二人の高貴な女性
◎③二人の高貴な女性
薬屋の橘香堂へと到着した壮琉。一階は薬屋を営んでおり、二階は宿泊施設になっていた。
「壮琉くん? いらっしゃい、何かお探し?」
昔から顔馴染みである薬屋の女将に声をかけられ、笑顔で「こんばんは」と挨拶をした。
「父がここにいると聞きまして」
「……えぇ」
壮琉の問いかけに、女将は少しぎこちない返事をする。一瞬「何だろう」と思った壮琉だが、彼には大事な用事があった。
「父に急ぎお渡ししたいものがありまして」
「あぁ、そうかい。それは一大事だね。二階にいるんだ……」
女将の後をついていこうとした、その直後だった。
「女将さん、すぐに薬をもらえるかい? 急患が出てしまって……」
突然、背後から慌てた様子の男性が薬屋にやって来た。額と着物は汗でびっしょりと濡れていた。
「女将さん、俺一人で行けるので、薬を用意してあげてください」
「悪いわね。上には他のお客さんもいるから、歩くときは静かにね」
「はい、分かりました」
女将の言いつけを守ろうと、壮琉はゆっくりと階段を上がっていく。壮琉の後ろ姿を見送り、女将はこう呟いた。
「あの感じだと……ただ者じゃないだろうね」
女将は数十分前、薬屋にやって来た二人の女性を思い出す。一人は江戸紫色の制服を着用し、上品さと可憐さを兼ね備えた女性。もう一人は落ち着いた色の着物に馬袴を合わせていたが、こちらも一目で上等な身なりだと分かった。
『仕事中にすまない。こちらに、那珂川宗賢殿はおいでだろうか』
たった一言だけで、女性たちの高貴さが伝わってきたのだった。
「壮琉くんはしっかりしてるから……粗相はしないでしょう」
そう言いながら女将は、急いで薬の準備を進めていた。
***
階段を上り切ったが、二階は思ったよりもかなり静かだった。父の声すらも聞こえず、壮琉は少し頭を悩ませる。
(父上は一体どの部屋にいるんだろう……)
周囲をキョロキョロ見渡すと、誰かとぶつかった衝撃で、壮琉はお尻から床に倒れ込んだ。
「いてて……」
「おかみ! 大丈夫ですか?」
『おかみ』という響きを聞き、壮琉はぶつかった相手が『女将』かと思ったが——。目の前にいたのは、二十代くらいの若い女性二人組。着物姿の女性が体勢を崩しかけ、制服姿の女性が支えていた。
「大事ない。ここではそう呼ぶでない」
「……申し訳ありません」
小声でそんな会話をした後、女性たちはすぐに立ち上がった。
「すまない、怪我はないか?」
「あ、はい……俺は大丈夫です……」
着物姿の女性と目が合った直後、壮琉は目を見開き、一瞬だけ思考が停止する。
(綺麗な人だ……それに、すごく圧倒的な雰囲気が……)
漆黒の艶髪で結われた束髪。力強さを感じさせる大きな瞳と、桜色の唇。自分の母が着ている着物よりも、はるかに高そうな物を着ていた。
「少年、怪我がないのなら、さっさと起き上がりなさい。通路の妨げだ」
「は、はい!」
それに対して、高圧的に言ってきた制服の女性は明るい赤髪が特徴的だった。高い位置で髪を左右にまとめ、髪色と同じような赤い結び帯をしている。その女性も大きい瞳だが、凛々しい目つきをしていた。
急いで起き上がった壮琉は、懐にしまっていた短剣がないことに気づく。その短剣は、制服の女性がすでに拾っていたのだった。
「これは少年のものか?」
「は、はい」
「いったい何のために持っているのだ?」
女性にジロリと睨まれ、壮琉の緊張感が増す。
「父の忘れ物を届けるため……です」
「父親……?」
短剣をまじまじと見た後、着物姿の女性は「これはもしや……」と呟き、
「そなたは那珂川少佐の息子か?」
「さ、左様にございます」
緊張が最高点に達し、いつの間にか硬い言葉で返事をしてしまった壮琉。そんな様子を見て、女性はニコニコと笑っていた。
「失礼。私は澪と申す。先ほど君のお父上と仕事の話をしていたのだ。それと、隣にいるのは私の護衛をしている穂積蘭子だ」
澪と名乗る女性は、簡潔に自分と部下の紹介をする。父の仕事関係の人だと分かり、壮琉は少し安堵の表情を浮かべた。
蘭子に会釈をされ、壮琉も真似するように一礼。そして蘭子は、持っていた短剣を壮琉に返した。
「澪様をお守りするため、武器が近くにあると警戒してしまうのだ。疑ってすまなかった」
「あ、いいえ! 俺こそ父のお仕事の方とは知らず……すみませんでした」
「良いのだ。少佐の息子に偶然会えたのは幸運なことだ。なぁ蘭子」
「はい」
壮琉の謝罪に対し、澪は明るく切り返す。温かい返答に笑顔を浮かべながらも、壮琉はまだ緊張していた。
「その短剣は那珂川家にとって大事なものだろう。急ぎ少佐に届けなさい」
「那珂川少佐は奥の部屋だ」
「はい、ありがとうございます。失礼します」
二人にそう言われた後、壮琉は深くお辞儀をして父の元へ向かった。
***
壮琉の姿を見送った後、澪と蘭子はいたずらっぽく笑っていた。
「久々に澪と名乗ったな……」
「……私もです。久々に『澪様』とお呼びしました」
「ふふっ……素性を隠すのは案外難しいな」
「そう仰るわりにはスラスラと話していましたよ」
張り詰めた空気がほどけ、二人は朗らかに話をしながら歩く。階段を降りた後、女将に挨拶して薬屋の外へ出ていった。
「ところで蘭子。そなたは少佐の話をどう思う?」
帰りの準備中、澪は蘭子に質問する。
「正直、本当なのか分からないです。しかし、那珂川少佐が偽りを申しているとも思えません」
「そうよね。私も同感だ。それにしても、まさかこの機に少佐の息子と会うとは……実に驚いた」
「まったくです」
すると二人は、真っ暗な外を見上げ、うごめく黒雲をじっと見つめる。
「ずいぶん暗いな……今晩は月明かりもなさそうだ。急いで戻ろう」
「承知いたしました」
馬に跨ると、二人は夜闇に溶けるように、その場を去っていった。




