#80 宿敵の合流
焚き火の光が、ヴェルナーの顔を照らしていた。
息は整っていない。
額の汗を拭いもせず、カイトの前に立っている。
鉄級のプレートが揺れるたびに、安物の鎖が鳴った。
革鎧の表面には新しい傷が幾筋もついている。
ダンジョンで付いた傷だ。
自分の力で戦った証。
「お前が来てどうする」
カイトの声は冷たかった。
「聖域山脈だぞ。封印の集束点。白金級の推薦を受けた遠征に、鉄級が何の用だ」
ヴェルナーは息を吐いた。
膝に手をついたまま、顔を上げる。
碧い瞳に、焚き火の橙色が映っている。
「足手まといだろうな。わかってる」
「わかってるなら帰れ」
「帰らない」
声に迷いがなかった。
カイトが眉を寄せた。
ヴェルナーが膝から手を離し、背筋を伸ばした。
安物の革鎧が軋む音がした。
かつての金の鎧なら鳴らなかった音だ。
だがその音は、妙に実直だった。
「ギルドで聞いた。お前が聖域山脈に向かうと。封印を安定化させる遠征だと」
「だから何だ」
「俺にも関係がある。ヴァレンシュタイン家。俺の後ろ盾だった連中が、封印の隠蔽に関わっていた。その金で俺は装備を買い、ランクを買い、何もかもを借り物で固めていた。それを知って何もしないのは」
「正義感か。お前が」
カイトの声に棘があった。
ヴェルナーの顎が引き締まった。
だが目は逸らさなかった。
「正義感じゃない。責任だ」
沈黙が落ちた。
焚き火が弾ける音だけが、林の中に響いた。
ソフィアが火の向こう側に座ったまま、二人のやり取りを見ている。
口を挟まない。
膝の上に置いた手が、微かに組み替えられた。
「ヴェルナー。お前の炎B級は本物だ。それは認める。だが実戦経験が足りない。5Fから鍛え直して何日だ。二週間か。三週間か」
「二十日だ」
「二十日で何ができる。聖域山脈にいるのは、ダンジョンの深層獣なんて比じゃない相手だぞ。星脈のエネルギーを操る存在だ。お前の炎が通じる保証はどこにもない」
「知ってる」
「知ってて来たのか」
「ああ」
カイトは腕を組んだ。
「足手まといになるだけだ。お前はカスカーラに戻って、自分のランクを上げることに集中しろ。それが一番合理的だ」
ヴェルナーの目が細くなった。
「合理的か。確かにそうだろうな」
ヴェルナーが一歩前に出た。
焚き火の光が横顔の半分を照らし、半分を影に沈めた。
「それはお前が一番よく知ってるだろ」
カイトの口が閉じた。
「石級から始めて、核紋なしで金級まで来た。二十日じゃない。半年だ。それでも足りないと言うなら、お前自身が半年前に冒険者登録した時点で不合格だったはずだ」
ヴェルナーの声は、カイトが初めて聞く声だった。
傲慢さがない。
虚勢もない。
ただ事実を並べている。
自分自身を飾る言葉が、一つもない。
「足手まといかどうかは、やってみなきゃわからない。それはお前が一番よく知ってるだろ」
同じ言葉だった。
カイトが石級の頃、ギルドの受付で言われたことがある。
核紋なしの少年に、周囲は「無理だ」「やめておけ」と言った。
カイトは返した。
やってみなきゃわからない、と。
ヴェルナーがその言葉を使った。
偶然ではないだろう。
この男はカイトの言葉を知っていた。
酒場で、ギルドで、誰かから聞いたのだ。
そしてそれを、自分の言葉として口にした。
焚き火の向こうで、ソフィアが微笑んでいた。
小さく、だが確かに。
* * *
カイトは腕を組んだまま、ヴェルナーの装備を上から下まで見た。
革鎧は市場の量産品。
革の厚みが均一でなく、左肩の部分が薄い。
剣は鉄製の片手剣。
刃の根元に錆が浮いている。
荷物は背嚢ひとつ。
中身は携行食と水袋だろう。
テントはない。
