#62 21Fの異変
21Fへの階段を降りた瞬間、空気が変わった。
温度ではない。
湿度でもない。
空間そのものが違う。
壁が脈動していた。
石造りの壁面が、呼吸するように緩やかに膨張と収縮を繰り返している。
壁の表面に走る光脈が青白く明滅し、心臓の鼓動のようなリズムを刻んでいた。
触れてもいないのに、壁の振動が肌に伝わってくる。
「何これ……壁が、生きてるみたい」
ソフィアが壁に手を近づけ、すぐに引っ込めた。
光脈が彼女の手に反応し、一瞬強く光ったのだ。
その光は水属性に似た青さを持っていたが、もっと深い。
「星脈だ」
カイトは足元を見た。
床面にも光脈が走っている。
白い光の筋が通路の奥へと伸び、まるで血管のように枝分かれしている。
光脈の上に足を乗せると、靴底から微かな振動が伝わった。
脈拍だ。
この空間全体が、一つの生き物のように脈打っている。
「20Fまでとは根本的に違う。ここはダンジョンの構造そのものが星脈と融合してる」
カイトの体内の核紋が共鳴を始めていた。
闇、水、地、炎、風。
五つの属性が自動的に反応し、胸の奥が熱くなる。
意思とは無関係に核紋が揺れている。
こんな感覚は初めてだった。
特に強く反応しているのは、壁面の記憶で吸収したアリーシアの残滓だった。
百年前の大聖女が残した記憶の欠片が、この空間を認識している。
懐かしいものを見つけた時のような、引き寄せられる感覚。
「アリーシアの記憶が反応してる。こいつは封印の一部だ。壁面の星脈は、封印の核から延びている触手みたいなものだ」
「封印の核に近づいてるってこと?」
「そうだ。体感でわかる。20Fまでは封印の外殻だった。21F以降は封印の内側だ」
通路を進んだ。
足元の光脈がカイトの歩みに合わせて明滅する。
まるで迎え入れているようにも、警告しているようにも見えた。
ソフィアが隣で短剣の柄に手をかけている。
治癒の構えではなく、戦闘の構え。
五十メートルほど歩いたところで、空間が広がった。
天井の高い空洞だった。
壁面全体が星脈の光で覆われ、青白い輝きが空間を満たしている。
影がほとんどない。
暗視が機能しない明るさだが、20Fの浄化光とは質が異なる。
穏やかで、だが圧倒的な存在感がある。
呼吸するたびに、光が肺の中に入ってくる錯覚。
空洞の中央に、それは立っていた。
人型だった。
身の丈は二メートル半ほど。
体の輪郭は人間に近いが、肉体がない。
星脈の光そのもので構成された存在。
白銀の光が人の形をとり、静かに佇んでいる。
足元に影がない。
光が実体を持った生き物。
「魔物……じゃないわね。あれは」
「星脈の化身だ。星脈そのものが意思を持って動いてる」
化身がカイトたちに顔を向けた。
顔といっても、光の集合に二つの輝点が灯っているだけだ。
だがその輝点がカイトを捉えた瞬間、空洞全体の星脈が脈動した。
床の光脈が波打ち、壁が揺れる。
化身の右手が上がった。
光の槍が飛んできた。
属性魔法ではない。
純粋な星脈のエネルギーが凝縮された射出物だ。
カイトは風で横に跳んだ。
光の槍が通路の壁に突き刺さり、石を蒸発させた。
蒸気が立ち上る。
直撃すれば体ごと消し飛ぶ威力だ。
「威力はアビサルに匹敵する。だが質が違う。浄化じゃなくて、純粋なエネルギーの塊だ」
「通じる攻撃があるの?」
「試す」
カイトは炎を右手に灯し、化身に向けて放った。
C級の赤橙色の炎が化身の胸元に着弾する。
炎が化身の体に触れた瞬間、吸い込まれた。
化身の体が赤みを帯び、一回り大きくなった。
身の丈が三メートルに近づいている。
「吸収された。こいつ、属性魔法を喰いやがる」
水流をぶつけた。
同じだった。
水が化身に飲み込まれ、体が青みを帯びて膨張する。
もう三メートルを超えていた。
「水もダメ。こいつに魔法を撃てば撃つほど強くなる」
地属性の岩を飛ばした。
飲み込まれた。
風の刃を放った。
飲み込まれた。
四属性すべてが化身の糧になった。
化身の体は四色に輝き、身の丈は四メートルに迫っている。
化身が一歩踏み出した。
四つの属性を吸収した体から、複合エネルギーの波動が放たれた。
カイト自身の属性が、増幅されて返ってきた。
カイトは風で上昇し、ソフィアは水の壁で波動を受け流した。
水壁が一瞬で蒸発する。
ソフィアの腕が熱で赤くなった。
「ソフィア、下がれ。魔法を使うな。こいつには逆効果だ」
「じゃあどうするのよ」
「考える。時間をくれ」
カイトは風で天井近くまで上がり、化身との距離を取った。
化身は追ってこない。
空洞の中央から離れようとしないのだ。
門番のような存在。
この先の領域を守っている。
通路に退避した。
化身は追跡してこなかった。
空洞の入口から覗くと、化身は再び中央に戻り、静かに佇んでいる。
吸収した四属性のエネルギーが体表で渦巻いていた。
「属性魔法が全部吸収される。物理もダメだ。岩の槍すら飲み込まれた」
「体術は?」
「あの光の体に触れたら焼ける。素手は無理だ」
カイトは壁に背をつけた。
星脈が脈動する壁の振動が背中に伝わる。
心臓の鼓動と重なって、妙な一体感がある。
通常の属性魔法では太刀打ちできない。
20Fまでの戦い方が通用しない。
全く新しい壁だった。
考えろ。
壁面の記憶の中で、アリーシアはこの空間をどう通過した。
記憶の断片が浮かぶ。
大聖女は星脈と同じ力で封印を施した。
星脈のエネルギーは属性とは別系統の力だ。
属性を喰うのは、属性が星脈の下位互換だからか。
カイトの思考が止まった。
奥の空洞から、声が聞こえた。
化身の声だ。
人の言葉。
だが不自然に途切れ途切れで、百年の歳月が声帯を錆びつかせたような響きがある。
「……帰レ」
ソフィアが息を呑んだ。
カイトの隣で体を固くしている。
「封印ニ……触レルナ」
カイトは空洞の入口に立ち、化身を見つめた。
白銀の人型が、二つの輝点でカイトを睨んでいる。
光の体が一瞬、震えた。
警告なのか。
懇願なのか。
「喋った。あいつが喋った」
「カイト、これは警告よ。ここから先は」
「わかってる」
カイトは拳を握った。
化身の言葉が耳に残っている。
帰れ。封印に触れるな。
アリーシアの残滓が胸の奥で疼いた。
大聖女が命を懸けて施した封印を守る門番。
百年間、この空洞で一人きりで立ち続けてきた存在。
「だが帰るつもりはない」
星脈の光脈が脈動した。
封印の深奥が、カイトの答えを待っている。




