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ラップ付き小説 ReversCrown 元気ないやつこっちおいで  作者: egubi
reshina編

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4-1-3 カフェライブ



ReShiNaという名前は、まだ大きな場所には届いていなかった。


配信を見ている常連は知っている。


小さなカフェで音楽を聴く人も、少しだけ知っている。


けれど、街を歩くほとんどの人は知らない。


ReShiNa。


rena、shiho、natsu。


三人の女性演奏家で組まれた、小さな音楽ユニット。


renaは、三人の中で一番年下だった。


黒髪のロング。


細い輪郭と、澄んだ高い声。


手にはアコースティックギター。


彼女の声は、強く前に出るというより、濁った水をそっと洗うように響く。


shihoは、三人の中で一番年上だった。


同じく黒髪のロング。


静かで、落ち着いていて、少し近寄りがたい空気がある。


担当は、バスクラリネットとピアノ。


低音で場に重心を作り、音楽の底に森のような深さを置く。


natsuは、三人の中で真ん中だった。


黒髪のロング。


けれど、彼女だけは、どこか人間の会話から半歩ずれたところに立っているような雰囲気があった。


担当はフルート、ローホイッスル、アイリッシュフルート。


彼女の音は、言葉より先に風景を運ぶ。


水のrena。


森のshiho。


風のnatsu。


ReShiNaの音楽は、派手ではない。


大きな声で客を煽るわけでもない。


手を上げろとも言わない。


叫べとも言わない。


ただ、音が鳴ると、空気が少しずつ変わる。


人の呼吸が深くなる。


目を閉じたくなる。


肩の力が抜ける。


時には、眠くなる。


それは退屈だからではない。


心と身体が、ようやく警戒を解いたからだった。


けれど、そのことをReShiNa本人たちは、まだよく分かっていなかった。


自分たちの音は、本当に届いているのか。


綺麗だと言われる。


癒されると言われる。


かわいいと言われる。


でも、それは音楽を聴いてくれているということなのか。


それとも、ただ女の子として見られているだけなのか。


彼女たちは、その境目でいつも少し傷ついていた。


カフェは、駅前の通りから少しだけ外れた場所にあった。


大きな看板はない。


入口の横に、小さな黒板が立てかけられている。


白いチョークで、今日のメニューと、夜の演奏予定が書かれていた。


本日 19:30〜


ReShiNa


acoustic live


その下に、小さく添えられている。


音を聴く時間です。


会話は小さめにお願いします。


renaは、その文字を見て、少しだけ息を吐いた。


「……やさしい」


アコースティックギターのケースを両手で抱えるように持っている。


細い指先が、ケースの取っ手を少し強く握っていた。


shihoが隣で黒板を見る。


「音を聴く時間、か」


低く落ち着いた声だった。


その声だけで、少し周囲の空気が沈む。


natsuは、フルートケースを肩にかけたまま、黒板の下に置かれた鉢植えを見ていた。


「この葉っぱ、光足りてない」


renaが振り返る。


「今そこ?」


natsuは鉢植えの葉を、触れずにじっと見ていた。


「うん。右側だけ、伸び方が違う」


shihoが少しだけ笑った。


「今日もnatsuはnatsuだね」


「うん」


natsuは普通に頷いた。


悪気は一切なかった。


店のドアが開いた。


中から、コーヒーと焼き菓子の匂いが流れてくる。


「いらっしゃい。ReShiNaさんですね」


店主は、五十代くらいの男性だった。


白髪混じりの髪を後ろで軽くまとめている。


シャツの袖を肘までまくり、手には布巾を持っていた。


声が大きすぎない。


けれど、ちゃんと届く声だった。


renaが少し頭を下げる。


「今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。音出しは奥のスペースで。ピアノは調律済みです。バスクラも、響きすぎないように椅子の配置を少し変えています」


