社交界の華
ここは、西洋文化の先駆けとして建てられた錦耀館。華族や財閥、高位官職に就く者たちが集う、帝都屈指の社交場だった。
建物の外装と内装はもちろん、サロンに集う者たちも皆、豪華絢爛な装いを身にまとっていた。特に若い女性は、各々が好みのドレスを着こなしていて——。
中でも一際目立っていたのは、華族出身でありながら、皇宮警衛隊の女子隊長として籍を置く穂積蘭子だった。いつも着ている江戸紫色の制服ではなく、髪色に合わせた赤いドレスを着用し、髪は夜会巻きにしてまとめていた。
「蘭子様が錦耀館にいらっしゃるとは珍しいですね」
「本日は非番ですか? 御上にお仕えしているとお忙しいでしょう」
「それにしても……本日もまた一段とお美しい」
「よろしければこの私とダンスを踊っていただけませんか?」
「いやいや、この私とぜひ……」
蘭子の前には、五人の若い男性が立っていた。全員が優しさに満ちた眼差しを向け、ダンスのお誘いを交互にされる。
(初対面の男と……手握って踊るわけないでしょ! 気持ち悪い)
しかし、当の本人は心の中で不満と怒りをぶちまけていた。
(銀行の頭取の息子、帝国軍司令部の大尉、茶道界の御三家と言われる跡取り息子……後の二人も肩書は知ってるけど……全員パッとしないわね)
視線を逸らすと、蘭子と同じ年ぐらいの女性たちが冷ややかな視線を送り、コソコソと話していた。
(どうせ私への嫌味でしょう。あぁ、女も面倒くさかったわ……だから嫌いなのよ、こういう場所は)
それでも蘭子の顔は、女神のような微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。ですが、誰と踊るかはもう決まってまして……」
蘭子の返答に、男たちは「自分が選ばれるだろう」と期待している様子。すると蘭子は、自分の背後で別の人と会話をしていた一人の男性のジャケットをグッと掴み——。
「うわっ!」
引っ張られた勢いのまま、その男性は半ば強引に連行されていく。
「なかなか会えない我が弟と、姉弟水入らずで踊りますので! ごきげんよう!」
「お……弟?」
爽やかに去っていく蘭子に、五人の男性は氷のように固まっていた。蘭子に嫉妬心を向けていた女性たちも、唖然としている様子だった。
「さ、踊るわよ桜輔」
「姉上! 今、大事な客人と話をしてたのに……いきなり何なんですか!」
蘭子の末弟、穂積桜輔は穂積家の次期当主。まだ十八歳ではあるが、幼少の頃から社交界へ顔を出していた。姉の強引な行動に困惑する桜輔だが、音楽が始まると、姉弟は何事もなかったかのように手を繋いで踊った。
「それはこっちの台詞よ。アナタから『少しの間でもいいから錦耀館に来てくれ』って言われて来たのに。食べて飲んで踊って……延々とその繰り返し? さっさと帰りたいんだけど」
「……」
「聞いてるの? せっかくの非番だったのに、馬鹿げた集まりに来て大損だわ」
踊っている最中、蘭子は目の前の弟に文句を並べる。蘭子の毒舌は昔からで、弟の桜輔は笑って聞き流すか、頭が上がらず言いなりになるかだった。ところが、そんな弟も今日は様子がいつもと違う。
「……父上から伝言を預かってます」
「!」
父の話をされた直後、蘭子も顔色が変わった。
「早急に皇宮警衛隊を辞めて、穂積家へ帰るように……」
「お断りよ。辞めないし実家にも帰らないわ」
桜輔の言葉を遮るように、蘭子はきっぱりと否定した。
「いや、しかし……見合いの話が……」
「お見合いもしないって言ったわよね? 六年前に」
「……」
華やかな音楽とは裏腹に、二人の間には張り詰めた空気が流れていた。
「第一、お見合いさせるなら百合子が適任でしょ」
「……それはそうですが……」
百合子とは、蘭子の一歳下の妹にあたる。かつては三姉弟で仲睦まじい仲だったが、ある日を境に関係性は変わってしまった。
「……僕は正直、姉上に戻って来てほしいです」
「え?」
桜輔の一言に、蘭子は耳を疑った。
「姉上のやりたいことは、見守りたいと思います。ただ……時々心配なんです。姉上がいつか、危ない目にあうんじゃないかって……」
六年前、蘭子が皇宮警衛隊に自ら志願すると言ったとき、桜輔は姉のことを唯一応援してくれた。しかし、近頃は物騒な事故や事件が頻発している。
(桜輔のことだから、色んな話が入ってくるんだろう……)
いつもは二人の姉に翻弄される弟だが、三姉弟の中で一番優しい。桜輔の話を黙って聞いていると、音楽は静かに終わり、踊り終えた人たちに拍手が送られた。
「桜輔の気持ちは分かったわ。ただ、今すぐには決断できない」
「……分かりました」
繋いでいた手が離れると、蘭子は「外の空気、吸ってくる」と言って、その場を後にした。
***
花と木々が丁寧に手入れされ、広い庭園に一人で佇む蘭子。桜輔から言われた言葉が、頭の中を駆け巡っていた——。
