#61 金級の資格
審査場は、ギルド本部の地下にあった。
石造りの闘技場。
天井が高く、壁面に防護結界が張り巡らされている。
観客席はない。
審査官と被審査者だけの空間だ。
松明の光が石壁に揺れる影を落としている。
カイトは闘技場の中央に立ち、目の前の男を見上げた。
レイモンド。
白金級の退役冒険者。
銀髪を短く刈り込み、厳しい目つきの奥に、戦場を知る者特有の落ち着きがある。
歳は四十前後だが、体躯には無駄な肉がない。
腰に下げた剣は使い込まれた実戦仕様だった。
柄の革が手の形に擦り減っている。
何千回と振られた剣だ。
「金級昇格審査の内容は二つ。第一に模擬戦。第二に判断力の評価。模擬戦は降参か戦闘不能で終了。殺すつもりはないが、手加減もしない」
「望むところだ」
レイモンドが剣を抜いた。
刃が防護結界の光を反射する。
抜き身の剣気がカイトの肌を刺した。
この男は本気だ。
「始め」
レイモンドが踏み込んだ。
白金級の踏み込みだった。
床の石畳が砕け、レイモンドの体が一瞬で間合いを詰める。
剣が横薙ぎに振るわれた。
カイトは風で後方に跳んだ。
B級の風が背中に渦巻き、三メートルを一息で離れる。
着地した足元の石畳にひびが入った。
「風か。使えるな」
レイモンドが追撃する。
二歩目の踏み込みで再び間合いを殺し、上段から振り下ろす。
剣が空気を裂く音がした。
カイトは地属性で足元から岩壁を立ち上げた。
厚さ三十センチの防壁がレイモンドの剣を受け止める。
岩に亀裂が走った。
一撃で割れる。
白金級の膂力は、C級の地属性で作った壁を紙のように断つ。
「地属性も持っているのか」
レイモンドの声に驚きはない。
報告書は読んでいるのだろう。
だが読むのと体感するのとは別だ。
岩壁が砕ける前に、カイトは右手に炎を灯した。
C級の赤橙色の炎を拳に纏い、岩壁の裂け目からレイモンドに向けて突き出す。
拳が瓦礫を貫通し、炎がレイモンドの胸元に迫った。
レイモンドは剣で炎を切り裂いた。
白金級の剣速が炎の塊を両断し、熱風だけが頬を掠める。
レイモンドの銀髪の先端が微かに焦げた。
「炎。C級か。悪くない」
レイモンドの剣が返す刃でカイトの胴を狙った。
カイトは水属性の膜で体表を覆い、炎の余熱を冷却しながら横に転がる。
剣先が水膜を裂き、皮膚に薄い傷が走った。
冷たい水と温かい血が混じる感触。
「水もか。四属性を使い分けるとは聞いていたが、切り替えが速い」
「五つだ」
カイトは立ち上がりながら、暗視を起動した。
闇F級の視覚が闘技場の照明を無視し、レイモンドの体の動きを筋肉の収縮単位で捉える。
レイモンドの右肩が僅かに沈んだ。
突きが来る。
読めていた。
剣先が伸びる前に、カイトは風で左に回り込み、レイモンドの死角に入った。
地属性の怪力を込めた右拳をレイモンドの脇腹に叩き込む。
レイモンドが片手で受け止めた。
白金級の腕力がカイトの拳を掴み、そのまま投げにかかる。
カイトの体が宙に浮いた。
闘技場の天井が視界を横切る。
カイトは投げられながら風で体勢を整え、空中で反転した。
着地と同時に炎と水を両手に分け、右手の炎弾と左手の水刃を同時に放つ。
レイモンドが剣で炎弾を叩き落とし、体を捻って水刃を躱した。
水刃が背後の壁に突き刺さり、石が削れる音が響く。
だがその動きの隙に、カイトは風で一気に距離を詰めていた。
暗視がレイモンドの重心の崩れを捉えた。
水刃を避けた直後、右足に体重が乗りすぎている。
今だ。
怪力の左拳がレイモンドの腹に突き刺さった。
拳が腹筋に食い込む手応え。
レイモンドが二歩下がった。
初めて体勢が崩れた。
銀髪の男が腹を押さえ、僅かに前かがみになる。
闘技場が静まり返る。
松明の炎がぱちりと爆ぜた。
「……当てたか」
レイモンドの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
