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ラップ付き小説 ReversCrown 元気ないやつこっちおいで  作者: egubi
reshina編

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106/186

4-1-1 綿毛

配信開始の十分前、部屋の中には、すでに音の前の静けさがあった。


白い壁。

木目の床。

足元の小さなラグ。

配信用のカメラ。

強すぎない照明。

譜面台。

マイク。

小さなミキサー。

電子ピアノ。

アコースティックギター。

フルート。

バスクラリネット。


楽器は、もう決まっている。


曲も、もうできている。


今から何を使うか相談する時間ではなかった。


あとは、それぞれが自分の場所に座って、音を出すだけだった。


renaは、アコースティックギターを抱えたまま、弦の上に左手の指を置いていた。


黒髪の長い髪が肩から落ち、ギターの木目に細い影を作っている。

ReShiNaの中では一番年下だ。

けれど、声だけはいつも、誰より先に部屋の空気を澄ませてしまう。


本人はそれを、特別なことだとは思っていない。


ただ、声を出す前に、音の濁りを少し気にする。

弦が鳴ったあと、部屋の隅に残る響きを聴く。

言葉を歌う前に、その言葉がどこまで軽くなれば壊れずに届くのかを考える。


黒髪の下から見える横顔は、配信者というより、まだ水の底を覗き込んでいる人のようだった。


「音量、大丈夫?」


renaが小さく聞いた。


その声に答えたのは、shihoだった。


「ギター、少しだけ上げた。声はそのままでいいと思う」


shihoは、ミキサーの前でつまみを確認していた。


彼女も黒髪のロングだった。

三人とも黒髪が長いせいで、初めて見た人には一瞬、似た印象を与えるかもしれない。


でも、よく見ると違う。


renaの黒髪は、声と同じで、光を細く含む。

shihoの黒髪は、暗い森の影のように落ち着いて見える。

natsuの黒髪は、風で少し動くたび、視線の向きごと遠くへ流れる。


shihoは三人の中で一番年上だった。


落ち着いている。

感情がないわけではない。

むしろ、感情の沈む場所をよく知っている。


電子ピアノの横には、バスクラリネットが置かれている。

黒い管体。

銀のキー。

曲の中でずっと前に出るわけではない。

今日の『綿毛』では、彼女は低いハーモニーでrenaの声を支え、最後のアウトロでバスクラリネットを持ち上げる。


音の床を作る人。


shihoは、いつもその役割を自然に引き受けていた。


「natsu、フルートの位置、画面に少し入ってる」


shihoが言う。


「入ってたらだめ?」


natsuが、譜面台の横から顔を上げた。


彼女も、黒髪のロングだった。

年齢は三人の真ん中。


renaより少し大人びている。

shihoより少し遠くを見ている。


それが、natsuだった。


膝の上にはフルート。

銀色の管が、照明を細く返している。


natsuは、カメラよりも、画面よりも、コメント欄よりも、部屋の空気の流れを見ているような顔をしていた。


「だめじゃない」


shihoは言った。


「ただ、初見の人が何を吹いてるか分かりやすいかなって」


natsuは、フルートを少しだけ持ち上げて、画面に入りやすい位置に置いた。


「これでいい?」


「うん」


renaが小さく笑う。


「natsu、今日ちゃんとカメラ見てる」


「見てない」


即答だった。


「見てないんだ」


「フルートが映る位置を見ただけ」


shihoが少しだけ笑った。


「それでいい」


natsuは頷いて、また譜面台の方を見た。


彼女は、配信の空気を作るのが得意ではない。


愛想が悪いわけではない。

ただ、音が鳴る前から、もう音の行き先を見ている。


コメントが流れても、気づくのが遅い。

誰かが笑っていても、なぜ笑ったのか少し遅れて知る。

それなのに、フレーズの終わりにどれだけ息が残っているかだけは、誰よりも早く分かる。


そういう人だった。


待機画面のコメント欄には、もう常連の名前が並んでいた。


待機

綿毛待ってた

今日この曲か

画面暗めでいい

ギターの位置、今日近いね

shihoさんの低音、今日はかなり沈みそう

natsuさんのフルート見えてる

今日はコメント少なめで聴く

綿毛は追わないで聴く曲

触れたら飛ぶ曲じゃなくて、触れられないように軽くなる曲だと思ってる


renaは、そのコメントを見て、少しだけ安心した。


「追わないで聴く曲、だって」


shihoが画面を見た。


「分かってくれてるね」


「うん」


renaは、ギターの縁を指先で撫でた。


「常連さんは、いつも曲をちゃんと聴いてくれる」


その言葉は、感謝だった。


でも、少しだけ頼りなさも含んでいた。


常連は分かってくれている。


ReShiNaが、外見の話をされすぎることを苦手としていること。

「可愛い」「守りたい」「彼女にしたい」という言葉が、褒め言葉として素直に届かないこと。

彼女たちが、女の子として好かれるより、自分たちの音がどう届いたかを知りたがっていること。


常連は分かっている。


だから、部屋は守られている。


けれど、守られた部屋の外に、音が届いているのか。


それは、まだ分からない。


配信開始の時刻になった。


shihoが静かにカメラ横のボタンを押す。


待機画面が消え、三人の姿が映る。


renaはアコギを抱えている。

shihoは電子ピアノのそば、少し奥にバスクラリネットを置いている。

natsuはフルートを膝の上に置き、少し横を向いている。


黒髪の長い三人。


画面だけ見れば、綺麗な女性演奏家たちに見える。


それは間違っていない。


でも、それだけではない。


それだけで見られることを、彼女たちはひどく嫌っていた。


「こんばんは。ReShiNaです」


renaが言った。


コメントが流れる。


こんばんは

こんばんは

待ってました

今日も聴きに来ました

音量大丈夫です

ギター聞こえてます

フルートも見えてる

shihoさん今日バスクラあり?

