#95 星の力
ギルドの訓練場に、朝一番で入った。
石畳の広場の四方に的が並び、中央に砂が敷かれた練習場がある。
まだ誰もいない。
朝霧が薄く漂い、石壁が冷たい空気を閉じ込めていた。
カイトは訓練場の中央に立ち、右手を開いた。
白銀の光が灯った。
掌から指先へ、指先から手首へ。
星属性のエネルギーが皮膚の下を流れていく。
温かくも冷たくもない。
存在そのものに触れているような感覚。
「まずは基本だ」
訓練場の壁に埋め込まれた魔法灯に手を触れた。
白銀の光が魔法灯に流れ込む。
内部の核紋回路が、手を通じて「見えた」。
炎属性の小さな核紋が動力源になっている。
核紋の紋様、エネルギーの流れ、劣化箇所。
全てが星属性の光を通じて掌に伝わってくる。
「核紋構造の読み取り。触れるだけで中身が見える。これが基本機能か」
手を離した。
白銀の光が消え、指先に微かな痺れが残った。
消耗がある。
大きくはないが、確実に体力を削っている。
* * *
次に試したのは、崩壊しかけた魔法陣の修復だった。
訓練場の隅に、旧式の防御魔法陣が刻まれている。
紋様の一部が欠けて機能停止しており、ギルドの修復待ちになって久しい。
カイトが魔法陣に両手を当てた。
白銀の光が紋様に沿って流れていく。
欠けた部分の「本来の形」が、星属性を通じて読み取れた。
逆流操作の応用。
封印の核に全属性を注ぎ返した時と同じ要領で、星属性のエネルギーを紋様の欠損部分に注ぎ込む。
白い光が紋様の隙間を埋めていく。
石畳に刻まれた線が、一本ずつ蘇った。
三十秒。
魔法陣が淡い光を放ち、防御結界が薄く立ち上がった。
「修復完了。ただし——」
カイトの膝が揺れた。
額に汗が浮いている。
旧式の魔法陣一つで、この消耗。
全能には程遠い。
「消耗が激しい。長時間使ったら倒れるな」
壁にもたれて息を整えた。
星属性は全属性の上位互換——だが無限の力ではない。
核紋の器が進化しても、中身を使えば減る。
当たり前のことだが、確認しておく必要があった。
「全能じゃない。これにも限界がある」
だが。
「俺に合った力だ」
核紋喰いは「奪う力」だった。
魔物の核紋を吸収し、属性を奪い、自分のものにしてきた。
星属性は違う。
読み取り、理解し、必要な場所にエネルギーを返す。
喰う力と、返す力。
その両方を持つのが、今のカイトだった。
* * *
訓練場で三時間を費やした後、カイトはスラム街に向かった。
ソフィアが隣を歩いている。
「どこに行くの」
「井戸だ」
「井戸?」
「スラム街の共同井戸。星脈回路が壊れて、二年前から水が出ない。ガキどもが遠くの川まで水を汲みに行ってる」
ソフィアは何も言わなかった。
カイトの横顔を見て、小さく頷いた。
スラム街は変わっていなかった。
狭い路地。
崩れかけた石壁。
泥と塵の匂い。
路地裏で子供たちが棒切れを振り回して遊んでいる。
共同井戸は広場の中央にあった。
石造りの円筒型。
滑車の縄は朽ちて垂れ下がり、井戸の縁に苔が生えている。
水はない。
カイトは井戸の縁に手を置いた。
白銀の光が石に流れ込んだ。
井戸の内壁に沿って、星脈の回路が埋め込まれている。
大陸の地下を流れる星脈エネルギーを利用して地下水を汲み上げる仕組み——古い時代の技術だ。
回路の三箇所が断裂していた。
星脈のエネルギーが流れずに途切れ、ポンプが動かない。
「断裂が三箇所。回路の紋様は残ってる。修復は——できる」
両手を井戸の縁に押し当てた。
白銀の光が強くなった。
逆流操作。
星属性のエネルギーを断裂した回路に流し込み、途切れた紋様を繋ぎ直す。
汗が額から顎に伝った。
指先が震えている。
訓練場で消耗した後だ。
体の底から力を絞り出している。
一箇所目の断裂が繋がった。
二箇所目。
三箇所目——。
白銀の光が井戸全体を包んだ。
次の瞬間、井戸の底から音が響いた。
ゴボッ。
水が上がってくる音だった。
井戸の中から、透明な水が湧き上がった。
縁を越え、石畳に溢れ出す。
二年間枯れていた井戸から、水が溢れている。
「水だ!」
路地裏から子供が走ってきた。
一人、二人、三人。
裸足の足が水溜まりを踏んで、飛沫が散った。
「井戸から水が出てる!」
「本当だ! すげぇ!」
「お母さん、水だよ!」
子供たちが歓声を上げている。
石壁の向こうから大人たちも顔を出した。
枯れ井戸が復活したことに、目を丸くしている。
カイトは井戸の縁にもたれかかっていた。
消耗で足に力が入らない。
だが倒れるほどではなかった。
溢れた水が靴を濡らしている。
冷たい。
地下水特有の清涼な水だ。
「喰う力で始まったけど」
カイトは自分の右手を見た。
白銀の光は消えている。
ただの手だ。
スラムで育ち、短剣を握り、魔物を喰い、世界を救った手。
「返す力で終わるのか。……悪くない」
ソフィアが隣で微笑んでいた。
何も言わなかった。
言葉は要らなかった。
* * *
井戸の周りで子供たちが騒いでいた。
水を掬って飲む子。
水を掛け合って笑う子。
大人たちが桶を持ってきて、久しぶりの井戸水を汲んでいる。
一人の男の子がカイトの前に来た。
七つか八つ。
薄汚れた服を着て、膝に擦り傷がある。
カイトが子供の頃と同じ格好だった。
「おじさん」
「おじさんじゃねぇ」
「なあ、星級冒険者って何ができるの?」
カイトは男の子を見下ろした。
大きな目がカイトを見上げている。
怖がっていない。
白銀の瞳にも怯まず、真っ直ぐに見ている。
カイトはしゃがんだ。
男の子と目線を合わせた。
「何でもできるわけじゃない」
「でも井戸を直したでしょ」
「ああ」
「すごいの?」
「すごくない。ただ、壊れたものを直しただけだ」
男の子は首を傾げた。
その仕草が、妙に懐かしかった。
自分もこうやって、誰かに質問していた頃があった。
核紋が空で、名前すらない頃。
先生だけが答えてくれた。
「星級冒険者って、何ができるの?」
同じ質問だった。
子供は納得するまで同じ質問を繰り返す。
カイトは立ち上がった。
「守りたいものは守れる」
男の子の頭にぽんと手を置いた。
星属性の残滓が指先から微かに漏れ、男の子の髪が白銀に光った。
一瞬だけ。
男の子は気づかなかった。
ソフィアがカイトの袖を引いた。
「行きましょう」
「ああ」
二人はスラム街を歩いた。
背後で子供たちの歓声が聞こえている。
水を掛け合う音。
笑い声。
井戸が直っただけで、こんなに騒ぐのか。
それだけ長い間、水がなかったということだ。
路地を抜けると、カスカーラの港が見えた。
午後の陽光が海面を金色に染めている。
潮風が顔に当たった。
カイトの白銀の瞳に、海の光が映っていた。
核紋が空だった少年は、星を宿して水を返した。
喰う力と、返す力。
どちらも、この手にある。




