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核紋が空の最弱冒険者、魔物を喰らって全属性で成り上がる  作者: 景都 (けいと)


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77/100

#77 封印の核

 封印の核まで、二十メートル。


 歩くごとに空気が重くなった。

 体中の核紋が引き寄せられるように脈動し、足を踏み出すだけで器が軋む。

 結晶から溢れる白銀のエネルギーが霧のように足元を漂い、靴の先を舐めていた。


「近い。近すぎる。核紋が勝手に引っ張られる」


「止まれるの?」


「止まれる。まだ、な」


 十五メートル。


 結晶の全体像が明瞭になった。

 六角柱の表面に無数の亀裂が走り、亀裂から余剰エネルギーが間欠泉のように噴き出している。

 噴出のたびに空洞が震え、壁面の星脈が明滅する。

 噴出の間隔は短くなっている。

 三十秒に一度。二十秒に一度。

 崩壊が加速しているのだ。


 結晶の基部には、白い花のような紋様が刻まれていた。

 聖紋だ。

 百年前の大聖女が命と引き換えに刻んだ封印術式。

 紋様の線はところどころ途切れ、光を失った部分が亀裂と重なっている。


「術式が劣化してる。百年の歳月で、少しずつ崩壊してるんだ」


「だからエネルギーが漏れてるのね」


「漏れてるどころじゃない。聖紋が消えた箇所から封印が剥がれてる。このままだと数年以内に全部破れる」


 十メートル。


 結晶の内部が透けて見えた。

 渦巻く白銀の光の奥に、核紋の残滓がある。

 アリーシアが自らの核紋を封印に変換した痕跡だ。

 かつて大陸最強と謳われた聖女の核紋が、封印の素材として消費され、結晶の骨格になっている。

 その残滓がまだ微かに脈動し、崩壊に抗っていた。


 五メートル。


「触れてみる」


「待って。安全なの?」


「わからない。だが確かめなきゃ、何も始まらない」


 カイトは右手を伸ばした。

 指先が震えていた。

 吸収の衝動ではない。

 結晶から溢れるエネルギーの圧に、指先の筋肉が反応しているのだ。


 指先が結晶の表面に触れた。


* * *


 世界が反転した。


 視界が白に塗り潰され、音が消え、カイトの意識だけが残った。


 大地が割れていた。

 空が赤黒く染まり、地平線の彼方まで亀裂が走っている。

 都市の残骸が散乱し、瓦礫の間から焼けた遺体が見えた。

 煙が空を覆い、太陽が血のように赤い。


 大崩落。

 百年前、大陸の半分を壊滅させた災厄。


 その中心に、女が立っていた。


 長い銀髪が風に煽られ、血に汚れた白い法衣の裾が引き裂かれている。

 大聖女アリーシア。

 両手を大地に向けて翳し、全身から白銀の光を放っている。

 体が透け始めていた。

 足元から光に変わり、消えていく。


 封印の瞬間だった。


 アリーシアの口が動いた。

 声は聞こえない。

 だが、核紋を通じて意味だけが流れ込んでくる。


 これで、止まる。


 アリーシアの核紋が一つずつ消えていった。

 光が、風が、水が、地が。

 全ての属性が結晶に変換され、大地の裂け目を塞いでいく。


 最後に残ったのは、聖紋だった。

 アリーシア自身の核紋。命そのもの。


 私の全てを。


 銀髪の女が微笑んだ。

 血まみれの顔に浮かんだ、穏やかな笑み。

 それが最後の表情だった。


 白銀の光が大地を覆い、亀裂が封じられた。

 アリーシアの体が光に溶けた。


 残ったのは、白銀の結晶だけだった。


* * *


 カイトは手を引いた。


 膝が折れた。

 地面に手をつき、荒い呼吸を繰り返す。

 額から汗が滴り落ち、石の床に染みを作った。

 全身が震えている。

