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禊矢の弓士  作者: さきみやめぐ
第三章

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参拝に来た美少年 前編

 雅臣から弓術の指導を受けてから、壮琉は規則正しい生活を送っていた。早朝に神社の敷地内で何周も走り込み、精神統一のために瞑想をして——。まずは矢が的に当たることを目標に掲げ、射法八節を完璧にできるよう日々努力した。


 ある日、朝食を終えた壮琉が、弓道場へ行こうとしたときだった。


「あのっ、壮琉さん」


 背後から絹江のか細い声が聞こえた。絹江は以前よりも壮琉の名前を呼んでくれるようになった。呼び捨てまではいかないものの、壮琉は嬉しく思っていた。


「こ、これから弓道場ですか?」

「うん、もっと練習したくて。どうかした?」

「いや、その……。奥宮の掃除がしたいのですが……ここのところ晴れ続きで……外に出られなくて……」


 絹江の手元には、掃除道具が一式揃っていた。この日の外は雲一つない快晴で、太陽の日差しに弱い絹江には掃除は難しいだろうと悟る。ただ、それ以上に驚いたのは——。


「奥宮って? ここ以外にも建物があるの?」

「えっと、鳥居を出た右に細道があるんですけど……そこを道なりに歩くと奥宮があるんです……」

「そうなんだ、知らなかった」


 弓道場があることにも驚いたが、広大な神社の広さに改めて驚かされた。


「そしたら俺、行ってくるよ!」

「いいんですか? お願いして……」


 壮琉は掃除道具を受け取った。


「もちろん。それに、どんな奥宮か見てみたいし」

「あ、ありがとうございます」


 絹江のお礼に対して「行ってくるね!」と返し、駆け足で奥宮へと向かうのだった。


***


 奥宮へと進み始めて約三十分が経過——想像よりも険しい道だったため、壮琉は途中で走るのをやめた。


(足場は悪いし傾斜もある……結構大変だな……)

「よいしょ……」


足を滑らせないよう、壮琉は慎重に歩みを進めていると——。


「おぉ……でかい山……」


 見晴らしの良い場所に出ると、視線の先には大きい山が見えてきた。


(あれは……神坐山(かみくらやま)だったか。こんなに近くから見えるのは初めてだ)


『神坐山』とは、国のちょうど真ん中に位置する標高が最も高い山。東西からも見えるため、快晴の日は那珂川の家からも頂上は見えていた。圧倒的な存在感を放つ神坐山に魅了されていると、壮琉は掃除道具を落としてしまった。


「いけない……奥宮に行かなきゃ……」


 素早く拾い、神社から辿ってきた道へ再び進もうとすると……。


「え……」


 壮琉が立っているところから左側の方角に、一人の少年が立っていた。ゆっくり近づくと、少年は小さい奥宮で手を合わせ、静かに目を瞑っている様子。自分が向かっていた奥宮は、ここであることに違いないと思っていると、


「……何者だ」

「へっ……」


 少年は目を瞑っている状態で、近づいてきた壮琉に突然声をかける。驚いて間抜けな声しか出せなかった壮琉は、何歩か後退りをした。


「何者なんだと聞いてるんだが……聞こえないのか?」


 少年は目をあけて、奥宮をじっと見つめながら話す。壮琉のほうをまったく見ず、同じことを尋ねてきた。


「えっと……俺は那珂……」


『しばらく壮琉は身を隠したほうがいいかもしれない』


 雅臣の言葉を思い出し、壮琉は首を小さく振って言い改める。


(念のため名字は伏せておこう……)

「壮琉っていいます。神社の巫女から掃除を頼まれてここに……」


 壮琉がそう言うと、目の前の少年はようやくこちらを見てくれたが……。


「!」


 初めて真正面から見た少年は、襟足まで伸びた明るい茶髪に、朱色の大きい瞳をしていた。


(男だよな? すごく綺麗な顔立ち……だけど……)


