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禊矢の弓士  作者: さきみやめぐ
第ニ章

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埒の明かぬまま、前へ

 翌日、壮琉が朝食を食べていたときだった。廊下を慌ただしく走る音に、壮琉と絹江が違和感を覚えた直後——。和室の出入り口に現れたのは、息を切らして壮琉を見つめる壮年の男性だった。


「……あの、どちら様……」

「生きてたのか。那珂川の息子……」

「え?」


 相手は明らかに、嬉し涙を浮かべていた。初対面の男性に困惑する壮琉だが、気がつくと男性から熱い抱擁を受ける。


「もう望みはないと思ってた……本当に良かった……」


 男性は言葉を詰まらせながら、安堵の息を漏らしていた。だが、壮琉は——。


「ちょっ……ぃたた……」


 男性の背丈は大きいが、細身の体をしている。それでも腕の力は大きく、まだ完治していない壮琉の怪我に痛みが加わってしまった。壮琉の小さい悲鳴に気づき、男性はすぐに体を離す。


(この人は一体誰なんだ? 父上と知り合いなのか?)


「あぁ、すまない……嬉しさのあまりつい……」


 しかし、一方の男性は安堵した表情を浮かべていた。


(どうしてこの人は……初対面の俺にそんな顔で……?)


 首を傾げていると、近くにいた絹江が口を開く。


「か、桂木様。連絡、届いたんですね」

「あぁ。絹江ちゃんが手紙で知らせてくれたんだよね。ありがとう」

「いいえっ……」


 絹江は謙遜するも、男性からのお礼に照れ笑いをする。

 

「急いで来たが、老体には敵わないな……ははっ!」

「そんな……お仕事が大変だと、聞いていたので……私、お茶持ってきますね」


 絹江はすぐに立ち上がり、急ぎ足で部屋を後にした。そんな絹江を見て、男性は柔らかく微笑む。


「失礼。挨拶が遅れてしまって……私は桂木雅臣(かつらぎまさおみ)だ。父君の那珂川とは昔から親交があるんだ」

「桂木さん……はじめまして」


 父よりも年上に見えるため、雅臣が父の上司だと悟った。


「実は君とは随分昔に会っていてね。名前は壮琉といったかな?」

「はい、壮琉です」


 壮琉の返事に、雅臣は目を細めた。

 

「あの頃は君が生まれたばかりで、お祝いを渡しにいったんだ。いやぁ大きくなったなぁ!」

「そうだったんですか……」

(きっと俺が生まれる前から、父上のことを知っているんだろうな……)


 雅臣は軍服姿と、数えきれないほどの徽章を身につけていた。厳かな雰囲気が漂うものの、喋り方と顔つきは非常に穏やかだった。


「して、壮琉。お前は今、幾つになった?」

「えっと、十五になりました」

「十五か……! そうか、もうそんな歳になったのか……あの小さかった赤ん坊がこうも大きくなって……」


 まるで成長した孫を温かく見つめる祖父のような反応だった。見た目と中身の高低差に、壮琉は力が抜けるような笑いを浮かべる。


「ところで、具合はどうなんだ?」

「はい、宮司様と絹江のおかげで快方に向かっています。まだ足が不自由ですけど……」

「うむ。丈夫なところは那珂川によく似てるな。実に良いことだ」

「そう、ですね……」


 雅臣の何気ない一言に、壮琉は少し暗い顔をする。丈夫で誰よりも強い父が、悲劇的な最期を遂げた姿が——。


「……」


 目線が下がった壮琉を見て、雅臣は先ほどと一変した表情で口を開いた。


「今日ここに来たのは、君が目を覚ましたと知らせを受けたのと……君に大事な話をしにきたからだ」

「大事な話……」


 ただならぬ様子に、壮琉はゴクっと喉を鳴らす。一瞬で張り詰めた空気感に、雅臣は表情をさらに硬くした。


「橘香堂で起きた事件……那珂川のことについてだ」


 雅臣の言葉を聞き、壮琉の背筋が凍りつく。あの事件から意識を失い、すでに三ヶ月以上経過している。壮琉は何一つ知らなかった。


「……お聞かせいただきたいです」


 壮琉は目を潤ませながらも、雅臣を真っ直ぐ見つめたのだった。


***


 絹江にお茶を出され、雅臣はにこやかに礼を言った。だが、その直後には重たい表情へと戻る。部屋の端にいた宮司の隣に絹江が座ると、雅臣はゆっくりと口を開いた。


「今から三ヶ月ほど前……あの日、橘香堂で那珂川を含め六人の遺体が見つかった」

「六人……ですか?」


 父の他に死人がいたことに、壮琉は動揺する。そして、壮琉を助けた以外、事件の全貌を知らない宮司と絹江も真剣に話を聞いていた。


「那珂川と同じ部屋にいた三人の男。そして橘香堂の旦那と女将だ」

「そんな……女将さんたちまで……」


 親しかった旦那と女将の死を聞かされ、再び目に涙が滲む。


「犯人は見つかったんですか?」


 宮司が尋ねると、雅臣は静かに首を振った。


「いいや……ただ、六人を殺害したのは同一人物だと見ている」

「!」


 壮琉だけでなく、宮司と絹江も驚きを隠せなかった。


「那珂川の場合、腹部の刺し傷が致命傷だが……六人の遺体に共通するのは、顔面からの大量出血だ」

「あ……」


 父の目、鼻、耳、口などと、ひどい出血をしていたことは壮琉も鮮明に覚えている。さらに、出血の影響からか、顔は不気味なほど赤黒かった。


(父上を苦しませ、死に追いやった人物……いや、あれは自分たちと同じ「人間」と言っていいのか——?)

