#08 スライムの罠
4Fに降りた瞬間、足元がぬるりと滑った。
「うおっ」
カイトが体勢を崩しかけ、壁に手をついた。
壁もぬるぬるしている。
指の隙間を、半透明の粘液が這った。
「何だこれ……」
「スライムの粘液よ。4Fは通路全体がこれで覆われてるの」
ソフィアが慎重に足を運びながら、剣の柄を握り直した。
松明の代わりに、ソフィアの水属性が青白い光を放っている。
暗視のカイトには不要だが、ソフィアの視界確保のためだ。
「スライムって、どうやって倒す?」
「核を壊す。体のどこかに拳大の核があるから、そこを砕けば死ぬ。ただし」
ソフィアが言いかけたとき、通路の先で天井からどろりと何かが垂れ落ちた。
半透明の塊。拳ほどの核が、ぼんやりと緑色に光っている。
スライム。
「ただし?」
「物理が効きにくいの。刃物は溶かされるし、殴っても弾力で弾かれる。接触した武器が粘液で腐食する」
カイトは短剣を見下ろした。
たった一本の、安い鋼の短剣。
これを溶かされたら丸腰になる。
「つまり、素手で行けってことか」
「そうは言ってないでしょ」
* * *
4Fのスライムは厄介だった。
物理攻撃は通りにくく、刃物は粘液で溶ける。
カイトが短剣を突き刺してみたが、刃先が数秒で白く曇り、切れ味が死んだ。
「やべぇ。もう使い物にならない」
短剣を引き抜くと、先端が溶けて丸くなっていた。
三体のスライムが通路を塞ぎ、じわじわと迫ってくる。
壁と天井からも粘液が滴り落ち、逃げ道が狭まっていく。
「ソフィア!」
「任せて」
ソフィアが剣を構え、水属性の魔力を刃に纏わせた。
青白い光がスライムの体表を切り裂くと、粘液が弾け飛び、内部の核が露出した。
「見えた。核が出てる」
「今よ!」
カイトが駆け込む。
短剣は使えない。拳を固め、露出した核に叩き込んだ。
硬い手応え——核に罅が入る。もう一発。
砕けた。
スライムが崩壊し、粘液の水たまりになって床に広がる。
「効いた。核を出してくれれば、素手で壊せる」
「私の水でスライムを切って核を露出させる。あんたが体術で砕く。これでいけるわ」
連携が定まった。
ソフィアの水が切り裂き、カイトの拳が砕く。
ゴブリン戦とは全く異なる連携だが、互いの役割は明確だ。
二体目のスライムに拳を叩き込んだとき、粘液が腕に絡みついた。
焼けるような痛みが走る。
「くっ」
「カイト!」
ソフィアの水が粘液を洗い流す。
カイトの前腕が赤く腫れていた。
スライムの粘液は弱酸性だ。素肌で触れれば火傷のようになる。
「大丈夫。続けろ」
「大丈夫じゃないでしょ、腕真っ赤じゃない」
「治癒は後でいい。先に全部片付ける」
三体目のスライムに向かって駆け出すカイトの背中を、ソフィアが舌打ちしながら追った。
* * *
4Fの通路を二時間かけて掃討した。
スライムは全部で十一体。
最初の三体で連携の型を掴み、四体目からは効率が上がった。
ソフィアが水の刃で胴体を抉り、核を剥き出しにする。カイトが跳び込んで拳で砕く。
だがスライムも学習する。5体目からは核を体の奥に隠すようになり、ソフィアの水が深くまで切り込む必要があった。
8体目は天井から不意に落ちてきて、カイトの背中に張りついた。粘液が革鎧を溶かし始め、ソフィアが水で引き剥がすまでの数秒で、背中の皮膚が赤く爛れた。
十一体を倒し終えたとき、カイトの両腕は粘液の火傷で腫れ上がり、背中にも火傷痕が残っていた。
「無茶しすぎ。腕がボロボロじゃない」
ソフィアが治癒の水をカイトの腕に流しながら、眉を寄せる。
冷たい水が傷口に染みて、カイトは顔をしかめた。
「文句は後にしろ。それより、あれを見ろ」
最後のスライムを砕いたとき、核の破片から淡い光が浮かんだ。
核紋の欠片。
カイトの空の核紋が反応する。
だが今回の脈動は弱い。
今までのゴブリン系とは何かが違う。
「喰ってみるか」
手を伸ばす。
光が掌から流れ込んだが、感覚が薄い。
頭痛もほとんどない。目が金色に変わる時間も一瞬だけだった。
吸収完了。
「……何が変わった?」
カイトは自分の体を確かめた。
暗視は変わらない。俊敏性も同じ。
ただ、腕の粘液火傷が、わずかに引いている気がした。
「粘性耐性、か。スライムの粘液に多少強くなった、って感じだ」
「それだけ?」
「それだけだ」
カイトは天井を見上げた。
スライムの粘液が滴る暗い通路。
「ハズレだな。全部の核紋が当たりってわけじゃないんだな」
ソフィアが隣で腕を組んだ。
「核紋喰いにも質があるってこと?」
「そうらしい。ゴブリン系の暗視や俊敏性は実戦で使える。でもスライムの粘性耐性は——まぁ、火傷しにくくなった程度だ」
「つまり、何を取り込むかで得られるものが違う」
「ああ。闇雲に取り込めばいいってもんじゃない。選ばなきゃいけない」
核紋の吸収にも「質」がある。
この発見は小さいようで大きかった。
全ての核紋を片っ端から喰らうのではなく、何を吸収するかを選ぶ必要がある。
カイトはスライムの粘液を踏みながら、4Fの奥へ進んだ。
通路が広くなり、天井が高くなる。
5Fへの階段が見えた。その手前で、足が止まった。
「……何か、いる」
暗視の視界に、巨大な影が映った。
階段の前に陣取るように、それは動かずに座している。
ゴブリンとは比較にならない体躯。
頭に冠のような角が生えている。
「ゴブリン……じゃないな。もっとでかい」
低い唸り声が、階段の奥から響いた。
通路の壁が振動する。
足元の粘液が波紋を描いた。
ソフィアの顔が強張った。
「ゴブリンキング。5Fのボスよ。取り巻きも大量にいるはず」
「5Fのボスが、4Fとの境目にいるのか」
「縄張りの端を巡回してるんでしょうね。階段を守るように」
カイトは階段の先を睨んだ。
ゴブリンキングの気配は、今まで取り込んできたゴブリンとは次元が違う。
核紋の脈動が激しくなる。
空の器が、あの巨大な核紋に反応している。
「今日は無理だ。一回戻る」
「珍しく慎重じゃない」
「馬鹿じゃねぇよ。あの図体に素手で挑むほど頭は悪くない——短剣は溶けたし、拳も火傷だらけだ。準備がいる」
踵を返す。
だがカイトの灰色の瞳は、階段の闇を振り返っていた。
ゴブリンキング。闇F級。
取り巻きを含めれば、今の二人では厳しい相手。
だが、喰いたい。
あの核紋を喰えば、何かが変わる。
カイトの拳が、無意識に握りしめられていた。




