛があるから、重くなりすぎへん」


その言葉に、周囲の客がnatsuを見る。


さっきまでは、ただ高く綺麗な笛だと思っていた音に、役割が見え始める。


低音が沈ませる。


声が言葉を置く。


フルートが、そこに風を通す。


そのやりとりを聞いた周囲の客が、少しずつ曲へ寄っていく。


歌詞だけではなく、音へ。


renaの声。


shihoの低音。


natsuのフルート。


それぞれが何をしているのか、三人の男の言葉で少し見えるようになってしまった。


≫ 私は立ち止まり、風に問うた

≫ 美しさとは、何処にあるのだろう

≫ 木々が答え、川が囁く

≫ 目を下に、土の中に見なさい


景色を見る男が、目を細めた。


「下に行った」


言葉を拾う男が頷く。


「タイトルの答え、ここやな」


三人目の男が、短く言った。


「花じゃなくて、根の方か」


その言葉に、shihoの胸の奥が少し揺れた。


根。


それは、shihoの音に近い言葉だった。


ピアノでも、バスクラでも、shihoはいつも下を支えている。


目立つ花ではない。


響きの底。


場の重心。


誰かの声が立つための地面。


その場所を、初見の男が言葉にした。


shihoは、ほんの少しだけ息を深くした。


まだ信じたわけではない。


でも、聴いている人がいる。


それは分かった。


そして、周りの客にも、その言葉が届いていた。


「根の方……」


「低い音、そういうこと?」


「なんか、地面の音みたい」


誰かがそう言った。


shihoの音に、言葉がついた。


今までなら、ただ「落ち着く」「眠くなる」で終わっていた低音に、別の入口ができた。


shihoは、それを演奏しながら感じていた。


怖い。


でも、少しだけ嬉しい。


景色を見る男が、また小さく言った。


「声が上に行きすぎへんの、下が支えてるからか」


言葉を拾う男がすぐ返す。


「それな。renaさんの声、軽いのに浮きっぱなしにならん」


三人目の男が言う。


「下があるから、上が見える」


言葉を拾う男が一瞬止まった。


「……今の、ええこと言ったな」


「うるさい」


「いや、ほんまに」


その会話に、近くの客がまた少し笑う。


笑いながらも、耳は離れない。


ReShiNaの音は、笑いで壊れなかった。


むしろ、その小さな笑いが、聴き手の緊張をほどいていく。


≫ 桜よ、散って、新しい歌を運べ

≫ 命の鼓動が、静かに響き合い


通り過ぎようとしていた数人が、足を止めた。


たぶん、曲の全部は分かっていない。


でも、natsuの笛が上がった瞬間に、何かに引っかかったのだろう。


風が少し強く吹いた。


歩道の端に落ちていた小さな紙片が、くるりと回る。


natsuの音が、それを追うように揺れた。


景色を見る男が、その紙片を見て、ぽつりと言った。


「今の風まで曲に入ったな」


言葉を拾う男が笑った。


「さすがにそれは偶然やろ」


三人目の男が言う。


「偶然でも、拾えば演出や」


その言葉に、近くの若い男性が「なるほど」と呟いた。


さっきまで何となく聴いていた人の目が、natsuのフルートを追い始める。


フルートが、ただ綺麗に鳴っているのではない。


風と遊んでいる。


街の音と会話している。


そう見えてしまう。


言葉を拾う男は、嬉しそうに小さく言った。


「いや、これおもろいな。静かな曲なのに、全然止まってない」


景色を見る男が頷く。


「景色が動いてる」


三人目の男が言う。


「静かに動かすの、むずいやろ」


「むずいと思う」


「でも、伝わりにくいんやろな」


言葉を拾う男が、少しだけ黙った。


「……せやろな。聴き方知らんかったら、ただ綺麗で流れるかもしれん」


景色を見る男が、演奏中の三人を見る。


「でも、今は流れてへん」


三人目の男が短く言った。


「止めたからな」


「誰が?」


「曲と、俺らの声やろ」


言葉を拾う男が、少しだけ困ったように笑った。


「俺ら、邪魔してへんかな」


景色を見る男が首を振った。


「してへん。たぶん、道作ってる」


