埒の明かぬまま、前へ
翌日、壮琉が朝食を食べていたときだった。廊下を慌ただしく走る音に、壮琉と絹江が違和感を覚えた直後——。和室の出入り口に現れたのは、息を切らして壮琉を見つめる壮年の男性だった。
「……あの、どちら様……」
「生きてたのか。那珂川の息子……」
「え?」
相手は明らかに、嬉し涙を浮かべていた。初対面の男性に困惑する壮琉だが、気がつくと男性から熱い抱擁を受ける。
「もう望みはないと思ってた……本当に良かった……」
男性は言葉を詰まらせながら、安堵の息を漏らしていた。だが、壮琉は——。
「ちょっ……ぃたた……」
男性の背丈は大きいが、細身の体をしている。それでも腕の力は大きく、まだ完治していない壮琉の怪我に痛みが加わってしまった。壮琉の小さい悲鳴に気づき、男性はすぐに体を離す。
(この人は一体誰なんだ? 父上と知り合いなのか?)
「あぁ、すまない……嬉しさのあまりつい……」
しかし、一方の男性は安堵した表情を浮かべていた。
(どうしてこの人は……初対面の俺にそんな顔で……?)
首を傾げていると、近くにいた絹江が口を開く。
「か、桂木様。連絡、届いたんですね」
「あぁ。絹江ちゃんが手紙で知らせてくれたんだよね。ありがとう」
「いいえっ……」
絹江は謙遜するも、男性からのお礼に照れ笑いをする。
「急いで来たが、老体には敵わないな……ははっ!」
「そんな……お仕事が大変だと、聞いていたので……私、お茶持ってきますね」
絹江はすぐに立ち上がり、急ぎ足で部屋を後にした。そんな絹江を見て、男性は柔らかく微笑む。
「失礼。挨拶が遅れてしまって……私は桂木雅臣だ。父君の那珂川とは昔から親交があるんだ」
「桂木さん……はじめまして」
父よりも年上に見えるため、雅臣が父の上司だと悟った。
「実は君とは随分昔に会っていてね。名前は壮琉といったかな?」
「はい、壮琉です」
壮琉の返事に、雅臣は目を細めた。
「あの頃は君が生まれたばかりで、お祝いを渡しにいったんだ。いやぁ大きくなったなぁ!」
「そうだったんですか……」
(きっと俺が生まれる前から、父上のことを知っているんだろうな……)
雅臣は軍服姿と、数えきれないほどの徽章を身につけていた。厳かな雰囲気が漂うものの、喋り方と顔つきは非常に穏やかだった。
「して、壮琉。お前は今、幾つになった?」
「えっと、十五になりました」
「十五か……! そうか、もうそんな歳になったのか……あの小さかった赤ん坊がこうも大きくなって……」
まるで成長した孫を温かく見つめる祖父のような反応だった。見た目と中身の高低差に、壮琉は力が抜けるような笑いを浮かべる。
「ところで、具合はどうなんだ?」
「はい、宮司様と絹江のおかげで快方に向かっています。まだ足が不自由ですけど……」
「うむ。丈夫なところは那珂川によく似てるな。実に良いことだ」
「そう、ですね……」
雅臣の何気ない一言に、壮琉は少し暗い顔をする。丈夫で誰よりも強い父が、悲劇的な最期を遂げた姿が——。
「……」
目線が下がった壮琉を見て、雅臣は先ほどと一変した表情で口を開いた。
「今日ここに来たのは、君が目を覚ましたと知らせを受けたのと……君に大事な話をしにきたからだ」
「大事な話……」
ただならぬ様子に、壮琉はゴクっと喉を鳴らす。一瞬で張り詰めた空気感に、雅臣は表情をさらに硬くした。
「橘香堂で起きた事件……那珂川のことについてだ」
雅臣の言葉を聞き、壮琉の背筋が凍りつく。あの事件から意識を失い、すでに三ヶ月以上経過している。壮琉は何一つ知らなかった。
「……お聞かせいただきたいです」
壮琉は目を潤ませながらも、雅臣を真っ直ぐ見つめたのだった。
***
絹江にお茶を出され、雅臣はにこやかに礼を言った。だが、その直後には重たい表情へと戻る。部屋の端にいた宮司の隣に絹江が座ると、雅臣はゆっくりと口を開いた。
「今から三ヶ月ほど前……あの日、橘香堂で那珂川を含め六人の遺体が見つかった」
「六人……ですか?」
父の他に死人がいたことに、壮琉は動揺する。そして、壮琉を助けた以外、事件の全貌を知らない宮司と絹江も真剣に話を聞いていた。
「那珂川と同じ部屋にいた三人の男。そして橘香堂の旦那と女将だ」
「そんな……女将さんたちまで……」
親しかった旦那と女将の死を聞かされ、再び目に涙が滲む。
「犯人は見つかったんですか?」
宮司が尋ねると、雅臣は静かに首を振った。
「いいや……ただ、六人を殺害したのは同一人物だと見ている」
「!」
壮琉だけでなく、宮司と絹江も驚きを隠せなかった。
「那珂川の場合、腹部の刺し傷が致命傷だが……六人の遺体に共通するのは、顔面からの大量出血だ」
「あ……」
父の目、鼻、耳、口などと、ひどい出血をしていたことは壮琉も鮮明に覚えている。さらに、出血の影響からか、顔は不気味なほど赤黒かった。
(父上を苦しませ、死に追いやった人物……いや、あれは自分たちと同じ「人間」と言っていいのか——?)
