#68 ヴァイスリッター家の真実
ソフィアが手記を読み上げる声が、小さな部屋に響いていた。
カイトは入口に立ち、背中でその声を聞いている。
通路に敵の気配はない。
星脈の光だけが白く脈動し、時が止まったような静寂が部屋を包んでいた。
「帝国暦四九二年、秋。陛下の勅令により、封印の真実を知る者すべてに箝口令が下された。我は従えぬ」
ソフィアの声が震えていた。
だが一語も飛ばさず、丁寧に読み進めていく。
「大聖女アリーシアは民を守るために命を捧げた。その犠牲を隠し、封印が永久であると偽ることは、騎士の誇りが許さぬ。封印は永久ではない。いずれ綻びが来る。民がそれを知らなければ、次の崩壊に備えることもできぬ」
羊皮紙を一枚めくる音がした。
「帝国暦四九二年、冬。我が主張は『反逆的扇動』と断じられた。弁明の機会すら与えられず、ヴァイスリッター家に対し爵位剥奪の勅令が下される。領地、資産、騎士団の指揮権。すべてを奪われた」
ソフィアの指が紙を握りしめている。
カイトには見えないが、紙が軋む音で分かった。
「帝国暦四九三年、春。我は追われる身となった。だが証拠は破棄せぬ。封印の脆弱性を示す測定記録、大聖女の最期の証言記録、帝国顧問官の密議録。すべてをここに封ずる。迷宮の深層、人の手が届かぬ場所に」
声が途切れた。
ソフィアが息を整えている。
「我が子孫がこれを見つけることを祈る。ヴァイスリッター家は反逆者ではない。真実を守ろうとした騎士の家だ。剣と月の紋章にかけて、ここに誓う」
沈黙が落ちた。
カイトは振り返らなかった。
背中越しに、ソフィアのすすり泣きが聞こえた。
* * *
しばらく経って、ソフィアが声を出した。
「没落騎士の家じゃなかった」
涙で鼻声になっている。
だが声に芯がある。
「正義を貫いた騎士の家だったのよ。お父さんが、おじいちゃんが、代々背負ってきた『反逆者の末裔』って呼ばれる苦しみは……全部、冤罪だった」
カイトは壁に肩を預けたまま、通路の先を見つめていた。
「子供の頃、学舎で言われたの。『没落騎士の娘とは遊ぶな』って。お父さんは仕事を何度も首になった。お母さんは市場で白い目で見られた。誰も理由を教えてくれなかった。ただ、ヴァイスリッターの名前を持っているだけで」
ソフィアが手記を胸に抱いた。
「百年間。誰も知らなかった。誰もこの部屋に辿り着けなかった。百年間、私たちの先祖はここで、待ってたのね」
カイトは振り返った。
ソフィアの頬が涙で光っている。
だが目の奥に、今まで見たことのない色が宿っていた。
悲しみではない。
怒りでもない。
それは、誇りだった。
「お前の家族は立派だったんだな」
カイトの言葉は飾りがなかった。
慰めでも同情でもない。
事実を事実として認めているだけだ。
ソフィアが涙を拭い、頷いた。
「ありがとう。あんたがここまで連れてきてくれたから」
「俺は連れてきてない。お前が自分の足で来た」
「それは……そうだけど」
「お前がパーティを組みたいと言ったから、俺は組んだ。お前が23Fまで来ると言ったから、俺の隣にいる。全部お前の足だ」
ソフィアは泣き笑いの顔を見せた。
不格好な表情だった。
だがカイトは目を逸らさなかった。
* * *
手記は七束あった。
最初の一束が騎士の証言。
残りの六束は証拠資料だった。封印の測定記録、大聖女アリーシアの最期の証言記録、帝国顧問官の密議録、そしてヴァイスリッター家の裁判に関する内部文書。
カイトは測定記録に目を通した。
「封印の耐久年数は五百年。それ以降は再封印が必要。百年前の時点で、もう予測されてたのか」
「帝国はそれを知っていて隠したのね。五百年後は自分たちの世代じゃないから」
「で、百年後の今、封印が実際に綻び始めてる。あの騎士の危惧は正しかった」
カイトは資料を布に包み直し、背嚢に収めた。
地上に持ち帰る。
これだけの証拠があれば、ヴァイスリッター家の名誉回復は現実的な目標になる。
ソフィアが最後の束を読み終え、立ち上がった。
涙の跡は残っているが、背筋が伸びている。
「カイト。この部屋の場所を覚えておいて。いつか帝国の調査官を連れてくるかもしれない」
「覚えた。23Fの最奥、壁面紋様の右から三番目の窪みの先だ」
「あんたの記憶力だけは信用してる」
「だけは、ってなんだ」
ソフィアが泣き腫らした目で笑った。
その表情は、初めてパーティを組んだ日のソフィアとは別人のように見えた。
あの時のソフィアは、没落騎士の汚名を背負い、どこか卑屈だった。
今は違う。
自分の家名に胸を張っている。
* * *
地上に戻ったのは夜遅くだった。
宿に着くと、ルシアン経由でリーナからの書簡が届いていた。
帝都の古文書館で発見された記録。百年前のヴァイスリッター家の裁判記録の写し。
カイトが書簡を開き、中を確認した。
「裁判は形式的なもんだ。証人なし、証拠なし。帝国側が一方的に罪状を読み上げて、反論の機会すら与えていない」
リーナの添え書きがあった。
「帝都の記録は隠蔽を裏付けています。ダンジョンの文書と合わせれば名誉回復の根拠となりますわ。必要であれば帝都側の手続きはわたくしが動きます」
ソフィアが書簡を読み終え、静かにテーブルに置いた。
涙はもう止まっている。
目の色が変わっていた。
「ソフィア」
「何」
「お前の戦う理由が変わったな」
ソフィアは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「今まで私は、あんたを支えるために戦ってた。あんたの核紋喰いを、あんたの探索を。それが私のパーティでの役割だと思ってた」
「それが」
「変わった。私自身の理由ができた」
ソフィアが立ち上がった。
「カイト。私、あなたと一緒に最深部に行く」
声に迷いがなかった。
没落騎士の娘が口にする言葉ではなく、正義の騎士の末裔が放つ宣言だった。
「家族が守ろうとした真実を——この目で確かめる」
カイトは椅子に座ったまま、ソフィアを見上げた。
「最深部は24Fの先だ。星脈の化身がさらに強くなる。封印の核に近づけば、俺の核紋も暴走する可能性がある。危険だ」
「知ってるわ」
「知ってて行くのか」
「あんたに聞きたい。知ってて行った人がいる?」
カイトは口を閉じた。
自分のことを言われている。
核紋が空で、何も持たない状態で、1Fに短剣一本で踏み込んだ日のことを。
「……勝手にしろ」
「はい。勝手にする」
ソフィアが笑った。
涙の跡が残る頬に、決意と安堵が混じった笑みが浮かんでいた。
窓の外で月が細く光っている。
ソフィアが首から下げた小さなペンダントが、月光を受けて銀色に光った。
剣と三日月の紋章が、かすかに浮かび上がっていた。




