#60 深淵王アビサル
20Fは光で満ちていた。
天井から降り注ぐ金色の光が空洞全体を照らし、影が一つもない。
暗視が無効化されていた。
闇F級の能力が光に塗り潰され、視界の端がちらつく。
「暗視が使えない。光属性に上書きされてる」
「私の感知も鈍ってる。光が強すぎて水の波紋が読み取れない」
空洞の奥に、それはいた。
深淵王アビサル。
人型に近い姿だった。
身の丈は五メートルを超え、全身が金色の光で構成されている。
頭部に王冠のような角が生え、胸の中央に巨大な光の核紋が脈動していた。
浄化と破壊。
二つの力が同居する圧倒的な存在。
アビサルがカイトたちに顔を向けた。
顔と呼べるものはない。
光の奔流の中に、二つの金色の眼光が灯っている。
空洞が震えた。
「来る!」
アビサルの右手が振り下ろされた。
光の斬撃が床面を切り裂き、石が蒸発する。
カイトは風で横に跳び、ソフィアは水の壁で衝撃を受け流した。
光が消えた跡に、焼け焦げた溝が走っている。
「一撃で地面を溶かしやがった。結晶竜とは次元が違う」
「正面から受けたら死ぬわ。避けて、回り込んで」
カイトは炎を右手に灯した。
C級の赤橙色の炎をアビサルに向けて放つ。
炎がアビサルの体表に触れた瞬間、浄化された。
赤い炎が金色の光に変換され、消滅する。
「炎が通じない。浄化されてる」
地属性で岩の槍を打ち上げた。
アビサルの足元から突き上げた岩が光の体に突き刺さるが、内側から浄化が広がり、岩が粉になって崩れ落ちる。
「地属性もダメか。浄化で分解されてる」
水。
ソフィアの水流がアビサルの腕に巻きつくが、光に触れた水が蒸発して消えた。
「水も持たないわ。光属性の浄化範囲が広すぎる」
カイトは風で上昇し、アビサルの頭上に回り込んだ。
風の突撃でアビサルの角を狙う。
アビサルが左手を上げた。
破壊の光弾が五発、散弾のように放たれた。
カイトは急旋回で三発を避けたが、残り二発が左肩と右脚を掠めた。
肉が焼ける痛みが走る。
「くそ——浄化と破壊を同時に使い分けてくる。右手が浄化、左手が破壊か」
床に着地した。
左肩の傷をソフィアが治癒する。
「4属性を全部試したけど、どれも決定打にならない。こいつの浄化が全部消してしまう」
「風は?」
「風だけじゃ火力が足りない。削れるけど、倒しきれない」
アビサルが一歩踏み出した。
空洞全体が光で白く染まる。
影が完全に消えた世界で、カイトとソフィアは追い詰められていった。
* * *
五分が経った。
カイトの体は傷だらけだった。
ソフィアの治癒が追いつかなくなり始めている。
水属性のエネルギーも底が見えてきた。
「このままじゃジリ貧だ。何か手がある」
カイトは胸元の結晶を握り締めた。
核紋が安定する。
乱れた思考が整う。
壁面の記憶。
アリーシアの残した映像の中に、一つだけ試していない戦法があった。
「全属性の同時展開」
ソフィアが振り返った。
「何を言ってるの」
「壁面の記憶で見た。あの大聖女は、全ての属性を同時に展開して封印を施した。一つずつじゃなくて、全部を一度にぶつける」
「あんた、それは——二属性の同時制御ですら腕が痺れたでしょ。全属性なんて」
「結晶がある。核紋が安定してる今なら、やれるかもしれない」
アビサルの光弾が飛んできた。
カイトは風で回避し、距離を取った。
「ソフィア。30秒だけ時間をくれ」
「30秒!?」
「全属性を練り上げるのに、それだけ要る。その間は——頼む」
ソフィアの青い瞳が揺れた。
だが一瞬で決意が固まった。
「30秒ね。——死なないでよ」
ソフィアが前に出た。
水属性の全力を解放し、アビサルの前に水の壁を何重にも展開する。
浄化される端から新しい壁を生成し、アビサルの注意を引きつけた。
カイトは目を閉じた。
体内の核紋に意識を沈める。
闇F級。水D級。地E級。炎C級。地C級。風B級。
五つの属性が、結晶の効果で整然と並んでいる。
一つずつ、起動する。
闇。視界の端が紫に染まる。
水。血管を冷たい流れが駆け巡る。
地。足元が根を張ったように安定する。
炎。掌に熱が宿る。
風。背中に気流が渦巻く。
五つ全てが同時に動いた。
