3-5-11 なんであいつ紹介したんですか?
「で」
wataが、机の上に置かれた紙コップを見ながら言った。
「結局、なんであいつ紹介したんですか?」
会議室の空気が、少しだけ止まった。
場所は、新川の事務所だった。
駅から少し外れたビルの二階。
一階には古い喫茶店。
階段の横には、小さなイベント会社のプレート。
前にも来た場所だ。
白い壁。
長机。
モニター。
ホワイトボード。
壁際に積まれた折りたたみ椅子。
過去イベントのポスター。
アイドル。
バンド。
演劇。
トークイベント。
地域フェス。
ジャンルの違うポスターが並んでいるのに、どれも同じように少しだけ現場の匂いがした。
ライブが終わったあとの打ち合わせだった。
正確には、打ち合わせというより、報告と確認。
クラブでの件。
撮影禁止の運用。
リバックラインの扱い。
BEEFとの接続。
今後、何を外に出して、何を出さないか。
そこまでは、だいたい話し終わっていた。
Kateたち五人も同席している。
Kateは資料を整え、Miwaは少しだけ緊張した顔で座り、Ninaはメモを取りながらも何か言いたそうで、Saraは公開範囲の確認メモを横に置き、Yuiは作業表を開いている。
リバクラ三人は、いつもの並びだった。
中央にmcRC。
横にwata。
反対側にEGUI。
新川は向かいに座っている。
白いポロシャツ。
サングラス。
室内でその格好は、やっぱり少し変だった。
でも、もう誰も突っ込まない。
いや、wataは何度か突っ込みかけた。
ただ、そのたびにmcRCの目が「今じゃない」と言っていたので、今日は我慢していた。
その我慢が、別のところで出た。
「結局、なんであいつ紹介したんですか?」
wataは、もう一度言った。
新川は、紙コップを手に取った。
中身はコーヒーだった。
湯気はもう、ほとんどない。
「DJ BEEFのことですか」
「他におらんでしょ」
mcRCがすぐにwataを見る。
「言い方」
wataは肩をすくめる。
「いや、でも聞きたいやん」
EGUIが頷く。
「それは聞きたい」
mcRCは、新川に向き直った。
「すみません。俺も、聞きたいです」
新川は、少しだけ口元を動かした。
笑ったのかどうかは、サングラスのせいで分かりにくい。
「でしょうね」
「でしょうね、なんですか」
wataが眉を寄せる。
「最初から、聞かれると思ってました」
「じゃあ、最初から言うてくださいよ」
「最初に言っても、多分分からなかったと思います」
wataは言葉に詰まった。
言い返そうとして、やめた。
それは、少し分かってしまったからだった。
初日に聞いていたら、たぶん腹が立っただけだ。
壊すために呼びました。
試すために呼びました。
あなたたちに足りないものを見るためです。
そんな言い方をされたら、三人とも素直には受け取れなかった。
BEEFとも、もっと最悪な出会い方になっていたかもしれない。
新川は、紙コップを置いた。
「最初に言えることと、終わってから言えることは違います」
Saraが静かに頷いた。
「かなり分かります」
Ninaが小声で言う。
「権利確認じゃなくても分かるやつ」
Miwaは少しだけ笑った。
Yuiは、メモしようとして、手を止めた。
新川は、その全員の反応を見てから、話し始めた。
「Reverse Crownは、単独ライブの時点でかなり良かったです」
wataはすぐに背もたれにもたれた。
「急に褒められた」
EGUIが短く言う。
「黙って聞け」
「はい」
新川は続けた。
「曲もある。反応もある。客席も育っている。三人の役割も見えている。何より、会場を自分たちの場所にする力がある」
mcRCは、黙って聞いていた。
「ただ」
その一言で、部屋の空気が少し変わる。
新川の「ただ」は、いつも少し重い。
褒めたあとに現実を置く声だった。
「あなたたちは、良くも悪くも、丁寧すぎるところがある」
wataが眉を上げる。
「丁寧?」
「はい」
新川は頷いた。
「場を壊さない。人を雑に扱わない。次の出演者にも配慮する。客席の熱を奪いすぎない。裏方にも感謝する。とても大事です」
mcRCは少しだけ視線を落とした。
それは、ずっと自分たちが大事にしてきたことだった。
新川は続ける。
「でも、ライブには、丁寧にしているだけでは越えられない瞬間があります」
会議室が静かになる。
「音が止まる。予定がズレる。客席が冷える。誰かが怒る。誰かが泣く。説明している時間がない。正しい順番を踏んでいる余裕がない」
wataの顔から、少しだけ軽さが消えた。