 他人の死の瞬間を追体験した衝撃が、まだ体の芯に残っていた。


「カイト。大丈夫?」


 ソフィアが駆け寄り、背中に手を当てた。

 治癒の水が流れ込んでくる。

 青い光が背中から胸に回り込み、暴れている核紋を宥めていく。


「……見えた」


「何が」


「大崩落の、最後。アリーシアが封印を施した瞬間だ。あの人は自分の核紋を全部使い切った。一つ残らず。命ごと、この結晶に変えた」


 カイトは顔を上げ、結晶を見た。

 白銀の光の奥で、あの祈りの姿が揺れている。

 百年間、この姿のまま封印を支え続けてきたのだ。


「命の結晶。文字通りだ。この結晶はアリーシアの全存在でできてる」


 ソフィアが結晶を見上げた。

 唇が微かに動いたが、声にはならなかった。

 白い指が自分の胸元を握っている。


 カイトは立ち上がった。

 膝がまだ震えているが、頭は冷えていた。

 見たものの衝撃を押し込め、思考を前に進める。


「ソフィア。この核は喰えない」


「吸収できない?」


「吸収したら封印が崩壊する。この結晶がアリーシアの核紋で構成されてる以上、俺の力で引き剥がしたら構造が壊れる。百年前の大崩落が、もう一度起きる」


 ソフィアの顔色が変わった。


「じゃあ、安定化はどうするの。このまま放っておけば数年で崩壊するんでしょ」


「ああ。だから別の方法が要る」


 カイトは結晶を見つめた。

 亀裂から溢れる余剰エネルギー。

 劣化した聖紋。

 崩壊に向かう封印。


 壁面の記憶で見た断片が、頭の中で繋がり始めた。

 アリーシアは核紋を封印に変換した。

 カイトの力はそれを逆に引き剥がす力だ。

 だが引き剥がすだけが空の器の全てか。


 吸収の逆。

 引き剥がすのではなく、流し込む。


「逆だ」


「逆?」


「奪うんじゃない。注ぎ返す。俺が喰った核紋のエネルギーを、この結晶に流し込む。劣化した聖紋の隙間を、俺の核紋で補強する。喰うの逆だ。逆流操作」


 ソフィアが息を呑んだ。


「そんなこと、できるの」


「やったことはない。俺の力は常に一方通行だった。魔物から喰う。吸収する。蓄積する。逆に流すなんて考えたこともなかった」


 カイトは右手を見つめた。

 掌の上で、光A級の浄化が白く瞬いている。

 その光を結晶に戻す。

 概念としては単純だ。

 だが核紋の流れを逆転させるということは、体内の器の構造を根本から覆すに等しい。


「逆流操作。喰った属性を返す……そんなことが、俺にできるのか」


 沈黙があった。


 結晶が脈動した。

 亀裂から噴出したエネルギーが二人の間を通り抜け、壁面に吸い込まれた。

 空洞が軋む音がした。

 結晶の亀裂が、先ほどよりも一筋多い。


 時間は残されていない。


「一人じゃ無理よ」


 ソフィアの声は静かだった。


「逆流操作をしながら、器の暴走を抑えて、封印の構造を読み解いて、聖紋の修復もする。全部一人でやるなんて不可能。あんたの体が持たない」


「わかってる」


「なら、あの鑑譜師の依頼、受けましょう」


 カイトはソフィアを見た。

 青い瞳が真っ直ぐにカイトを映している。


「リーナは封印の構造を読める。あの目で封印の旋律を解読して、修復の手順を指示できる。聖域山脈にいる聖女は聖紋を修復できる。あんたは核紋を注ぎ返す。三人でやるしかないわ」


 カイトは顔を上げた。

 白銀の光の中で、アリーシアの残影が祈り続けている。


 百年間、一人で守り続けた封印。

 それを繋ぎ止めるために、今度は三人が必要になる。


「……ああ。三人で、やる」


 カイトの声が空洞に落ちた。

 結晶が応えるように、穏やかな脈動を一つ返した。

 白銀の光が一瞬だけ強くなり、祈りの姿が揺れた。


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