参拝に来た美少年 前編
雅臣から弓術の指導を受けてから、壮琉は規則正しい生活を送っていた。早朝に神社の敷地内で何周も走り込み、精神統一のために瞑想をして——。まずは矢が的に当たることを目標に掲げ、射法八節を完璧にできるよう日々努力した。
ある日、朝食を終えた壮琉が、弓道場へ行こうとしたときだった。
「あのっ、壮琉さん」
背後から絹江のか細い声が聞こえた。絹江は以前よりも壮琉の名前を呼んでくれるようになった。呼び捨てまではいかないものの、壮琉は嬉しく思っていた。
「こ、これから弓道場ですか?」
「うん、もっと練習したくて。どうかした?」
「いや、その……。奥宮の掃除がしたいのですが……ここのところ晴れ続きで……外に出られなくて……」
絹江の手元には、掃除道具が一式揃っていた。この日の外は雲一つない快晴で、太陽の日差しに弱い絹江には掃除は難しいだろうと悟る。ただ、それ以上に驚いたのは——。
「奥宮って? ここ以外にも建物があるの?」
「えっと、鳥居を出た右に細道があるんですけど……そこを道なりに歩くと奥宮があるんです……」
「そうなんだ、知らなかった」
弓道場があることにも驚いたが、広大な神社の広さに改めて驚かされた。
「そしたら俺、行ってくるよ!」
「いいんですか? お願いして……」
壮琉は掃除道具を受け取った。
「もちろん。それに、どんな奥宮か見てみたいし」
「あ、ありがとうございます」
絹江のお礼に対して「行ってくるね!」と返し、駆け足で奥宮へと向かうのだった。
***
奥宮へと進み始めて約三十分が経過——想像よりも険しい道だったため、壮琉は途中で走るのをやめた。
(足場は悪いし傾斜もある……結構大変だな……)
「よいしょ……」
足を滑らせないよう、壮琉は慎重に歩みを進めていると——。
「おぉ……でかい山……」
見晴らしの良い場所に出ると、視線の先には大きい山が見えてきた。
(あれは……神坐山だったか。こんなに近くから見えるのは初めてだ)
『神坐山』とは、国のちょうど真ん中に位置する標高が最も高い山。東西からも見えるため、快晴の日は那珂川の家からも頂上は見えていた。圧倒的な存在感を放つ神坐山に魅了されていると、壮琉は掃除道具を落としてしまった。
「いけない……奥宮に行かなきゃ……」
素早く拾い、神社から辿ってきた道へ再び進もうとすると……。
「え……」
壮琉が立っているところから左側の方角に、一人の少年が立っていた。ゆっくり近づくと、少年は小さい奥宮で手を合わせ、静かに目を瞑っている様子。自分が向かっていた奥宮は、ここであることに違いないと思っていると、
「……何者だ」
「へっ……」
少年は目を瞑っている状態で、近づいてきた壮琉に突然声をかける。驚いて間抜けな声しか出せなかった壮琉は、何歩か後退りをした。
「何者なんだと聞いてるんだが……聞こえないのか?」
少年は目をあけて、奥宮をじっと見つめながら話す。壮琉のほうをまったく見ず、同じことを尋ねてきた。
「えっと……俺は那珂……」
『しばらく壮琉は身を隠したほうがいいかもしれない』
雅臣の言葉を思い出し、壮琉は首を小さく振って言い改める。
(念のため名字は伏せておこう……)
「壮琉っていいます。神社の巫女から掃除を頼まれてここに……」
壮琉がそう言うと、目の前の少年はようやくこちらを見てくれたが……。
「!」
初めて真正面から見た少年は、襟足まで伸びた明るい茶髪に、朱色の大きい瞳をしていた。
(男だよな? すごく綺麗な顔立ち……だけど……)
美しい顔を持つ少年だが、着物の汚れや破れが目につく。それでいて、背丈は壮琉よりも小さく華奢だった。
「あ……」