それは、知っている。
SHOWTIMEの時もそうだった。
THAT’S LIVEの時もそうだった。
NO EASY PEACEの時も、そうだった。
現場は、待ってくれない。
新川は、三人を順番に見た。
「その時に、あなたたちは一度、受け止めようとする」
「悪いことですか」
mcRCが聞いた。
新川は首を振る。
「悪くありません」
少し間。
「ただ、受け止めるだけでは、間に合わない夜があります」
その言葉に、mcRCは黙った。
新川は、紙コップを指先で少しだけ回した。
「DJ BEEFは、受け止めるより先に切ります」
wataが、思わず笑いそうになった。
「でしょうね」
「切る。止める。落とす。壊す。黙らせる。待たせる。客席を振り向かせる」
「言い方だけ聞くと最悪やな」
「最悪です」
新川は普通に言った。
wataが止まる。
「認めるんですか」
「認めます。彼は扱いを間違えると最悪です」
Ninaが小さく吹き出した。
「紹介者が言うんだ」
Miwaも笑いをこらえている。
Kateだけは、少し微笑んだ程度だった。
新川は気にせず続ける。
「でも、扱いを間違えなければ、彼は場を戻せます」
EGUIが顔を上げた。
「戻す?」
「はい」
新川は、少しだけ椅子に座り直した。
「BEEFは、壊すだけの人間ではありません。むしろ、壊れたものを見るのが早い」
その言葉で、場の温度が変わった。
wataの表情も、少しだけ変わる。
新川は言った。
「どこがもう死んでいるか。どこにまだ熱が残っているか。どこを切れば客席が戻るか。どこを止めれば言葉が立つか。どこを落とせば次の音が入るか」
mcRCは、NO EASY PEACEの一拍を思い出した。
wataの「なんでだよ」の前。
音が消えた。
あれは、BEEFが何もしなかったわけではない。
何もしないことを選んだ。
新川は言う。
「彼は、場が壊れることを怖がりません」
「こっちは怖いんですけどね」
wataが言った。
新川は頷く。
「だから紹介しました」
「え?」
wataが顔を上げる。
新川は、三人を見る。
「あなたたちは、場が壊れることを怖がりすぎていないか。私はそこを見たかった」
mcRCは、少しだけ息を止めた。
それは、痛いところだった。
自分たちは、場を大事にしてきた。
誰かを置いていかないように。
熱を奪わないように。
人を見世物にしないように。
失敗した相手を笑わないように。
次の人へ渡すように。
でも、それは時々、壊れることへの恐れにもなっていた。
壊してしまったらどうしよう。
傷つけてしまったらどうしよう。
冷えてしまったらどうしよう。
誤解されたらどうしよう。
その恐れは、優しさとよく似ている。
でも、同じではない。
EGUIが低く言った。
「壊れたら終わり、と思ってたかもしれんな」
wataが、少しだけ顔をしかめる。
「終わりではない、か」
新川が頷く。
「終わりではありません。ライブなら、そこから作れる場合があります」
mcRCは、ゆっくり頷いた。
「THAT’S LIVE」
その言葉に、wataが笑う。
「まんまやな」
EGUIも短く言う。
「まんまや」
新川は、少しだけ口元を緩めた。
「あなたたちは、その曲を持っていました」
「はい」
「でも、まだ“曲”として持っていた」
mcRCは、新川を見る。
新川は言った。
「BEEFを入れたかった理由は、その曲を現実にするためです」
部屋が静かになった。
That’s Live。
トラブルだってライブなんだよね。
言葉としてはあった。
曲としてもあった。
単独ライブでも、機材トラブルを超えた。
でも、BEEFはそれを別の角度から突きつけた。
予定を壊す。
音を切る。
空気を止める。
三人が用意した流れを、あえて崩す。
それでも曲にできるのか。
それでも客席を連れていけるのか。
それでも、怒りだけで終わらず、音にできるのか。
wataが、ゆっくり息を吐いた。
「……性格悪いなあ」
新川は否定しなかった。
「否定はしません」
「してくださいよ」
「必要だったので」
wataは、両手で顔を覆った。
「必要って言われたら終わりや」
EGUIが短く言う。
「終わってない」
「今の言い回しや」
mcRCは少しだけ笑った。
空気は重くなりかけていたが、wataのおかげで少し戻った。
新川は、その戻りを待ってから続けた。
「もう一つあります」
mcRCが顔を上げる。
「もう一つ?」
「はい」
新川は、少しだけ言葉を選んだ。
「BEEFにも、必要だったと思っています」