痛みの中に、満足の色がある。
「5属性。器用貧乏になりがちだが、お前は違うな。状況に応じて切り替え、組み合わせている。場当たり的ではない。戦術がある」
「褒めてる場合か。まだ終わってないだろ」
「いいや。終わりだ」
レイモンドが剣を鞘に戻した。
鍔が鞘口に嵌まる金属音が、闘技場に響いた。
「模擬戦はここまで。白金級の俺に一撃入れた。それだけで十分だ」
カイトは構えを解かなかった。
腕が微かに震えている。
白金級の拳を受け止められた右手に、痺れが残っていた。
「判断力の評価は」
「今の戦闘が全てだ」
レイモンドが腹を擦りながら真っ直ぐにカイトを見た。
「風で距離を取り、地で防御し、炎と水で攻撃のバリエーションを作り、暗視で先読みした。五つの属性を一つの戦術として統合している。これが判断力でなくて何だ」
懐から金色のプレートを取り出した。
銀とは違う重厚な輝き。
「カイト・アッシュフォード。本日付で金級冒険者に昇格する」
金のプレートがカイトの手に渡された。
銀より一段重い。
刻まれた名前が闘技場の光を受けて輝いた。
指先に金属の冷たさが伝わる。
スラムの孤児が、金の称号を手にしている。
レイモンドが背を向けた。
三歩歩いて、振り返った。
「一つ言っておく。金級は通過点だ。お前の力なら、もっと上に行ける。だが上に行くほど、核紋の代償は重くなる。忘れるなよ」
「わかってる」
「わかっている奴の顔じゃないな」
レイモンドが闘技場を出て行った。
足音が階段に消える。
カイトは一人残された闘技場で、金のプレートを眺めた。
* * *
夜。
ギルド併設酒場「銅の角杯」は騒がしかった。
金級昇格の知らせが広まり、カイトの席には次々と冒険者が酒を運んでくる。
テーブルの上にエールのジョッキが五つ並んでいた。
全て奢りだ。
「核紋なしのガキが金級とは、世も末だな」
「でも実力は本物だろ。審査官に一発入れたんだと」
「レイモンドに? あのジジイに? 嘘だろ」
「嘘じゃねぇよ。俺は闘技場の入口で音を聞いてた。岩壁を砕く音と、炎が爆ぜる音と、レイモンドが唸る声がした。あのジジイが唸るのを聞いたのは初めてだ」
カイトはエールを傾けながら、騒ぎを半分だけ聞いていた。
向かいのソフィアが二杯目のエールを注文する。
青い瞳が酒場の灯りを受けて揺れていた。
「おめでとう、金級冒険者」
「お前もだ。パーティメンバーとして同格扱いになる」
「私は付録みたいな言い方しないで」
「事実だろ」
「事実じゃないわよ。あんたを30秒守れるのは私だけでしょ」
カイトはエールを飲んだ。
反論できなかった。
アビサル戦の三十秒を思い出す。
ソフィアの水壁がなければ、全属性同時展開の準備はできなかった。
「……ああ。お前がいなかったら、俺はとっくに死んでる」
「珍しい。素直じゃない」
「酒のせいだ」
「一杯目で酔う奴がいるの」
ソフィアが笑った。
カイトは目を逸らした。
酒場の喧騒が心地よい。
スラムの孤児が金級のプレートを首から下げている。
半年前には想像もしなかった光景だ。
隣のテーブルで新人冒険者たちが騒いでいた。
石級のプレートを見せ合い、明日のダンジョンの話をしている。
自分もあそこにいたのだ。
つい半年前。
だがカイトの視線は、酒場の壁に貼られた依頼書に向いていた。
21F以降の探索依頼。
推奨ランク、金級以上。
羊皮紙に書かれた報酬額は桁が一つ違う。
だが金の問題ではない。
「ソフィア」
「何」
「金級になったからって、最深部までの道は変わらない」
「知ってるわ」
カイトはエールを飲み干した。
ジョッキの底に、金のプレートが映っていた。
「次は21Fだ」
ソフィアは三杯目のエールを注文しながら、小さく頷いた。
祝杯の夜は、すでに次の戦場を見つめていた。




