#85 三者集結
朝霧の中に、二つの人影が現れた。
一人は小柄な少女だった。
栗色の髪が肩まで伸び、金色の瞳が朝靄を通してこちらを見ている。
質素な旅装だが、足取りは確かだ。
手には木の杖を握っている。
聖職者が使うような、先端に星の意匠が刻まれた杖。
もう一人は長身の男だった。
日に焼けた肌に、無精髭。
山岳の民が着るような毛皮の外套を羽織り、背に弓を負っている。
目が鋭い。
だが口は閉じたまま、一言も発さない。
二人が祠の前の平地に足を踏み入れた。
カイトは焚き火の傍に立ったまま、少女を見た。
これが辺境の聖女か。
噂では大地を癒す奇跡の力を持つと聞いていた。
星脈のエネルギーが凝縮されたような存在を想像していた。
目の前にいるのは、カイトより二つ三つ年下に見える少女だった。
旅の疲れで頬が赤い。
杖を握る手が少し震えている。
朝露に濡れた前髪が額に張り付いていた。
「お前が聖女? 思ったより普通だな」
言ってから、隣でソフィアの気配が鋭くなった。
「カイト。二人目にも失礼」
「二人目?」
「リーナに会った時も似たようなこと言ったでしょ」
「言ってない。あの時は不気味だと言った」
「もっと酷いじゃない」
少女が数歩近づいてきた。
金色の瞳がカイトの全身を見ている。
正確には、カイトの体を透かして何かを見ている。
「えっと……あの」
少女の声は柔らかかった。
だが言葉の途中で、声が止まった。
「あなたの核紋、すごく温かい光がある……でも、何かが奥で蠢いています」
カイトの目が見開かれた。
「お前、俺の核紋が見えるのか」
「見えるというか……感じるんです。星脈を通じて。あなたの中に、たくさんの属性がある。闇も、水も、炎も。全部が一つの器に入ってる。それが温かい光。でもその奥に、とても深い力がある。星脈そのものみたいな……白銀の何か。あれが、とても深くて底が見えないんです」
カイトは息を吐いた。
星属性の種を、初めて他人に感知された。
長身の男が少女の後ろに立ったまま、カイトを見ていた。
一言も発さない。
弓に手を添えたまま、状況を観察している。
「お前は」
「……フェリクス」
男の声は低く、短かった。
それ以上は何も言わなかった。
「寡黙だな」
「……」
返事もなかった。
* * *
ソフィアが二人にお茶を出した。
携行用の茶葉だが、焚き火で沸かした湯が山脈の冷気に合う。
少女は両手で湯気の立つ杯を包み、小さく息を吹きかけた。
「えっと……わたし、ミーリアです。辺境自治区のグリュンハイムから来ました」
「カイト。迷宮都市カスカーラの冒険者だ」
「カイトさん。核紋喰いの方なんですね。リーナさまから聞いています」
「リーナが俺のことを話したのか」
「はい。封印の安定化には三つの力が必要だと。核紋を注ぎ返す力と、大地を癒す力と、旋律を読む力。わたしは大地を癒す役割です」
ミーリアの声は丁寧だった。
だが時折、言葉の合間に「えっと」が入る。
緊張しているのだろう。
「あの、カイトさん」
「さん付けは要らない」
「えっと、じゃあ……カイト。あなたの核紋、本当にすごいです。こんなにたくさんの属性を一つの器に入れてる人、初めて見ました」
「褒められても何も出ないぞ」
「褒めたんじゃなくて……あの、心配しているんです。器が、すごくぎりぎりに見えるから」
カイトは何も言わなかった。
事実だった。
ヴェルナーが焚き火に枝を足した。
ミーリアがヴェルナーを見て、小さく頭を下げた。
「あなたは……」
「ヴェルナー。カイトの……何だ。仲間か。元敵か」
「あの、どっちなんですか」
「仲間よ」
ソフィアが横から答えた。
ヴェルナーは口を閉じた。
フェリクスが焚き火の端に座った。
弓を膝の上に置き、お茶を一口飲んだ。
表情は変わらない。
* * *
昼前に、東の方角から馬蹄の音が聞こえた。
数頭。
街道を進む遠征隊の規模だ。
カイトの核紋が反応した。
あの感覚だ。