綿毛、アウトロで来るやつだ

今日は静かに聴く


shihoが軽く頷いた。


「今日は『綿毛』を演奏します。コメントは曲のあとに少し拾います」


natsuがフルートを持ち直した。


renaは、画面を見てから、少しだけ目を伏せた。


「この曲は、恋愛の曲ではあるんだけど……恋愛したい、というより、近づかれることが怖い曲です」


コメント欄が少し静かになる。


「好きじゃないわけじゃない。嫌いなわけでもない。でも、近づかれると、自分の輪郭がほどけてしまうような夜の曲です」


shihoが続けた。


「できれば、言葉だけじゃなくて、距離を聴いてもらえたら嬉しいです」


natsuは、少し遅れて言った。


「飛んでいく音、あります」


shihoが横を見る。


「説明が短い」


natsuは真面目な顔で答えた。


「あるから」


renaが少し笑った。


コメント欄も、少しだけ柔らかくなる。


飛んでいく音、了解

距離を聴く

綿毛は距離の曲

今日は追わない

そっと聴く

コメント控えめにする

でも終わったら感想言う


renaは深く息を吸った。


shihoが低いコードを置く。


電子ピアノの音が、部屋の床に静かに広がった。


その上に、renaのアコースティックギターが入る。


強く鳴らさない。

かといって、弱すぎもしない。


指先が弦に触れ、木の響きがほんの少しだけ遅れて部屋に広がる。


natsuのフルートが、まだ声になっていない息のように入った。


細い。


でも、消えない。


renaが歌い始める。


≫ 部屋に入って、靴も脱がずに

≫ その場にしゃがみ込んだ

≫ 外で固めていた声がほどけて

≫ 胸の奥に小さな痛みだけ残る


コメント欄は、流れが遅くなった。


常連たちは、本当に静かに聴いていた。


たまに流れるコメントも、音に対するものだった。


声が近いのに遠い

ギター、部屋の床みたい

natsuのフルート、息がほどける感じ

今日はrenaの声が薄い紙みたい

shihoの低音待ってる

まだ泣くほどじゃない、の距離感がきつい


shihoが低く入る。


≫ 息をひとつ、ゆっくり吐いた

≫ まだ泣くほどじゃない

≫ でも笑えるほどでもない


その声は、renaの声を抱きしめなかった。


支えた。


寄りかからせるのではなく、床を置くように。


renaの声が少し震えても、shihoの低いハーモニーがその下に残る。


常連がコメントする。


shihoさん、抱きしめないのがいい

支えてるけど閉じ込めてない

低音が床

これ、優しさじゃなくて距離の管理だ

今日の綿毛、かなり痛い


natsuのフルートが細く上がる。


明るくはない。


でも、暗いだけでもない。


空気の中に、逃げ道を一本だけ引くような音だった。


≫ 近づくほどに、逃げる綿毛

≫ 求められるほどに、崩れる心

≫ Stay…

≫ そっと、でいい

≫ Stay…

≫ 今は、そっとでいい


画面の向こうで、誰かが息を止めている気がした。


コメント欄は、ほとんど止まっている。


それは、過疎ではない。


聴いている沈黙だった。


renaは、二番に入る前に一度だけ目を閉じた。


彼女にとって、この曲は歌いやすい曲ではない。


声は出る。

音程も取れる。

ギターも手に馴染んでいる。


でも、言葉が近すぎる。


歌うたびに、自分の中のまだ名前がついていない不安に触れてしまう。


≫ 捕まえてほしい夜もあるのに

≫ 捕まればすぐに壊れる自信しかなくて

≫ あなたの手が伸びるたび

≫ 胸の奥で“逃げたい”と“残りたい”が

≫ 引き合って軋んでいた


常連のコメントが、ゆっくり流れる。


この歌詞ほんとに苦しい

逃げたいと残りたい、両方あるんだよな

