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禊矢の弓士  作者: さきみやめぐ
第ニ章

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12/16

弔いの弓矢

 翌日、少し早く目が覚めた壮琉は、部屋の戸を静かに開けた。そこには、いつ見ても圧倒的な存在感を放つ滝が壮琉の目に映った。


(すごい迫力……なのに、部屋にいるときは不思議と静かなんだよな)


 とめどなく流れる水音と、澄み切った空気が壮琉の心身を心地良くさせる。外に用意してある草履を履き、滝の前へゆっくり近づこうとすると、


「あ……」

(そういえば俺、まだお参りって一回もしてないよな)


 右を見ると、厳かな本殿が壮琉の視界に映った。意識が無かったとはいえ、三ヶ月もの長い時間をここに居させてもらっている。


(なんだかバチが当たりそうだよな……。しかも、お賽銭持ってない……)


 懐にあるのは、大事な短剣のみ。苦い表情を浮かべる壮琉だが、重い足取りで手水舎へ向かい、手と口を清めた。


(これからもお世話になる場所だ。とにかく今は、挨拶代わりにしよう……)


 濡れた手を適当に服で拭き、厳かな雰囲気が漂う本殿の前まで足を進める。


「ん?」


 視線を少し上へ向けると、梁の真ん中辺りに彫刻された龍を見つけた。金彩が古く、体は所々にしか残っていないが、参拝客を捉えて離さないほど、目の輝きが印象的だった。


「えっと、二礼二拍手一礼……だったよな」


 参拝方法を確認し、壮琉は二度お辞儀をし、二度両手を叩いた。そして、静かに手を合わせ、目を瞑ると——。


シャラン……シャラン……


 遠くから鈴神楽の音が聞こえてくる。徐々に近づいてきたと思い、壮琉は気になって目を開くと、


「!?」


 目の前には、激しく燃える一つの青い炎だった。かつて山で見た鬼火かと思い、恐怖のあまり一瞬身構えるが、壮琉を襲ってくる様子はない。鈴の音が大きくなるにつれて、青炎も縦へ伸びていく。


「何……これ……」


 やがて、炎は繊細な形を作ろうと、動きを見せたが——。


「おはようございます、壮琉様」

「はっ!?」


 背後から呼ばれて咄嗟に振り返ると、宮司が立っていたのだった。


「お、おはようございます……」

(宮司様か……びっくりした……! 今のも何だったんだ……)


宮司の登場に驚いただけでなく、先ほど見た奇妙な光景に、壮琉はまだ混乱していた。


「今朝は早いお目覚めでしたか。参拝まで恐れ入ります」

「あ、いえ……」


 宮司は片足を引きずりながらこちらへ向かうため、宮司に負担をかけさせないよう、壮琉も自ら近づいていく。


「えっと……俺に何か、ご用でしょうか?」


 絹江と雅臣とは他愛のない会話のやり取りをしたものの、宮司とはまだそこまで話をしていなかった。唯一、自分が目覚めた直後だけ……。そのため、壮琉はいまだに宮司の前で少し緊張していた。


「壮琉様をお呼びするよう、桂木様に言われまして」

「桂木さんが俺をですか?」


 昨日の墓参り後、雅臣は帝都へ戻っていたはず。宮司からそう言われた壮琉はとても驚いたのだった。


「はい。こちらへ」


 宮司に言われるがまま、壮琉も後をついていったのだった。


***


 社務所に隣接する住居で、宮司と絹江は生活をしており、壮琉も空き部屋の一つを使わせてもらっていた。


(社務所と本殿以外も見たこと無かったな……。それに、想像してたよりもかなり広い……)