核紋が悲鳴を上げた。
体の内側で五つの属性がぶつかり合い、軋み、反発する。
結晶の安定効果がなければ、この時点で暴走していた。
だが結晶が核紋の配列を保ち、五つの属性を一つの渦に収束させていく。
カイトは目を開けた。
右手に赤と茶の炎土。
左手に青と紫の水闇。
背中に緑の風。
五色の光がカイトの全身を包んでいた。
「15秒」
ソフィアの水壁が限界に達した。
アビサルの浄化がソフィアの水流を飲み込み、ソフィアが吹き飛ばされる。
「ソフィア!」
「大丈夫——行きなさい!」
カイトは跳んだ。
風で加速。
地面を地属性で蹴り、反動を炎で増幅する。
アビサルの胸元に向かって、五色の光を纏ったまま突進した。
アビサルの右手が迎撃の浄化光を放った。
五色の渦が浄化光と衝突する。
一つの属性なら浄化される。
だが五つが混ざり合った属性の渦は、浄化の処理を超えていた。
浄化光が渦に飲み込まれた。
アビサルの金色の眼光が揺れた。
カイトの右手がアビサルの胸を貫いた。
光の核紋に直接触れた。
五色の属性が核紋を揺さぶり、アビサルの巨体に亀裂が走る。
「砕けろ」
核紋が割れた。
アビサルが絶叫した。
金色の光が爆発的に膨張し、空洞全体が白に包まれた。
* * *
光が収まった。
カイトは床に膝をついていた。
全身から煙が上がっている。
右腕が感覚を失い、だらりと垂れ下がっていた。
アビサルは消えていた。
金色の光の残滓が空洞の天井に漂い、ゆっくりと消えていく。
その中に、核紋の欠片が浮かんでいた。
金色に輝く、光A級の核紋。
圧倒的な存在感で空中に漂っている。
カイトの目が金色に染まりかけた。
喰いたい。
本能がそう叫んでいる。
だが——カイトは手を伸ばさなかった。
「取り込まないの?」
ソフィアが壁にもたれながら声をかけた。
水壁で吹き飛ばされた衝撃が残っているが、致命傷ではない。
「喰いたい。正直に言えば、めちゃくちゃ欲しい」
カイトは金色の欠片を見上げた。
「だが——呪核の直後だ。器がまだ万全じゃない。光A級を今喰ったら、どうなるかわからない。選別吸収ってのは、こういう時のための判断だ」
金色の核紋がゆっくりと沈降し、床面の星脈に溶け込んでいく。
星脈が核紋を保存するように光を帯びた。
「消えないのか」
「星脈の力で保存されてるみたい。次に来た時にまだ残っていれば、その時に判断できるわ」
カイトは頷いた。
右腕に感覚が戻り始めている。
ソフィアが近づいてきて、治癒の光を右腕に流し込んだ。
「金級推奨のボスを、銀級で倒したわね」
「ギリギリだった。お前が30秒稼いでくれなかったら死んでた」
「私はいつもあんたのために水壁を張ってるの。慣れたわよ」
「慣れるな。次はもっとでかい壁が要るかもしれねぇぞ」
ソフィアが笑った。
疲労と安堵が混じった笑みだった。
カイトは空洞の天井を見上げた。
金色の光が完全に消え、星脈の白い光だけが残っている。
20Fのボスを撃破した。
核紋は喰わなかった。
だが、勝った。
* * *
翌日。
ギルドに20Fボス撃破の報告書を提出した。
受付の職員が報告書を読み、二度見した。
「20Fのボス——深淵王アビサル? 銀級パーティで?」
「ソフィアとの二人パーティだ。問題あるか」
「いえ、問題はありません。ただ、記録上、20Fに到達した冒険者自体がほとんど存在しません。ボスの撃破となると前例がない」
「前例がない。知ってる。だから報告してるんだ」
報告書が本部に回された。
昼過ぎには、ギルド中に噂が広まっていた。
核紋喰いの男が、金級推奨のフロアボスを銀級で撃破した。
夕方。
宿の食堂でソフィアと遅い食事を取っていると、扉が開いた。
一人の男が入ってきた。
白金級のプレートが首から下がっている。
銀髪に厳しい目つき。
歳は四十前後だろうか。
男はカイトの前に立ち、懐から書類を取り出した。
「カイト・アッシュフォード」
「……誰だ、あんた」
「ギルド本部審査局の特別審査官、レイモンドだ」
書類をテーブルに置いた。
「金級への昇格審査を行う。カイト・アッシュフォード——お前の実力を、見せてもらおう」