shihoが目を上げた。


「バスクラの響きまで、見てくださったんですか」


店主は軽く頷いた。


「この店、木が多いからね。低音が少し丸くなるんです。悪くないけど、壁際だと沈みすぎる」


shihoの表情が、ほんの少し変わった。


驚きと、警戒がほどける手前の顔。


「ありがとうございます」


「こちらこそ。低い音がちゃんと届くと、店の空気が変わるから」


その言葉に、shihoは少しだけ目を伏せた。


低い音を、ちゃんと見てくれる人。


それは嬉しい。


けれど、嬉しいだけではなかった。


ちゃんと見られてしまう怖さも、同じ場所にあった。


届くのか。


届かないのか。


それはrenaだけの不安ではない。


shihoも、いつも分かっている顔をしているだけだった。


三人の中で一番年上だから、揺れていないように見せるのが、少し上手いだけだった。


店内は広くはなかった。


カウンター席が六つ。


二人掛けのテーブルが四つ。


壁際に小さなソファ席。


奥に、演奏用のスペース。


ピアノはアップライトだった。


使い込まれているが、手入れされている。


木目の表面に、店の灯りが柔らかく映っていた。


その横に、椅子が三つ。


renaのアコギ用のマイク。


shihoのバスクラ用のマイク。


natsuのフルート用のマイク。


派手な照明はない。


ただ、小さなライトが三人の足元を照らしていた。


演奏時間が近づくにつれて、客が少しずつ入ってきた。


常連らしい年配の女性。


仕事帰りの会社員。


本を持った学生。


二人組の女性。


一人で来た男性。


誰も騒がない。


それはありがたかった。


けれどrenaには、その静けさが少し怖くもあった。


反応が見えない場所。


配信ならコメントが流れる。


良くも悪くも、言葉が来る。


かわいい。


癒される。


守ってあげたい。


その言葉で傷つくこともある。


けれど、何も来ないのも怖い。


届いているのか。


届いていないのか。


分からない。


renaはギターを膝に乗せ、チューニングを確認した。


弦を一本鳴らす。


細い音が、カフェの空気に触れて、少し丸くなる。


natsuがフルートを組み立てながら、小さく言った。


「今日、空気あったかい」


renaが聞き返す。


「お店の?」


「うん。でも、少し眠い」


shihoがピアノの前で苦笑した。


「演奏前に眠いって言わないで」


「でも、眠い音が出そう」


renaは一瞬、不安そうな顔をした。


shihoはそれを見て、すぐに言葉を足そうとした。


けれど、言葉が出るまでに少し間が空いた。


「……悪い意味じゃないと、いいけど」


その言い方は、いつものshihoにしては少し曖昧だった。


renaが不安なのと同じように、shihoも分かっているわけではなかった。


ただ、三人の中で一番年上だから、不安を声に出す順番が少し遅いだけだった。


natsuは、二人の間に流れた小さな揺れを見ているのか、見ていないのか、よく分からない顔でフルートを組み立てていた。


「眠い音、嫌いじゃない」


renaが少しだけ笑った。


「natsuはそう言うよね」


「うん」


natsuはまた普通に頷いた。


店主がカウンターの奥から声をかけた。


「そろそろお願いします」


renaが小さく頷く。


三人は、奥のスペースへ向かった。


客席の視線が集まる。


renaはギターを構えた。


shihoはピアノの前に座り、足元に置いたバスクラリネットのケースを一度だけ見た。


natsuはフルートを持ったまま、客席ではなく、店の奥の壁を見ていた。


そこに何かが見えているようだった。


renaがマイクの前に座る。


「こんばんは。ReShiNaです」


小さな拍手が起きた。


強くはない。


でも、丁寧な拍手だった。


「今日は、何曲かやります」


renaはそう言って、ギターに指を置いた。


「最初は、綿毛という曲です」


その言葉に、客席の空気が少しだけ変わった。


曲名のやわらかさに、誰かが小さく息を緩める。


けれど、renaの指先は少し硬かった。


綿毛は、かわいいだけの歌ではない。


近づきたいのに、近づかれると怖い。


求められるほど、逃げたくなる。