恋愛曲だけど、恋愛したい曲じゃない

近づく人が悪いだけじゃないのが痛い

距離を間違えられる怖さの曲

natsuのフルートが、逃げる線を描いてる

renaさんの声、消えそうなのに消えない

shihoさんの下があるから崩れない


ReShiNaの常連は、よく聴いていた。


とてもよく。


だから、彼女たちは配信を続けられていた。


この人たちがいるから、音を鳴らせる。


そう思える瞬間がある。


でも、その安心は、時々、部屋の壁にもなる。


常連が分かってくれるほど、初めて来た人との距離が分からなくなる。


綿毛の最後、natsuのフルートが高く抜けた。


触れられた瞬間に飛び立つような音。


でも、消えたわけではない。


空気の中に、白い種のような余韻を残していく。


renaとshihoの声が重なる。


≫ 誰も触れられないまま

≫ まだ、ここにいる


最後に、shihoがバスクラリネットを持ち上げた。


黒い管体が、画面の端に入る。


それまで歌で支えていた彼女が、今度は息で低音を置いた。


バスクラリネットの音は、部屋の奥に深く沈んだ。


natsuのフルートが、その上を細く流れる。


renaのアコギが、最後の和音を小さく鳴らす。


水。

森。

風。


三つの音が、短い間だけ重なって、消えた。


配信画面の中に、沈黙が残った。


すぐには誰も喋らなかった。


コメント欄だけが、ゆっくり動き始める。


ありがとうございました

すごかった

今日のアウトロ、バスクラやばい

shihoさんのバスクラ、夜の床だった

natsuさんのフルート、飛ぶってこういうことか

renaさんの最後、まだここにいる、で刺さった

追わないで聴く曲、ほんとそれ

綿毛、軽いのに重い

距離の曲だった

ありがとう


renaは、少しだけ息を吐いた。


shihoも、バスクラリネットを静かに置いた。


natsuは、フルートのキーを親指で軽く撫でていた。


「ありがとう」


renaが言った。


「コメント、少し読みますね」


その時だった。


コメント欄の流れが、少しだけ変わった。


おすすめに乗ったのか、誰かが共有したのか。


初見らしい名前が増え始めた。


初見です

たまたま来たけどめっちゃ綺麗

え、三人とも可愛い

美人三人組?

renaちゃん可愛すぎる

この子、守ってあげたい感じすごい

natsuちゃん妖精みたい

shihoさん包容力ありそう

彼女にしたいタイプ

顔もっと見たいです

普通にアイドル売りしたら伸びそう

このビジュでこの声は反則

男に傷つけられたん? 俺なら大事にするのに

俺が抱きしめたら治りそう


画面の空気が、一瞬で変わった。


renaの手が、ギターの上で止まる。


shihoが、コメント欄を見た。


natsuは、まだフルートを見ていた。


気づいていない。


常連コメントが、すぐに混ざる。


初見さん、そこじゃないです

曲の感想でお願いします

外見コメントは控えてください

ReShiNaはそういう見られ方苦手です

綿毛聴いたあとに「抱きしめたら治る」は一番違う

追わないで聴く曲です

守りたいじゃなくて、距離を守ってほしい曲だと思う

初見さん、悪気ないかもだけど、その言い方はきついです


renaは、すぐには話せなかった。


shihoが先にマイクへ近づいた。


「初見の方、来てくださってありがとうございます」


声は落ち着いていた。


でも、少し硬い。


「ただ、私たちは、外見や恋愛対象として見られるコメントが少し苦手です」


コメント欄がさらに動く。


え、そうなの

ごめん

そういう配信なんだ

音楽の感想ね、了解

いや褒めただけなんだけど

顔出してるのに顔の話ダメなの?

