3-5-7 所属じゃなくて、接続
From Nowの最後の音が、クラブの天井へゆっくり溶けていった。
すぐには誰も喋らなかった。
拍手も、歓声も、少し遅れて来た。
それは、曲が分からなかったからではない。
むしろ逆だった。
分かってしまったから、声が遅れた。
今日。
昨日。
明日。
歌ってる。
歌ってた。
歌いたい。
たったそれだけの時制が、思ったより深く人の胸に沈んでいた。
誰かが、ぽつりと拍手をした。
それが二つになり、三つになり、やがてクラブの奥まで広がっていく。
でも、会場は派手に爆発しなかった。
Hands on Deckの時のように、胸を撃ち抜かれて崩れる感じとも違う。
From Nowは、立ち上がらせる曲だった。
泣いて終わる曲ではない。
泣いたあとに、靴紐を結び直す曲だった。
ソファ席の端で、Yuiが膝の上のメモ帳を見ていた。
まだ何も書いていない。
書こうと思えば書けた。
現在。
過去。
未来。
三人の分担。
mcRCさん、今。
wataさん、過去。
EGUIさん、未来。
From Nowは矢印。
そこまで、頭の中ではもう整理できていた。
けれど、Yuiはペンを動かさなかった。
書いてしまうと、少し早い気がした。
今はまだ、表にする前の温度があった。
Ninaは、グラスを持ったままステージ側を見ていた。
告知にするなら、どう切るか。
それを考える癖が、彼女にはある。
でも、今は違った。
これは投稿文にする前に、自分の中で受け取るやつだ。
広げる前に、どこにつながる曲なのかを見ないといけない。
Saraは、腕を組んでいなかった。
いつもなら、何かを守る時は腕を組む。
自分の前に線を引くように。
言葉の扱いを確認するように。
でも今は、手を膝の上に置いている。
From Nowは、守るために止める曲ではなかった。
進むために、目的を確認する曲だった。
Miwaは、いつものようにすぐ泣きそうになっていた。
けれど、今回は涙の方へ逃げなかった。
目元を押さえたあと、深く息を吸って、顔を上げた。
泣いて終わらせたくない曲だと思った。
Kateは、静かに全員を見ていた。
リバックライン五人。
リバクラ三人。
BEEF。
周囲の客。
スタッフ。
DJブース。
誰もスマホを構えていないフロア。
撮影禁止の店。
残るのは、記録ではなく、記憶だった。
その事実が、今の曲にはちょうどよかった。
ステージというほどの高さではない場所で、mcRCがマイクを下ろした。
wataが息を整える。
EGUIは、少しだけ首を回した。
BEEFは、DJブースの奥でフェーダーから手を離していた。
すぐに何かを言う顔ではない。
ただ、少しだけ視線が落ちている。
照れているわけではない。
いや、照れているのかもしれない。
でもそれを認める顔ではなかった。
wataが先に口を開いた。
「これは、ここだけで終わる曲ちゃうな」
mcRCがwataを見た。
その声は軽くなかった。
wataは、客席ではなく、まだ少し残っている音の方を見ていた。
「Hands on Deckは、今日ここで渡す曲やと思う」
Miwaの肩が、少しだけ揺れた。
wataは続ける。
「でもFrom Nowは違う」
少し間を置いて、言った。
「ここで生まれたけど、ここだけに閉じ込めたらあかん曲や」
EGUIが頷いた。
「ここから、の曲やからな」
mcRCも静かに頷く。
「うん」
BEEFが、フェーダーの横に置いていたグラスを持ち上げた。
氷が、小さく鳴る。
「……分かってんじゃねえか」
その声は、低かった。
褒めているようにも、確認しているようにも聞こえた。
wataはそっちを見る。
「そら分かるわ」
「お前、たまに分かってねえ顔するだろ」
「顔で判断すな」
「顔に出てる」
「出てへん」
EGUIが短く言う。
