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核紋が空の最弱冒険者、魔物を喰らって全属性で成り上がる  作者: 景都 (けいと)


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#98 没落騎士の娘とスラムの孤児

 ソフィアが息を吸った。


 丘の上の空気は、夜に近づくにつれて冷えていた。

 最後の夕日が地平線に溶けかけている。

 東の空に星が三つ。

 カスカーラの街灯が点り始め、酒場の喧騒が微かに風に乗ってくる。


「没落騎士の娘がスラムの孤児に惚れた。……笑い話よね」


 声が震えていた。

 ソフィアの手が膝の上で握りしめられている。

 剣ダコのある指が白くなるほど。


 カイトは横を向いた。

 ソフィアの横顔を見た。

 プラチナブロンドの髪が夜風に揺れている。

 青い瞳が伏せられていた。

 睫毛の影が頬に落ちている。

 頬は赤い。もう夕日のせいにはできない色だ。


「笑い話じゃない」


 カイトの声は、自分でも思ったより静かだった。


「……最高の組み合わせだろ」


 ソフィアの肩が跳ねた。

 顔を上げた。

 青い瞳が大きく見開かれ、カイトの灰色の目を捉えている。


「何、今の」


「聞こえなかったか」


「聞こえたわよ。もう一回言って」


「言わねぇよ」


 カイトは前を向いた。

 耳の裏が熱い。

 視線をカスカーラの街灯に固定した。

 ソフィアが隣で何か言おうとして、口を閉じて、また開けて、結局黙った。


 沈黙が流れた。

 だが居心地の悪い沈黙ではなかった。

 ダンジョンの底で背中を預け合った時間が、言葉の代わりをしている。


 虫の声がした。

 丘の草むらから秋虫が鳴き始めている。

 カスカーラの街灯が増えていく。

 酒場の窓から漏れる光が、石畳の道を黄色に染めている。


 カイトはソフィアの横顔を見た。

 初めて会った時のことを思い出していた。

 ギルドの掲示板の前で、水属性B級なのにパーティが見つからないと言った女。

 没落騎士の娘だからと、誰にも相手にされなかった。

 核紋なしの石級と、没落騎士の銅級。

 カスカーラで最も見向きもされない二人が組んだ。


「ソフィア」


「何」


「俺は口が上手くない。知ってるだろ」


「知ってるわよ。今更」


「だからまとめて言う」


 カイトが草を毟った。

 目はまだ前を向いている。


「お前がいなかったら、俺は2Fで死んでた。4Fで死んでた。10Fのヴァルカンで確実に死んでた。呪核の毒で死んでた。聖域山脈の封印で死んでた。一回じゃない。何十回も、お前に助けられた」


「私だって同じよ。あんたがいなかったら、没落騎士の娘のまま——」


「聞け」


 ソフィアが口を閉じた。


「助けられたのは命だけじゃない。お前がいたから、俺は一人じゃなかった。核紋が空で、名前しか持ってなかった俺が——仲間がいるってことを知った。パーティってのは背中を預ける相手がいることだって、お前が教えた」