カスカーラの酒場で一瞬だけ感じた、紫の瞳の女の気配。
朝霧が晴れ始めた平地に、騎馬の集団が現れた。
先頭に銀髪の女が騎乗していた。
長い銀髪が風に流れ、紫の瞳が祠の前に集まった人影を捉えている。
白い外套の下に軽装の旅鎧。
貴族の令嬢の装いではない。
実戦を経た者の出で立ちだった。
その隣に、黒髪の青年が並んでいる。
がっしりとした体格に、使い込まれた剣を腰に下げている。
護衛だろう。
後方に騎馬の兵が数人。
遠征隊の護衛部隊だ。
銀髪の女が馬を降りた。
靴が土を踏む音が、朝の静寂に響いた。
「お久しぶりですわ、ミーリアさん」
声が涼やかに通った。
ミーリアが立ち上がった。
「リーナさま! はい、覚えています。あの、泣いていても何も変わらないって」
リーナが微笑んだ。
紫の瞳に、穏やかな光が宿っている。
「ええ。あなたはもう泣いていないのですわね」
ミーリアの金色の瞳が潤んだ。
だが涙は落ちなかった。
唇を引き結び、強く頷いた。
「はい。もう、泣きません」
リーナがカイトに視線を移した。
紫の瞳が、カイトの全身を舐めるように見ている。
あの目だ。
核紋の構造を読む、不気味な目。
「核紋、ますます賑やかですわね」
「お前もな。あの不気味な目は相変わらずだ」
「カイト、失礼でしょ」
ソフィアの声が飛んできた。
リーナは気にした様子もなく、薄く笑った。
「相変わらず率直ですこと。嫌いではありませんわ」
黒髪の青年がリーナの隣に立った。
カイトを見て、微かに目を細めた。
「リーナ。この人が」
「ええ。カイトさんですわ。わたくしが依頼書を出した、核紋の専門家」
「ルシアンだ。何度か顔は合わせているな」
「ああ」
カイトは短く答えた。
握手を求められたが、カイトは顎で会釈を返しただけだった。
ソフィアが背後でため息をついた。
* * *
三者が集結した。
祠の前の平地に、七人が集まった。
カイト、ソフィア、ヴェルナー。
ミーリア、フェリクス。
リーナ、ルシアン。
そして後方の遠征隊。
焚き火を囲む形で、作戦会議が始まった。
リーナが地面に山脈の略図を描いた。
木の枝の先で土に線を引く動作は、意外なほど手慣れていた。
「封印の集束点は、この祠から山を二つ越えた先。地下空洞の最深部にあります。カスカーラのダンジョン25Fにあった封印の核と同じ構造の結晶が、ここにもう一つ」
「三つ目は帝都か」
「ええ。帝都の地下にもう一つ。三点の封印が連動して、大崩落のエネルギーを封じ込めています。一つでも崩壊すれば連鎖的に三つとも壊れる」
ミーリアが略図を見つめていた。
「あの、リーナさま。封印の核の聖紋は、わたしの力で修復できるんでしょうか」
「できますわ。あなたの大地を癒す力は、聖紋の素材となる大地のエネルギーを呼び起こせる。百年前の大聖女アリーシアと同質の力です」
「同じ……ですか」
「同じとは言いませんわ。アリーシアは命と引き換えに封印を施した。あなたにはそんなことはさせません」
リーナの声に力が入った。
ミーリアが小さく頷いた。
「カイトさん」
リーナがカイトに向き直った。
「あなたの役割は、蓄えた全属性を封印の核に注ぎ返す逆流操作。わたくしが旋律で手順を指示します。タイミングを合わせてくださいますか」
「命令するな」
「お願いですわ」
「……ちっ。やってやる」
リーナが三人の核紋を同時に見た。
紫の瞳が微かに金色を帯びた。
呼吸が止まった。
リーナの唇が開き、閉じ、また開いた。
何かに圧倒されたように、瞳が揺れている。
「三つの力が揃った」
声が震えていた。
「……これなら、いける」
朝霧が晴れ、聖域山脈の峰が姿を見せた。
白銀の山頂に朝日が差し、大気が金色に染まった。
カイトの胸の奥で、星属性の種が静かに脈動した。
ミーリアの金色の瞳と、リーナの紫の瞳と、カイトの灰色の瞳が、一瞬だけ同じ方角を向いた。
聖域山脈が、三人を待っている。




