#74 24Fの激戦
24Fの空気は、もう空気とは呼べなかった。
足元の床が透けている。
石でも土でもない。ガラスのように薄い地面の下に、虚無が広がっていた。
紫色の深淵が底なしに続き、そこから微かな脈動が上がってくる。
一歩踏み出すたびに、足裏から振動が伝わった。
空間そのものが呼吸している。
「ソフィア、右」
「見えてる」
ソフィアの水流が右方から出現した星脈の化身を叩いた。
人型に凝縮された星の光が弾け、一瞬で再構成される。
倒れない。
「しぶといわね」
「バリアだ。核の周りに星脈の膜を張ってる。あれを剥がさないと本体に届かない」
カイトは右手に光を灯した。
光A級の浄化。
白金の光が指先から放射され、星脈の化身のバリアに触れた。
バリアが軋んだ。
浄化の光が星脈の膜を侵食し、表面に亀裂を走らせる。
三秒。
膜が剥がれ、化身の核が露出した。
「今だ!」
カイトは風で一気に間合いを詰めた。
B級の風が背中を押し、床を蹴った足が虚空を滑る。
右手に炎を灯し、C級の赤橙色の火球を化身の核に叩き込んだ。
炸裂。
化身が光の粒子に分解され、消滅した。
だが——
「カイト、後ろに二体!」
振り返る前に体が動いた。
左手に闇を纏い、自分の影を三方向に分裂させた。
闇B級の幻術。
三つの影が別々の方向に走り、化身二体の攻撃がそれぞれ別の影を追った。
本体はその隙に上空に跳んでいた。
風B級の浮遊で天井近くまで浮き上がり、見下ろす。
24Fは広かった。
闘技場ほどの空洞に、星脈の化身が次々と出現している。
三体。五体。八体。
「増えてる。奥に行くほど密度が上がってるわ」
ソフィアの声が下から届いた。
カイトは空中で体勢を整えた。
八つの核紋が体内で脈動している。
闇の暗視で全体の配置を把握する。
化身の動き、バリアの厚さ、核の位置。全てが見えた。
半年前の自分には、これは不可能だった。
属性を一つずつしか使えなかった。切り替えに数秒かかった。
今は呼吸するように切り替わる。暗視で索敵しながら風で移動し、光と炎を同時に準備する。
八つの核紋が一つの体系として機能している。
降下した。
風で加速しながら最も近い化身に突っ込む。
右手の光で正面のバリアを剥がし、左手の炎で核を撃ち抜く。
一体目が消滅する前に地面を蹴り、地属性の怪力で跳躍。
二体目の背後に回り込み、闇の幻術で気配を消してから炎の一撃。
二体目が散った。
三体目が反応した。
星脈のエネルギー弾が飛んでくる。
カイトは水D級の鱗膜を展開して弾き、風で横に流れた。
「ソフィア、三時方向の二体を足止めしてくれ!」
「任せて!」
ソフィアの水流が二体の化身を包み込んだ。
B級の水が化身の動きを鈍らせ、星脈のバリアに水圧を加える。
完全には止められない。だがカイトが光で剥がす時間を稼ぐには十分だった。
カイトは飛んだ。
光、闇、風、炎、地、水——六つの属性を切り替えながら化身を一体ずつ処理していく。
光でバリアを剥がし。
闇で位置を惑わし。
風で離脱し。
炎と地で攻撃する。
水で防御を固め。
暗視で全体を把握する。
全属性の集大成だった。
だが——
七体目を撃破した時、器が軋んだ。
体の奥底で、核紋を収める器が悲鳴を上げていた。
八つの核紋がぎしぎしと擦れ合い、容量の限界を訴える。
光と闇の相克が激しくなり、右手と左手の温度差が極端に開いた。
右手が灼け、左手が凍る。
「カイト、顔色が悪いわ。無理しないで」
「まだ——行ける」
行けない、と体が言っていた。
だが目の前にはまだ化身が五体いる。
カイトは炎を右拳に集中し、地の怪力で床を蹴った。
速度で一体の懐に飛び込み、光でバリアを剥がしながら炎の拳を叩き込む。
化身が消滅する。
反動が来た。
器が軋む音が頭蓋の内側に反響し、視界が明滅した。
左目が一瞬見えなくなり、闇属性の暗視が乱れた。
「くっ——」
膝が折れかけた。
「カイト!」
ソフィアの手が背中に触れた。
水属性の治癒が流れ込み、器の軋みを僅かに和らげる。
「ありがとな」
「お礼はいいから、次に備えて」
残り四体。
カイトは立ち直った。
治癒のおかげで視界が戻る。
だが長くは持たない。
ソフィアの治癒は器の損傷を遅らせるだけで、治してはいない。
四体が連携攻撃を仕掛けてきた。
二体が正面から突進し、一体が左から回り込み、一体が上空から急降下する。
カイトは真上を見た。
「ソフィア、伏せろ!」
ソフィアが倒れ込んだ瞬間、カイトは両手を広げた。
右手に光。左手に闇。
二つの属性を同時に放出した。
光が白金の波動となって正面の二体のバリアを粉砕し、闇が黒い霧となって左の一体の視界を奪った。
その隙に風で跳び上がり、急降下してきた化身と空中で交差した。
すれ違いざまに地の怪力を乗せた拳を叩き込む。
化身の核が砕けた。
着地。
バリアを失った正面の二体に炎を撃ち込み、闇に惑わされた左の一体をソフィアの水流が押さえ込む。
カイトが駆け寄り、光の浄化で核を貫いた。
最後の一体が消滅した。
24Fが静まった。
カイトは膝をついた。
息が荒い。
全身から汗が噴き出し、革鎧が重く張り付いている。
右手に光の紋様、左手に闇の影。
二つの属性が皮膚の表面で揺れている。
制御しなくても勝手に漏れ出してくる。
器が満杯で、蓋が閉まらなくなっている証拠だった。
器の軋みは収まらない。内側から何かに押し広げられているような圧迫感が、呼吸のたびに強くなる。
「カイト、大丈夫?」
「……生きてる。それで十分だ」
ソフィアが治癒を続けた。
水の光がカイトの背中を包み、少しずつ呼吸が落ち着いていく。
立ち上がった。
24Fの最奥に、巨大な扉があった。
高さ十メートルはある。
石造りの扉の表面に、複雑な紋様が刻まれていた。
紋様が淡く光り、扉の向こうから脈動が伝わってくる。
心臓の鼓動に似た律動。
だが人間の心臓ではない。
もっと巨大で、もっと古い何かの鼓動。
カイトの体内の全核紋が、その脈動に同期した。
八つの属性が一斉に共鳴し、灰色の瞳が金色に染まった。
「封印の核だ」
ソフィアが扉を見上げた。
紋様の光が二人の顔を照らしている。
「……やっと辿り着いた」
扉の向こうから、また脈動が来た。
壁が震え、天井から結晶の欠片が落ちてくる。
封印の核が、呼んでいた。