その一言で、Miwaが少しだけ反応した。
Ninaも、ペンを止める。
Saraは静かに新川を見る。
新川は言った。
「彼は、腕はあります。現場も見える。音も切れる。客席の熱も読める。ただ、相手を選びすぎる」
wataが小さく呟く。
「分かる」
「相手がついてこないと、すぐ切る。理解されないと、さらに荒くなる。自分の音をただの演出として使われるのを嫌う」
mcRCは、BEEFの顔を思い出した。
褒められて嫌そうな顔。
仲間と言われて否定しきれない顔。
便利に使われるのを、たぶん何より嫌う人間。
新川は続ける。
「私は、彼にも必要だと思いました」
「何がですか」
mcRCが聞いた。
「壊しても、逃げない相手です」
その言葉に、三人は黙った。
壊しても、逃げない相手。
BEEFが探していたもの。
音を止めても。
曲を切っても。
場を崩しても。
腹を立てても。
ぶつかっても。
それでも、音で返してくる相手。
wataが、少しだけ視線を落とした。
「……あいつも、探してたんですかね」
新川は、すぐには答えなかった。
少し間を置いてから言った。
「おそらく」
確定ではない言い方だった。
でも、それでよかった。
BEEFの中身を、勝手に言い切るべきではない。
新川は、あくまで見てきた範囲で話している。
「彼は、仲間が欲しいと言うタイプではありません」
「でしょうね」
wataが即答した。
「言ったら世界終わるんちゃう」
Miwaが吹き出しかけて、口を押さえた。
Ninaが肩を震わせている。
新川は淡々と続ける。
「でも、一緒にできる相手は探していたと思います」
その言葉は、さっきより少し柔らかかった。
「自分の音を、邪魔だと怒るだけではなく、面白がって使う相手。壊されたと感じるだけではなく、そこから組み直す相手。彼をただの飛び道具にしない相手」
新川は、リバクラ三人を見た。
「あなたたちなら、そうできる可能性があると思いました」
wataは、少し困ったように笑った。
「買いかぶりすぎじゃないですか」
「結果的に、できました」
「だいぶ揉めましたけど」
「揉めるのも含めてです」
EGUIが頷いた。
「簡単に仲良くなる話じゃなかったからな」
「はい」
新川は言った。
「簡単に仲良くなるなら、紹介する意味はありませんでした」
その言葉に、mcRCは少しだけ笑った。
確かに。
BEEFが最初から優しくて、三人が最初から歓迎して、何も揉めずに「良いDJですね」と終わっていたら、何も残らなかった。
あの苛立ち。
あのズレ。
あの「なんでだよ」。
あの「悪かったよ」。
あの「やりやがったな」。
あの「俺はリバクラじゃねえ」。
全部があったから、今の距離になった。
Kateが静かに言った。
「新川さんは、リバクラさんとBEEFさん、両方を試したんですね」
新川は、少しだけ首を傾けた。
「試した、という言い方もできます」
Saraが聞く。
「別の言い方だと?」
「合わせてみた、です」
Ninaが少し笑う。
「実験みたいですね」
「現場は、だいたい実験です」
新川は普通に言った。
wataがすぐ反応する。
「怖いこと言う」
「ただし、準備はします」
「そこが新川さんっぽい」
「失敗してもいい実験と、失敗してはいけない実験があります」
Yuiの手が動いた。
今度はメモしていた。
Saraがそれに気づく。
「Yuiさん、今のは書くんですね」
Yui@庶務・作業表ではない。
今日はグルチャではないので、ただのYuiだった。
Yuiは少しだけ顔を上げた。
「これは、今後の判断基準に使えます」
wataが笑う。
「仕事できる人の拾い方や」
Yuiは真顔で返す。
「必要なので」
Miwaが小さく言った。
「強くなってる」
Ninaも頷く。
「昨日からYuiちゃん、ちょっと強い」
Yuiは少し困った顔をした。
「昨日の話は今しないでください」
Miwaがすぐ手を合わせる。
「ごめん。でも分かる」
Kateが穏やかに言った。
「受け取ったものは、どうしても出ます」
新川は、その会話を静かに見ていた。
五人の反応も、見ている。
リバクラ三人だけではない。
この人たちも、もう流れの一部になっている。
ただの観客ではない。
ただのスタッフでもない。
ただのファンでもない。
位置づけが難しい。
けれど、難しいからこそ、線を引く必要がある。
新川は、そこで少しだけ声を落とした。
「だから、今後のために言っておきます」
全員が、新川を見た。
「BEEFを、便利な解決策にしないでください」
部屋の空気が変わった。