「出る時はある」
wataがEGUIを見る。
「味方して」
EGUIは首を振った。
「今のFrom Nowは分かってた」
wataは少し満足そうに顎を上げた。
「ほら」
BEEFは鼻で笑った。
「そこだけ胸張んな」
そのやり取りに、客席から小さな笑いが漏れた。
張りつめていた空気が、少しだけほどける。
それでよかった。
From Nowを、感動で固定しすぎない。
この曲は、歩くための曲だ。
泣き顔で固まるより、少し笑って靴を履き直す方が似合う。
mcRCが、BEEFの方を見た。
「BEEF」
BEEFは返事をしなかった。
ただ、顔だけを少し向ける。
それで十分だった。
「今日、ありがとう」
BEEFの眉がわずかに動いた。
「急にまとめに入んな」
「まとめというか」
mcRCは、言葉を探した。
「ちゃんと言っときたいだけ」
BEEFはグラスを置いた。
「いらねえ」
「いる」
EGUIが短く言う。
BEEFがEGUIを見る。
「お前はすぐ断定すんな」
EGUIは表情を変えない。
「必要な時は言う」
BEEFは舌打ちをしそうになって、やめた。
かわりに、氷を指で少しだけ回した。
カラン、と音が鳴る。
それを見て、Kateが少しだけ目を細めた。
音で逃げた。
でも、逃げ切れていない。
mcRCは、そのまま言った。
「BEEFがいてくれたから、今日のHands on DeckもFrom Nowも、あの形になった」
BEEFはすぐに返す。
「お前らが歌ったんだろ」
「歌ったのは俺ら」
mcRCは頷く。
「でも、鳴り方は違った」
その一言に、BEEFは黙った。
wataが続けた。
「Hands on Deck、あれ普通にやったら、たぶん沈みすぎた」
Miwaが小さく息を飲む。
wataは、五人を見た。
「ちゃんと渡したかったけど、泣かせるだけの曲にしたら、たぶん違った」
Ninaが、少し目を伏せた。
分かる。
それは本当に分かる。
感謝の曲は、扱いを間違えると、受け取る側を動けなくする。
嬉しいのに、重くなる。
ありがたいのに、逃げ場がなくなる。
「感動しなければいけない」みたいになる。
でも、さっきのHands on Deckは違った。
泣けた。
でも、曲として立っていた。
クラブの床を鳴らしていた。
BEEFが低音を残したから。
泣ける言葉の下に、身体が動ける道を作ったから。
EGUIが言った。
「From Nowも、言葉だけなら少し真面目すぎたかもしれん」
BEEFは何も言わない。
EGUIは続ける。
「でも、今日、昨日、明日を刻んだ音があったから、前に進む曲になった」
その言い方は、褒め言葉だった。
EGUIなりの、かなり真っ直ぐな。
BEEFは視線を落としたまま、口元だけ少し動かした。
「……気持ち悪い褒め方すんな」
wataがすぐに笑う。
「効いてるやん」
「効いてねえ」
「耳」
「見るな」
「赤い」
「見るなって言ってんだろ」
客席がまた笑った。
Miwaが何か言いかけて、口を押さえた。
今回は言わない。
かわいい、とは言わない。
言ったら、たぶんBEEFが本当に逃げる。
Saraが横目でMiwaを見る。
Miwaは小さく頷いた。
分かってます、という顔だった。
Yuiはペンを持ち上げかけて、また止めた。
書きたい。
今の「耳赤い」も、「見るな」も、完全に記録案件だった。
でも、これは書かない方がいい。
書くと軽くなる。
そういうものもある。
BEEFが、ようやく顔を上げた。
「勘違いすんなよ」
その声で、場の温度が少し変わった。
笑いが引く。
でも、不安な沈黙ではなかった。
BEEFは、リバクラ三人を順番に見た。
mcRC。
wata。
EGUI。
そして言った。
「俺は、リバクラじゃねえ」
空気が一瞬だけ止まった。
五人も、客席も、反応を探した。