愛されたい気持ちと、触れられたくない気持ちが、同じ胸の中でほどけずに絡まっている歌だった。


renaの声が、カフェの木の床にそっと落ちた。


shihoの低い響きが、その下に影を作る。


natsuのフルートは、暗い部屋の中を漂う綿毛のように、細く、軽く、けれど消えなかった。


客席は静かだった。


誰かがカップを置く音さえ、小さく聞こえる。


renaは歌いながら、胸の奥で少しだけ思った。


静かだ。


静かすぎる。


この静けさは、聴いてくれている静けさなのか。


それとも、ただ反応に困っている静けさなのか。


shihoも同じことを思っていた。


低音を置きながら、客席の顔を見ている。


目を閉じている人がいる。


少し俯いている人がいる。


息を吐いている人がいる。


けれど、それが届いている証拠なのか、遠ざかっている証拠なのか、shihoにも分からなかった。


いつもなら、shihoは三人の中で一番落ち着いて見える。


でも、本当は分かっているわけではない。


ただ、不安を声に出す順番が、renaより少し遅いだけだった。


曲が終わる。


拍手はあった。


丁寧で、やわらかい拍手だった。


けれど、熱が跳ね返ってくるような拍手ではなかった。


renaは笑顔で頭を下げた。


shihoも静かに礼をする。


natsuは少し遅れて、ぺこりと頭を下げた。


「……ありがとうございました」


renaはマイクに向かって言った。


その声は穏やかだった。


けれど、胸の奥には小さな問いが残っていた。


届いたのかな。


届いていないのかな。


その答えが出ないまま、次の曲へ進む。


renaはギターを少し持ち直した。


「次は、丘と菜の花、という曲です」


natsuがローホイッスルを構える。


shihoが低く、ピアノの一音を置く。


店の空気が、少し下がった。


静かになったのではない。


深くなった。


renaの声が入る。


「丘の上で、乙女は風を見ていた」


日本語の後に、アイルランド語の響きが混ざる。


意味が分からない客もいた。


けれど、その響きだけで、風景が少し遠くへ広がった。


菜の花。


丘。


海の端。


春の匂い。


カフェの木の床の上に座っているはずなのに、客席の何人かは、目の前に黄色い花の揺れを見るような顔をした。


natsuの低い笛が、遠くの鳥のように入る。


renaのアコギが、その風景に小さな足音を置く。


shihoのピアノは、明るくは弾かない。


春の曲なのに、少し影がある。


花は咲いている。


でも、心は街の方を見ている。


名か実か。


夢か現実か。


乙女の心は、丘と街のあいだで揺れていた。


二人掛けの席に座っていた女性が、カップを持つ手を止めた。


会社員の男性が、スマホを伏せた。


本を持っていた学生は、ページを開いたまま、もう読んでいなかった。


反応はある。


確かにある。


でも、それは声にならない。


歓声にもならない。


誰も手を上げない。


誰も「いいぞ」と言わない。


ただ、静かになる。


その静けさが、renaには少し怖かった。


届いているのか。


それとも、ただ静かなBGMになっているのか。


shihoもまた、同じように客席を見ていた。


目を閉じている人がいる。


それは集中しているようにも見える。


でも、眠そうにも見える。


shihoの左手が、わずかに重くなった。


バスクラリネットなら、もっと深く沈ませられる。


ピアノなら、もっと場を整えられる。


けれど、それが正しいのかどうかは、shihoにも分からなかった。


自分たちの音は、沈ませているのか。


それとも、沈んでしまっているのか。


natsuの笛が、その沈みを拾って、少しだけ風を強くする。


しかし、その風すらも優しかった。


優しすぎた。


曲が進むほど、客席の呼吸は深くなる。


誰かが小さく息を吐く。


誰かが背もたれに体を預ける。


誰かが目を閉じる。


誰かの肩が下がる。


それは、届いている反応だった。


けれどReShiNaには、その反応がまだ読めなかった。


曲が終わった。


一瞬、拍手が遅れた。


本当に、一瞬だった。


けれどrenaには、その一瞬が長く感じた。


遅れた。


今、拍手が遅れた。


そう思った。


shihoも、その一拍を聞いていた。


拍手が遅れた。


