剣が握れなくても
その後、壮琉は事件当日の出来事について雅臣に話した。
父が普段から持っていた那珂川の短剣を、壮琉が届けに行ったこと。三人の怪しい男が橘香堂に乗り込み、旦那と上の階にいた父を襲ったこと。そして、自分を押し入れに匿い、禍穢者と思わしき相手と父が対峙した末——。変わり果てた姿の父が、自分の目の前に現れたことも……。
話している途中、恐怖心から言葉を詰まらせる場面があったが、雅臣は「話すのが辛いところは、無理に言わなくてよい」と壮琉を気遣った。それでも壮琉は、自分が目撃した「禍穢者」であろう男の特徴を伝えた。
さらに自分が橘香堂を出た後——那珂川家へ戻ると、すでに家が燃えていたこと。父の言葉を受け、火事もまた禍穢者の仕業ではないか……自分の命も狙われていると思い、懸命に逃げてきたことも話した。
「もしそうだとしたら……しばらく壮琉は身を隠したほうがいいかもしれないな……」
「でしたら引き続きこちらにいたほうがよろしいかと」
「うむ。神社なら安全だろう」
雅臣と宮司もまた、壮琉の身を守ろうと、今後について意見を揃えていた。
「壮琉、他に何か気になったことはあったか?」
「あとは……」
壮琉は記憶を辿ろうとしたが、頭の奥がずきりと痛む。その男は、他にも父と何か話していたが——。父が倒れた光景ばかりが脳裏に焼き付き、すべてを思い出すことはどうしても難しかった。
「……すみません。すぐに出てこなくて……」
「無理をするな。また何か思い出したら言ってくれ」
落ち込む壮琉に、雅臣は優しく言葉をかける。小さく頷いた後、壮琉は何かを思い出した。
「そういえば、山を走っている途中なんですけど……」
「ん?」
「一人、若い男の人に追いかけられたような……」
父との最期の別れと、母と妹との生き別れ——。衝撃的な出来事が続いたせいか、滝へ落ちる直前の記憶が少し曖昧だった。
「男の人……橘香堂を襲撃した例の男か?」
雅臣に尋ねられ、断片的な記憶を必死に呼び起こそうとする。
『まがえものが……俺に何の用なんですか!!』
『禍穢者だと?』
『だって、父上を殺したのはあなたなんでしょう?』
壮琉は当初、その男が父を殺した犯人だと疑っていた。しかし、今になってみると、明確な違いがあった。
「腰に剣はあったんですけど……声が違っていたので、恐らく別の人かと……」
橘香堂にいた男は、顔のほとんどを布で隠し、はっきりとした正体は分からないが——。一度聞いたら忘れないほど、特徴的な低い声をしていた。その上、壮琉が短剣を向けても、相手はほとんど動じなかった。
「そうか……他に何か気になったことはあったか?」
「あとは——」
相手に短剣を向けたとき、父が剣で刺された瞬間が脳裏に浮かび……。短剣を握る手が震え、呼吸が浅くなり、涙と油汗が止まらなかった自分に絶望した。
(俺、剣が怖くて握れないんじゃ……)
少しずつ思い出してきた記憶に反して、己の不甲斐なさも改めて痛感した壮琉。両手のひらを見ると、剣術で血豆を作っていた手は、眠っていた三ヶ月間でほとんど綺麗になっていた。雅臣の腰元に目線を移すと、父も持っていた軍刀があった。
「壮琉。少し外に出ないか?」
「えっ……でも……」
つい数分前、自分は身を隠したほうがいいと話していたばかり。雅臣からの突飛な提案に、壮琉は困惑していた。
「那珂川の墓参り、行きたくないか?」
思いがけない一言に、壮琉は迷わず首を縦に振ったのだった。
***
「日が明るいうちに戻る」と宮司と絹江に告げると、雅臣は馬に壮琉を乗せて山を下っていく。
「あぁは言ったが……今は夕暮れが早い時期だ。わずかな時間だが、許してくれ」
苦笑いを浮かべながらも、雅臣は前に乗せている壮琉に声をかけた。
