#86 作戦会議
祠の壁に貼り出された羊皮紙の上を、リーナの指が滑った。
三つの円が描かれている。
聖域山脈の東、西、そして中央。
円を結ぶ線が三角形を作り、その中心に太い点が打ってあった。
「封印は三点構造ですの」
リーナの声が、朝靄の残る祠に響いた。
紫の瞳が羊皮紙を見つめている。あの不気味な目。核紋の中身を見透かす鑑定能力が、封印の旋律を読んでいる。
「百年前、大聖女アリーシアは一つの核では封印が持たないと悟り、大陸の三点に分散させました。迷宮の最深部の核が炎と風、帝都地下回廊の核が水と地、そしてこの聖域山脈の核が光と闇を封じています。三つの核を繋ぐ星脈の回路が、全体を束ねている」
カイトは腕を組んで壁に背を預けた。
リーナの説明は理路整然としているが、長い。
「で、何をすればいい」
「せっかちですわね。——聖域山脈の核が最も劣化しています。ここが崩れれば三点構造が総崩れし、大崩落の再来です。修復には、その核に全属性のエネルギーを注ぎ返す必要があります」
ミーリアが手を挙げた。
控えめな仕草だが、声は落ち着いている。
「星脈の回路のことですね。大地が裂けている箇所を、わたしが共鳴で繋ぎ直します。回路が通っていないと、注ぎ返しても核まで届きませんから」
「その通りです。ミーリアさんが星脈の回路を修復し、わたくしが旋律を読んで手順を指示します。そしてカイトさん」
リーナの紫の瞳がカイトを射抜いた。
「あなたが全属性を封印の核に注ぎ返す。逆流操作。喰ったものを——返すのです」
沈黙が落ちた。
ソフィアの視線がカイトに向いた。
ヴェルナーが腕を組み直した。
焚き火の残り火が微かに弾けた。
「命令するな」
カイトの声は低かった。
「命令ではありませんわ。事実を述べていますの。全属性を封印の核に注ぎ返せるのは、全属性を器に持つ人間だけ。つまりあなたしかいない」
「わかってる。わかってるから——命令するなと言ったんだ」
リーナが一瞬、瞬きをした。
そして微かに口角を上げた。
「お好きなように解釈なさいませ」
* * *
祠の外に出ると、朝の光が聖域山脈を照らしていた。
岩肌に星脈の光が走っている。
白銀の筋が、まるで大地の血管のように脈動している。
その光が時折赤く明滅するのは、封印が不安定になっている証だった。
「逆流操作の練習をしますわ」
リーナが祠の床から拳大の結晶を拾い上げた。
星脈のエネルギーが凝固した天然の結晶。白く透き通っている。
「これに炎属性を注いでみてください。結晶が赤く光って安定すれば成功。暴発すれば——まあ、この大きさなら火傷で済みますわ」
「励ましてるつもりか」
カイトは結晶を受け取った。
掌に収まる小さな石。冷たい。
だが核紋で感じると、微かな脈動がある。星脈の残響。封印の核と同じ波長。
右手に意識を集中した。
体内の核紋が反応する。炎、水、地、風、光、闇——六つの属性が器の中で渦巻いている。その中から炎だけを選び、手の平に集める。
選別吸収で培った技術だ。
複数の属性を同時に持ちながら、一つだけを引き出す。
炎の熱が掌に溜まった。
結晶に触れさせる。
しかし「注ぐ」方向がわからない。
これまでは常に「喰らう」側だった。外から体の中に引き込む流れ。
逆流はその反対。体の中から外に押し出す。
「感覚が逆だ。吸収するときは引くだけでいいが、返すとなると」
「押すのではありませんわ。手放すのです」
リーナの声が背後から聞こえた。
「核紋を取り込むとき、あなたは引き込んでいる。逆に、手放す感覚で属性を流せば、結晶側が受け取ります。あなたの器は空の器——入れる器であると同時に、出す器でもあるはず」
手放す。
カイトは目を閉じた。
体内の炎属性に意識を向ける。赤い光。10Fで炎竜ヴァルカンから喰らった炎C級。あの灼熱。あの死闘。
——それを、返す。
握りしめていた拳を開くように、炎を掌から流した。
結晶が赤く光った。
穏やかな赤。暴発ではない。
光が数秒間続き、やがて安定した。結晶の内部に赤い色が残り、微かに温かくなっている。
「成功ですわ」
リーナが結晶を覗き込んだ。紫の瞳が金色に光る。
「旋律が安定しています。炎属性が結晶の構造に馴染んだ。この要領で、全属性を封印の核に注ぎ返すのです」
カイトは手を開いて見た。
炎を手放した感覚が残っている。奇妙だった。喰らうときは充足感があるが、返すときは——空っぽになる感触。
「できる。全属性は初めてだが」
ミーリアが横から覗き込んだ。
「結晶がとても安定しています。カイトさんの属性は、手放しても荒れない。丁寧に取り込んできたからですね」
「丁寧じゃねぇよ。死にかけながら喰ってきただけだ」
ミーリアが微笑んだ。
その笑みに、カイトは少しだけ目を逸らした。
* * *
夕方、全員が祠の前に集まった。
カイト、ソフィア、リーナ、ミーリア。
護衛のヴェルナーとフェリクス。
そしてルシアンが退路の確保に回る。
リーナが最終確認を始めた。
「明朝、封印の中心に入ります。中心部は三つの核が集束する光の柱がある空洞です。星脈の噴出が激しく、長時間の滞在は危険。作業時間はおそらく一時間が限度」
「一時間で全属性を返せるのか」
「返せなければ、封印が崩壊します」
カイトは鼻を鳴らした。
「随分と気楽な話だな」
「気楽ではありませんわ。わたくしの鑑定によれば、封印の残存強度は三割を切っています。明日を逃せば、一週間以内に最終崩壊が始まります」
ヴェルナーが一歩前に出た。
「護衛は俺に任せろ。封印が不安定になれば星脈のエネルギーが噴出する。それを三人に当てさせない」
「頼りにしていますわ。フェリクスさんと二人で、噴出するエネルギーを逸らしてください」
フェリクスが頷いた。
寡黙な男だが、剣を握る手に迷いがない。
ソフィアがカイトの隣に立った。
「私はカイトの背後につく。逆流操作中は無防備になるでしょ。治癒と防御は私が」
「ああ」
「ああ、じゃないの。ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる。お前がいないと死ぬ。いつものことだ」
ソフィアが一瞬、目を見開いた。
それから小さく笑った。
「いつものこと、ね。——ええ、いつも通りにするわ」
日が傾いていた。
聖域山脈の稜線が夕焼けに染まり、星脈の光が赤と白銀の間を揺れている。
カイトは全員の顔を見回した。
リーナは腕を組んで封印の地図を睨んでいる。
ミーリアは地面に手を当て、星脈の状態を確認している。
ヴェルナーは剣の刃を布で拭いている。安物の剣だが、刃は研がれていた。
フェリクスが剣の柄を握り直した。
ソフィアは——カイトの隣にいた。
「明日の朝、封印の中心に入る」
カイトが言った。
「失敗したら、大崩落の再来だ」
全員が黙った。
「気楽にいこうぜ」
誰も笑えなかった。
風が山脈から吹き下ろしてきた。
冷たい風だった。
星脈の匂いが混じっている。
百年間、一人の女性の命が支えてきた封印の匂い。
カイトは拳を握った。
六つの属性が、器の中で脈動している。
明日、全部を返す。
返した後に何が残るのか、カイトにはまだわからなかった。




