19. 3日目 憎悪
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「さて……そろそろ目を覚ます頃かな?」
結局あの救出劇後は手当の都合や私が居たことをクラウス達に悟らせないために、この子を別宅へと連れ帰った。火傷などは軽度なものでそこまで心配はないのだが、やはりあれだけ長時間煙を吸い続けていたからか意識が戻るのが遅い。新鮮な空気は風魔法を使って送り続けてはいるが、あと十分程度で意識が戻らないようならルーナに医者を呼ばせるか。
「―――ぅっ」
瞼を震わせている。どうやら眠り姫のお目覚めの時間が来たようだ。
「おい、私の声が聞こえるか?」
「……あ」
ゆっくりと目を見開き、その美しい翡翠の瞳をこちらに見せてくる。ほぉ……この色の瞳は初めて見るが綺麗なものだな。少女は私の顔をじっと見ると、何やら慌てた様に顔を左右に振って周囲を見渡す。
「なんだ…どうした?」
情報の整理が追い付いていないのだろうか。まぁ、それも当然か。
「安心しろ。ここは―――」
「―――やめろ!ボクに触れるな!!!」
「……っつ」
落ち着かせるために頭を撫でようとしたら、爪で迎撃されるとは。見知らぬ場所に見知らぬ女から差し出された手はそこまで恐怖心を煽るものだったか…これは私が悪いな。
腕を払った体勢で私を睨み続ける少女に敵意がないことを証明するために両手をゆっくりと上げる。
「驚かせてすまない。私はお前を落ち着かせようとしただけだ。…この通り敵意もないし、お前を傷つけようとも考えていない」
「お前はダレだ!ボクをどうするつもりだ!!!」
「私はお前が燃え盛る建物の中に取り残されたことを聞いて救出した者だ。誰かを見殺しにするのは気が引けてな……。まぁ、ただの気まぐれな貴族の娘だ。お前を手当てするために私の別宅に運んだ。それが事の経緯だ。他に質問はあるか?」
「貴族…!?じゃあお前もボクを虐めるのか!?」
「虐める…?お前は、あそこでどんな目に遭っていたんだ?」
これは驚きだ。彼女の身体には火傷以外の傷らしい傷は見受けられないのだが…あの建物内で不当な扱いを受けていたのだな。どうしたものかな。そもそも彼女がいた建物が結局どういうものだったのかも訊けないことには、彼女の今後をどうするかも決められない。逃げた彼らを捜して送り届けるか……それとも。
「ウルサイ、ウルサイ!ボクはもうダマされないぞ!お前ら人間族はボクみたいな獣人族を絶対に善意で助けやしない!!!今度はどうするつもりなのさ?ムチで打つの?それともロウソク責めか?……あぁ、やっぱりボクの身体が目当てか、この最低最悪な種族が!!!」
憎悪が込められた瞳で睨まれた私は一瞬、恐怖で怯み動きを止めた。すると、その隙を逃さないとばかりに彼女が襲い掛かってきた。
「この!たかが人間が!!!ボクを!獣人族のみんなを!!!傷つけるな!!!!!!」
鋭い爪が縦横無尽に私の肌を切り裂こうとしてくる。私は突然のことに目を見開きながらも、なんとか風魔法で彼女を傷つけないよう、そして同時に攻撃を受けないよう彼女の身体を風で押し返す。しかし、そうして吹き飛ばされた先の壁を思いきり蹴って彼女は何度も私に襲い掛かってくる。爪だけでなく、その牙で私に噛みつこうとする。
(他の防御魔法を使いたい所だが、物理攻撃でごり押ししてくる彼女にどこまで通じるか…だがこのままではジリ貧だな)
「この、このぉ!!!死ねぇぇぇ、人間族の娘!!!」
「落ち着け!私は決してお前を傷つけはしない!この魂に誓う!!!」
「ダマレ!!!穢れた人間族の魂など信用できるか!ボクら誇り高き獣人族を傷つけた罪をその身をもって償え!!!グルゥゥゥラララァ!!!」
「―――しまっ!!!」
振り下ろされた両腕を風魔法で押しとどめていた最中の会話に気を取られ、不意に力を抜いた彼女の行動の意図が読み取れなかった。彼女に向けていた魔法は見事当たったが、その風を利用された。吹き飛ばされた先の天井を蹴ったかと思うと、次に右へ、左へ、また上へ、下へ、そして背後に。その速さを維持したまま私の死角に飛び込まれた。
「ボクを舐めるな!人間族!!!」
振り返る間もなく、その白く光る爪が私の背中をバツ印に切り裂いた。商人の服の下に鎧を身につけている事などあるはずもなく、紅い鮮血が絨毯に、壁に、彼女の顔に飛び散る。私はその勢いのまま床へと倒れ、なんとか首を回して彼女の方を見やると美しいその爪から私の血が一滴、一滴と絨毯へと流れ落ちていく。
私は窓から入る逆光で見えない彼女の顔を見つめる。彼女が今どんな感情なのか、それを把握することは出来ない。依然として憎悪を抱き続けているかもしれない。―――それでも、このまま彼女との戦闘を続けるわけにはいかない。私は彼女が息を整えている内に、傷の痛みを我慢して立ち上がる。
「―――っく!とっととクタバレばいいものを!いいよ、もう一回お前を倒せば済む話だ!!!喰らえ、そしてボクの前からいなくなれ!!!」
「闇魔法―――久遠の空」
「―――っん。なっ……」
「眠れ。じゃじゃ馬娘」
ハァハァ―――。私は彼女が倒れたのを確認してから膝をついて大きく息を吐く。
まったく誰だ『じゃじゃ馬』なんて嘘を言ったのは!!!この子はただの――――――直情的で、ただ自分を守ることに必死で、仲間の名誉を、自分の誇りを大事にしているどこにでもいる小娘だ。
膝から崩れ落ちた彼女は先程の表情とは打って変わって、安らかな顔で眠りについている。私は痛みで言うことを聞かない身体に鞭を打ちながら、ゆっくりと四つん這いで彼女に近づく。
彼女の前髪を耳にかけてやりながら、私は耳許で囁く。
「すまないな……闇魔法の攻撃は相手の精神に負荷を掛けてしまうモノが多いから、出来ることなら使いたくなかったのだが。…ッフ、フハハハハハ!!!お前と私の相性が悪すぎた。―――まったく王族に怪我を負わせるなど大罪人だな、お前は!!!あ~~痛いな。痛みなど久しぶりだぞ」
魔力量では決して劣ってはいないが、どうやら戦いの経験値が足りなかったようだ。モンスター相手ならば、たとえ物理攻撃のみでも防げる手はいくらでもあった。ただ……どうにも相手を傷つけずに無力化するというのは難しいな。まだ十三歳となったばかりのこの身には、難易度の高すぎる要求だった。
「……この傷は完全には癒せそうにないか。フッ…この年でキズモノにされるとは思わなかったな」
戦闘の影響で割れた鏡で、その背中を映すと三本ずつ左右斜めに傷がある。
医療魔法を使えない私にとって、自然治癒だけでは治らないであろうこの傷はこれから一生その身に刻み込んだままとなる。王宮の医療魔法師に頼めば多少傷が薄くなるかもしれないが、もう継承戦は始まっている。兄上達に隙を見せる訳にはいかない私にとって、その選択肢はないのも同然。
「さてとお前が眠る間にどうしたら仲良く出来るか、考えるとするかな」
痛む背中を無視して、彼女を助けた時と同じようにお姫様抱っこで彼女を部屋から連れ出し、私の寝室へと一歩ずつ、のんびりと進んでいく。