 美しい顔を持つ少年だが、着物の汚れや破れが目につく。それでいて、背丈は壮琉よりも小さく華奢だった。


「あ……」


 少年の顔を見た直後、壮琉の目に留まったのは腰に忍ばせている剣だった。本来、軍人以外が武器を持つことは許されていない。一見すると、少年の剣は隠されていたが——今の壮琉には、剣を見るだけで精神的に苦痛だった。


「壮琉と言ったか」

「あ、はい!」


 少年の呼びかけで我に返り、慌てて返事をした。


「この辺りに神社があるのか?」

「はい、えっと……ここから三十分くらいですかね」

(神社の前を通らなかったのか? この人……どうやってここまで来たんだろう……)


 奥宮に行くには、神社の目の前を通るはず。少年がどのように奥宮まで来たのか疑問に思いつつも、相手に返事をした。


「そうだったのか。よければその神社に案内してくれないか」

「はい。あの、ここの掃除が終わってからでもいいでしょうか」

「ああ、構わない」

「すぐ終わらせますので」

(俺と同じくらいか、年下に見えるけど……随分と物言いが強い……)


 不快な気持ちをグッと堪え、壮琉は奥宮の掃除を始めたのだった。


***


 掃除を済ませた後、壮琉は少年を連れて神社へと戻ることになった。帰り道は下りなので、行きよりも足取りは軽かったのだが——。


「あの……お名前を聞いてもいいでしょうか?」


 掃除に集中していたことで、少年の名前を聞きそびれてしまい、向こうから話しかけられることも一切無かった。

 