三人目の男が低く言った。


「声、大きくしすぎるな」


「分かってる」


その自制が、周囲にも伝わっていた。


三人は騒いでいるわけではない。


演奏を奪っているわけでもない。


ただ、聴いたものを小さく言葉にしている。


その言葉が、道になっている。


renaは、喉の奥に少しだけ熱を感じた。


ストリートは、音が削られる。


思ったよりずっと、削られる。


でも、削られた後に残るものもある。


そして、誰かがその残ったものに名前をつけると、他の人にも見えるようになる。


怖い。


でも、今日だけは、それが少し嬉しかった。


≫ 風が髪を揺らし、冷たい息を吐く

≫ 散った花びらが、私の足元に集まり

≫ これが真実かと、心が震え

≫ 初めて大地に、手を伸ばした


言葉を拾う男が、小さく言った。


「“真実”って言葉、強いな」


景色を見る男が返す。


「でも、ちゃんとそこまで降りてきたから言えるんやろ」


三人目の男は、また短く言った。


「見えてないものを見に行く歌やな」


renaは、その言葉を聞いてしまった。


見えてないものを見に行く歌。


そう。


それも、言いたかったことだった。


けれど、自分たちだけでは、そこまで短く言えなかった。


ReShiNaは、景色を作る。


風を鳴らす。


水を流す。


森を沈める。


けれど、目の前で聴いたものを、すぐ相手に渡る言葉にするのは得意ではない。


だから、今のような言葉を聞くと、少し怖くなる。


嬉しいのに、怖い。


受け取られた気がする。


でも、剥がされた気もする。


周りの客の空気が、明らかに変わっていた。


最初は、ただ立ち止まっていた。


次に、綺麗だと思っていた。


それから、三人の男の言葉を聞いて、歌詞の意味を追い始めた。


そして今は、音の役割まで見ようとしている。


renaの声が何を言っているのか。


shihoの低音がどこを支えているのか。


natsuのフルートが何と会話しているのか。


それを、客席が少しずつ探し始めていた。


ストリートなのに。


通りすがりなのに。


今日のこの場所だけ、少し違う。


≫ 桜よ、散れど、新しい命が芽吹く

≫ その美しさは、時を超えて響き

≫ けれど人は、華やかさだけを求め

≫ 散った後には、もう振り返らない


今度のコーラスでは、何人かが完全に足を止めていた。


大きな輪にはならない。


でも、人の流れに小さなよどみができている。


誰かがスマホを出しかける。


隣の人が小さく止める。


「今は、聴こう」


その言葉に、renaは少しだけ救われた。


撮られるより、聴かれている。


その違いが、今日の歩道にはあった。


もちろん、全員ではない。


通り過ぎる人の方がずっと多い。


けれど、それでも、何人かは聴いている。


そして、あの三人は、最初からずっと聴いていた。


景色を見る男が、小さく言った。


「さっきより人、止まってる」


言葉を拾う男が、周りを見ないまま返す。


「聴き方が分かったんやろ」


三人目の男が言う。


「曲が変わったんちゃう。こっちの耳が変わった」


その言葉に、近くの女性が少しだけ目を見開いた。


「こっちの耳が変わった……」


彼女は、その言葉を小さく繰り返した。


そして、また演奏へ向き直った。


その一言が、さらに別の入口になっていく。


ReShiNaの音楽が、歩道の上で少しずつ開いていく。


≫ 静寂の中、川のせせらぎだけが響き

≫ 私は膝をつく


shihoのバスクラが、深く沈む。


街の音の中に、川のせせらぎなんて本当はない。


でも、低音が置かれた瞬間、歩道の硬い地面の下に、水の気配が生まれた。


natsuのフルートが、そこへ細く入る。


renaは、ほとんど囁くように歌った。


≫ ……ああ、私も同じだった

≫ 花が散れば終わりだと


景色を見る男が、少しだけ息を止めた。


言葉を拾う男が、口を閉じた。


三人目の男は、目を伏せた。


通りの音が、一瞬だけ遠くなる。


曲の中で、ReShiNa自身もまた、自分の過去に気づく。


華やかなものだけを見ていたのは、人だけではない。


