#70 光を喰らう
指先が核紋に触れた瞬間、世界が金色に塗り潰された。
光が掌から腕を駆け上がる。
血管を伝い、肩を越え、胸の核紋に流れ込む。
熱くない。
むしろ冷たい。
光は浄化の力だ。
体内に入ったそれは、炎を冷まし、水を清め、風を凪がせ、地を均した。
七つの核紋が光の浸透に反応し、一斉に震え始めた。
「ぐっ」
カイトの膝が折れかけた。
踏み留まる。
光の流入量が膨大すぎる。
水D級や闇B級の吸収とは比較にならない圧力が、核紋の器を押し広げている。
「カイト!」
ソフィアの声が遠い。
背中に水属性の治癒が流れ込んだ。
体温の低下を防ぎ、神経の断裂を水の膜で包む。
光が胸の核紋に到達した。
そこで闇が目覚めた。
* * *
闇B級の核紋が、風の隔離を食い破った。
光と闇が体内で激突した。
カイトは叫んだ。
声にならない叫びだった。
体の中で金色と紫黒が渦を巻き、内臓を引き裂くような激痛が走る。
光が闇を浄化しようとする。
闇が光を侵食しようとする。
二つの属性が互いを殺そうとして、その間に挟まれたカイトの器が悲鳴を上げた。
「意識を保って! 手を離さないで!」
ソフィアの声が耳の奥に届いた。
遠い。
だが聞こえている。
カイトは歯を食いしばった。
右手が核紋を握りしめている。
離したら終わりだ。
吸収が中途半端な状態で止まれば、体内で光と闇が制御不能のまま暴走する。
「全部、喰い切る」
意識を核紋の中に沈めた。
光と闇がぶつかっている。
火花のような閃光が視界の裏で弾ける。
金色と紫黒が混じり合い、反発し、また混じる。
カイトは選別吸収の技術を使った。
光の中から純粋なエネルギーだけを選り分ける。
浄化の力を受け入れ、破壊の衝動を弾く。
闇の側でも同じことをする。
暗闘の感覚を残し、侵食の毒を弾く。
だが二つの属性は性質が真逆だった。
選別した端から、反対の属性が介入してくる。
光が闇の感覚を浄化しようとし、闇が光のエネルギーを飲み込もうとする。
体の中で戦争が起きていた。
「ソフィア、治癒を右肩に集中しろ」
「わかった!」
治癒の青い光が右肩に集中した。
光と闇の衝突が最も激しい場所だった。右肩の核紋経路が焼け切れかけている。
ソフィアの治癒が経路を修復し、エネルギーの流れを維持する。
時間が歪んだ。
一分か十分か、わからなかった。
カイトの体が光り始めた。
右半身が金色。
左半身が紫黒。
二色が体表を覆い、互いの領域を侵食し合っている。
カイトの灰色の瞳が割れた。右目が金色、左目が紫に分かれる。
「目が……カイト、あんたの目が!」
「見えてる。両方見えてる。光で見る世界と、闇で見る世界が、同時に」
視界が二重になっていた。
右目には金色の浄化された空間が映っている。
左目には紫黒の闇に満ちた空間が見えている。
同じ空洞が、二つの異なる姿で重なっている。
核紋が軋んだ。
器の限界が近い。
光A級の容量は、今までの吸収の中で最大だった。
闇B級を加えた七つの核紋の上に光A級が乗り、器が破裂しかけている。
「器がきしむ。これ以上取り込んだら——壊れる」
「カイト!」
「大丈夫だ。あと少し。光の核心部を通過すれば」
光の奔流が最後の壁を越えた。
金色の光が全身を包んだ。
紫黒の闇が金色に溶け込み、二つの色が一つの渦に収束していく。
衝突が止まった。
光と闇が、均衡を見つけた。
* * *
カイトは膝をついていた。
全身から蒸気が上がっている。
息が荒い。
心臓が壊れそうなほど脈打っている。
右手を持ち上げた。
金色の光が指先に宿っている。
浄化の光。
左手を持ち上げた。
紫黒の影が指先にまとわりついている。
闇の力。