でも、誰も冷めてはいない。


それは分かる。


分かるのに、不安は消えなかった。


その後、拍手が起きた。


大きくはない。


でも、深い拍手だった。


手を強く叩くというより、目が覚めた人が、ゆっくり現実に戻ってくるような拍手だった。


「よかった……」


どこかの席から、小さな声が漏れた。


「風景、見えた」


「なんか、眠くなった」


その言葉に、renaの胸が少しだけ沈んだ。


眠くなった。


その言葉が、褒め言葉なのかどうか分からなかった。


shihoの指も、鍵盤の上で一瞬だけ止まった。


眠くなった。


それは、低音が届いたということなのか。


それとも、ただ退屈だったということなのか。


natsuはマイクから離れたところで、小さく言った。


「眠い音だった」


shihoが低く返す。


「今は言わないで」


「でも、眠い音だった」


renaはギターを握ったまま、微笑んだ。


次の曲のための微笑み。


いつもの、少しだけ整えた顔。


「ありがとうございます」


声は震えなかった。


でも、胸の奥に小さな痛みが残った。


その後も、演奏は続いた。


renaの声を前に出した短い曲。


shihoのバスクラリネットが低く店の床を震わせる曲。


natsuのフルートが、言葉より先に風景だけを遠くへ運ぶ曲。


どの曲でも、客席は静かだった。


雑談はない。


スマホを見る人も少ない。


それは、演奏者にとって喜ぶべきことなのかもしれない。


けれどReShiNaには、その静けさがまだ怖かった。


盛り上がっていないのか。


それとも、深く聴いているのか。


その違いが、まだ分からなかった。


最後の曲が終わった時、客席の一人が目元を押さえていた。


泣いているのではない。


ただ、何かをほどかれてしまったような顔だった。


別の席では、年配の女性が目を閉じたまま、しばらく動かなかった。


会社員の男性は、拍手をしようとして、一拍遅れた。


その遅れも、renaの胸には刺さった。


やっぱり。


遅れる。


届くのが、遅いのか。


それとも、届いていないのか。


拍手が来た。


丁寧で、あたたかい拍手。


でも爆発はしない。


大きな歓声もない。


誰かが立ち上がることもない。


renaは、笑顔で頭を下げた。


shihoも静かに礼をする。


natsuは一歩遅れて、ぺこりと頭を下げた。


拍手は続いていた。


優しい拍手だった。


けれど、renaの中にある不安は消えなかった。


shihoの中にある不安も、消えなかった。


年上だから、顔に出すのを少しだけ我慢できる。


それだけだった。


演奏が終わった後、三人は奥の控えスペースで楽器を片づけた。


店の空気は、まだ少し夢の中にいるようだった。


客たちは小さな声で感想を話している。


「すごく落ち着いた」


「途中、目閉じちゃった」


「寝そうになった」


「でも、嫌な眠さじゃないんだよね」


「なんか、森の中で休んでるみたいだった」


「明日も仕事なのに、少し楽になった」


その言葉は、ちゃんと届いていた証拠だった。


でも、renaは最後の一つだけを拾ってしまう。


寝そうになった。


そこだけが胸に残る。


shihoも、別の言葉を拾っていた。


落ち着いた。


森の中で休んでいるみたいだった。


嬉しいはずだった。


でも、音楽として前に届いたのかどうかは、まだ分からなかった。


「……眠かったのかな」


renaが小さく言った。


shihoがケースの金具を閉じながら、顔を上げる。


「そう見えた?」


「何人か、目を閉じてたから」


natsuがフルートを布で拭きながら言う。


「寝てた?」


renaは少し苦笑した。


「分からない」


shihoは、少し考えてから言った。


「退屈だったら、途中でスマホを見ると思う」


renaは答えなかった。


分かっている。


今日の客は、誰も雑に聴いていなかった。


それは分かっている。


でも、自分たちの音楽が、ちゃんと前に届いているのかは分からない。


shihoも、自分で言った言葉を信じきれてはいなかった。


退屈だったらスマホを見る。


確かにそうかもしれない。


でも、スマホを見なかったから届いたと言い切れるほど、shihoも強くはなかった。


「……でも」