少年の顔を見た直後、壮琉の目に留まったのは腰に忍ばせている剣だった。本来、軍人以外が武器を持つことは許されていない。一見すると、少年の剣は隠されていたが——今の壮琉には、剣を見るだけで精神的に苦痛だった。
「壮琉と言ったか」
「あ、はい!」
少年の呼びかけで我に返り、慌てて返事をした。
「この辺りに神社があるのか?」
「はい、えっと……ここから三十分くらいですかね」
(神社の前を通らなかったのか? この人……どうやってここまで来たんだろう……)
奥宮に行くには、神社の目の前を通るはず。少年がどのように奥宮まで来たのか疑問に思いつつも、相手に返事をした。
「そうだったのか。よければその神社に案内してくれないか」
「はい。あの、ここの掃除が終わってからでもいいでしょうか」
「ああ、構わない」
「すぐ終わらせますので」
(俺と同じくらいか、年下に見えるけど……随分と物言いが強い……)
不快な気持ちをグッと堪え、壮琉は奥宮の掃除を始めたのだった。
***
掃除を済ませた後、壮琉は少年を連れて神社へと戻ることになった。帰り道は下りなので、行きよりも足取りは軽かったのだが——。
「あの……お名前を聞いてもいいでしょうか?」
掃除に集中していたことで、少年の名前を聞きそびれてしまい、向こうから話しかけられることも一切無かった。
「名前……」
「山奥の神社なので、参拝客が滅多に来ないんです。なので、宮司様と巫女もあなたの参拝を喜ぶかなと思いまして」
「滅多に」どころではない。壮琉は神社に来た参拝客を一度も見たことがなかった。少し間が空いたが、少年は小さい声で名乗ってくれた。
「……裕成。大芦……裕成と言う」
「大芦裕成さんですか。俺、歳は十五なんですけど、裕成さんは……」
「十五だ」
「ああ、同じ年ですね!」
「……そうだな」
同い年と分かったものの、裕成の威圧的な空気に飲まれ、そのまま敬語で話すことになった。
「裕成さんは旅をされてたのですか?」
「……そんなところだな」
「そう、だったのですね」
「……」
壮琉の声がけに、淡々とした口調で返す裕成。隣にいた壮琉は、居心地の悪さを感じていた。
***
奥宮から歩き始めて約三十分後、ようやく神社が見えてきた。
「あちらです。あの鳥居の向こうが契瀧神社です」
行きよりも帰りのほうが長く感じた壮琉は、安堵の表情を浮かべる。ところが、裕成は険しい表情をしていた。
「……どこにもないじゃないか」
「え?」
壮琉が振り返ると、横にいた裕成が数歩下がったところに立っていた。確かに壮琉は鳥居の真下まで来ているが、
「鳥居どころか、神社の建物すら見えないが」
「なっ、どうして……」
大きい瞳を尖らせ、裕成は壮琉をきつく睨んでいた。まるで、壮琉が悪人かのように——。裕成の激しい剣幕に、壮琉が緊張で固まっていると、反対側から宮司がやって来た。
「宮司様、お戻りですか」
「あぁ。近くで山菜が採れたんだ。その方は?」
「あの……奥宮で会った方でして……。大芦裕成さんという……」
「お前が神社の宮司なのか?」
「!」
壮琉の言葉を遮った直後、裕成は腰元にある剣へ手をかけていた。これには壮琉も驚きを隠せなかった。
「左様です。契瀧神社の者です」
「嘘を申すな。私の目には神社なんて見えないぞ」
「えぇ。あなた様の仰る通りです」
「え?」
「え?」
宮司の意外な一言に、壮琉と裕成は目を点にする。
「壮琉。滝から水を汲んできてくれないか」
「水ですか?」
「手水舎からでも良い。手桶で水を汲んで、柄杓と一緒に持ってきてくれ」
「わ、分かりました」
宮司に言われるがまま、壮琉は鳥居をくぐって水の用意を始める。すると、裕成の視界に壮琉が忽然と消えたのだった。
