#07 銅級昇格
昇格試験の会場は、ダンジョン3Fの広間だった。
試験官は銀級の老冒険者で、白髪を短く刈り込んだ無愛想な男だ。
腰の剣は使い込まれて鍔が欠けている。
本物の実力者だと、カイトの直感が告げていた。
「カイト・アッシュフォード。石級。核紋……空」
試験官が記録板を見て、眉を寄せた。
「空の核紋で銅級試験を受けるのか」
「ああ」
「試験内容は3Fでのゴブリン単独討伐だ。5体以上倒せば合格。制限時間は一刻。パーティメンバーの同行は不可。質問は」
「ねぇよ。始めてくれ」
試験官が松明を壁に掛け、離れた。
カイトは松明を見て、それから試験官の背中を見た。
松明を消した。
「おい、何を」
「邪魔だ。暗いほうがいい」
踵を返し、暗闇の通路に踏み込む。
灰色の瞳が、闇の中で冴え渡った。
* * *
3Fのゴブリンは2Fの個体より一回り大きく、武器を持っている者もいる。
だがカイトにとって、もう脅威ではなかった。
最初の群れは三体。
暗闇の中で壁に背をつけ、足音だけで近づいてくるゴブリンの位置を測る。
五歩。三歩。一歩。
短剣が閃いた。
一体目の喉を切り裂き、返す刃で二体目の脇腹を刺す。
三体目が棍棒を振り上げたが、カイトは既に死角に回り込んでいた。
背中から短剣を突き立てる。
三体。十秒。
息を整える間もなく、通路の奥から新たな足音が迫る。
四体。一体は木の盾を持ち、もう一体は石の斧を握っている。
残りの二体は素手だが、体格が大きい。3Fの上位個体だ。
カイトは暗視で盾持ちの構えを観察した。
右半身を守っている。左が空いている。
正面から走り込む。
盾持ちが防御姿勢を取った瞬間、左に跳んだ。
盾の死角から剣筋を通し、首元に短剣を叩き込む。
石斧のゴブリンが横から振りかぶった。
カイトはしゃがみ込んで斧をかわし、足を払う。
転んだゴブリンの胸に、体重を乗せた一突き。
残りの二体は叫び声を上げて逃げようとした。
暗闇の中では、カイトのほうが速い。
俊敏性が上がった足で距離を詰め、背後から二体続けて仕留めた。
7体。
制限時間の半分も使っていなかった。
* * *
広間に戻ると、試験官が松明を手に待っていた。
その表情は険しい。
「七体討伐。合格だ。だが一つ聞かせろ」
「何だ」
「お前の核紋は空だ。鑑定でも属性は確認できない。なのに暗視が使えている。あれは闇属性の技能だ。どういう仕組みだ」
カイトは試験官の目をまっすぐに見た。
「俺のやり方だ。それ以上は答えられない」
試験官はしばらくカイトを睨んだ。
松明の炎が二人の間で揺れる。
沈黙が三秒、五秒と続いた。
試験官の目には疑惑と、それを上回る何かがあった。
「……まぁいい。実績は実績だ。昇格を認める」
革袋から銅色のプレートを取り出し、カイトに放った。
カイトは片手で受け取る。
銅のプレート。
ずっしりと重い。
石のプレートとは手触りが違う——金属の、冷たい重み。
指の腹で表面を撫でると、自分の名前が刻まれていた。
「ありがとうございます」
「……核紋なしの銅級昇格は前例がない。お前は注目される——覚悟しておけ」
* * *
ギルドのロビーに戻ると、ソフィアが待っていた。
柱の傍に寄りかかって腕を組み、入口を見張るように立っている。
カイトの姿を見つけた瞬間、背筋を伸ばした。
「どうだった?」
カイトは銅のプレートを掲げた。
ソフィアの顔がぱっと明るくなる。
「やった! おめでとう!」
「まだ銅だ。大したことねぇよ」
「大したことあるわよ。核紋なしで銅級なんて、あんたが初めてなんだから」
ロビーの冒険者たちが振り向く。
銅級昇格の報告が受付に届いたのか、ざわめきが広がった。
「おい、あの核紋なしのガキが銅級だって?」
「マジかよ。前例ないだろ」
「インチキじゃないの。鑑定で空なのに暗視使えるとか、怪しすぎる」
好奇の目。疑いの目。嫉妬の目。
声はひそひそと、しかし本人に聞こえるように囁かれる。
孤児院時代と同じだ。核紋なしの子供に向けられる視線。
あの頃は名前すら呼んでもらえなかった。
だが今は違う。プレートに自分の名前が刻まれている。
カイトはそのどれにも取り合わず、ソフィアと並んで受付に向かった。
そのとき、背後から声がかかった。
「核紋なしのゴミが銅級とは、ギルドも落ちたものだ」
カイトが振り向く。
ロビーの柱に寄りかかった男がいた。
整った顔立ち、明るい茶髪。高価な革鎧に金の装飾。
胸元で揺れるプレートは——金。
金級の冒険者。
カイトの見上げる先で、金のプレートが溶岩の光を反射していた。
男はカイトの銅のプレートを一瞥し、鼻で笑った。
「石から銅に上がったくらいで騒ぎになるとはね。この都市の水準も知れたものだ」
「何だ、あんた」
「名乗る価値もないよ。核紋なしの銅級風情に」
男は柱から背を離し、五人の仲間を従えてギルドの奥に消えた。
全員が高級装備を纏い、自信に満ちた足取りだった。
すれ違いざまに香水の匂いが鼻をついた。ダンジョンに潜る人間の匂いではない。
カイトの拳が白くなるまで握りしめられた。
「……あいつ、誰だ」
「知らない。でも金級のプレートだった。カスカーラに20人もいない実力者よ」
ソフィアが眉を寄せる。
「気にしないで。ああいう手合いはどこにでもいるわ」
「気にしてねぇよ」
嘘だった。
奥歯が軋むほど噛みしめていた。
核紋なしのゴミ——あの言葉が、孤児院時代の嘲りと重なる。
名前のない子供。核紋のない出来損ない。生きている価値のないゴミ。
だが怒りは呑み込む。
拳で返すのは、今じゃない。
* * *
宿に戻り、銅のプレートをテーブルに置いた。
蝋燭の光を反射して、鈍く輝く。
「次は鉄だ」
カイトは窓の外を見た。
ダンジョンの入口が、夜闇の中にぽっかりと口を開けている。
星が出ていた。海風が宿の窓を揺らす。
「ゴブリンだけじゃ足りねぇ。もっと上の階層に行く」
「4Fはスライムの巣よ。物理が効きにくい相手だけど——」
「だからこそだ。喰ったことのない核紋がある」
ソフィアがため息をついた。
だがその目は笑っていた。
「無茶しないで……って言っても聞かないんでしょ」
「聞かねぇな」
「知ってる」
銅のプレートを握り直す。
冷たい金属が、掌の中で少しだけ温まった。
まだ足りない。まだ遠い。
でもゼロから始めたこの手が、ようやく一段目に足をかけた。
カイトは目を閉じた。
体内の核紋が静かに脈動している。
空の器は、次の中身を求めて疼いていた。




