父との約束
壮琉が奥の部屋に入ると、父の宗賢は胡坐をかいていた。そして、壮琉がやって来たことに驚いた顔をする。
「どうしてお前がここに?」
「忘れ物を届けにきたんです……」
壮琉は持っていた短剣を差し出すが、視線を落としたまま父にこう告げる。
「ただ……もしかして父上は短剣を忘れたのではなく、置いていったのかなと後から思いまして……」
「ん?」
「先ほど、廊下で澪様と穂積蘭子様にお会いしまして」
二人の名前を聞いた瞬間、目の色が変わった宗賢。そんな父の変化に気づかぬまま、壮琉は話を続けた。
「そしたら俺が短剣を持っていたことを……穂積様に疑われまして……」
「それで?」
「お会いするのが澪様と、その護衛がいるとなれば、短剣は武器としてみなされるなと……」
宗賢の格好を見てみると、軍服と共にある剣と銃は持っておらず、珍しく濃紺色の和装姿だった。
「忘れ物だと思って俺が余計なことをしてしまい、申し訳なかっ……」
壮琉が反省の気持ちを口にする一方で、宗賢は笑いを堪えるように下を向いていた。
「父上? なぜ笑っているのです?」
「くくっ……いや、何でもないのだ……お前のそういう純朴なところ……良いなと思ってな……」
「あの、俺、真面目に反省しているんですよ! 澪様たち、とても身分が高そうなので……後で父上が俺のせいでお叱りを受けるんじゃないかって」
「うーん、特に澪様は身分が高いどころじゃないからな」
「えっ?」
宗賢が何気なく言い放った言葉に、背筋が凍る壮琉。今にも大粒の涙をこぼしそうな息子を見て、宗賢はとうとう堪えきれずに吹き出した。
「アハハ! 冗談だ! すぐそうやって目を潤ませるな!」
「でも父上……」
壮琉の両肩を強く掴み、泣きそうな息子を優しくなだめる。
「澪様は聡明で優しいお方だ! まぁ、護衛の穂積殿は少し怖い雰囲気だったが問題ないだろう!」
たった数分のやり取りだったが、澪の優しさと澪に忠実な蘭子の姿は壮琉もこの目で見ている。壮琉は何度も頷きながら「そうですね」と落ち着きを取り戻した。
「ん?」
壮琉の両肩をポンポンと触っていた宗賢は、息子の体格に変化を感じた。
「ち、父上? くすぐったいのですが……」
腕や背中の筋肉を確かめるように、宗賢は眺めたり触れたりしていた。
「壮琉、いつの間にか筋肉が随分とついてきたな」
宗賢は軍務の都合で、家を長く空けることが多い。久々に家へ帰ると、幼い瑠璃が話すようになったり、壮琉の背が伸びたりと、その変化に驚くことはよくあった。
「はい、最近は剣術の実力がついてきました。恐らく、この一年で体が大きくなってきたのもあるんですが」
宗賢は世の男性よりも大柄な体格だった。息子の成長ぶりを見て、嬉しそうに目を細めた。その腕や背中を眺めながら、ふと思い出したように口を開く。
「良いことだ。どうだ、今度久々に弓術をやってみないか?」
数年前、弓術が得意な父から基礎を教えてもらった壮琉。しかし当時は小柄だったため、思うように弓が引けなかったのだった。
「上背もあるし、筋肉もしっかりある。今のお前ならきっとできるだろう」
「ぜひやりたいです! あと、剣術も今度手合わせしたいです!」
かつて流鏑馬を父と見に行ったことで、壮琉は弓術への憧れを抱いていた。一度は諦めた弓術を、再び父と一緒にできる——そう思うと、ますます胸が高鳴った。
「そうか! 剣術も、どちらもやろう!」
「はい!」
「楽しみだな、お前と一緒にできる日が!」
宗賢の大きな手で頭を撫でられ、藍色の短髪がくしゃくしゃになる。父の愛情表現に、壮琉は満面の笑みを浮かべた。
***
澪と蘭子が使った湯呑みを片付けるよう頼まれ、壮琉は下の階に降りてきた。
「女将さん。洗い物が終わったら、何か手伝いますか?」
「助かるわ。そしたらこっちの片づけを頼んでもいいかしら?」
「分かりました」
お勝手で湯呑みを洗った後、頼まれた手伝いに取りかかった。
「女将さんはさっき上の階にいた人たちを知っているんですか?」
「いや……初めて見たわね……。あんなにも気品溢れた人たち、ここには普通来ないから」
「気品溢れた人……」
澪と蘭子の姿を思い出したものの、壮琉は身震いをして片づけに専念しようとする。
そのときだった。突然、橘香堂の入り口が乱暴に開く音がしたのだ。
「何者だ!」
入り口がある方向から、薬屋の旦那の大きな声が聞こえてきた。一緒にいた女将と目が合い、首を傾げた次の瞬間——。
「うわぁぁ!」
突然、旦那の悲鳴と共に複数人の足音が響き渡る。
「あんた!?」
叫びを聞いた女将は、ひどく動揺しながらお勝手を出ようとする。
「待って女将さん! 俺が先に行きます。誰かいるかもしれないので……」
恐怖で体が震える女将は、壮琉の言葉に小さく頷く。お勝手にある包丁に一瞬目を向けた壮琉。だが、まだ刃物を手にする覚悟が持てず、とっさに立てかけてあった竹箒を握りしめる。唾を飲み、お勝手から出る戸をゆっくり開けると——。
「!」
旦那は両手で傷口を押さえ、床に倒れていた。
「ぐっ……壮琉……」
腹部から出血があるものの、意識はあり、壮琉と女将に気づいた様子だった。壮琉と女将は旦那に近づき、女将は涙ながらも手ぬぐいで傷口を塞ごうとする。
「あんた! しっかりして!」
「大丈夫だ……」
「旦那さん、いったい何が……」
旦那に事情を聞こうとすると、階段の向こうから激しい物音が聞こえてきたのだった。
「父上……?」
今日の父は武器を持っておらず、丸腰の状態。そのことを思い出し、壮琉は顔を青ざめさせた。
「……曲者だ……三人が……二階に……」
なんとか説明してくれた旦那の言葉を聞き、壮琉は階段に目を向ける。
(どうか父上……ご無事で……)
そして、壮琉は足音を立てないように上へと上がった。