自分も同じだった。


美しいものは、見える場所にあると思っていた。


散れば終わると思っていた。


でも、違った。


終わりの下にも、命があった。


花びらの下にも、芽吹きがあった。


目立たないものの中にも、美しさがあった。


三人の男は、ここではしばらく何も言わなかった。


その沈黙が、逆に大きかった。


言葉を拾う男ですら、言葉を置かなかった。


景色を見る男は、ただ足元を見ていた。


三人目の男は、目を伏せたまま、わずかに頷いた。


その沈黙を見て、周りの客も黙った。


さっきまで三人の言葉が道を作っていた。


でも、この場所では、言葉を置かないことが道になった。


shihoは、その沈黙に気づいた。


この人たちは、何でも言葉にするわけではない。


言う場所と、言わない場所を分けている。


そのことが、なぜか少しだけ信頼できた。


≫ 桜よ、風よ、真実を教えて

≫ 散った下にこそ、命が宿る

≫ 桜よ、散れど、私には見える

≫ 美しさは、終わりの中にある


風が吹いた。


本当に、少し強く吹いた。


renaの黒髪が頬にかかる。


shihoの譜面バッグの端が揺れる。


natsuのフルートの音が、その風に少しだけ乗った。


最後の音が、歩道の上で薄く伸びる。


車の音に混ざり、人の足音に混ざり、それでも消えきらずに残った。


景色を見る男が、小さく呟いた。


「風が答え持っていく感じ、もう出てるな」


言葉を拾う男が、静かに返す。


「まだアウトロ前やのにな」


三人目の男が言う。


「もう分かる」


「何が?」


「残る音」


言葉を拾う男は、少しだけ黙った。


「……たしかに」


renaは、最後の言葉を置いた。


≫ 桜は散り、山は静かに眠る

≫ 私は一人、芽吹きを見つめる

≫ 人はいつか気づくだろうか

≫ 風が答えを、遠くへ運んだ


音が終わった。


一瞬、静かになった。


カフェの時の静けさとは違う。


外の音はある。


車も走っている。


誰かは歩いている。


それでも、曲の周りだけ、少し空気が止まった。


拍手が起きた。


最初は小さく。


それから、立ち止まっていた人たちが続いた。


思ったよりも強い拍手だった。


通りの中で鳴る拍手は、カフェの拍手とは違って聞こえた。


外の音に負けないように、少しだけ強かった。


「よかった」


「タイトル、いいね」


「声、きれいだった」


「笛すごい」


「低い音、なんか残る」


「花の歌かと思ったら、違った」


「下を見る曲なんだ」


「花びらの下って、そういうことか」


「フルート、ほんとに喋ってるみたいだった」


「バスクラって、あんなに気持ち持っていかれるんだ」


「途中の三人のコメントで、聴き方分かった」


「分かる。なんとなく聴いてたのに、途中から歌詞追っちゃった」


「低音、あれ伴奏じゃなかったんだな」


「見た目じゃなくて耳に戻すって、あれすごかった」


その言葉に、shihoは一瞬だけ目を伏せた。


嬉しかった。


怖かった。


でも、たしかに今日は、いつもより返ってきている。


それは三人の男が、曲の途中で言葉を置いたからだった。


歌詞に反応し、音に反応し、意味に反応した。


その声が、周りの人たちの聴き方を変えてしまった。


ReShiNaの曲に、入口ができてしまった。


renaは、頭を下げたまま、その事実に少し震えていた。


こんなことがあるのか。


自分たちの音が変わったわけではない。


曲も変えていない。


でも、聴き手の中に入口ができるだけで、反応が変わる。


そのことを、まだ言葉にはできなかった。


ただ、感じた。


何かが違った。


今日のストリートは、いつもと違った。


三人は、顔を上げる。


renaはマイクに近づいた。


「ありがとうございました」


少しだけ声が震えそうになった。


でも、震えなかった。


ストリートの風が、まだ少し冷たい。


けれど、さっきより怖くない。


何人かは、すでに去っていた。


何人かは、まだ残っていた。


その中に、あの三人もいた。


三人は、拍手をやめたあとも、まだその場にいた。