「まがえもの……」
「!?」
壮琉が無意識のうちに言葉を発した途端、宮司と絹江、そして雅臣まで表情がくもった。
「禍穢者と言ったか? 壮琉は見たのか? 禍穢者を……」
雅臣の険しい顔に、壮琉は緊張感を覚える。
「あの日……父上が『禍穢者が一体何しにきた?』と、相手の男に尋ねてたのを聞いて……」
「那珂川……あいつは向こうの正体を知っていたのか……?」
二人の会話を聞き、宮司は静かに伏目になった。腿にかかる狩衣をぎゅっと握りしめ、ただ無言で身を固くしている。
「俺は押し入れにいて……ちゃんと聞き取れなかったところもあるので……定かではないと思いますが……」
「いや、禍穢者の可能性が高い」
壮琉の言葉を遮るように断言すると、雅臣はさらに続けた。
「他の五人は那珂川と同じような刺し傷が確認できなかった。遺体を見た者によれば『心臓が内側で破裂してる』と……そのせいなのか、顔からの出血多量により死亡。人の手によるものとは考えにくい……」
惨い殺され方を聞き、絹江は手で口を抑えたまま絶句する。そこで、壮琉は前々から気になっていたことを口にした。
「あの……『まがえもの』とは何なのでしょうか。宮司様の手紙でも『禍穢者』のことを言っていて……俺、何も知らなくて……」
少し間があいた後、雅臣がゆっくりと口を開いた。
「禍穢者……『災いをもたらす穢れ者』という意味らしい。禍穢者に遭遇すると、化け物や家畜になるか、殺されるか……古の時代に存在したらしいが、詳しいことがあまり明らかになってないのだ」
「そんな昔に……でもどうして……」
「まず、目撃者がいない。遭遇したら化かされるか殺されるかの二択だ……故に国が調査をするにも難しい。調査の打ち切りが多く、資料も残らなかった」
「……」
(それでは……父上のことも解明されないのか……)
雅臣の話を聞き、壮琉は愕然とする。
「……他に事件のことで分かったことはないのですか?」
言葉を失う壮琉と代わるように、再び宮司が雅臣へ質問する。問いを受け、雅臣は苦しい顔をしながら言葉を続けた。
「……那珂川家で起きた火事のことだが」
「はっ……」
雅臣の言葉を遮るように、壮琉は思わず声と共に涙が溢れる。
「母上と瑠璃……二人は一体……」
両目から大粒の涙を流し、必死に家族の安否を尋ねる。雅臣は一瞬だけ目線を下にするが、壮琉に目を合わせてこう言った。
「行方知らずだ」
「え……」
思ってもいなかった回答に、壮琉は頭が真っ白になる。
「遺体どころか、骨すらも見つからなかった……二人ともだ……」
「安否が……分からないって……ことですか」
「あぁ。この三ヶ月間、二人の行方を捜査したが……何も手がかりが無い」
眩暈のような感覚に苛まれた壮琉は、畳に手をつけて上半身を支えようとする。涙は溢れ、呼吸が小刻みになるほど苦しかった。
(あのとき……俺が引き返さず……家にいた二人を助けていれば……俺が……)
一生かけても拭えない後悔の念に、壮琉は押し潰されていた。そのとき、雅臣は壮琉の前に近づき、震える両肩に優しく手を添えた。
「……壮琉、お前は悔いてるかもしれないが……これ以上自分を責めるな」
雅臣の言葉に、壮琉はゆっくり顔を上げる。
「……自分だけ生き残って申し訳ないと思っているのだろう?」
「っつ……」
抱えていた葛藤を雅臣に見透かされ、壮琉は目を見開いて驚く。そんな壮琉を見た雅臣は、自分の問いかけが当たっていたことを悟った。
「父親から何か預かってないか?」
雅臣から穏やかな口調でそう言われ、小さく返事をする。懐から出したのは、那珂川家の短剣だった。
『必ず逃げ切り、必ず生き延びるんだ……』
息途絶える目前、父が口にした言葉が頭の中に浮かぶ。
(そうだ俺……父上に言われて……なんとかこうして生き延びたんだ……)
そのことに気づき、流れ続けていた涙が一瞬だけ止まる。
『……後は頼んだぞ……』
息子の姿を見つめ、父は最期に力を振り絞って言葉をかけていた。
「父上が、この剣と一緒に……『後は頼んだぞ』って……」
かすかな声で壮琉がそう告げると、雅臣は優しい表情で何度も頷いた。
「父親がそう言ったのならば、お前は生きなければならない。那珂川家を守るためにも、母親と妹の無事を願うためにも……何としても」
壮琉は再び目に涙をためて、雅臣の言葉に何度も頷いた。弱冠十五歳——悲劇的な形で家督を継ぎ、父の遺志を受け入れた少年の背中を、雅臣は宥めるようにしばらく抱きしめたのだった。