 砂利道を歩きながらそう思っていると——。簡易的な塀に囲まれ、二つの平屋が間をあけて建つ場所にやって来た。


「ここは……」

「神社の敷地内にある弓道場です」

「弓道場?」


 草履を脱ぎ、中へ進むと——。


「うわ……広い……」


 横を見ると、向かいの平屋には三つの的が並び、そこまで一直線に伸びる広い射場が設けられていた。


「お、来たか! おはよう壮琉!」


 声がした方向を見ると、雅臣と絹江が立っていた。


「おはようございます。あの、これは一体……」

「神社の弓道場だ! 夕べ、宮司殿と絹江ちゃんに協力してもらって、掃除と手入れをしたんだ」

「え……お二人が?」

「で、私は弓術に必要なものを揃えていて、持って来たんだ!」


 そこには、真新しい和弓と矢、弽(ゆがけ)が用意されていた。


「こんなに……しかも昨日言ったばっかなのに……」

「実は今日の昼には、軍へ戻らねばならなくてね。そこから一週間ぐらいこっちに来られないから、早めに動きたかったのだ」


 軍務で忙しい中、自分のために動いてくれた雅臣と、協力してくれた宮司と絹江に感謝の気持ちでいっぱいだった。


「お二人も……ありがとうございます!」


 これには宮司と絹江は顔を見合わせて微笑んでいた。


「まぁ、足の怪我もあるから、今すぐに弓は引け……」

「あ、足!」


 雅臣の言葉を止めるほど、壮琉がいきなり大きな声を出す。なぜなら——昨日まで歩きにくかった足は、何の問題もなく動かせていたのだ。


「な、治っておる……」

「弓道場に行くまで、何ともなかったです……」

「おぉ、すさまじい回復力だな……!」


 これには雅臣と宮司も驚きつつも感心している様子。絹江も驚きのあまり目を見開いていた。


「幸先良いな。まるで、今すぐにでも弓を引けと那珂川が言ってるみたいだな!」


 雅臣から満面の笑みでそう言われ、思わず壮琉も目を細めて笑う。


「でも、どうして神社に弓道場があるんですか?」

「あぁ……その説明は私より宮司殿のほうが詳しいか?」


 雅臣の問いかけに、宮司は静かに答えた。


「理由は幾つかございますが……一つは精神修行のために弓道場を作ったことと、もう一つは神事との繋がりが強いことです。破魔矢や鏑矢など、邪気を払う矢が分かりやすい例えかと」

「そうなんですね……」


 宮司の丁寧な説明に、壮琉は何度も頷く素振りを見せる。


「それから壮琉様。私からはこれを」


 宮司は風呂敷に包まれたものを壮琉に渡す。


「これは?」

「しばらく社にいらっしゃるので、よろしければこちらにお着替えいただきたいなと。素材は軽くて丈夫なので、弓術の練習時でもご着用できるかと」

「開けてもいいですか?」

「どうぞ」


 風呂敷の結び目を解くと、白衣と浅葱色の袴が入っていた。


「わぁ……ありがとうございます! 絹江と色違いだ!」


 喜ぶ壮琉に対し、絹江は嬉し恥ずかしそうな表情を見せる。二人の微笑ましい姿に、雅臣と宮司もにこやかだった。


***


 壮琉が着替え終えると、雅臣は弓矢を慣れた手つきで持っていた。いよいよ始まると思い、壮琉はそそくさと正座で待機する。


「では早速、まずは弓術の基礎から確認しよう」

「はい!よろしくお願いします!」

(久々だから緊張するな……!)


 雅臣は壮琉と向き合うよう正面に立ち、時折、向こうの的を見るような動きを取った。


「弓術には『射法八節(しゃほうはっせつ)』という基本の型がある。那珂川からも聞いたことあるか?」

「しゃほう……はっせつ……。言われた、かもしれませんね……」


 雅臣の話を聞き逃さないようにと、壮琉は真剣な表情で耳を傾けるが……。子供の頃、宗賢からどう教わったかは、曖昧にしか覚えていなかった。

 

(はっせつ……八節……八つの関節……体の関節を上手く使って弓を引くってことか?)


 懸命に頭の中で思考を巡らせる壮琉。続けて雅臣は、射法八節について詳しく説明する。


「一つの矢を射るために、八つの段階に分けた動作、基本の形となるものだ。足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、残心だ」


(あれ、関節まったく関係なかったな……)


 自分の予想とは違うことが分かり、壮琉は瞬きを繰り返す。


「言葉だけでは想像つかないだろうから、私がやってみよう」


 穏やかにそう言った後、雅臣は空気を変えるように集中させる。全身の筋肉や骨格、目線から呼吸まで——。脚を開き、一本の矢を手に取る。


「……」


 真っ直ぐに立ち、ゆっくりと的の方へ視線を移す。


(すごい集中力だ……それに、姿勢がいつもと違う……)


 普段の雅臣は少し猫背気味。今の雅臣がどれほど美しく立っているのか、壮琉にもよく伝わっていた。


 静かに矢を番えた後、雅臣はゆっくりと弓を構える。張り詰めた弦が、ピンと澄んだ音を鳴らした。無駄のない動きで弓を引き分けると、弓道場全体が一気に静まり返る。


 そして——矢は真っ直ぐに放たれ、一瞬で的へ吸い込まれるように突き刺さった。


「わぁ……!」


 その直後、壮琉は的に命中した矢と勇ましい雅臣の姿に感動の声をあげる。少し間があいた後、雅臣はいつもの柔らかい表情へ戻った。


「もう少し真ん中に当てたかったが……数十年ぶりにしては上出来だな!」


 絹江は弓術を初めて見たのか、壮琉と同じくらい目を輝かせていた。


「弓を射る前に姿勢を整え、矢を準備し、弓を構えて……引いて……放った後の姿勢……これらが射法八節だ」


 今の説明と合わせるように、雅臣は弓を使いながら動きも付けて話した。


「なるほど……八節とはそういう意味でしたか……」

「ん?」


 雅臣に首をかしげられた壮琉は、自分が最初に思ったことを素直に話す。同じように「何だろう?」と思った宮司と絹江も静かに耳を傾けた。


「いや……てっきり膝関節、肘関節……って体の関節だと思ってまして」


 壮琉の言葉に、雅臣は思わず目を瞬かせた。しかし、その直後——。

 

