#94 名誉回復
名誉回復の書状が届いたのは、式典の翌日だった。
帝国の紋章入りの封筒が三通。
一通はギルドへの公式通達。
一通はソフィアへの個人宛。
最後の一通は、ヴァイスリッター家の家紋入りの古い封蝋で閉じられていた。
ソフィアはギルドの二階、カイトと共有している作戦部屋の机で封を切った。
指が震えていた。
「読むぞ」
「読んで」
カイトは壁に寄りかかったまま、ソフィアの横顔を見ていた。
彼女の目は書状の文字を追っている。
一行読むごとに、唇の力が抜けていくのがわかった。
「百年前——ヴァイスリッター家の当主、エドヴァルト・ヴァイスリッターは、帝国の封印に関わる機密を守ろうとした」
ソフィアの声が途切れた。
指が書状の端を握っている。
紙が微かに撓んだ。
呼吸を整えて、続きを読む。
「彼は封印の情報を政治利用しようとする勢力に反対し、正しい管理体制の構築を主張した。しかしその主張は『帝国への反逆』として歪曲され、ヴァイスリッター家は全ての地位と領地を剥奪された」
書状の文字が、百年間の汚名を覆す内容だった。
「証拠として提出されたのは、ダンジョン18Fで発見された長剣に刻まれた手記である。ヴァイスリッター家の騎士が、命を賭けて真実を刻み残したもの——」
ソフィアの声が止まった。
18F。
カイトと二人で潜った、あの階層。
刀身に刻まれた古い文字。
ソフィアが読み上げ、カイトが書き写した、あの手記。
「あの時」
ソフィアが顔を上げた。
目が赤い。
「あの時は、ただの古い落書きだと思った。まさか自分の祖先が書いたものだなんて」
「お前の祖先だったのか」
「エドヴァルトの従騎士。名前が書いてあった。アルヴィン・ヴァイスリッター。当主の弟」
ソフィアの声が詰まった。
手記の内容は、カイトも覚えている。
「封印を政治の道具にしてはならない。後世の者がこの文字を見つけた時、真実が明かされることを願う」。
百年前の騎士の言葉が、百年後の子孫によって発見された。
* * *
窓の外から、カスカーラの港の喧騒が聞こえている。
鉄を打つ音。
商人の声。
日常だ。
百年間の冤罪が覆った日も、街はいつも通りに動いている。
三通目の封蝋を切った。
中身は、帝国の公式文書ではなかった。
古い羊皮紙。
インクが褪せ、端が朽ちかけている。
帝国の資料庫に保管されていた、ヴァイスリッター家の家訓だった。
ソフィアが羊皮紙を広げた。
——剣は名誉のために振るうのではない。守るべきもののために振るう。
「お父様が……よく言ってた」
ソフィアの指が、文字をなぞった。
「没落しても騎士だって。剣は名誉のためじゃなくて、守るべきもののために振るうんだって。子供の頃は意味がわからなかった」
「今は」
「今は、わかる」
涙が羊皮紙に落ちそうになった。
ソフィアが慌てて顔を背けた。
カイトが横から羊皮紙を取り上げて、机に置いた。
「濡らすな。百年ものだぞ」
「わかってるわよ。……ありがとう」
「何がだ」
「あんたと一緒にダンジョンに潜らなかったら、手記は見つからなかった。あんたが18Fまで連れて行ってくれたから」
「俺は何もしてない。お前の家族が偉かったんだ」
カイトの声は素っ気なかった。
だがソフィアは首を振った。
「家族が偉かったのは、そう。でもそれを見つけたのは、あんたと私。二人で潜ったから見つけた。一人だったら、あの階層まで行けなかった」
カイトは窓の外を見た。
カスカーラの街並みが広がっている。
港に船が停泊し、市場が賑わい、ギルドの旗が風に揺れている。
「お前の涙で古文書が台無しになるところだったぞ。騎士の家訓を泣いて汚すなんて、先祖が泣くぞ」
「もう泣いてないわよ」
「目が真っ赤だが」
「風のせいよ」
「窓は閉まってるぞ」
ソフィアが小さく笑った。
涙の跡が頬に光っている。
笑顔と涙が混じった顔は、初めて見る表情だった。
* * *
午後、ギルドの酒場でエールを飲んでいた。
窓から差し込む陽光が、木のテーブルに四角い光を落としている。
埃が光の中を漂い、酒場特有の麦とホップの匂いが空気に染みている。
カイトとソフィアが奥のテーブルに座り、隣のテーブルにヴェルナーが一人で座っている。
三人の距離感は、一ヶ月前とは別物だった。
同じテーブルにはつかないが、同じ空間にいる。
酒場の冒険者たちが、ソフィアに声をかけていた。
「ヴァイスリッターのお嬢さん、おめでとう」
「没落じゃなくなったんだろ。祝いの一杯を」
「忠臣の家ってのは、すげえな」
ソフィアは一人一人に頭を下げていた。
かつて「没落騎士の娘」と呼ばれて敬遠されていた女に、冒険者たちが杯を差し出している。
カイトはエールを啜りながら、その光景を見ていた。
ヴェルナーがカイトの方を見た。
碧い瞳が、何か言いたそうに揺れている。
言葉にはしなかった。
エールを一口飲んで、視線を窓の外に戻した。
ヴェルナーの家も、ヴァレンシュタイン家との関わりで傷を負った。
だがそれは自業自得の傷だ。
ヴァイスリッターの冤罪とは違う。
その違いを、ヴェルナーは理解しているのだろう。
カイトはソフィアの横顔を見た。
冒険者たちに囲まれて、照れくさそうに笑っている。
百年間の汚名が、一枚の書状で覆った。
だがその書状を引き出したのは、ダンジョンの底で見つけた手記と、封印を修復した功績だ。
どちらも、二人で掴み取ったものだった。
「カイト」
ソフィアが戻ってきた。
頬が赤い。
エールのせいか、冒険者たちに褒められたせいか。
「何だ」
「みんなが、お祝いしてくれるの」
「見てた」
「昔は目も合わせてくれなかったのに」
「世間ってのはそういうもんだ」
「そうね。……でも、今は素直に受け取るわ」
カイトはエールを飲み干した。
「もう一杯。お前の分も」
「あんたが奢るの。珍しい。太陽が西から昇ったのかしら」
「うるせぇ。祝いだろ。今日くらいは」
ソフィアの目が丸くなった。
そしてゆっくりと、笑みが広がった。
酒場の喧騒の中、その笑みは静かだった。
百年分の重荷を降ろした女の、軽くなった横顔だった。
酒場の喧騒の中で、カイトは二杯目のエールを注文した。
「……でもまあ、没落騎士の娘とスラムの孤児のパーティが、世界を救ったってのは——悪くないな」
ソフィアはエールのジョッキを持ち上げた。
「悪くないわね」
杯が合わさる音が、酒場に小さく響いた。