「まがえもの……」

「!?」


壮琉が無意識のうちに言葉を発した途端、宮司と絹江、そして雅臣まで表情がくもった。


「禍穢者と言ったか? 壮琉は見たのか? 禍穢者を……」


 雅臣の険しい顔に、壮琉は緊張感を覚える。


「あの日……父上が『禍穢者が一体何しにきた?』と、相手の男に尋ねてたのを聞いて……」

「那珂川……あいつは向こうの正体を知っていたのか……?」


 二人の会話を聞き、宮司は静かに伏目になった。腿にかかる狩衣をぎゅっと握りしめ、ただ無言で身を固くしている。


「俺は押し入れにいて……ちゃんと聞き取れなかったところもあるので……定かではないと思いますが……」

「いや、禍穢者の可能性が高い」


 壮琉の言葉を遮るように断言すると、雅臣はさらに続けた。

 

「他の五人は那珂川と同じような刺し傷が確認できなかった。遺体を見た者によれば『心臓が内側で破裂してる』と……そのせいなのか、顔からの出血多量により死亡。人の手によるものとは考えにくい……」


 惨い殺され方を聞き、絹江は手で口を抑えたまま絶句する。そこで、壮琉は前々から気になっていたことを口にした。


「あの……『まがえもの』とは何なのでしょうか。宮司様の手紙でも『禍穢者』のことを言っていて……俺、何も知らなくて……」


 少し間があいた後、雅臣がゆっくりと口を開いた。


「禍穢者……『災いをもたらす穢れ者』という意味らしい。禍穢者に遭遇すると、化け物や家畜になるか、殺されるか……古の時代に存在したらしいが、詳しいことがあまり明らかになってないのだ」

「そんな昔に……でもどうして……」

「まず、目撃者がいない。遭遇したら化かされるか殺されるかの二択だ……故に国が調査をするにも難しい。調査の打ち切りが多く、資料も残らなかった」

「……」

(それでは……父上のことも解明されないのか……)


 雅臣の話を聞き、壮琉は愕然とする。


「……他に事件のことで分かったことはないのですか?」


 言葉を失う壮琉と代わるように、再び宮司が雅臣へ質問する。問いを受け、雅臣は苦しい顔をしながら言葉を続けた。

 

「……那珂川家で起きた火事のことだが」

「はっ……」


 雅臣の言葉を遮るように、壮琉は思わず声と共に涙が溢れる。


「母上と瑠璃……二人は一体……」


 両目から大粒の涙を流し、必死に家族の安否を尋ねる。雅臣は一瞬だけ目線を下にするが、壮琉に目を合わせてこう言った。


「行方知らずだ」

「え……」


 思ってもいなかった回答に、壮琉は頭が真っ白になる。


「遺体どころか、骨すらも見つからなかった……二人ともだ……」

「安否が……分からないって……ことですか」

「あぁ。この三ヶ月間、二人の行方を捜査したが……何も手がかりが無い」


 眩暈のような感覚に苛まれた壮琉は、畳に手をつけて上半身を支えようとする。涙は溢れ、呼吸が小刻みになるほど苦しかった。


(あのとき……俺が引き返さず……家にいた二人を助けていれば……俺が……)


 一生かけても拭えない後悔の念に、壮琉は押し潰されていた。そのとき、雅臣は壮琉の前に近づき、震える両肩に優しく手を添えた。


「……壮琉、お前は悔いてるかもしれないが……これ以上自分を責めるな」


 雅臣の言葉に、壮琉はゆっくり顔を上げる。


「……自分だけ生き残って申し訳ないと思っているのだろう?」

「っつ……」


 抱えていた葛藤を雅臣に見透かされ、壮琉は目を見開いて驚く。そんな壮琉を見た雅臣は、自分の問いかけが当たっていたことを悟った。


「父親から何か預かってないか?」


 雅臣から穏やかな口調でそう言われ、小さく返事をする。懐から出したのは、那珂川家の短剣だった。


『必ず逃げ切り、必ず生き延びるんだ……』


 息途絶える目前、父が口にした言葉が頭の中に浮かぶ。


(そうだ俺……父上に言われて……なんとかこうして生き延びたんだ……)


 そのことに気づき、流れ続けていた涙が一瞬だけ止まる。


『……後は頼んだぞ……』


 息子の姿を見つめ、父は最期に力を振り絞って言葉をかけていた。


「父上が、この剣と一緒に……『後は頼んだぞ』って……」


 かすかな声で壮琉がそう告げると、雅臣は優しい表情で何度も頷いた。


「父親がそう言ったのならば、お前は生きなければならない。那珂川家を守るためにも、母親と妹の無事を願うためにも……何としても」


 壮琉は再び目に涙をためて、雅臣の言葉に何度も頷いた。弱冠十五歳——悲劇的な形で家督を継ぎ、父の遺志を受け入れた少年の背中を、雅臣は宥めるようにしばらく抱きしめたのだった。

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