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禊矢の弓士  作者: さきみやめぐ
第ニ章

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剣が握れなくても

 その後、壮琉は事件当日の出来事について雅臣に話した。

 

 父が普段から持っていた那珂川の短剣を、壮琉が届けに行ったこと。三人の怪しい男が橘香堂に乗り込み、旦那と上の階にいた父を襲ったこと。そして、自分を押し入れに匿い、禍穢者と思わしき相手と父が対峙した末——。変わり果てた姿の父が、自分の目の前に現れたことも……。


 話している途中、恐怖心から言葉を詰まらせる場面があったが、雅臣は「話すのが辛いところは、無理に言わなくてよい」と壮琉を気遣った。それでも壮琉は、自分が目撃した「禍穢者」であろう男の特徴を伝えた。


 さらに自分が橘香堂を出た後——那珂川家へ戻ると、すでに家が燃えていたこと。父の言葉を受け、火事もまた禍穢者の仕業ではないか……自分の命も狙われていると思い、懸命に逃げてきたことも話した。


「もしそうだとしたら……しばらく壮琉は身を隠したほうがいいかもしれないな……」

「でしたら引き続きこちらにいたほうがよろしいかと」

「うむ。神社なら安全だろう」


 雅臣と宮司もまた、壮琉の身を守ろうと、今後について意見を揃えていた。


「壮琉、他に何か気になったことはあったか?」

「あとは……」


 壮琉は記憶を辿ろうとしたが、頭の奥がずきりと痛む。その男は、他にも父と何か話していたが——。父が倒れた光景ばかりが脳裏に焼き付き、すべてを思い出すことはどうしても難しかった。


「……すみません。すぐに出てこなくて……」

「無理をするな。また何か思い出したら言ってくれ」


 落ち込む壮琉に、雅臣は優しく言葉をかける。小さく頷いた後、壮琉は何かを思い出した。


「そういえば、山を走っている途中なんですけど……」

「ん?」

「一人、若い男の人に追いかけられたような……」


 父との最期の別れと、母と妹との生き別れ——。衝撃的な出来事が続いたせいか、滝へ落ちる直前の記憶が少し曖昧だった。


「男の人……橘香堂を襲撃した例の男か?」


 雅臣に尋ねられ、断片的な記憶を必死に呼び起こそうとする。


『まがえものが……俺に何の用なんですか!!』

『禍穢者だと?』

『だって、父上を殺したのはあなたなんでしょう?』


 壮琉は当初、その男が父を殺した犯人だと疑っていた。しかし、今になってみると、明確な違いがあった。


「腰に剣はあったんですけど……声が違っていたので、恐らく別の人かと……」


 橘香堂にいた男は、顔のほとんどを布で隠し、はっきりとした正体は分からないが——。一度聞いたら忘れないほど、特徴的な低い声をしていた。その上、壮琉が短剣を向けても、相手はほとんど動じなかった。


「そうか……他に何か気になったことはあったか?」

「あとは——」


 相手に短剣を向けたとき、父が剣で刺された瞬間が脳裏に浮かび……。短剣を握る手が震え、呼吸が浅くなり、涙と油汗が止まらなかった自分に絶望した。


(俺、剣が怖くて握れないんじゃ……)


 少しずつ思い出してきた記憶に反して、己の不甲斐なさも改めて痛感した壮琉。両手のひらを見ると、剣術で血豆を作っていた手は、眠っていた三ヶ月間でほとんど綺麗になっていた。雅臣の腰元に目線を移すと、父も持っていた軍刀があった。