予備の武器もない。
「装備がゴミだ」
「自分で買えるものはこれだけだった」
「金がないのか」
「グリフォンハート家の資産は凍結された。ギルドからの支給も停止された。手持ちの金貨で揃えられたのがこれだ」
カイトは懐から干し肉の包みを取り出した。
銀級の弓手から押しつけられたやつだ。
重い包み。婆さんの手作り。
ヴェルナーに投げた。
「食え。走ってきたなら腹が減ってるだろ」
ヴェルナーが反射的に受け取った。
包みを見下ろし、一瞬だけ手が止まった。
指が包みの縁を握る力が強い。
「施しか」
「余りだ。俺は食わない」
「……すまない」
「礼を言うな。気持ち悪い」
ヴェルナーが干し肉を噛みちぎった。
硬い。
顎を動かすたびに筋張った繊維が歯に絡む。
だがヴェルナーは顔をしかめもせず、無言で咀嚼を続けた。
かつてなら「こんなものが食えるか」と投げ返していただろう。
高級装備の金で買った酒場の上等な席で食事をしていた男が、安物の干し肉を黙って噛んでいる。
カイトはそれを見て、何も言わなかった。
* * *
焚き火を挟んで、三人が座った。
カイトとソフィアが並び、ヴェルナーが対面に。
火が赤く燃え、三人の影を林の木々に投げている。
虫の声が遠くで鳴いていた。
「ルールを決める」
カイトが口を開いた。
「第一。指揮は俺が取る。聖域山脈での作戦はリーナが決めるが、道中の判断は俺だ。異論があるなら今言え」
ヴェルナーは黙って頷いた。
「第二。戦闘中に勝手な行動を取ったら置いていく。足を引っ張ったら置いていく。死にかけたら」
「助けるんでしょ」
ソフィアが横から口を挟んだ。
「……助けはする。だがそのせいで任務が失敗したら、お前の責任だ」
「承知した」
「第三。俺の核紋喰いについて、道中で誰にも喋るな」
「喋らない。聞かれても」
カイトはヴェルナーの目を見た。
碧い瞳に、嘘の色はなかった。
かつてギルド審問で「この男は危険だ」と証言した瞳と、同じ色だが別の光が宿っている。
「勝手にしろ。ただし、足引っ張ったら本当に置いていく」
「ああ」
ソフィアがお茶を三人分淹れた。
携行用の簡素な茶葉だが、焚き火で沸かした湯が香りを立てている。
カイトとヴェルナーに一杯ずつ渡す。
「ようこそ。うちのパーティへ」
「パーティに入れた覚えはねぇぞ」
「でも、もう三人でしょ」
カイトは茶を飲んだ。
返す言葉がなかった。
* * *
夜が深くなった。
ソフィアが先にテントに入り、カイトが見張りの最初の番に立った。
ヴェルナーはテントがないので、焚き火の傍で毛布に包まって横になった。
毛布も薄い。
安宿の備品を持ち出してきたのだろう。
火が弱くなっていた。
炎C級の核紋で火を足してやろうかと考えたが、やめた。
ヴェルナーが自分で薪をくべればいい。
風が林を渡った。
木の葉が擦れる音に混じって、ヴェルナーの声が聞こえた。
小さい声だった。
寝言ではない。
目を閉じたまま、意識的に呟いている。
「正々堂々やり直させてくれ」
カイトの耳に届いた。
焚き火が弾けた。
木の枝が崩れ、火の粉が舞い上がった。
橙色の粒が夜空に散り、星に混じって消えていく。
カイトは聞こえないふりをした。
西の空に、雲の切れ間から星が見えた。
聖域山脈の方角だ。
核紋が脈動している。
微かに。確実に。
封印の核が、カイトを呼んでいる。
三人の旅が始まった。
スラムの孤児と、没落騎士の娘と、全てを失った貴族の三男。
誰もが何かを取り戻しに行く旅だ。
カイトは火の番をしながら、西の星を見ていた。
聞こえていた。
ヴェルナーの言葉は、聞こえていた。
だが返す言葉は、まだない。
今はまだ。