めんどくさ

可愛いって言われて嫌なの贅沢じゃない?

そういうの嫌なら顔出さなきゃよくない?

俺悪いこと言った?

常連こわ

初見に厳しいなここ


常連が、また守ろうとする。


初見に厳しいんじゃなくて、本人たちが嫌がってるんです

褒め方の問題です

顔じゃなくて音を聴いてほしい人たちです

今の曲の内容的にも、そのコメントはかなり踏んでます

「俺なら大事にする」は本当に違う

常連が偉そうにしたいわけじゃないです

曲を聴いてほしいだけです


renaは、ようやく口を開いた。


「ごめんね」


その一言で、コメント欄が少し止まる。


「褒めてくれたつもりなのは、分かってます」


renaは、ゆっくり言った。


「でも、できれば……可愛いとか、守りたいとかじゃなくて、今の曲がどう聴こえたかを教えてほしいです」


声が細かった。


怒っているというより、少しずつ薄くなっていくような声だった。


「私たちは、女の子として見られたくて配信しているわけじゃなくて……音を、聴いてほしくて」


そこで、少し詰まった。


shihoが静かに引き取る。


「もちろん、初めて来てくれたことは嬉しいです」


「ただ、外見や恋愛の対象としてのコメントが続くと、音楽ではなく、私たち自身が消費されているように感じてしまいます」


言葉は丁寧だった。


丁寧すぎるほどだった。


でも、その丁寧さすら、一部には届かなかった。


いや難しいな

褒め言葉もダメなのか

コメント選ぶ配信者は伸びないよ

女扱いされたくないなら顔出ししない方がいい

なんかめんどいから抜ける

音楽だけ聴いてほしいなら音源だけ出せば?