「壮琉。少し外に出ないか?」

「えっ……でも……」


 つい数分前、自分は身を隠したほうがいいと話していたばかり。雅臣からの突飛な提案に、壮琉は困惑していた。


「那珂川の墓参り、行きたくないか?」


 思いがけない一言に、壮琉は迷わず首を縦に振ったのだった。


***


「日が明るいうちに戻る」と宮司と絹江に告げると、雅臣は馬に壮琉を乗せて山を下っていく。


「あぁは言ったが……今は夕暮れが早い時期だ。わずかな時間だが、許してくれ」


 苦笑いを浮かべながらも、雅臣は前に乗せている壮琉に声をかけた。


「いいえ。その……ありがとうございます」

「……ん? 何か言ったか?」


 頭から布を被っていたため、少しだけ顔を出してお礼を述べた壮琉だったが——当の本人は聞き取れなかった様子。雅臣は壮琉の話を聞こうと、わざわざ馬の足を止めてくれた。


「父の遺体を埋葬してくださって、ありがとうございます。 桂木さんがいなかったら、父は安らかに眠れなかったので……」


 宗賢の遺体は雅臣が引き取り、那珂川家の墓へ静かに埋葬してくれたのだった。


「礼には及ばない。私が望んでしたことだ。ただ……自分より年下の者を見送るのは、やはり心が痛むな……」

「桂木さん……」


 後ろから聞こえた雅臣の本音に、壮琉も同じく胸を痛めた。


「そうだ。私は片耳が聞こえにくくてね! できれば大きい声で話すか、左側で話してくれると助かるな!」

「あぁ……わかりました!」


 まったく関係ない話をされたので、壮琉は少し驚いた。


「すまないね! 五十を過ぎると老化が顕著になるんだ!」


 自虐的に話す雅臣だが、明るい笑い声につられ、壮琉もわずかに笑みをこぼした。


***


 再び馬を走らせ、そこから数十分後に寺へ到着した。そこは過去に先祖の墓参りで、家族揃って行ったことがある場所だった。


「帝都にある実家よりも、神社からのほうが近いんですね……」

「そうだな」


 足がまだ完全に治ってないため、雅臣の手を借りながら目的の墓地へ歩いていく。前へ前へと足を動かしていると、見慣れた墓石が視界に映った。


「あ……」


 正面には「那珂川家之墓」と書かれ——。仏花は少し枯れていたが、墓やその周辺は清潔に保たれていた。


「君が意識不明だった間、ここに何度も来たんだ。最近だと先週だろうか……」

「えっ?」

「手を合わせて願ったんだ。壮琉の意識が戻るようにって。神頼みというより、那珂川頼みだな」


 穏やかな笑みを浮かべながら、雅臣は慣れた手つきで枯れている仏花を取り除いていた。


「私はあまり願掛けを信じないが……とにかく良かった。君が無事でいてくれて」


 雅臣がそう言い切ったとき、壮琉がいる方へ体を向ける。かける言葉は喜びで満ちているのに、その目には涙が滲んでいた。


「桂木さん……」

「……さぁ、父親にしっかり挨拶するんだ」


 雅臣に背中を押され、壮琉は墓石の前へ進む。視線を横にずらすと、真新しく「那珂川宗賢」と名前が彫られていた。


(父上……)


 改めて父がここで眠っているんだと痛いほど実感する。橘香堂での事件から月日が流れ、雅臣や宮司と絹江のお陰で自分はここに立っているが……。


(剣が握れないって聞いたら……父上は失望するだろうな……)


「壮琉?」


 線香を差し出すが、反応もなく棒立ちの壮琉を心配し、雅臣は声をかけた。


「あぁ、すみません……」


 静かに線香を持ったが、目の前の父とどう向き合えばいいのか悩んでいた。


「桂木さん……俺は、父みたいになれないかもしれません」

「え?」


 壮琉がそう言った直後、燃え尽きた線香の先が、ぽとりと地面へ落ちていった。


「……俺、この前のことで……剣が怖くて……」

「……」

「今でも剣を見ると……父の体を貫いた刃先を思い出してしまって……」


 壮琉からの告白に、雅臣は真顔のまま黙っていた。


(桂木さんもがっかりしただろうな……今の話聞いて……)