shihoは、ケースの上に手を置いたまま言った。


「届いているなら、もう少し何か返ってくる気もする」


renaが顔を上げた。


shihoは視線を落とした。


「拍手はあった。ちゃんと聴いてくれていたと思う。でも、それが音楽として届いたのか、空気として気持ちよかったのか、私にも分からない」


renaは、少しだけ安心した。


安心してはいけないのかもしれない。


でも、shihoも同じように分からないのだと知って、ひとりだけ置いていかれている感じが少し薄れた。


natsuは、フルートを布で拭き終えて、ケースにしまった。


「空気として気持ちいいのも、音楽じゃないの?」


shihoがnatsuを見る。


「そうかもしれない」


「じゃあ、悪くない」


renaが小さく笑った。


「natsuは強いね」


natsuは首をかしげた。


「強い?」


「うん」


「たぶん、違う」


「違う?」


natsuは少し考えた。


「私は、分からないまま言ってるだけ」


shihoが、ほんの少し笑った。


「それはそれで強いよ」


その時、控えスペースの入口に店主が立った。


「お疲れさまでした」


三人が振り返る。


renaがすぐに頭を下げた。


「ありがとうございました」


「こちらこそ。いい時間でした」


いい時間。


その言葉はありがたい。


でもrenaは、どうしても聞いてしまった。


「あの……」


店主は、急かさず待った。


renaはギターケースの取っ手を握った。


「眠く、なりましたか」


shihoが少しだけ目を伏せた。


natsuは手を止めた。


店主は、少しも笑わなかった。


馬鹿にもしなかった。


ただ、ゆっくり頷いた。


「なりましたね」


renaの胸が、少し沈む。


「……そうですか」


shihoの表情も、静かに曇った。


店主はすぐに続けた。


「でも、退屈だったからじゃない」


renaが顔を上げる。


「え?」


「眠ったんじゃないよ。ほどけたんだよ」


shihoが小さく繰り返す。


「ほどけた?」


店主は、店内の方を見た。


「君たちの音は、押してこない。急かさない。盛り上げようともしていない。だから、聴く側の力が抜ける」


renaは黙って聞いていた。


「人は普段、いろんなものに力を入れている。肩にも、目にも、呼吸にも。仕事帰りの人なんて、特にそうです」


店主は、カウンターの方を指した。


さっきまで会社員の男性が座っていた席。


「彼、いつも来るんです。来た時は、だいたいスマホを見ている。今日は、一曲目の途中から伏せました」


renaは目を伏せた。


「それは……」


「聴いていたんです」


店主は言った。


「君たちの音を」


shihoが静かに息を吸った。


店主は続ける。


「ただ、届き方が派手じゃない。拍手が遅れる。声も出ない。目を閉じる。眠そうになる。だから、演奏する側には不安に見える」


natsuがぽつりと言った。


「眠いの、悪くない?」


店主は少し笑った。


「悪くない。少なくとも、今日の眠さは悪くない」


natsuは頷いた。


「やっぱり」


shihoが小さく息を吐く。


「あなたは、分かってたみたいに言うね」


natsuは首をかしげた。


「空気がそうだった」


「それを言葉にして」


「むずかしい」


renaは、少しだけ笑った。


その笑いは、さっきより自然だった。


けれど不安はまだ消えない。


「でも……ライブとしては、どうなんでしょう」


店主はrenaを見た。


「ライブとして?」


「はい。私たちの音は、届いているのかもしれません。でも、見えないんです。届いたって、分からない。拍手も、歓声も、強くない。コメントでも、癒されるとか、眠くなるとか、そういう言葉が多くて」


renaは言葉を探した。


「それが悪いわけじゃないんです。でも、音楽として必要とされているのか分からなくなる時があります」


shihoが、静かに言葉を足した。


「私も、分からないです」


renaが少し驚いたようにshihoを見た。


shihoは、客席の方を見ないまま続けた。


「今日、聴いてくださっていたのは分かります。雑に扱われたとは思っていません。でも、それが音楽として届いたのか、空間として心地よかっただけなのか、私には分かりません」