常連向け配信って感じね

はいはい音楽家様

抜けます


視聴者数が、少し減った。


数字は小さかった。


でも、renaには大きく見えた。


一人。

二人。

三人。


画面の隅の数字が下がる。


そのたびに、胸の奥が少しだけ冷える。


去っていく人たちが、悪人だったとは思えない。


ただ、噛み合わなかった。


でも、噛み合わなかった人たちは、そのまま消えていく。


何が嫌だったのかを分からないまま。


ReShiNaの音を、最後まで聴かないまま。


renaは、笑おうとした。


できなかった。


常連コメントが流れる。


renaさん、無理しないで

今日はここまででも大丈夫

曲、ちゃんと届いてます

私は音を聴いてます

綿毛、すごくよかったです

距離を守って聴きます

常連が守りすぎてごめん

でも守りたいんじゃなくて、音を守りたい

ReShiNaの音が好きです


そのコメントを見て、renaの目が揺れた。


ありがたい。


本当にありがたい。


でも、同時に痛い。


守られている。


また、守られている。


常連が守ってくれるから、この部屋は保てている。


でも、守られないと届かないのだとしたら。


その音は、どこまで行けるのだろう。


natsuが、ようやく顔を上げた。


「何?」


shihoが小さく息を吐いた。


「natsu、コメント」


natsuは画面を見る。


しばらく黙った。


その間に、コメントはまだ流れている。


謝る人もいる。


ごめんなさい、知らなかったです

曲の感想言います、フルートすごかったです

ちゃんと聴き直します

初見だけど、今の説明で分かりました

ごめん、俺の言い方悪かった


去る人もいる。


面倒くさ

抜けるわ

常連だけでやってれば

なんか怖い空気


natsuは、それを見て、少しだけ首を傾げた。


怒っている顔ではなかった。


本当に、不思議そうだった。


「音、聴いてなかったんだね」


その一言が、部屋に落ちた。


shihoが少し目を伏せた。


renaは、ギターを抱えたまま動けない。


natsuは、画面の向こうではなく、自分のフルートの方を見た。


「最後、飛んだのに」


それは責める言葉ではなかった。


ただ、残念そうだった。


フルートの最後のフレーズ。


飛んでいく綿毛。

でも、消えない気配。


そこを聴いてほしかった。


それだけだった。


renaは、そこで少しだけ笑った。


笑ったというより、息が漏れた。


「natsu、そこなんだ」


natsuは顔を上げる。


「うん」


「でも、ちょっと助かった」


「そう?」


「うん」


shihoも、少しだけ肩の力を抜いた。


「助かった」


natsuはよく分からないまま頷いた。


「ならよかった」


コメント欄に、少し笑いが戻る。


natsuさん、そこなんだ

最後飛んでました

聴いてました

あのフルート、ちゃんと飛んでました

natsuさんの今ので泣いた

音を聴いてなかったんだね、重い

最後のフルート、私は忘れないです


renaは、そのコメントを見た。


少しだけ、呼吸が戻る。


けれど、もう続ける力は残っていなかった。


「ごめんね」


renaは、画面に向かって言った。


「来てくれた人に、こういう終わり方をしたいわけじゃないんだけど」


shihoが、静かに頷く。


「今日は、ここまでにします」


コメント欄が一気に動く。


大丈夫

無理しないで

聴けてよかった

ありがとう

綿毛、届いてます

また聴きに来ます

今日は休んで

常連もごめん

初見だけど、また来ます。今度はちゃんと聴きます

ありがとうございました


renaは、少しだけ目を伏せた。


「曲を聴いてくれた人、ありがとう」


shihoが続ける。


「コメントで守ってくれた人も、ありがとう」


natsuは、少し考えてから言った。


「最後のフルート、次はもっと遠くまで飛ばす」


shihoが横を見る。


「natsu」


「え、言わない方がよかった?」


renaが、今度はちゃんと少し笑った。


「ううん」


小さく首を振る。


「それでいい」


natsuは、納得したように頷いた。


「じゃあ、そうする」


renaは、もう一度カメラを見た。


「今日はここまでにします。ごめんね」


shihoが配信終了のボタンへ手を伸ばす。


画面が止まる直前、コメントが最後に流れた。


ReShiNaの音が好きです

追わないで聴きます

また来ます


配信が切れた。


部屋に、急に静けさが戻った。


カメラのランプが消える。


コメント欄の流れが止まる。


画面の向こうにいた人たちの気配が、一気に遠くなる。


renaは、ギターを抱えたまま、しばらく動かなかった。


shihoは、バスクラリネットのケースに手を置いたまま、目を閉じている。


natsuは、フルートを膝に置き、キーを一つだけ軽く押した。


小さな金属音がした。


誰も、すぐには話さなかった。


最初に口を開いたのは、renaだった。


「また、やっちゃったね」


声は、配信中よりずっと小さかった。


shihoは目を開ける。


「うん」


「分かってるのに」


「うん」


renaは、ギターの木目を見た。


「すぐ、顔に出ちゃう」


shihoは、否定しなかった。


「出るよ」


「出ちゃだめなのに」


「でも、出なかったら、こっちが削れる」


renaは、何も言えなかった。


natsuが、少し遅れて聞く。


「やっちゃったって、何を?」


shihoがnatsuを見る。


「配信、早く終わった」