景色を見る男は、足元を一度見てから、ReShiNaを見る。


言葉を拾う男は、何か言いたそうにして、でも少し迷っている。


三人目の男は、まっすぐに三人を見ていた。


褒めようとしている顔ではなかった。


言葉を探している顔だった。


renaは、片づけようとして、手を止めた。


もっと聴いてほしい。


そう思ったわけではない。


でも、今この場を終わらせるには、少しだけ惜しい気がした。


その時、言葉を拾う男が、一歩だけ前へ出た。


「あの」


renaが顔を上げる。


「はい」


男は、少しだけ言い方に迷った。


軽く言うには、さっきの曲が軽くなかったからだろう。


「もう一曲、聴けませんか」


renaは目を瞬かせた。


男はすぐに続けた。


「短くてもいいんで」


景色を見る男も、静かに頷いた。


「終わるところなら、無理には言わないです」


三人目の男が言った。


「でも、聴きたい」


その言い方は、まっすぐだった。


飾っていない。


褒めすぎてもいない。


ただ、聴きたいと言った。


renaは、shihoを見る。


shihoは、少しだけ迷っていた。


時間。


場所。


喉。


楽器。


人の流れ。


いろんな現実を、一瞬で確認している顔だった。


natsuは、三人の男を見ていた。


それから、小さく言った。


「聴いてる」


shihoがnatsuを見る。


natsuは続けた。


「この人たち、聴いてる」


それは、演奏者にとって、少し危うい言葉だった。


聴いてくれる人に、応えたくなる。


けれど、応えすぎると、自分たちが削れることもある。


shihoは、それを分かっていた。


それでも、今日は少しだけ違った。


shihoはrenaを見る。


「短い曲なら」


renaは頷いた。


「うん」


natsuは、フルートを持ち直した。


renaは、マイクに向かって言った。


「じゃあ、もう一曲だけ」


残っていた人たちが、少しだけ近づく。


通り過ぎる人の何人かも、また足を止める。


renaは小さく息を吸った。


「次は、少し違う曲です」


shihoが低く笑った。


「少し?」


natsuが言う。


「雨の曲?」


renaは少し困ったように笑った。


「雨、かもしれない」


あの三人が、静かに待っている。


景色の人。


言葉の人。


意味の人。


natsuは、まだ名前を知らない三人を、心の中でそう分けた。


景色の人は、音を場所にする。


言葉の人は、聴いたものに入口を作る。


意味の人は、奥にあるものを短く置く。


三人とも、違う。


でも、三人とも、聴いている。


natsuは、それだけは分かった。


renaはギターに指を置いた。


「タイトルは、INFJ」


その瞬間、三人の男が同時に少し吹き出した。


笑った、というより、刺さった音が漏れたような反応だった。


renaは少し驚く。


shihoも目を上げる。


natsuは首をかしげた。


言葉を拾う男が、片手で口元を押さえた。


「いや……そら刺さるわ」


景色を見る男が、少し困ったように笑った。


「タイトルで答え合わせされた感じあるな」


三人目の男が低く言った。


「俺ら、だいたいそれやろ」


言葉を拾う男がすぐ返す。


「言うな」


景色を見る男が笑いをこらえながら言う。


「まだ曲始まってへんのに、もう痛い」


言葉を拾う男が頷く。


「タイトルで一発目刺してくるの、ずるいやろ」


三人目の男が静かに言う。


「聴け」


「はい」


そのやりとりに、周囲の数人が少し笑った。


ReShiNaの三人も、少しだけ力が抜けた。


けれど、それは茶化された感じではなかった。


むしろ、曲が始まる前から、どこか同じ場所を押されたような反応だった。


renaは、少しだけ目を細めた。


この人たち。


たぶん、ちゃんと聴く。


そう思った。


そして、二曲目の最初の音を鳴らした。

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