「いいえ。その……ありがとうございます」
「……ん? 何か言ったか?」
頭から布を被っていたため、少しだけ顔を出してお礼を述べた壮琉だったが——当の本人は聞き取れなかった様子。雅臣は壮琉の話を聞こうと、わざわざ馬の足を止めてくれた。
「父の遺体を埋葬してくださって、ありがとうございます。 桂木さんがいなかったら、父は安らかに眠れなかったので……」
宗賢の遺体は雅臣が引き取り、那珂川家の墓へ静かに埋葬してくれたのだった。
「礼には及ばない。私が望んでしたことだ。ただ……自分より年下の者を見送るのは、やはり心が痛むな……」
「桂木さん……」
後ろから聞こえた雅臣の本音に、壮琉も同じく胸を痛めた。
「そうだ。私は片耳が聞こえにくくてね! できれば大きい声で話すか、左側で話してくれると助かるな!」
「あぁ……わかりました!」
まったく関係ない話をされたので、壮琉は少し驚いた。
「すまないね! 五十を過ぎると老化が顕著になるんだ!」
自虐的に話す雅臣だが、明るい笑い声につられ、壮琉もわずかに笑みをこぼした。
***
再び馬を走らせ、そこから数十分後に寺へ到着した。そこは過去に先祖の墓参りで、家族揃って行ったことがある場所だった。
「帝都にある実家よりも、神社からのほうが近いんですね……」
「そうだな」
足がまだ完全に治ってないため、雅臣の手を借りながら目的の墓地へ歩いていく。前へ前へと足を動かしていると、見慣れた墓石が視界に映った。
「あ……」
正面には「那珂川家之墓」と書かれ——。仏花は少し枯れていたが、墓やその周辺は清潔に保たれていた。
「君が意識不明だった間、ここに何度も来たんだ。最近だと先週だろうか……」
「えっ?」
「手を合わせて願ったんだ。壮琉の意識が戻るようにって。神頼みというより、那珂川頼みだな」
穏やかな笑みを浮かべながら、雅臣は慣れた手つきで枯れている仏花を取り除いていた。
「私はあまり願掛けを信じないが……とにかく良かった。君が無事でいてくれて」
雅臣がそう言い切ったとき、壮琉がいる方へ体を向ける。かける言葉は喜びで満ちているのに、その目には涙が滲んでいた。
「桂木さん……」
「……さぁ、父親にしっかり挨拶するんだ」
雅臣に背中を押され、壮琉は墓石の前へ進む。視線を横にずらすと、真新しく「那珂川宗賢」と名前が彫られていた。
(父上……)
改めて父がここで眠っているんだと痛いほど実感する。橘香堂での事件から月日が流れ、雅臣や宮司と絹江のお陰で自分はここに立っているが……。
(剣が握れないって聞いたら……父上は失望するだろうな……)
「壮琉?」
線香を差し出すが、反応もなく棒立ちの壮琉を心配し、雅臣は声をかけた。
「あぁ、すみません……」
静かに線香を持ったが、目の前の父とどう向き合えばいいのか悩んでいた。
「桂木さん……俺は、父みたいになれないかもしれません」
「え?」
壮琉がそう言った直後、燃え尽きた線香の先が、ぽとりと地面へ落ちていった。
「……俺、この前のことで……剣が怖くて……」
「……」
「今でも剣を見ると……父の体を貫いた刃先を思い出してしまって……」
壮琉からの告白に、雅臣は真顔のまま黙っていた。
(桂木さんもがっかりしただろうな……今の話聞いて……)
目線を落とす壮琉の横にいた雅臣は、ゆっくり膝をついた。そして、壮琉が持っていた線香を取り、代わりに墓前へと静かに置く。
「壮琉にとって……父親はどんな人だ?」
「父上、ですか……えっと……」
墓石を真っすぐ見つめながら、雅臣からそう質問される。突然ではあったが、壮琉は慎重に答えようとした。
「優しくて……武術も強くて……あと、よく笑っている人でした……」
絹江から「明朗な方」と言われたことも思い出し、張り詰めていた心が解かれ、徐々に柔らかい表情へと変わった。