二つの手が並んでいる。
光と闇。
相反する属性が、同じ体の中で共存している。
「……喰った」
声が掠れていた。
「光A級。これで六属性か」
ソフィアが横から支えた。
治癒の光を流し続けながら、カイトの顔を覗き込む。
「目の色が戻ってる。灰色に」
「ああ。光と闇が安定した。ぶつかるんじゃなくて、共存してる」
カイトは立ち上がった。
足元がふらついたが、踏み留まった。
右手の金色の光を壁に向けた。
浄化の光が壁面に触れ、星脈のパターンが一瞬鮮やかに浮かび上がった。
「浄化で星脈が反応する。光属性と星脈は相性がいい」
左手の闇を壁の別の場所に向けた。
闇が壁面に触れ、星脈の光が一瞬遮断される。
「闇は星脈を遮断する。光と闇、使い方次第で星脈の流れを操作できるかもしれない」
だが体が軋んでいる。
核紋の器は限界に近い。
新しい属性を入れる余裕はもうない。
「ソフィア。正直に言う」
「何」
「もうこれ以上は喰えない。器が限界だ。あと一つでも核紋を入れたら、壊れる」
「あんたの体が?」
「器が。核紋を保持する容器そのものが。今でもギリギリだ。闇B級と光A級が両方入って満杯だ」
ソフィアは頷いた。
「なら、もう取り込まなくていい」
「そうだな。入れるものは全部喰い尽くした。ここからは使いこなすだけだ」
* * *
光の吸収が完了した直後、異変が起きた。
壁面の星脈が一斉に輝いた。
空洞全体が白い光に包まれる。
壁面の記憶が蘇った。大聖女アリーシアの残した映像が、再び流れ込んでくる。
今度はカイトだけでなく、ソフィアにも見えていた。
光属性が星脈を活性化させ、壁面の記憶を表層に引き出したのだ。
映像が流れる。
百年前。
大聖女アリーシアが封印を施す直前の光景。
彼女は三つの場所に封印の核を配置していた。
「三つ。三点構造だ」
カイトの目が映像に釘付けになった。
一つ目はこのダンジョンの最深部。
二つ目は帝都の地下回廊。
三つ目は辺境の聖域山脈。
三つの核が星脈で繋がり、三角形の封印を形成している。
一つが崩れれば、残りの二つに負荷がかかる。
二つが崩れれば、三つ目も持たない。
「三点同時に安定化させなければ、封印は崩壊する」
ソフィアが息を呑んだ。
「帝都と辺境とここ。三カ所同時? 一人じゃ無理よ」
「ああ。わかってる」
映像が消えた。
だが情報は頭に焼き付いている。
リーナからの情報を思い出した。
帝都の鑑譜師。
彼女は帝都の地下回廊で何かを感じ取っていた。
封印の綻びを。
辺境の聖女。
リーナの手紙で名前が出ていた。
聖域山脈の近くで星脈の異変を調べている少女。
「三点構造。帝都に鑑譜師。辺境に聖女。そしてここに——俺」
カイトは空洞の天井を見上げた。
星脈の光が穏やかに脈動している。
封印はまだ保っている。
だが長くは持たない。
「ソフィア」
「何」
「俺一人じゃ無理だ。鑑譜師と聖女が必要になる」
言葉にした瞬間、胸の中で何かが軋んだ。
核紋ではない。
一人で全てをやろうとしてきた、カイト自身の在り方が。
「認めたくねぇが——事実だ」
ソフィアが微かに笑った。
「あんたがそれを認めるなんて。成長したわね」
「うるせぇ」
「でも」
ソフィアの声が真剣になった。
「あんたが一人じゃないって認めたこと。それが多分、一番大きな変化よ。核紋を八つ喰ったことより」
カイトは何も言い返さなかった。
右手の金色の光と、左手の紫黒の影。
八つの核紋を宿した器は限界に達している。
だがその器の中で、光と闇が静かに共存していた。
空洞を出た。
地上への道を、二人で歩き始めた。
カイトの影が石壁に映っている。
その影の中で、金色と紫が交互に瞬いていた。