けれど、三人は驚かなかった。
mcRCは、静かに頷いた。
「うん」
wataも頷く。
「そこは、そうやな」
EGUIが短く言った。
「リバクラは三人や」
BEEFの目が、少しだけ細くなる。
その返しを、たぶん待っていた。
否定されることも。
寂しがられることも。
引き止められることも。
仲間なら入れよ、と言われることも。
全部、少し面倒だったのかもしれない。
でも三人は、そうしなかった。
BEEFを、リバクラに吸収しなかった。
BEEFはBEEFのまま、そこに立っている。
mcRCが言った。
「それは崩さん」
BEEFは、ほんの少しだけ顎を引いた。
「崩すな」
短い言葉だった。
でも、その中には、かなりはっきりした敬意があった。
リバクラ三人の形を、BEEFは認めている。
三本のマイク。
三つの役割。
三つの声。
そこにBEEFが入って四人組になるわけではない。
BEEFは、その形を外から切る。
外から壊す。
外からつなぐ。
だから効く。
wataが少し笑った。
「でも、仲間ではあるやろ」
BEEFがすぐ見る。
「勝手にまとめんな」
「まとめてへん。確認」
「確認の形が雑なんだよ」
wataは首をかしげる。
「じゃあ違うん?」
BEEFは黙った。
その沈黙が、答えだった。
EGUIが言った。
「否定してない」
BEEFがEGUIを見る。
「お前もまとめんな」
EGUIは平然としている。
「事実確認」
「似たようなこと言いやがって」
mcRCが少し笑った。
そして、BEEFに向き直る。
「BEEFはリバクラじゃない」
BEEFは黙って聞いている。
「でも、仲間ではある」
BEEFの指が、グラスの縁を軽く叩いた。
一回。
二回。
音は小さい。
でも、そのリズムは、否定ではなかった。
mcRCは続けた。
「便利なゲストにしたいわけじゃない」
BEEFの手が止まる。
「俺らが困った時だけ呼んで、いい感じに壊してもらって、盛り上がったらありがとう、みたいな使い方は違う」
BEEFは、ようやくまっすぐmcRCを見た。
mcRCは逃げなかった。
「BEEFにはBEEFの場所がある」
その言葉で、クラブの空気が少しだけ深くなる。
この店。
DJブース。
壁の古いポスター。
音が逃げられる空間。
会話しなくてもいられる場所。
BEEFは、そこに立っている。
リバクラのステージに乗るだけの存在ではない。
彼にも、彼の現場がある。
wataが言った。
「俺らとやる時は、またやればいい」
軽く聞こえる。
でも、軽くない。
「毎回じゃなくていい」
wataは続ける。
「ここぞって時に来て、腹立つぐらい曲を変えたらええ」
BEEFがwataを見る。
「腹立つぐらいは余計だ」
「でも腹立つやん」
「お前が対応できねえだけだろ」
「今はできるようになったし」
「まだ甘い」
wataは、少しだけ笑った。
「じゃあ、また鍛えに来いや」
BEEFはすぐには返さなかった。
その言葉を、ただの冗談として流さなかった。
鍛えに来る。
違う。
試しに来る。
壊しに来る。
つなぎに来る。
確かめに来る。
たぶん、どれも少しずつ合っている。
EGUIが、低く言った。
「次、同じ音ではやらん方がいい」
BEEFはそっちを見た。
EGUIは続ける。
「俺らも変わる」
少し間。
「BEEFも変わる」
BEEFは、ふっと笑った。
ほんの少し。
笑ったと気づいた人は、近くにいた者だけだった。
「言うじゃねえか」
EGUIは頷いた。
「言う時は言う」
wataが小さく吹き出す。
「それ決め台詞にすな」
「してない」
mcRCは、三人を見てから、BEEFに言った。
「また鳴らせるな」
BEEFは答えなかった。
代わりに、DJブースの方へ手を伸ばした。
フェーダーに指をかける。
ほんの短く、音を弾いた。
カッ。
