#91 星の核紋喰い
カイトの瞳が、白銀に染まった。
灰色だった虹彩の中心から、白い光が広がっていく。
星の色だった。
夜空に散らばる星々と同じ、冷たくて温かい光。
封印の空洞に白銀の光が満ちている。
三つの封印の核が穏やかに脈動し、崩壊の気配は消え失せていた。
修復は成功した。
百年間揺らぎ続けた封印が、ようやく本来の姿を取り戻した。
「核紋の構造が変わっている」
リーナの声が空洞に響いた。
紫の瞳が絞られ、カイトの胸元を凝視している。
彼女の耳に聴こえているのは、六つの属性が全て抜け落ちた空の器——その底に残る、一つの旋律。
「全属性を返したのに、器が壊れていない。むしろ——拡張されていますわ。器そのものが、進化した」
カイトは右手を開いた。
掌に白銀の光が灯っている。
熱くない。冷たくもない。
空気に触れているのに、空気とは違うものに包まれている感覚。
「星属性」
リーナが息を呑んだ。
「伝説の第七属性。文献では千年前に失われたとされる力。それが、あなたの核紋の底にあった」
「俺の底に、か」
カイトは手を握った。
白銀の光が指の隙間から漏れた。
「喰ったわけじゃねぇんだな。最初からあった」
「ええ。あなたの核紋は『空』ではなかった。星属性は既存の鑑定では測定不能ですの。鑑定士が『空』と判定したのは、器の底に星属性があることを検出できなかったから」
リーナの声に微かな震えがあった。
あの目で聴いた旋律が、彼女の常識を揺さぶっているのだろう。
「あなた、転生者なのかしら」
カイトの目がリーナを見た。
「何だそれ」
「異世界から魂を持ち込んだ者。星属性は、この世界の外側の力に由来するという説がありますわ。転生者だけが宿すと」
「俺にはそんなもんねぇよ」
カイトの声に迷いはなかった。
「この世界で生まれて、スラムで育って、ダンジョンで喰ってきた。それだけだ。前世の記憶なんてひとかけらもない」
「でしたら——」
「前世がなくても、今の俺が全部だ」
リーナの口が閉じた。
紫の瞳の奥で、何かが揺れた。
カイトの核紋が奏でる旋律が、その言葉と完全に一致しているのだろう。
嘘がない。
この男の器には、嘘を混ぜる余地がない。
ソフィアがカイトの隣で微笑んでいた。
小さく、だが深い微笑みだった。
* * *
ミーリアが封印の核に触れていた。
大地から星脈の光が立ち上り、彼女の掌に集まっている。
封印の状態を確認しているのだ。
大地のエネルギーと対話する、聖女の力。
ミーリアの足元で、岩肌に薄い緑の光が脈打っていた。
大地が呼吸しているように見える。
「安定しています。核の脈動が穏やかになりました。百年間ずっと震えていた方が、やっと眠れたみたいです」
ミーリアの声は柔らかかった。
その言葉の向こうに、百年間独りで封印を守り続けた存在への敬意がある。
カイトは封印の核を見上げた。
巨大な白銀の結晶が、天井近くで静かに回転している。
ダンジョン25Fで初めて見た時は不安定に震えていた。
今は穏やかだ。
子守歌でも聴いているように。
フェリクスが空洞の入口で待機していた。
ルシアンは退路の確保に回っている。
封印が安定した今、もう護衛の必要はないが、二人とも持ち場を離れていない。
戦いは終わっても、緊張が抜けるには時間がかかる。
「ヴェルナー」
カイトが振り向いた。
空洞の入口に、ヴェルナーが立っている。
革鎧に土埃がこびりつき、頬に乾いた血がある。
護衛として、噴出する星脈エネルギーを体で受け止めていた名残だ。
「お前にはもう負けたくない」
ヴェルナーの声は低かった。
碧い瞳がカイトを真っ直ぐに見ている。
傲慢さの代わりに、剥き出しの敬意があった。
かつて「核紋なしのゴミ」と呼んだ男が、白銀の瞳を持つ男の前に立っている。
金級のプレートは剥奪された。
公爵家の後ろ盾は崩れた。
残ったのは、鉄級のプレートと、安物の革鎧と、鍛え直した炎B級の制御精度だけ。
それだけで、この男はここまで来た。
「いいぜ。次は本気で来い」
カイトの声に嘲りはなかった。
初めてだった。
ヴェルナーに向けた言葉から、棘が完全に消えたのは。
ヴェルナーの拳が握られた。
唇が歪んだ。
笑おうとして、失敗したような顔だった。
「ああ。次こそは」
ソフィアが二人の間に立ち、水袋を差し出した。
ヴェルナーに。
「あんたも座りなさい。ずっと立ちっぱなしでしょ」
「……すまない」
「礼はいいから」
カイトの口調と同じだった。
ソフィアがそれに気づいているのかは、わからない。
* * *
封印修復の報告は、リーナの鑑譜通信で帝都と冒険者ギルド本部に同時に送られた。
旋律を遠隔地に伝送する鑑譜の応用技術。
リーナが空洞の中心に座り、両手を封印の核に向けて旋律を編んでいる。
報告が完了するまで、カイトたちは待った。
ミーリアが薬草茶を淹れた。
聖域山脈の地下水で煮出した茶は、星脈のエネルギーを微量に含んでおり、体の回復を促進する。
カイトは一口飲んで、眉を上げた。
「悪くない。ソフィアの茶より美味いぞ」
「あんた、喧嘩売ってるの」
「事実を言っただけだ」
ミーリアが困ったように笑った。
「また何かあったら、呼んでください。わたし、お茶を淹れるくらいしかできませんけど」
「嘘つけ。お前は大地を癒せる。俺にはできないことだ」
ミーリアの目が丸くなった。
カイトが他人の能力を正面から認めるのは珍しい。
ソフィアがそっと目を逸らしたのは、笑いを堪えているからだろう。
リーナが通信を終えて立ち上がった。
「報告完了ですわ。帝国もギルドも、封印修復の成功を確認しました。——全員の名前を報告書に記載しましたわよ。カイト。ソフィア。ヴェルナー。ミーリア。フェリクス。ルシアン。そしてわたくし」
「俺の名前を最初に書いたのか」
「当然ですわ。逆流操作を行ったのはあなたです」
「チームでやった仕事だろ」
「ええ。ですが主役はあなたですわ」
カイトは顔をしかめた。
主役という言葉が肌に合わない。
封印の空洞を出て、地上に戻った。
聖域山脈の夜空が広がっている。
月が白く輝き、星が散りばめられていた。
カイトは空を見上げた。
白銀の瞳に、星々の光が映っている。
右手の甲に、薄い白銀の光の筋が走っていた。
星属性の証だ。
「スラムの孤児が大陸を救った」
声に出した。
自分で言って、妙な顔になった。
「……笑い話だろ。でも事実だ」
ソフィアが隣に立った。
肩が触れた。
「笑い話じゃない」
「じゃあ何だ」
「あんたの話よ。カイト」
風が山を下りてきた。
六人の髪を揺らし、焚き火の残り火を揺らし、夜の空に消えていく。
カイトの胸の奥で、星属性が穏やかに脈動した。
空だった器に、最初から星があった。
誰にも見えなかっただけで、ずっとそこにあった。
白銀の瞳が、星空を映している。