「これは一体……」
「この神社は、選ばれた者でなければ、ここには入れません」
「選ばれた者……」
「詳細は壮琉が水を持ってきたときに説明します。あの子も知らないことなので」
「……分かった」
宮司にそう言われ、剣から手を離す。右目だけでじっと見つめる宮司の視線に、裕成は言葉を続けることができなかった。
***
その後、壮琉は駆け足で鳥居の前に戻ってきた。宮司に言われた通り、手には水を汲んだ手桶と柄杓。宮司は柄杓で水をすくい、裕成の前に出した。
「御神体である滝から取った水です。この水を取り込むと神社が現れます」
「え……」
宮司の言葉に目を見開く壮琉。一方、裕成は柄杓に入った水を見つめたまま固まっていた。
「ただし、この水は誰にでも効くものではありません。水を取り込んでも、自身の目に神社が映らないこともあります」
さっき会ったばかりの人から、突然水を飲むように言われ——自分を試されている状況に裕成は困惑していた。
(まさかだろうが……毒、ではないよな……)
数ヶ月前、裕成の身に起きたことが頭の中で再生される。最愛の長兄が、毒殺された瞬間が——。
「宮司様、あの……ちなみに俺はどうして神社に入れたんですか?」
裕成が深刻な顔をしている中、壮琉は素朴な疑問を口にする。
「それは恐らく……壮琉は滝に落ちた衝撃で水を飲んだんだろう」
「は?」
裕成は思わず顔を上げた。
(滝から落ちた? こいつが?)
しかし当の壮琉は、
「なるほど! だから最初から神社が見えたんですね!」
疑問が解決できて、とても晴れやかな表情を見せた。
(怖……というか、よく生きていたな……)
裕成は心の中で突っ込みを入れた。
「でも、水の味はさすがに覚えてないな……俺も飲んでみていいですか?」
「構わないが……味は特にしないぞ」
宮司は柄杓を壮琉に渡して、そのままグイッと飲み干す壮琉。
「あぁ……無味無臭だ……」
「……だからそう言ったじゃないか」
裕成から見て怖い印象だった宮司が、壮琉の感想にウケていた。このやり取りに少し心が動いたのか、裕成は小さく「俺にも水を……」と呟く。
壮琉は柄杓に水を取り、裕成に「どうぞ!」と柄杓ごと差し出した。恐る恐る受け取り、裕成は目をつぶって一気に水を飲む。
「……!」
そして、ゆっくり目を開くと、さっきまで見えなかった神社が姿を現したのだった。
「……見えたようだな」
「おぉ、良かった!」
二人に見守られる中、裕成は目の前の鳥居から手前に置かれた動物の像などを見渡す。
(手入れされてるが、随分と古い神社だ……狛犬も変わった形だ……見たことない)
「そちらは狛狼です」
「狛狼?」
狛狼をじっと見つめる裕成に、宮司は軽く説明する。
「この神社、そしてこの山の守り神として祀られているのです」
「なるほど……」
裕成がふと見つめていたのは、頑丈な石でできた二つの狼。もちろん壮琉も初めて知ったが——。
(狼……確かこの山、夜中に狼の鳴き声が聞こえるよな)
かつて帝都から逃げてきたとき、山の中で狼の吠声を耳にしたことを思い出す。目の前にある狼の石像を見て、壮琉は不思議な繋がりを感じた。
「改めて……よくおいでくださいました。中へ案内します」
「あぁ」
宮司の後をついていこうとしたが、鳥居をくぐる直前、宮司は突然後ろへ振り返った。
「大芦殿といいましたか」
「……あぁ、そうだが」
自分のことを名字で呼ばれ、少し動揺する裕成。なぜなら、裕成の名字は「大芦」ではないからだ。
「これより先は神域です。むやみに剣を出しませんように……」
「承知した」
宮司からの静かな忠告を受け、裕成は剣の存在を消すように隠したのだった。