硬い音が、空気を切った。
それから、低く短いベースが一瞬だけ鳴る。
ドン。
すぐ消える。
返事みたいだった。
wataが笑う。
「はい、今の録音したい」
Saraが即座に言った。
「撮影禁止です」
「早い」
Ninaが頷く。
「投稿もしません」
Yuiがメモ帳を閉じた。
「記録もしません」
Miwaが思わず言いかけた。
「でも今の――」
そこまで言って、止まる。
言わない。
言わなくても、みんな分かった。
Kateが静かに言った。
「残していいものと、残さない方が残るものがありますね」
その言葉に、BEEFが少しだけ反応した。
「……面倒なこと言うな」
Kateは微笑んだ。
「褒めています」
「褒め方が遠い」
「近づけすぎると逃げる方だと思いましたので」
wataが吹き出した。
「Kateさん、BEEFの扱い掴むの早」
BEEFは眉を寄せた。
「掴まれてねえ」
EGUIが言う。
「少し掴まれてる」
「お前ら全員うるせえ」
でも、BEEFは立ち去らなかった。
怒ってもいない。
ただ、氷を鳴らしている。
それだけで、十分だった。
周囲の客たちも、何となく分かっていた。
細かい事情は知らない。
リバックラインが何者なのかも、完全には知らない。
BEEFとリバクラに何があったのかも知らない。
「悪かったよ」の本当の意味も知らない。
でも、今この場で何かが決まったことは分かった。
加入でもない。
卒業でもない。
別れでもない。
契約でもない。
もっと雑で、もっと生きている関係。
またやれる。
それだけ。
それだけなのに、十分だった。
mcRCが、グラスを持ち上げた。
「じゃあ」
wataも持つ。
EGUIも、少し遅れて持つ。
リバックライン五人も、それぞれのグラスを持った。
BEEFは最後まで面倒くさそうにしていたが、結局グラスを持った。
mcRCが言った。
「所属じゃなくて」
少し間を置く。
「接続に」
wataが笑う。
「なんか急にかっこつけたな」
mcRCが横を見る。
「ええやろ、たまには」
EGUIが短く言う。
「悪くない」
BEEFは鼻で笑った。
「まあ、今のは星三つくらいだな」
wataが即座に反応する。
「出た! BEEF採点!」
「出してねえ」
「今、星三つ言うたやん」
「たとえだ」
「星三つから始まったら、伸びしろあるな」
BEEFはグラスを軽く上げる。
「つまんなくなったら行かねえぞ」
wataもグラスを上げた。
「つまんなくならんようにしとくわ」
EGUIが続ける。
「次は、今日と違う形で」
mcRCが最後に言う。
「また鳴らそう」
グラスが軽く当たった。
大きな音ではなかった。
乾杯というより、確認だった。
その音は、切り抜きには残らない。
SNSにも上がらない。
誰かが動画にして広げることもない。
でも、その場にいた全員が覚えた。
BEEFは、リバクラには入らない。
リバクラは、三人のまま進む。
それでも、BEEFは仲間だった。
外側にいる仲間。
別の現場を持ったまま、必要な時に音でつながる仲間。
Kateは、その光景を見ながら、静かに息を吐いた。
Miwaは、今度は泣かなかった。
ただ、口元を押さえて笑っていた。
Ninaは、頭の中で投稿文を組みかけて、全部消した。
Saraは、これは外に出さない方がいいと判断した。
Yuiは、メモ帳を閉じたまま、心の中に一行だけ残した。
また鳴らせる。
BEEFが、最後にぽつりと言った。
「残せねえなら、ちゃんと覚えとけって話だ」
mcRCが見る。
BEEFはグラスの氷を揺らした。
カラン、と音が鳴る。
「残るもんは、残るだろ」
誰も、すぐには返さなかった。
その言葉だけが、クラブの音の中に少し残った。
そして、次の曲ではなく、次の会話が始まった。
それでよかった。
今夜は、ここまでで十分だった。




