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閲覧禁止フォルダ  作者: 影野 紡


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第三話 花嫁の誓い

花嫁の誓い


 俺は借金取りから逃げ、あてもなく街を彷徨っていた。


 小道の片隅で、何かに取り憑かれたように絵を描く老人がいる。

 キャンバスには、真っ赤な色打ち掛けに角隠しをつけた花嫁が描かれていた。


 その絵に、俺は釘付けになった。


 真っ赤な唇。透き通るような白い肌。

 まるで、生きているかのようだ。


 花嫁の目はじっと俺を見据え、何かを訴えかけているようだった。


「爺さん、その絵、売り物かい?」


「2000円」


 老人は無言で手のひらを差し出した。


 ――2000円か。今の俺にはこれしかない。


 なぜだか、その絵を置いていく気になれなかった。

 何かに引き寄せられるように、俺はその絵を買った。


 老人は、つきものが落ちたような笑顔で絵を渡してきた。


 2000円ぽっちで、あんなに喜ぶなんて。変な爺さんだ。


 キャンバスを抱えて宿へ戻り、部屋の壁に立てかける。


 すると、その日のうちに借金取りが俺の居場所を探し当ててやって来た。


「このやろう! 金返しやがれ!」


 腹を殴られ、髪を掴まれ、床に叩きつけられる。


 抵抗する力もなく耐えていると、不意に部屋の空気が冷えた。


 顔を上げる。


 そこには、絵の花嫁が立っていた。


 借金取りは驚いた様子もなく、花嫁から金を受け取っている。


「なんだ、あるじゃねえか。また入り用になったらお願いしますよ」


 男は下卑た笑みを浮かべながら帰っていった。


 静まり返った部屋で、俺は震える声を漏らす。


「あんた……本当に、あの絵の……?」


「ええ。あなた、困っているのでしょう?」


 花嫁は静かに微笑んだ。


「私が願いを叶えてあげるわ」


 ぞっとするほど綺麗だった。


「その代わり――私以外の女には、手を出さないで」


「本当に俺の願いを叶えてくれるんだな?」


「ええ」


「わかった。他の女には手を出さない。でも、その金はどこから……」


 その問いに、花嫁は答えなかった。


 それから、奇妙な生活が始まった。


 昼間、花嫁は甲斐甲斐しく俺の世話をした。

 飯を作り、服を整え、優しく笑う。


 まるで、本当の嫁のようだった。


 だが夜になると、花嫁は静かに絵の中へ戻っていく。


 冷たいキャンバスの中で、無表情のままこちらを見つめているのだ。


 俺は何度も尋ねた。


 なぜ絵の中にいるのか。

 なぜ金を出せるのか。


 だが、花嫁は決して答えなかった。


 それでも、俺は次第に花嫁へ依存していった。


 金は次々と手に入り、借金も消えた。

 俺は、自分が特別な人間になったような気でいた。


 ギャンブルで散財しても、また金が手に入る。


 酒を飲み、遊び歩き、いつしか花嫁との誓いも軽く考えるようになっていた。


 ――少しくらいならバレないだろう。


 そう思って、他の女を部屋へ連れ込んだ。


 翌朝。


 俺の隣に、女の姿はなかった。


 嫌な胸騒ぎを覚え、ゆっくりとキャンバスを見る。


 花嫁の角隠しは外れ、鋭い角がむき出しになっていた。


 口は耳元まで裂け、目は三角に吊り上がっている。


 白い指先からは、赤黒い血が滴っていた。


 部屋を見渡した瞬間、喉が引き攣る。


 昨夜の女が、床に転がっていた。


 白目を剥き、手足は逆向きに折れ曲がっている。


 首には、黒ずんだ歯形が残っていた。


 恐怖で体が動かない。


 その時。


 ピクリ、と女の指先が動いた。


「ひっ……」


 女の首が、ギギギ、と音を立ててこちらを向く。


 白く濁った目が、俺を見つめていた。


 次の瞬間、腹部に激痛が走った。


 鬼と化した花嫁の長い爪が、俺の腹を貫いていた。


 肉を裂き、内臓をゆっくり抉っていく。


 呻き声すら出ない。


 視界の端で、花嫁が笑っていた。


 ――楽しんでいる。


 そう気づいた瞬間、全身の血が凍った。


「グワァッ!」


 床に倒れていた女が跳ね起き、俺の喉へ噛みつく。


 肉を噛み千切りながら、白く濁った目で俺を睨みつけていた。


 苦しむ俺の耳元で、花嫁が囁く。


「あのお金は、私の血でできているの」


 花嫁は、ゆっくりと笑みを深くした。


「誓いを破った男は、女の餌になるのよ」


 腹を抉っていた手が、ゆっくりと引き抜かれる。


 だが、俺はまだ死ねない。


「死ぬまで、苦しむがいい」


 次の瞬間、鬼に操られた女が、再び俺の腕へ噛みついた。


「……た……す……け……」


 破った誓いの代償は、まだ終わっていない――。

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