 カイトの声が小さくなった。


「だから——笑い話なんかじゃない」


 ソフィアが目を逸らした。

 唇を噛んでいる。

 肩が微かに震えていた。


「ずるい」


「何がだ」


「そんなに言っておいて——好きとも何とも言わないのがずるい」


 カイトの眉が寄った。

 頭を掻いた。

 草を毟る手が止まった。


「言わなきゃ伝わらないか」


「当たり前でしょ」


「……言葉にするのは得意じゃない」


「知ってるって言ったでしょ」


 カイトが息を吐いた。

 星が増えていた。

 丘の上から見上げる空は広い。

 ダンジョンの底では見られなかった空だ。


「お前の隣が——一番居心地がいい」


 ソフィアの手が、カイトの手に触れた。

 剣ダコ同士が重なった。

 ソフィアの指が、カイトの指に絡んだ。

 どちらの手も硬くて、傷だらけで、武器を握るために鍛えられた手だった。


「あんたの隣にいる。これからも」


「勝手にしろ」


 声に温かさが滲んでいた。

 カイト自身が驚くほどに。

 ソフィアが笑った。

 肩に寄りかかってきた。

 プラチナブロンドの髪が、カイトの腕に触れた。


 二人は黙ったまま、星が増えていく空を見ていた。

 カイトの左手がぎこちなくソフィアの肩に回された。

 ソフィアは何も言わなかった。

 体を少しだけ近づけた。


 丘の下からカスカーラの酒場の歌声が聞こえてくる。

 酔った冒険者たちが合唱している。

 調子外れの歌だ。

 だが夜風に乗って届くその声は、不思議と心地よかった。


「帰るか」


「もう少し」


「……寒くないか」


「あんたが暖かいから平気」


 カイトは黙った。

 耳が熱いのは、夜風のせいではない。


* * *


 翌朝、ギルドの受付に荷物が届いていた。


 二つの包み。

 一つはリーナの筆跡で「カイト様・ソフィア様」と書かれた封筒が添えてある。

 もう一つはミーリアの丸い字で「カイトさんへ」と書かれた木箱だ。


 ソフィアがリーナの手紙を開いた。


「読むわよ」


「勝手にしろ」


「『カイト様。聖域山脈での共闘、短い間でしたが大変貴重な経験でした。あの時の核紋の旋律——今でも耳に残っています。定期的に聴かせてくださいませ。あなたの核紋が安定しているか、心配しているのですわよ。リーナ・クレスタフェルデ』」


「おせっかいな女だ」


 カイトの口元が緩んでいた。


 ソフィアがミーリアの木箱を開けた。

 中には干し肉と薬草の束、それから小さな革袋が入っている。

 革袋の中身は辺境の酒だった。

 蜂蜜の匂いがする。


「ミーリアからの手紙は……あった。『カイトさん。辺境はもう雪が溶けました。庭の薬草が芽を出しています。お体に気をつけて。——ミーリア』。短いわね」


「十分だ」


 ミーリアの字は丸くて大きかった。

 一文字一文字を丁寧に書いている。

 辺境の薬草師は、言葉を飾らない。

 聖域山脈で共に戦った時も、必要なことだけを短く伝える人だった。

 カイトはその性格を嫌いではなかった。


「ミーリアって、あんたに似てるわよね」


「どこがだ」


「不器用で、言葉が少なくて、でもやることはちゃんとやる。辺境の薬草をわざわざ送ってくるところとか。口では何も言わないくせに、行動で全部伝えるところ」


「俺はそんなんじゃない」


「そんなのよ。自覚がないだけ」


 カイトはリーナの手紙を折り畳み、胸ポケットに入れた。

 ソフィアが目を丸くした。


「しまうの? 珍しい」


「核紋の旋律がどうとか書いてあっただろ。次に会った時に聴かせてやらないと面倒なことになる。忘れないように持っておくだけだ」


「ふうん」


 ソフィアの唇が弧を描いた。

 何も言わなかったが、青い瞳が笑っている。


「何だよ」


「何でもない。さ、朝ご飯にしましょう」


 カイトは鼻を鳴らした。

 窓の外から朝の光が差し込んでいる。

 ギルドの酒場に、パンの焼ける匂いが満ちていた。


 カウンターで黒パンと焼き肉とスープを頼んだ。

 ソフィアはパンにバターを塗りながら、ミーリアの干し肉をかじっている。


「辺境の干し肉、塩が効いてて美味しい」


「ミーリアは薬草師だが、保存食も上手い」


「知り合いの良いところをちゃんと言えるようになったわね。成長したじゃない」


「うるさい」


 カイトはスープに口をつけた。

 温かい液体が喉を通っていく。

 テーブルの上に朝日が差し込み、リーナの手紙の封筒が白く光っていた。

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