#87 封印の中心へ
朝霧が山肌を覆っていた。
聖域山脈の入口は、岩壁に穿たれた巨大な裂け目だった。
高さ十メートル以上。幅は五メートル。
裂け目の奥から白銀の光が漏れ出ている。
星脈のエネルギーが濃い。呼吸するだけで喉の奥が焼けるような感覚がある。
「行くぞ」
カイトが先頭に立った。
ソフィアが右後方、ヴェルナーが左後方。
リーナとミーリアが中央、フェリクスが殿を務める。
裂け目の中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
外の朝霧が嘘のように、内部は乾いた熱気に満ちている。
岩壁のあちこちに星脈の光が走り、白銀の筋が脈打つように明滅を繰り返している。
足元の岩が微かに振動している。
封印の核が近い。
通路は下り坂だった。
狭い箇所では一列になり、広い箇所では隊列を組み直す。
十分ほど歩いたところで、壁の裂け目からエネルギーの塊が飛び出した。
拳大の光球が通路を横切る。
ヴェルナーが即座に剣を振った。
炎を纏った刃が光球を切り裂く。散った破片が壁に当たって消えた。
「封印の漏出だ。中心に近づくほど増えるぞ」
カイトが頷いた。
体内の核紋が共鳴するように脈打っている。封印のエネルギーが漏れ出し、カイトの中の属性を引き寄せている。
さらに十分。
通路の幅が広がり始めた。天井が高くなり、壁の星脈の光が密になっていく。
足元の振動が強くなった。靴底を通して、大地の鼓動が伝わってくる。
三十分ほど歩いた頃、前方が開けた。
「——これか」
カイトが足を止めた。
巨大な空洞だった。
天井は見えない。暗闇の彼方に消えている。
空洞の中央に、光の柱が立っていた。
白銀と金色と蒼色が混ざり合った光。三つの封印の核から伸びる光線が一点に集束し、天井に向かって真っ直ぐ立ち上がっている。
光の柱は美しかった。
だが安定していない。
柱の表面が波打ち、ところどころで光が途切れ、暗い隙間が走っている。百年の歳月が封印を蝕んだ証だ。
光の柱の根元——三つの核が地面に埋まっている。
柱の中に、遠く離れた二つの核の光が映っている。迷宮の核が赤と緑、帝都の核が青と茶。そして目の前の山脈の核が、金と紫に光っている。
山脈の核の光が最も弱い。明滅が不規則で、今にも消えそうだった。
カイトは光の柱を見上げた。
美しい。百年間、一人の命で保たれてきた封印。その光がこうして目の前にある。
アリーシアの記憶の断片を体の中に持っている。壁面彫刻から喰らった映像と声。暗闇の中で立ち上がる少年を視た聖女の記憶。
あの記憶の主が、この封印の核だ。
「旋律を読みます」
リーナが前に出た。
紫の瞳が金色に変わる。鑑定能力が全力で起動している。
目を細め、光の柱を見上げた。
「三つの核の旋律が噛み合っていません。この山脈の核が劣化し、残る二つとのバランスが崩れています。このままでは——」
地面が揺れた。
空洞全体が軋むような振動。
岩壁にヒビが走り、裂け目から白銀のエネルギーが噴き出した。
「星脈の噴出だ!」
ヴェルナーが剣を抜いた。
噴出したエネルギーが形を成し、光の塊となって飛散する。
ヴェルナーが炎を纏った剣で光の塊を斬り払った。塊が四散し、壁に当たって消える。
安物の剣が軋んだ。だが折れない。ヴェルナーの炎が刃を補強している。
二十日前なら、この技はできなかった。自分の炎を武器に乗せる技術は、実戦で身につけたものだ。
「フェリクス、右だ!」
フェリクスが剣で右側の噴出を薙ぎ、エネルギーの流れを逸らした。
剣身が白く輝く。フェリクスの剣捌きは無駄がない。一振りで噴出の軌道を変え、壁に導いて消散させる。
二人の護衛が噴出を捌いている間に、リーナが解読を続ける。
「ミーリアさん、大地の癒しを。カイトさん、核を安定させて。わたくしが旋律を整えます」
三人が頷く。リーナが続ける。
「ミーリアさん、南東の裂け目から星脈の回路が断裂しています。そこから」
「わかりました」
ミーリアが地面に両手をついた。
目を閉じ、大地に語りかけるように意識を沈める。
地面から淡い光が湧き上がった。温かい光。星脈の回路に沿って光が走り、断裂した箇所を繋ぎ直していく。
「回路が繋がり始めた。カイトさん、山脈の核に」
「ああ」
カイトは光の柱に向かって歩いた。
近づくほどに、体内の核紋が騒ぐ。
炎が脈打ち、水が渦巻き、地が唸り、風が叫び、光が明滅し、闇が蠢く。
六つの属性が、封印の核に引き寄せられている。元の場所に帰りたがっているかのように。
山脈の核の前に立った。
金と紫の光が明滅している。弱々しい。百年間、一人で耐え続けた光。
右手を伸ばした。
核に触れた瞬間——
全身の核紋が同時に脈動した。
視界が白く染まった。
体の中で全属性が暴れ出す。炎が皮膚を焼き、水が血を凍らせ、地が骨を軋ませ、風が筋繊維を引き裂こうとする。光と闇が衝突し、胸の奥で爆発が起きた。
そして——白銀の光。
星属性が覚醒しかけた。
空の器の底に眠っていた白銀の光が、封印の核との接触で暴走を始める。
「がっ——」
カイトの体が弾かれるように仰け反った。
膝が崩れかける。
手が核から離れそうになった。
背中に温かいものが触れた。
ソフィアだった。
背後からカイトの肩を掴み、水属性の治癒を流し込んでいる。
青い光がカイトの体を包み、暴走する属性を鎮めていく。
「離すな。私が支える」
ソフィアの声が、混乱する意識の中に届いた。
治癒の光が属性の衝突を和らげる。
完全には抑えられない。だがソフィアの水が緩衝材になり、カイトの体が壊れるのを防いでいる。
カイトは歯を食いしばった。
核紋の暴走を意志で押さえ込む。
選別吸収で培った制御技術。属性を一つずつ分離し、暴走の連鎖を断つ。
十秒。
二十秒。
三十秒。
暴走が収まった。
だが核紋は震え続けている。封印の核との接触が、体内の全属性を不安定にしている。
「安定しました。ですが——」
リーナの声が震えていた。
カイトは汗まみれの顔を上げた。
リーナの紫の瞳が大きく見開かれている。金色の光が激しく明滅している。
「旋律が変わった」
リーナが叫んだ。
「封印が最終崩壊を始めます」
光の柱が波打った。
三つの核を繋ぐ光線が千切れかけ、空洞全体が激しく揺れる。
天井から岩の破片が降り注ぎ、壁の裂け目から星脈のエネルギーが滝のように溢れ出した。
ヴェルナーとフェリクスが叫びながらエネルギーの噴出を捌いている。
ミーリアが地面に両手を押し付け、崩れかける回路を必死に繋ぎ止めている。
ソフィアがカイトの背中に手を当て続けている。
リーナが振り向いた。
紫の瞳に、焦りの色が浮かんでいた。
「——急いで!」
封印の核が明滅している。
金と紫の光が消えかけている。
カイトは核を掴む手に力を込めた。
体内の六つの属性が暴れている。
返すなら今だ。
今しかない。
「わかってる」
白銀の光が、カイトの瞳に灯った。