「困ったらBEEF。曲間が弱いからBEEF。盛り上げたいからBEEF。トラブルが怖いからBEEF。そういう使い方をすると、彼の音も、あなたたちの音も弱くなります」
wataは、真面目な顔で頷いた。
「それは、分かります」
mcRCも言う。
「はい」
EGUIが続ける。
「頼るのと、任せきるのは違う」
新川は頷いた。
「その通りです」
Kateが、静かにメモを見る。
Miwaは少しだけ表情を引き締めた。
Ninaは、広報文にしたくなる言葉を、今回は飲み込んだ。
Saraは、公開範囲ではなく、関係性の範囲を考えていた。
Yuiは、作業表の端に小さく書いた。
便利な解決策にしない。
新川は続ける。
「逆に、BEEFにも伝えます」
wataが反応する。
「何を?」
「あなたたちを、壊しがいのある遊び場にしないように」
wataが一瞬止まったあと、吹き出した。
「それ、本人に言うんですか」
「言います」
「絶対嫌な顔しますよ」
「するでしょうね」
「めっちゃ見たい」
mcRCが笑いをこらえる。
「そこ見たいんか」
「見たいやろ」
EGUIが短く言う。
「見たい」
mcRCも、結局笑った。
「見たいな」
Miwaが小さく言う。
「私も見たいです」
Ninaが続く。
「見たい」
Saraも静かに言った。
「少し見たいです」
Yuiは迷ったあと、短く言った。
「記録はしませんが、見たいです」
Kateまで微笑んだ。
「私も、少し」
新川は、全員の反応を見て、わずかに肩を落とした。
「皆さん、意外と悪いですね」
wataがすぐ言う。
「新川さんに言われたくないです」
部屋に笑いが起きた。
湿っぽさはなかった。
BEEFがどこかへ去ったわけではない。
別れたわけでもない。
誰かが泣く場面でもない。
ただ、少し謎だったことの理由が分かった。
なぜ、あのタイミングでBEEFだったのか。
なぜ、新川はあの面倒な男を三人にぶつけたのか。
なぜ、三人はあれほど苛立ちながら、結局その音を使うことになったのか。
答えは、単純だった。
必要だったから。
でも、その必要は、機能の話だけではなかった。
リバクラに必要だった。
BEEFにも必要だった。
現場にも必要だった。
そして、終わってみれば、全員が少しだけ変わっていた。
wataが、紙コップを持ち上げた。
「じゃあ、新川さん」
「はい」
「次から、変な人紹介するときは、先に変って言ってください」
新川は少し考えた。
「BEEFは、変な人ではありません」
wataが眉を上げる。
「え?」
「面倒な人です」
EGUIがうなずく。
「それはそう」
mcRCが笑った。
「そこは否定しないんですね」
「否定できません」
新川は淡々と言った。
「ただ、腕は確かです」
wataは、少しだけ真面目な顔に戻った。
「それも、分かりました」
EGUIが言う。
「音は誠実やった」
mcRCも頷く。
「うん。そこは間違いない」
新川は、初めて少しだけ満足そうに見えた。
サングラスのせいで、やっぱり分かりにくかったが。
「なら、紹介した意味はありました」
その言葉で、この話は一度、収まった。
締めではない。
区切りだった。
会議は、まだ続く。
撮影禁止イベントの扱い。
リバックラインの作業範囲。
次回以降の曲の提出タイミング。
物販導線。
告知の熱量。
問い合わせ対応。
現実の話が、また机の上に戻ってくる。
それでよかった。
音楽は、熱だけで続かない。
でも、現実だけでも続かない。
その間を、今日も誰かが整える。
新川は資料を一枚めくった。
「では、次の確認に入ります」
wataが小さく呟いた。
「切り替え早」
Kateがすぐ反応する。
「ここからが本題です」
Miwaが驚いた顔をする。
「今まで本題じゃなかったんですか?」
Saraが静かに言う。
「関係性の確認も本題です」
Yuiがメモを見ながら言った。
「ただし、議題としては二番目です」
Ninaが笑った。
「Yuiちゃん、議題に戻した」
EGUIが水を飲んで、短く言う。
「進めよう」
mcRCは、新川の資料を見ながら、ふと窓の外に目を向けた。
昼の光が、ビルの壁に反射している。
どこかで、車が通る音がした。
昨日の低音は、もう鳴っていない。
BEEFのフェーダー音もない。
それでも、三人の中には、あの一拍が残っている。
止める。
切る。
空ける。
そこに言葉を置く。
その感覚は、もう消えない。
でも今日は、それをしんみり眺める日ではない。
次の資料を見る日だった。
次の現場を整える日だった。
そして、
次の音を探し始める日だった。
第3部 完