「でも、続けられなかったんでしょ」


「うん」


「なら、終わってよかったんじゃない?」


その言い方は、あまりにもまっすぐだった。


renaは、少しだけ笑いそうになって、でも笑えなかった。


「natsuは、そう言うと思った」


natsuは不思議そうにする。


「違うの?」


shihoが答えた。


「違わない」


「じゃあ、いい」


「でも、難しいの」


natsuは首を傾げる。


「難しいんだ」


「うん」


shihoは、椅子に座り直した。


「無視すれば、配信は荒れない」


renaが小さく言う。


「でも、無視したら、私たちが何を嫌だったのか分からないまま、人がいなくなる」


shihoが頷く。


「注意すれば、今日みたいに去る人がいる」


renaは、画面の消えたモニターを見た。


「去ったね」


「うん」


「小さい数字なのに、すごく大きく見えた」


shihoは、それも否定しなかった。


natsuは、少し考えてから言った。


「残った人もいた」


renaがnatsuを見る。


natsuは、フルートのキーを指で押さえたまま続けた。


「聴いてた人、いた」


renaの目が、少しだけ揺れた。


「うん」


「最後のフルート、飛んでたって言ってた」


「うん」


「なら、届いた音もあった」


その言葉は、慰めのようで、慰めではなかった。


natsuにとっては、事実だった。


去った人がいる。

でも、残った人もいる。

聴いていなかった人がいる。

でも、聴いていた人もいる。


それだけ。


でも、renaには少し効いた。


shihoも、静かに息を吐いた。


「常連さん、守ってくれたね」


「うん」


renaは頷いた。


「ありがたい」


「うん」


「でも」


その先を、renaはすぐに言えなかった。


言ってしまうと、常連さんへの感謝まで薄くなる気がした。


でも、言わないと、自分の中で濁る。


shihoが、代わりに言った。


「守られているうちは、まだ外には届いてないのかな」


部屋が静かになった。


その言葉は、ひどく痛かった。


でも、三人の中にあったものだった。


常連が守ってくれる。


それは嬉しい。


でも、守られないと届かないなら。


常連が説明してくれないと、曲の距離が伝わらないなら。


自分たちの音は、まだこの部屋の外へ行けていないのかもしれない。


renaは、ギターをゆっくり床に置いた。


「私たち、女の子として勝ちたいわけじゃない」


shihoが頷いた。


「うん」


「可愛いって言われたいわけじゃない」


「うん」


「守ってほしいわけでもない」


natsuが、少しだけ顔を上げた。


renaは続けた。


「音を奏でる私たちに、価値があるのか知りたい」


その言葉は、部屋の奥に静かに落ちた。


配信中には言えなかった言葉だった。


言えば、重くなりすぎる。

説明しすぎになる。

相手を責めているように聞こえるかもしれない。


でも、ここでは言えた。


三人しかいない部屋では。


shihoは、バスクラリネットのケースをそっと撫でた。


「価値がないとは思ってない」


renaが見る。


shihoは続ける。


「でも、どこまで届いているのか分からない」


natsuが言う。


「違う場所で吹けば、分かるかも」


shihoがnatsuを見る。


「違う場所?」


「うん」


natsuは、窓の方を見た。


カーテンの隙間から、夜の光が細く入っている。


「ここは、守られてる。風があまり入ってこない」


renaは、その言い方に少しだけ笑った。


「風」


「うん」


natsuは真面目に頷く。


「違う場所なら、風向きが変わるかも」


shihoは、何も言わなかった。


その言葉を、少しだけ胸の中で転がした。


違う場所。


常連が守ってくれる配信ではない場所。

初見に説明される前の場所。

音だけが先に届く場所。


そんな場所があるのかどうか、今は分からない。


でも、必要なのかもしれない。


renaは、画面の消えたモニターをもう一度見た。


そこには、もうコメント欄はない。


可愛いという言葉も。

守りたいという言葉も。

抜けますという言葉も。

届いてますという言葉も。


全部消えている。


でも、消えたはずの言葉は、まだ胸の中に残っていた。


renaは、小さく息を吐いた。


「今日は、もう寝ようか」


shihoが頷く。


「うん。明日、カフェライブがある」


natsuが、フルートをケースにしまいながら言った。


「明日は、最後もっと飛ばす」


shihoが少し笑った。


「綿毛じゃない曲もやるから」


「分かってる」


「本当に?」


「たぶん」


renaが、少しだけ笑った。


今度は、少しだけ本当に笑えた。


部屋の空気はまだ重い。


けれど、完全には沈んでいなかった。


常連に守られているうちは、まだ外には届いていないのかもしれない。


でも、届いた音もあった。


残った人もいた。


最後のフルートを、飛んでいたと言ってくれた人がいた。


その小さな事実だけを抱えて、三人は少しずつ片づけを始めた。


アコースティックギターをケースにしまう。

バスクラリネットのキーを拭く。

フルートを布で包む。

マイクの電源を落とす。

照明を一つ消す。


画面の向こうにいた人たちは、もういない。


でも、部屋にはまだ、綿毛の余韻が残っていた。


触れられないまま。


まだ、ここにいる。

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