 目線を落とす壮琉の横にいた雅臣は、ゆっくり膝をついた。そして、壮琉が持っていた線香を取り、代わりに墓前へと静かに置く。


「壮琉にとって……父親はどんな人だ?」

「父上、ですか……えっと……」


 墓石を真っすぐ見つめながら、雅臣からそう質問される。突然ではあったが、壮琉は慎重に答えようとした。


「優しくて……武術も強くて……あと、よく笑っている人でした……」


 絹江から「明朗な方」と言われたことも思い出し、張り詰めていた心が解かれ、徐々に柔らかい表情へと変わった。


「そうだな……那珂川はよく笑う男だった。武術の腕は確かだが、それ以上に根明な性格が印象的だった」


 軍で仕事をする父の姿は、息子である壮琉は基本見たことがない。雅臣の話を聞いて、思わず嬉しくなった。はにかむ壮琉を見て、雅臣はこう答えた。


「那珂川はきっと、息子に笑っていてほしいんじゃないかな」

「え……」

「武術や剣術を磨くのも大事だろう。だが、今のお前に『笑え』と言うのは酷な話だ」


 雅臣の言葉を聞き、壮琉は生前の父の姿を思い浮かべる。家にいるとき、一緒に出かけているとき——。

父の笑顔を見ると、壮琉の心はいつも晴やかだった。


「でも……今はそれでいい。焦りは禁物だ」

「焦りは禁物……」


 言われたことを壮琉が小さく復唱すると、雅臣はいきなり吹き出した。これには思わず「桂木さん?」と壮琉が心配する。


「今の言葉はな、那珂川が若い頃、私が教官だったときにしょっちゅう言ってたんだ」

「え? 父上に!?」

「あいつの欠点を挙げるなら、少々せっかちなところだな! あとは極度の心配性!」


 雅臣に笑いながらそう言われ、拍子抜けする壮琉。「そういう風に、感じませんでした……」と壮琉が呟くと、雅臣は戸惑った表情を見せた。


「はっ! 墓の前でこんなことを言ったら……私に罰が当たってしまうか……?」

「……ふっ……ぐっ……ははっ!」


 百面相のように表情が変わる雅臣を見て、壮琉は思わず笑いだしてしまった。


(……ようやく笑ってくれたな……)


 自分と会ってから、あまり笑顔が見られなかった壮琉を、雅臣はずっと気にしていた。ふと、二十年以上前に宗賢とやり取りした会話が浮かび上がった。


 雅臣が軍に差し入れした大福を、宗賢が勝手に食べてしまい——。


『那珂川! お前、また一人で大福食べただろ? しかも十一個も……』

『いいじゃないですか! だって桂木さんお手製の大福、すごい美味しいんですから!』

『だからと言って、焦って食べることないだろう! まったくせっかちな奴め……』

『桂木さん! また今度作ってくださいね!』


 壮琉が生まれてくる前よりも昔の話。屈託のない宗賢の笑顔は、雅臣にとっても深く記憶に残っていた。


(あいつの好きだった大福、また作ってやるか……)


 壮琉はそっと目を瞑り、手を合わせていた。そんな壮琉を見た雅臣も安堵の表情を浮かべ、一緒に合掌したのだった。


***


「壮琉。足の具合が良くなったら、那珂川が好きな大福、一緒に作らないか?」


 帰り道、雅臣がそう言葉をかけると、壮琉は目を輝かせながら頷いた。


「ぜひ作りたいです! それに、このくらいの怪我なら今からでもまったく問題ないです!」


 あまりにも嬉しそうなので、雅臣も釣られて笑顔になった。馬留めに着くと、雅臣は出発の準備をしながら返事をする。


「近いうちやろう。あぁ、他にやりたいことはないか?」

「やりたいことですか?」

「うむ。しばらく神社で世話になるから、基本は神社の外に出られないだろう。見たい書物があれば、私が今度持ってくるし……他にも必要なものがあれば言ってくれ」


 雅臣にそう言われた後、馬に乗り込みながら考える壮琉。二人が馬の背中に乗ると、雅臣は「出発するぞ」と声をかける。馬が歩き始めてから数十秒後、壮琉は雅臣に話そうと少し声を張った。


「桂木さん、一つお願いしてもいいですか?」

「うむ、何だね?」


 背後にいる雅臣の方へ、壮琉はゆっくり体を向ける。


「俺……弓術をやってみたいです」

「壮琉……」


 壮琉からの言葉に、雅臣は馬の足を止めるほど驚いた様子。


『楽しみだな、お前と一緒にできる日が!』


 最期の夜、父と交わした約束。二度と父とできる日は来ないが、壮琉は父と同じく弓術を極めたいと思い立ったのだった。

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