「そうだな……那珂川はよく笑う男だった。武術の腕は確かだが、それ以上に根明な性格が印象的だった」
軍で仕事をする父の姿は、息子である壮琉は基本見たことがない。雅臣の話を聞いて、思わず嬉しくなった。はにかむ壮琉を見て、雅臣はこう答えた。
「那珂川はきっと、息子に笑っていてほしいんじゃないかな」
「え……」
「武術や剣術を磨くのも大事だろう。だが、今のお前に『笑え』と言うのは酷な話だ」
雅臣の言葉を聞き、壮琉は生前の父の姿を思い浮かべる。家にいるとき、一緒に出かけているとき——。
父の笑顔を見ると、壮琉の心はいつも晴やかだった。
「でも……今はそれでいい。焦りは禁物だ」
「焦りは禁物……」
言われたことを壮琉が小さく復唱すると、雅臣はいきなり吹き出した。これには思わず「桂木さん?」と壮琉が心配する。
「今の言葉はな、那珂川が若い頃、私が教官だったときにしょっちゅう言ってたんだ」
「え? 父上に!?」
「あいつの欠点を挙げるなら、少々せっかちなところだな! あとは極度の心配性!」
雅臣に笑いながらそう言われ、拍子抜けする壮琉。「そういう風に、感じませんでした……」と壮琉が呟くと、雅臣は戸惑った表情を見せた。
「はっ! 墓の前でこんなことを言ったら……私に罰が当たってしまうか……?」
「……ふっ……ぐっ……ははっ!」
百面相のように表情が変わる雅臣を見て、壮琉は思わず笑いだしてしまった。
(……ようやく笑ってくれたな……)
自分と会ってから、あまり笑顔が見られなかった壮琉を、雅臣はずっと気にしていた。ふと、二十年以上前に宗賢とやり取りした会話が浮かび上がった。
雅臣が軍に差し入れした大福を、宗賢が勝手に食べてしまい——。
『那珂川! お前、また一人で大福食べただろ? しかも十一個も……』
『いいじゃないですか! だって桂木さんお手製の大福、すごい美味しいんですから!』
『だからと言って、焦って食べることないだろう! まったくせっかちな奴め……』
『桂木さん! また今度作ってくださいね!』
壮琉が生まれてくる前よりも昔の話。屈託のない宗賢の笑顔は、雅臣にとっても深く記憶に残っていた。
(あいつの好きだった大福、また作ってやるか……)
壮琉はそっと目を瞑り、手を合わせていた。そんな壮琉を見た雅臣も安堵の表情を浮かべ、一緒に合掌したのだった。
***
「壮琉。足の具合が良くなったら、那珂川が好きな大福、一緒に作らないか?」
帰り道、雅臣がそう言葉をかけると、壮琉は目を輝かせながら頷いた。
「ぜひ作りたいです! それに、このくらいの怪我なら今からでもまったく問題ないです!」
あまりにも嬉しそうなので、雅臣も釣られて笑顔になった。馬留めに着くと、雅臣は出発の準備をしながら返事をする。
「近いうちやろう。あぁ、他にやりたいことはないか?」
「やりたいことですか?」
「うむ。しばらく神社で世話になるから、基本は神社の外に出られないだろう。見たい書物があれば、私が今度持ってくるし……他にも必要なものがあれば言ってくれ」
雅臣にそう言われた後、馬に乗り込みながら考える壮琉。二人が馬の背中に乗ると、雅臣は「出発するぞ」と声をかける。馬が歩き始めてから数十秒後、壮琉は雅臣に話そうと少し声を張った。
「桂木さん、一つお願いしてもいいですか?」
「うむ、何だね?」
背後にいる雅臣の方へ、壮琉はゆっくり体を向ける。
「俺……弓術をやってみたいです」
「壮琉……」
壮琉からの言葉に、雅臣は馬の足を止めるほど驚いた様子。
『楽しみだな、お前と一緒にできる日が!』
最期の夜、父と交わした約束。二度と父とできる日は来ないが、壮琉は父と同じく弓術を極めたいと思い立ったのだった。




