今生の別れ
生々しい音が聞こえた直後、壮琉は左腕に軽い痛みを覚えた。
「……っ」
声を出さないようにしつつ、左腕をすぐさま確認する。着物が少し破れ、そこから切り傷が……。
「!?」
押し入れの戸に視線を戻すと、刀の先端が戸を突き抜けていた。そして、狭い押し入れの中で血のにおいが充満する。
「ぐっ……がっ……」
男は宗賢の手から刀を奪い、押し入れの戸へ容赦なく突き刺す。そして宗賢は、押し入れの戸の前へ身を滑り込ませた。
(父上!!!)
父が刀で刺されたと分かった途端、壮琉は大粒の涙を流す。すぐにでも押し入れから飛び出し、叫びたいところだったが——。父の大きな体で戸が抑えられ、簡単には開けられなかった。
「ふっ……那珂川の矢でなければ……お主など、この程度か……」
男がそう言った直後、さらに刀を押し込まれる。そして、宗賢のうめき声が押し入れの中にも届く。刃先が壮琉にも近づき、恐怖心と絶望感に追い討ちをかけられていた。
(父上が……このままでは……死んでしまう!)
父の血で赤く染まった刀――壮琉の精神はもはや限界に近かった。
「うおぉぉ!!!」
「!?」
次の瞬間、宗賢は力を振り絞るように雄叫びをあげ、隠し持っていた短剣で男の腹部を刺す。術による痺れと激痛でまともに動けない腕だったが、刃はかろうじて男の腹部を捉えていた。その結果、相手の男は酷く動揺した様子だった。
「お主……よくもこの私を……短剣で……ハッ……血が……」
「はっ……その程度でたじろぐとは……軍の者ではないな……」
口内に溜まった血を唾と一緒に吐いた宗賢。苦痛に耐えながらも、宗賢は「次は急所を狙うぞ……」と返す。宗賢の剣幕に自分が不利だと悟ったのか、男は腹の傷を抑えながら部屋を後にした。
***
押し入れの戸に背中を預けたままの宗賢は、中にいる息子のことを気にかけた。
「壮琉……無事か……」
「ち、父上! うぅ……」
「はっ……まったく……泣いてるのか……少し待ってなさい……」
少し笑った宗賢は、自分に刺さった刀を握る。数秒ほど間が空いた後、意を決して刀を引き抜こうとした。
「ぅうっ……ぐぅっ……」
言葉にならない痛みのせいで、苦しい声が思わず漏れる。だが、刀が戸まで刺さっていては、息子が出られない。そのためにも、すぐに刀を自らの手で抜くしかなかった。
「……さ……出てきなさい……壮琉……」
やっとの思いで横に体をずらした後、宗賢は壮琉の名前を呼ぶ。壮琉は父に呼ばれるまで、約束通り押し入れにいたが——。
「父上……そんな……」
戸から出た直後、壮琉は変わり果てた父の姿に言葉を失う。刀で刺された胸元だけでなく、目と鼻と口も大量の血が流れ落ち、宗賢の顔面は赤黒くなっていた。
「申し訳ありません……私が……助太刀できれば……」
「謝るな……父が……そう指示したのだから……うっ……」
「父上!」
苦しそうに咳き込み、宗賢はそのまま横に倒れた。
「巡査……巡査と医者を……呼びますから……」
(それともさっきの男を追うべきか? いや、父上をこのままにしては……)
口ではそう言ったものの、頭の中では別のことを考えていた。ひどく狼狽する壮琉に対し、宗賢は息子の左手を掴んだ。
「必要ない……私はじきに死ぬ……」
「え……」
父の一言を聞き、頭の中が一瞬で真っ白になる。それでも宗賢は、息子の目をじっと見つめた。
「私が言うことを……しっかり聞いてくれ……壮琉」
今もなお出血をしているにもかかわらず、宗賢は息子を落ち着かせようとする。父の真剣な眼差しに、壮琉は右腕で涙を強く拭う。
「何でしょうか……」
今は父の話を黙って聞こうと決心した。壮琉の様子に微笑を浮かべると、宗賢は持っていた短剣を震えながら壮琉に差し出す。
「これを……お前に……」
「それは那珂川の……」
短剣には、父が刺した男の血がついていた。
「そうだ……お前が持ってなさい」
再び涙がこぼれ落ちるものの、今は無言で鞘に納めるしかなかった。壮琉の手元に渡った後、宗賢は再び口を開いた。
「壮琉……今から言うことは……最期の頼みだ……」
父の一言に、壮琉は再び涙が流れる。
「必ず逃げ切り、必ず生き延びるんだ……」
宗賢に突然そう言われ、壮琉は混乱する。
(逃げる? 生き延びる? 父上がこんな状況なのに?)
返事がすぐ出てこなかった壮琉は、なんとか首を振って父の言葉を否定した。
「……で、できません……そしたら、父上が……」
すると宗賢は、さっきよりも強い力で壮琉の手を握った。
「丈夫なお前の足なら……遠くに逃げられる……大丈夫だ……」
「……うぅ……父上……」
宗賢の手の甲に、壮琉の涙が何粒も落ちる。宗賢は最後の力を振り絞るよう、反対の手で壮琉の頬を触った。血で染まった手だが、壮琉は父の温もりを感じようと自身の手を重ねる。
「さぁ……奴らが来る前に……もう行きなさい……」
「父上……」
「奴ら」の一言に、心臓が潰れるような痛みを覚えた壮琉。さっきの男のように、誰かが自分を狙ってくるのかと、一気に現実へと戻される。
「窓から出なさい……今晩中に帝都を……ゴホッゴホッ……」
咳き込みながら血を吐く宗賢を見て、この瞬間が本当に父との別れだと悟った。
「……分かりました……」
壮琉が涙ながらにそう言うと、お互いに握っていた手がゆっくりと離れる。壮琉は少し下がり、倒れる父の横で深く一礼した。
「うぅ……」
(父上……最期を見届けられず……申し訳ありません……)
小さい嗚咽を漏らしながら頭を下げる息子を見て、宗賢も血と混ざった涙を一筋流した。
(すまない壮琉……父はここまでだ……)
顔を上げた直後、壮琉は父と目が合う。宗賢が微笑みながら頷いたのを見て、壮琉も涙をこらえ、無理に笑って頷いた。床に膝をついたままの姿勢から勢いよく立ち上がると、窓へと駆け寄り、その枠に足をかける。
「……壮琉!」
後ろから呼ばれ、すでに体が外に出ていた壮琉は、部屋へ体を向ける。
「……後は頼んだぞ……」
掠れた声で父にそう言われると、壮琉は一瞬下を向き、ぎゅっと目を瞑る。
「……はい!」
やっとの思いで返事をした後、壮琉は父の姿を目に焼き付けるように数秒間見つめる。覚悟を決めると屋根の上へ登り、宗賢の前から姿を消したのだった。
***
息子の姿を最後まで見届けた後、宗賢はしばらく窓を見つめていた。
(短剣は……澪様のために置いて行ったのではない……)
「ゴホッゴホッゴホッ!」
再び血と共に咳が出てくる。意識は遠のいていくが、宗賢は壮琉に言えなかったことを頭の中で巡らせていた。
(壮琉……お前たちを……守るためだ……)
「はぁ……っつ……」
体勢を仰向けにして、天井をじっと見つめる。
(あの子なら……きっとやれる……必ず乗り越える……)
息子への期待に、一瞬だけ笑顔を見せたが——宗賢の息はそこで途絶えた。