「名前……」

「山奥の神社なので、参拝客が滅多に来ないんです。なので、宮司様と巫女もあなたの参拝を喜ぶかなと思いまして」


 「滅多に」どころではない。壮琉は神社に来た参拝客を一度も見たことがなかった。少し間が空いたが、少年は小さい声で名乗ってくれた。


「……裕成(ゆうせい)。大芦(おおあし)……裕成と言う」

「大芦裕成さんですか。俺、歳は十五なんですけど、裕成さんは……」

「十五だ」

「ああ、同じ年ですね!」

「……そうだな」


 同い年と分かったものの、裕成の威圧的な空気に飲まれ、そのまま敬語で話すことになった。


「裕成さんは旅をされてたのですか?」

「……そんなところだな」

「そう、だったのですね」

「……」


 壮琉の声がけに、淡々とした口調で返す裕成。隣にいた壮琉は、居心地の悪さを感じていた。


***


 奥宮から歩き始めて約三十分後、ようやく神社が見えてきた。


「あちらです。あの鳥居の向こうが契瀧神社です」


 行きよりも帰りのほうが長く感じた壮琉は、安堵の表情を浮かべる。ところが、裕成は険しい表情をしていた。


「……どこにもないじゃないか」

「え?」


 壮琉が振り返ると、横にいた裕成が数歩下がったところに立っていた。確かに壮琉は鳥居の真下まで来ているが、


「鳥居どころか、神社の建物すら見えないが」

「なっ、どうして……」


 大きい瞳を尖らせ、裕成は壮琉をきつく睨んでいた。まるで、壮琉が悪人かのように——。裕成の激しい剣幕に、壮琉が緊張で固まっていると、反対側から宮司がやって来た。


「宮司様、お戻りですか」

「あぁ。近くで山菜が採れたんだ。その方は?」

「あの……奥宮で会った方でして……。大芦裕成さんという……」

「お前が神社の宮司なのか?」

「!」


 壮琉の言葉を遮った直後、裕成は腰元にある剣へ手をかけていた。これには壮琉も驚きを隠せなかった。


「左様です。契瀧神社の者です」

「嘘を申すな。私の目には神社なんて見えないぞ」

「えぇ。あなた様の仰る通りです」

「え?」

「え?」


 宮司の意外な一言に、壮琉と裕成は目を点にする。


「壮琉。滝から水を汲んできてくれないか」

「水ですか?」

「手水舎からでも良い。手桶で水を汲んで、柄杓と一緒に持ってきてくれ」

「わ、分かりました」


 宮司に言われるがまま、壮琉は鳥居をくぐって水の用意を始める。すると、裕成の視界に壮琉が忽然と消えたのだった。


「これは一体……」

「この神社は、選ばれた者でなければ、ここには入れません」

「選ばれた者……」

「詳細は壮琉が水を持ってきたときに説明します。あの子も知らないことなので」

「……分かった」


 宮司にそう言われ、剣から手を離す。右目だけでじっと見つめる宮司の視線に、裕成は言葉を続けることができなかった。


***


 その後、壮琉は駆け足で鳥居の前に戻ってきた。宮司に言われた通り、手には水を汲んだ手桶と柄杓。宮司は柄杓で水をすくい、裕成の前に出した。


「御神体である滝から取った水です。この水を取り込むと神社が現れます」

「え……」


 宮司の言葉に目を見開く壮琉。一方、裕成は柄杓に入った水を見つめたまま固まっていた。


「ただし、この水は誰にでも効くものではありません。水を取り込んでも、自身の目に神社が映らないこともあります」


 さっき会ったばかりの人から、突然水を飲むように言われ——自分を試されている状況に裕成は困惑していた。


(まさかだろうが……毒、ではないよな……)


 数ヶ月前、裕成の身に起きたことが頭の中で再生される。最愛の長兄が、毒殺された瞬間が——。


「宮司様、あの……ちなみに俺はどうして神社に入れたんですか?」


 裕成が深刻な顔をしている中、壮琉は素朴な疑問を口にする。


「それは恐らく……壮琉は滝に落ちた衝撃で水を飲んだんだろう」

「は?」


 裕成は思わず顔を上げた。


(滝から落ちた? こいつが?)


 しかし当の壮琉は、


「なるほど! だから最初から神社が見えたんですね!」


 疑問が解決できて、とても晴れやかな表情を見せた。


(怖……というか、よく生きていたな……)


 裕成は心の中で突っ込みを入れた。


「でも、水の味はさすがに覚えてないな……俺も飲んでみていいですか?」

「構わないが……味は特にしないぞ」


 宮司は柄杓を壮琉に渡して、そのままグイッと飲み干す壮琉。


「あぁ……無味無臭だ……」

「……だからそう言ったじゃないか」


 裕成から見て怖い印象だった宮司が、壮琉の感想にウケていた。このやり取りに少し心が動いたのか、裕成は小さく「俺にも水を……」と呟く。


 壮琉は柄杓に水を取り、裕成に「どうぞ!」と柄杓ごと差し出した。恐る恐る受け取り、裕成は目をつぶって一気に水を飲む。


「……!」


 そして、ゆっくり目を開くと、さっきまで見えなかった神社が姿を現したのだった。


「……見えたようだな」

「おぉ、良かった!」


 二人に見守られる中、裕成は目の前の鳥居から手前に置かれた動物の像などを見渡す。


(手入れされてるが、随分と古い神社だ……狛犬も変わった形だ……見たことない)


「そちらは狛狼(こまおおかみ)です」

「狛狼?」


 狛狼をじっと見つめる裕成に、宮司は軽く説明する。


「この神社、そしてこの山の守り神として祀られているのです」

「なるほど……」


 裕成がふと見つめていたのは、頑丈な石でできた二つの狼。もちろん壮琉も初めて知ったが——。


(狼……確かこの山、夜中に狼の鳴き声が聞こえるよな)


 かつて帝都から逃げてきたとき、山の中で狼の吠声を耳にしたことを思い出す。目の前にある狼の石像を見て、壮琉は不思議な繋がりを感じた。


「改めて……よくおいでくださいました。中へ案内します」

「あぁ」


 宮司の後をついていこうとしたが、鳥居をくぐる直前、宮司は突然後ろへ振り返った。


「大芦殿といいましたか」

「……あぁ、そうだが」


 自分のことを名字で呼ばれ、少し動揺する裕成。なぜなら、裕成の名字は「大芦」ではないからだ。


「これより先は神域です。むやみに剣を出しませんように……」

「承知した」


 宮司からの静かな忠告を受け、裕成は剣の存在を消すように隠したのだった。

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