「……ちなみに、残りの四節は何だと思った?」


 雅臣は食い気味に壮琉へ問いかけた。


「えっと……股関節しか浮かばずでして……」


 恥ずかしそうな表情で壮琉が答えると、見守っていた宮司と絹江が笑いを堪えていた。

 

「それだと全部で六節だな! 関節なら他にもあるぞ!」


 にっこり笑う雅臣に、壮琉は「ですよね! 勉強になります!」と大真面目に返事した。


(……壮琉って天然? 那珂川とは違うが……随分と面白い子だ)


 目を細めて笑った後、雅臣は壮琉に再び声をかける。


「さて、そしたら壮琉もやってみようか。ここに立ってくれ」

「はい!」


 勢いよく立ち上がり、雅臣の前に立つ。


「まずは足踏みからだ。脚を広げて……」

「……こうでしょうか」

「うむ、そのくらいが丁度いいだろう」


 壮琉の体を前後で確認しては、都度の調整が入る。二人の真剣な眼差しを見て、絹江は隣にいる宮司へ話しかけた。


「那珂川様、きっと喜んでいますよね……宮司様……」

「……そうだな」


 口角を上げて微笑む絹江を見て、宮司は少し驚くものの、優しく相槌を打った。以前まで大人しく、笑った顔をあまり見せなかった絹江だが——。壮琉が来てから、絹江の新たな一面が見られるようになったことを実感した瞬間だった。


***


 雅臣による手解きが始まってから約一時間後。間もなく雅臣が帝都に戻る時間が近づいていた。


「私が今度来る日まで、今日教えた射法八節を完璧にできるように。それが私からの課題だ!」


溌溂と満足気に話す雅臣だが……。対して壮琉は、ぐったりしていたのだった。


「桂木さん……意外と大変ですね……この射法八節……」

「地味に辛いだろう? 姿勢を整えて、頭からつま先まで集中力を保つのは、私も普段しないことだ。そのうち筋肉痛になるかもな!」

「ひぇ……筋肉痛ですか……」


 手ぬぐいで汗を拭きながら、壮琉は困った顔をしていた。


「まだ始まったばかりだ、焦らずじっくり練習するのみだ。それに、壮琉は十五のわりに体格がいいし、要領も掴めればきっと上達する」

「本当ですか?」

「うむ。あとは、基礎体力も落とさないようにな」

「分かりました!」


 指導を始めてから集中力を切らさず、何事にも明るく返事をする壮琉に、雅臣はただただ嬉しさを感じていた。


(壮琉ぐらいの息子がいたら……こんな風に心が弾むものなんだな……)


「そうだ壮琉。最後に一本だけ、実際にやってみるか?」

「えっ、今ですか!? 射法八節をどうにか体で覚えたばかりですけど……」

「まぁそうなんだが……自分の技量はどれぐらいなのか、放ってみたらよく分かるだろう」

「……やってみます」


 雅臣の言うように、自分の技量——そして潜在能力というものを壮琉自身まだ分からない。そのためにも、一度は試してみようと心に決めたのだった。


「……」


教えられた通り、足踏み、胴造り、弓構え——。順調に流れを追ってはいるものの、矢を放つことが頭にあると、緊張で心臓の音がうるさく鳴る。それでも壮琉は必死だった。


(頑張って……壮琉さん……)


 絹江は心の中で壮琉を励まし、雅臣と宮司も静かに見守った。


(……落ち着け……俺)


 慎重に矢を番え、いよいよ弓を引くが……。剣術のときとは違う筋肉を使うせいか、弓を引く腕がわずかに震えてしまった。それでも——。


(……今だ、放て)


 弦が鳴った瞬間、初めてとは思えないほど真っ直ぐ矢が飛んだ。


「……!」


 しかし、的までは届かなかった。それでも、予想以上の飛距離に雅臣が目を見開く。


「ほぉ……久々にしてはよく飛んだな……」

「へ、そうですか!?」


 好意的な雅臣の反応に、思わず目を輝かせて喜ぶ壮琉。


「あ、これ! 最後の残心を忘れるな」

「はっ! 失礼しました!」


 肝心な動作が抜けてしまったものの、雅臣は「まぁ、よくやったな!」と柔和な笑みを浮かべたのだった。


 一方、絹江は壮琉が放った矢を見て——。


(今のは一体……どうして矢が……)


 放たれた矢の周囲に、一瞬だけ淡い水色の光が揺らめいたのだった。そして、宮司も同じく動揺していたが、


(あれは……間違いない。旦那様が放った矢と同じものだ……)


 右目で捉えた壮琉の矢——。かつて、宗賢が放った矢と一瞬似ていたことに、宮司はしばらく言葉を失っていた。


「桂木さん! また次来たとき、教えてくださいね!」


 宮司と絹江の違和感、そして自分が放った矢について、壮琉本人は当然気づいていない。ただ、矢を放った瞬間だけ、風が変わった気がしたのだった——。

弽:弓道で弦を引くときに使用する鹿革製の手袋

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