第九話 損をして得を取れ
ツインキャブレターは、内部のダイヤフラム《膜状の部品》が完全に劣化していた。国内には、もう在庫がない。海外の旧車部品を扱う業者を、片っ端から当たったが、成果は上がらなかった。
「見つからねえな」
五十嵐が、パソコンの画面を睨みながら唸った。
遥も、スマートフォンで検索を続けていたが、こちらも空振りだった。
「耐油性のシート材から、打ち抜くしかないんじゃないですか」
久保が呟いた。
「打ち抜くって、型がなきゃできねえだろう」
「型なら、作ればいい」
五十嵐が、渋い顔をした。
「言うのは簡単だ。現物から寸法を拾って、金型を旋盤で削り出す。コンマ数ミリでも狂えば、シートがまともに抜けねえ。手探りでやるにゃ、時間がかかりすぎる」
その場に、重い沈黙が落ちた。
梶谷は、黙って古いダイヤフラムを手に取り、しばらく見つめていた。
「――やるしかねえ」
「時間がねえんだぞ、宗吉」
「だから、やるしかねえんだ」
「損をして得を取れ、って知ってるか」
「今、その話かよ」
「今だからだ」
「何を得るんだ」
「知らねえ。手を抜かなかった奴にしか、わからねえよ」
五十嵐は、しばらく梶谷を見つめていたが、やがて舌打ちをして、古いダイヤフラムを受け取った。
「――知らねえぞ、失敗しても」
「失敗したら、またやり直す。それだけだ」
五十嵐は、ダイヤフラムの現物を、光にかざした。
「鉄ってのはな、手を抜けば、必ず返してくる。狂った寸法のまま金型を組んじまえば、後で必ずしっぺ返しを食らう」
そう言って、旋盤の前に座り直した。
「だから、丁寧にやるしかねえんだよ」
遥は、その様子を黙って見ていた。
損をして、得を取る。実家の父も、同じようなことを言っていた気がする。あの頃は、意味がわからなかった。今も、まだ半分もわかっていない。それでも、その言葉が、遥の中で静かに根を張り始めていた。