natsuが小さく言った。


「どっちも音楽かもしれない」


shihoは苦笑した。


「そうかもしれない。でも、それを信じきれるほど、私はまだ強くない」


店主は、少しだけ黙った。


そして、静かに言った。


「君たちの音は、静かな場所では届く」


renaが顔を上げる。


「でも、静かな場所の外では、まだ分からない」


shihoの目が少し動いた。


「外?」


店主は、カウンターの下から一枚のフライヤーを取り出した。


黒と白を基調にした、音楽イベントの案内だった。


SOUND SESSION。


ジャンル混合ライブ審査イベント。


そこには、そんな文字が並んでいた。


「これは?」


shihoが受け取る。


店主は言った。


「今度、近くのホールで予選があります。ジャンルを問わず、ライブとしてどれだけ場を作れるかを見るイベントです」


renaはフライヤーを覗き込んだ。


「ライブとして……」


店主は頷いた。


「ただし、正直に言うと、君たちに有利な場ではないと思います」


renaの指が、少し止まる。


「向いてないんですか」


「向いていない部分はある」


店主ははっきり言った。


その言い方に、shihoは少しだけ目を細めた。


店主は続ける。


「SOUND SESSIONは、音楽鑑賞会ではない。ライブの場です。聴き手の内側をほどくだけじゃなく、その空気を会場全体で共有できる反応へ変える力も見られる」


natsuがフライヤーを見ながら言った。


「反応」


「拍手、声、身体の揺れ、もう一度聴きたいという熱。そういうものです」


renaは小さく言った。


「私たち、苦手です」


「でしょうね」


店主は、あっさり言った。


renaは少しだけ傷ついた顔をした。


shihoも、顔には出さなかったが、胸の奥が少し沈んだ。


けれど、店主の声に否定はなかった。


「でも、だから出る意味がある」


shihoが顔を上げた。


「不利なのに?」


「不利だからです」


店主はフライヤーを指で軽く叩いた。


「この店では届く。ここに来る人は、音を待てる。でも、外の客席は違う。待ってくれない人もいる。分かりやすい熱を求める人もいる。派手な反応を返す人も、返さない人もいる」


renaは黙っていた。


「そこに君たちの音を置いた時、何が起きるか」


店主は言った。


「それを見る場所は、そう多くない」


natsuが、静かにフライヤーを見つめていた。


「流されるかもしれない」


店主は頷いた。


「そうかもしれない」


renaの胸が少し痛んだ。


でも、店主はそこで終わらせなかった。


「でも、もし一人でも立ち止まったなら、それは君たちの音が店の外へ出た証拠になる」


shihoはフライヤーを持つ手に、少し力を込めた。


「勝てると思いますか」


店主は少し笑った。


「勝つ話をしたいなら、僕は別の助言をします」


shihoは黙る。


「でも、君たちは今、勝ちたいというより、確かめたいんじゃないですか」


renaの目が少し揺れた。


natsuが小さく言った。


「届くか」


店主は頷いた。


「そう。君たちの音が、静かな場所の外でも意味を持てるのか」


店の奥で、カップが小さく鳴った。


客席の話し声は、まだ小さい。


カフェの空気は、演奏後の余韻を残していた。


renaはフライヤーを見つめた。


SOUND SESSION。


音が、静かな場所の外へ出る場所。


怖い。


そう思った。


でも、それと同じくらい、少しだけ思ってしまった。


ここなら、分かるのかもしれない。


私たちの音が、本当に届いているのか。


それとも、ただ綺麗なまま、流れていくだけなのか。


shihoが静かに言った。


「簡単ではなさそうですね」


店主は頷いた。


「簡単ではないです」


natsuはフライヤーの端を見ながら言った。


「風、強そう」


renaが思わず笑った。


「それ、どういう意味?」


natsuは少し考えた。


「飛ばされるかもしれない。でも、遠くまで行くかもしれない」


shihoは、その言葉を聞いて、少しだけ目を伏せた。


「……なるほど」


renaはフライヤーをもう一度見た。


胸の奥に、怖さと、ほんの小さな熱が同時に生まれていた。


店主が言った。


「今日の演奏は、届いていましたよ」


renaは顔を上げる。


「ただ、届き方が静かだった」


静かだった。


その言葉は、今のrenaにはまだ、すぐには救いにならなかった。


shihoにも、すぐに救いにはならなかった。


けれど、否定でもなかった。


届いていた。


ただ、静かだった。


その二つを、renaは胸の中で何度も繰り返した。


shihoがフライヤーを丁寧に折らず、そのまま譜面バッグに入れた。


natsuは、店の入口の鉢植えをもう一度見た。


「光、少し足した方がいい」


店主が笑った。


「やっぱり?」


natsuは頷く。


「右側、さみしい」


店主は鉢植えを見て、それからnatsuを見た。


「明日、位置を変えてみます」


natsuは少しだけ満足そうに頷いた。


「うん」


renaは、そのやりとりを見ていた。


さみしい葉っぱに気づくnatsu。


低音の響きを見てくれる店主。


眠くなる音を、ほどけた音だと言ってくれる人。


世界には、自分たちが思っているより、ちゃんと見ている人がいるのかもしれない。


でも、それでもまだ怖い。


だから確かめに行く。


ReShiNaは、その夜、小さなカフェで初めて、静かな場所の外を見た。


SOUND SESSION。


その名前は、三人の胸に、まだ知らない風のように残った。

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