#69 光属性への布石
20Fへの帰路は、予想よりも短かった。
23Fから下る道は一度通っている。
星脈の化身の出現パターンも把握済みだ。
カイトは闇と風の隠密で気配を消し、戦闘を避けながら階層を降りた。
二日かけて20Fに到着した。
金色の光が空洞に満ちている。
深淵王アビサルを撃破した場所だ。天井の高い巨大空洞には、あの戦いの傷跡がまだ残っていた。
床面に走る焼け焦げた溝。
壁に穿たれた光弾の痕。
ソフィアの水壁が蒸発した跡が、白い結晶になって散らばっている。
「戻ってきたわね」
「ああ。問題はあれだ」
カイトは空洞の中央を指した。
床面の星脈に、金色の光が宿っている。
光A級の核紋。
深淵王アビサルの核紋が、星脈の力で保存されたまま残っていた。
近づいた。
核紋が脈動する。
金色の光がカイトの顔を照らし、灰色の瞳に金色が映り込んだ。
喰いたい。
本能が叫んでいる。
闇が暴れかけた。
カイトは呼吸を整え、闇を押さえ込んだ。
「……まだだ。まだ手を出さない」
「当然よ。準備が先」
* * *
核紋の前を離れ、空洞の隅に野営を張った。
ソフィアが焚き火を起こし、カイトは空洞の出入口に簡易的な警報用の風の結界を張る。
魔物が近づけば、風の流れが変わって知らせてくれる。
「これから丸一日かける。焦らない」
カイトは焚き火の前に座り、指を組んだ。
「呪核で何が起きたか覚えてるか」
「忘れるわけがないでしょ。あんたが意識を失って、三日間高熱で寝込んだ」
「あれは闇の呪いが核紋に混入してたせいだ。選別吸収の判断を誤った。いや、あの時は選別吸収の技術自体がなかった」
カイトは右手を開いた。
炎C級の赤い光が灯る。消す。
風B級の気流が渦巻く。消す。
闇B級の紫黒の靄が滲む。消す。
一つずつ属性を起動し、制御を確認している。
「今は七つの核紋を個別に制御できる。闇も七分間なら安定する。問題は光だ」
「光を吸収すると、闇と衝突する」
「ああ。体の中で光と闇がぶつかったら、どうなるかわからない。最悪、核紋が壊れる。器ごと」
ソフィアの表情が硬くなった。
「だったら」
「だから準備する。ぶつからないように道を作る」
カイトは核紋に意識を沈めた。
体内の七つの核紋が、結晶の効果で整然と並んでいる。
闇F級、水D級、地E級、炎C級、地C級、風B級、闇B級。
「闇は二つある。F級とB級。光を喰った時、闇B級が反応して暴走する可能性が高い。だから闇B級を一時的に封じる」
「封じる? どうやって」
「風で囲い込む。風B級の気流で闇B級の核紋を隔離して、光の吸収が完了するまで接触させない」
ソフィアが眉を寄せた。
「それって、風の制御を維持しながら同時に光を吸収するってこと? 二つのことを同時にやるの?」
「三つだ。風で闇を封じる。光を吸収する。そしてお前の治癒を受けて体を保つ」
「……無茶を通り越して狂気よ」
「呪核の時よりマシだ。あの時は何の計画もなかった」
ソフィアはため息をついた。
だが反対はしなかった。
代わりに水属性の治癒を両手に灯し、出力を確認する。
「治癒の準備は万全にする。あんたが倒れたら、体温低下と核紋暴走の両方に対処しなきゃいけない。水属性を全力で使うから、六時間は持つ」
「六時間で十分だ。吸収自体は長くても三十分。その後の安定化に数時間かかるかもしれないが」
「三十分ね。それなら」
「もう一つ。緊急停止手順」
カイトが真剣な目でソフィアを見た。
「吸収中に俺が意識を失ったら、核紋から手を離させろ。殴ってでもいい。引き剥がせ」
「わかった」
「意識があっても目が真っ黒になったら、闇に支配されてる。同じだ。引き剥がせ」
「わかった」
「俺がお前を攻撃しようとしたら」
「殴って止める。わかってるわよ」
カイトの口元がわずかに緩んだ。
「頼もしいな」
「誰のせいだと思ってるの」
* * *
午後。
カイトは空洞の壁際で闇の制御訓練を行った。
闇B級を完全に封じ込める練習を繰り返す。
風の気流で闇の核紋を包み、隔離する。
一分。
三分。
五分。
五分間の完全隔離に成功した時点で、汗が全身を伝っていた。
風と闇の同時制御は、片方を抑え込みながらもう片方を動かす矛盾した作業だ。
核紋の器が軋む。
「五分が限界か。三十分持たせるには足りない」
「無理に延ばす必要はないわ。吸収を始めたら、光が闇を中和する。光が入ってきた瞬間に闇の暴走が収まる可能性もある」
「楽観的だな」
「楽観じゃない。光属性は浄化の力でしょ。闇を浄化する方向に働けば、闇の暴走を抑える助けになるかもしれない」
カイトは考え込んだ。
ソフィアの分析は理に適っている。
深淵王アビサルは光の浄化で闇を含む全属性を無効化した。
その光を体内に入れれば、闇を浄化する方向に作用する可能性はある。
「賭けだな」
「あんたの人生、ずっと賭けでしょ」
「……否定できない」
* * *
夜が来た。
焚き火の前で、二人は最終確認を行った。
「明日の朝、やる」
「手順は?」
「一、闇B級を風で隔離。二、核紋に触れて吸収開始。三、光が安定するまでお前が治癒を流し続ける。四、俺が意識を失ったら引き剥がす」
「了解。私は治癒を切らさない。あんたは意識を保つ。それだけ」
カイトは頷いた。
焚き火の炎が揺れている。
空洞の天井は高く、星脈の白い光が天井を彩っていた。
その光の中に、金色の核紋の脈動がぼんやりと混じっている。
「ソフィア」
「何」
「お前が23Fで見つけた手記。あれを持ち帰れたのは、俺たちがここまで来たからだ」
「そうね」
「光を喰って、もっと先に進めば、もっと色々わかるかもしれない。封印の真実も、お前の家族のことも」
ソフィアは焚き火の炎を見つめた。
「だから喰うの?」
「それもある。だが一番の理由は闇のバランスだ。このままじゃいずれ闇に飲まれる。光を入れて、天秤を釣り合わせる」
「わかった。なら寝なさい。明日に備えて」
「お前もな」
「私は夜番をする。あんたは闇の夢を見るかもしれないでしょ。起きたら起こすから」
カイトは何か言いかけて、やめた。
代わりに横になり、目を閉じた。
焚き火の音だけが空洞に響いている。
ソフィアは剣を膝に置き、カイトの背中を見守った。
その夜、闇の夢は来なかった。
* * *
翌朝。
カイトは核紋の前に立った。
金色の光が足元から立ち上り、カイトの全身を照らしている。
核紋が脈動した。
光A級の圧倒的なエネルギーが空気を震わせる。
カイトの灰色の瞳が、核紋の金色を映した。
虹彩が金色に染まり始める。
「ソフィア」
「治癒、準備完了」
「緊急停止は」
「いつでも」
カイトは深く息を吸った。
吐いた。
風を起こした。
体内の闇B級を風B級の気流で包み込み、隔離する。
闇が抵抗する。
押さえ込む。
右手を伸ばした。
金色の核紋が指先に触れる寸前——カイトの瞳が完全に金色に染まった。
「——喰らう」
金色が、指先から腕へと駆け上がった。