『……僕は正直、姉上に戻って来てほしいです』
『姉上がいつか、危ない目にあうんじゃないかって……』
自分を心配してくれる弟の健気さに、ふと笑みがこぼれるが……。
『見合いの話が……』
華族出身で、会社経営や政治に関わる親族が多い穂積家。その家系である蘭子も、それなりの数の見合い相手が紹介されるが、彼女の心は曇っていた。
(私には心に決めた人が……)
桜輔の前では返事を濁したが、ほぼ否定に近い気持ちだった。頭の中でグルグルと考えていると、眠気が急にやってきて——。
「……ふわぁぁぁあ……はぁ……」
お嬢様とは思えないほどの豪快な欠伸を一つする。するとそのとき、
「お疲れですね、蘭子お嬢様」
声がした方向を見ると、皇宮警衛隊の制服を身にまとった人物が現れる。だが、蘭子が普段着るものとは異なり、濃紺色の制服に多くの徽章をつけていた。
「凛堂長官……」
「おぉ、蘭子はドレスもよく似合うね! 制服姿はよく見てるから新鮮!」
相手は蘭子の上司にあたる、凛堂祥之穣だった。皇宮警衛隊を指揮する長官であるが、年は二十二とまだ若い。蘭子が皇宮警衛隊に入ったときから親交があり、二人でいるときは気軽に話せる間柄だった。
「何それ……どうせからかっているんでしょ?」
「違うって。本心で言ってるってば」
凛堂の大袈裟な反応に、蘭子は苦笑いをする。
「アナタも錦耀館にいたの? 今日は非番?」
凛堂家は代々、帝や皇族の護衛をしている名門一家。現在の当主である凛堂が錦耀館にいるのは不思議ではない。
「いいや。君に折り入って話があるんだ、穂積隊長」
「!」
凛堂にそう言われると、蘭子はすぐさま真剣な表情へと変わる。
「橘香堂で起こった殺人事件……行方不明だった那珂川少佐の息子が見つかったんだ」
「えっ……それは本当なの?」
予想外の話を聞き、蘭子の体温がグッと上がる。蘭子の問いかけに、凛堂は小さく頷いた。
(良かった……無事だったんだ……)
蘭子は一瞬、安堵の表情を浮かべた。
「今、その息子はどこにいるの?」
「……場所は詳しく知らないが、帝都を離れているそうだ」
庭には蘭子と二人きりだが、凛堂は誰かに聞かれないように声量を抑えていた。
「でも、事件から三ヶ月以上経つわよね? 今までどうして……」
「保護されたときは意識がなかったそうだ。三ヶ月後に目を覚まして、連絡を受けたのが桂木中将だったらしい」
「桂木中将って……司令部の?」
「あぁ。どうやら桂木中将と那珂川少佐は旧知の仲らしい。少佐の遺体を引き取ったのも中将だった」
「そうだったんだ……」
蘭子が返事をした後、凛堂は蘭子との距離を一気に近づける。
「それと、今の話は絶対に漏らすな。少佐の息子について知っているのは、桂木中将と私、蘭子と御上だけだ」
「え、雅も知らないの?」
雅とは、蘭子と同じ女子隊に所属する副隊長のこと。しかし、凛堂は静かに頷くだけ——これ以上は掘り下げるなと目で訴えているようだった。
「中将の話によると……少佐の息子は橘香堂で禍穢者を見たそうだ」
「えっ……そんな……それってつまり……」
「少佐の死に禍穢者が関わっているのは、ほぼ間違いない」
「嘘でしょ……信じられない……」
軍や帝の側近も、禍穢者に関する情報はほとんど入ってこない。まして、目撃者はまずいない。遭遇すれば命の保証はない——。今までその程度しか知らなかったが、蘭子はある一言が頭によぎった。
『恐らくですが……じきに私は殺されるでしょう……禍穢者に』
澪と共に橘香堂へ行ったあの夜。極秘で宗賢と会った際、彼から言われた一言に違和感を抱いていた。ところが、その翌日に宗賢の死亡を聞かされたときは、奥歯が凍りつくほどの衝撃を受けた。
「少佐の息子が生きていて、禍穢者の存在が明らかになった。これで、奴らが何かを企んで、動いていることは確実だ」
「ということは、御上の弟君も……」
「まだ断言できないが……私も無関係とは思えないな」
その後も二人は神妙な面持ちで、橘香堂の事件と禍穢者に関する話を続けたのだった。
***
庭を一望できる大きな窓から、数人の若い女性たちが固まって二人を見つめていた。
「まぁ! あの方って凛堂家の方よね! 確か皇宮警衛隊の長官だったかしら」
「制服姿が素敵……それに金髪と黄金の目。なんて美しいんでしょう……」
家柄だけでなく、麗しい顔立ちの凛堂に、女性たちは釘付けだった。
「でも、蘭子様と親しいって噂よ? 軍や宮中でも広まっているって」
「悔しいけれど、お似合いではあるのよね……」
「結局、社交界の華には一生叶わないわね……穂積家を勘当されたっていうのに」
女性たちは溜め息交じりにそう話している中——。桜輔も女性たちの話を聞き、凛堂と向き合っている蘭子の様子が視界に入ったのだった。
皇宮警衛隊:帝や皇族の護衛、皇宮の警備を担う組織




