#59 20Fへの道
19Fの空気は歪んでいた。
壁が呼吸するように膨張と収縮を繰り返し、床面に走る星脈の光脈が不規則に明滅する。
上下の概念が時折ぶれて、足元が天井に見える瞬間がある。
「こっちだ。星脈の流れが太い方向に進む」
カイトは壁面の光脈に手を当てた。
体内の核紋が共鳴し、流れの方向を教えてくれる。
呪核事件の前は、この共鳴に身を任せていた。
今は違う。
共鳴を感じ取り、判断して、進む。
「右の通路に気配があるわ。深層獣が二体」
ソフィアが水属性の感知で周囲を探っている。
視界が利かないこのフロアでは、ソフィアの感知が命綱だ。
「避けるか」
「避けられるなら避けた方がいい。あんたの核紋、まだ呪核の侵食痕が残ってるでしょ。無駄な戦闘は控えて」
「わかった」
ソフィアが一瞬、驚いた顔をした。
「あんたが素直に言うことを聞くなんて」
「選別吸収ってのは、戦う相手も選ぶってことだ。喰わない核紋のために体力を消耗する理由はない」
左の通路に入った。
深層獣の気配が遠ざかる。
カイトは風属性で空気の流れを読み、安全なルートを選んで奥に進んだ。
* * *
19Fの中層に差しかかった頃、異変に気づいた。
通路の壁面に、見慣れない光が走っている。
星脈の結晶とは色が違う。
白に近い透明な光で、脈動ではなく定常的に輝いていた。
「何だ、あれ」
カイトは壁に近づいた。
結晶が壁面から突き出している。
拳ほどの大きさで、六角形の規則正しい形状だ。
核紋の気配はない。
「核紋じゃない。純粋な星脈の結晶か」
手を伸ばした。
指先が結晶に触れた瞬間、体内の核紋が一斉に震えた。
だが暴走ではない。
むしろ——整列した。
呪核に侵食されて乱れていた複数属性の配列が、結晶に触れたことで秩序を取り戻していく。
闇が闇の位置に。
水が水の位置に。
炎、地、風。
全ての核紋が、本来あるべき場所に収まった。
「……何だこれ。核紋が安定した」
カイトは手を離し、もう一度触れた。
同じ効果が再現される。
結晶に触れている間、体内の核紋の乱れが消える。
「ソフィア、ちょっと来い」
ソフィアが隣に立った。
「この結晶に触ってみろ」
ソフィアが恐る恐る指先を当てた。
青い瞳が見開かれる。
「水属性が——すごく澄んだ感じがする。核紋の中の不純物が洗い流されていくみたい」
「核紋を安定させる効果がある。取り込むんじゃなくて、整える。こういう使い方もあるんだな」
カイトは壁面を探り、結晶をもう一つ見つけた。
短剣の柄で慎重に削り出す。
手のひらに収まるサイズの結晶が二つ。
「一つはお前に」
「え?」
「持っていれば、核紋が安定する。俺の治癒をお前に頼りっぱなしじゃ不公平だろ。これなら、お前の水属性の精度も上がる」
ソフィアが結晶を受け取った。
掌の上で透明な光が揺れている。
「あんたが人に物をあげるなんて、珍しいわね」
「道具の共有だ。パーティの戦力を上げるための判断」
「素直にプレゼントって言えないの?」
「うるせぇ」
カイトはもう一つの結晶を胸元のポーチに仕舞った。
ソフィアが結晶を掌で包み、目を閉じた。
「水属性の流れが整う。治癒の精度が上がりそう。これがあれば、あんたが暴走しかけた時の対応も早くなる」
「暴走する予定はねぇよ」
「予定してないから暴走って言うの」
カイトは鼻を鳴らした。
だがソフィアの言葉は正しかった。
呪核で倒れた時、ソフィアの治癒がなければ死んでいた。
この結晶で治癒の精度が上がるなら、パーティの生存率は確実に改善される。
「喰うだけが能じゃない、か」
壁面の結晶帯を見上げた。
透明な光が通路全体を照らしている。
空の器の本質は、力を取り込むことだと思っていた。
だが力を整えることにも、同じくらい価値がある。
* * *
結晶の効果は、戦闘面でも即座に現れた。
19Fの奥で深層獣と遭遇した。
三体。
半透明の体に星脈のエネルギーを纏った異形だ。
以前のカイトなら、属性を連続で切り替えて処理落ちを狙う力押しの戦法だった。
だが今は違う。
「ソフィア、左の個体を水で拘束してくれ。右は俺が風で引き離す。残りは——」
「中央を二人で挟む。いつもの連携ね」
カイトは結晶を握り締めた。
核紋が安定している。
属性の切り替えが、以前より滑らかだった。
風で右の深層獣を通路の奥に吹き飛ばした。
同時にソフィアの水流が左の個体を壁面に縛りつける。
中央の一体がカイトに突進してきた。
カイトは地属性で床面を隆起させ、深層獣の足を止めた。
すかさず炎を右手に灯す。
溶岩弾——ではない。
炎と地の同時制御は負荷が大きい。
結晶で安定した今なら、もっと精密な使い方ができる。
右手の炎を細く絞り、深層獣の胸部——核のある位置に向けて一点集中で撃ち込んだ。
針のように細い炎が深層獣の体を貫通し、核を焼き切る。
炎が消えた後に、焼けた星脈の匂いが立ち上った。
深層獣が崩壊した。
核紋の欠片が浮かび上がるが、カイトは手を出さなかった。
「喰わないの?」
「深層獣の核紋は不安定だ。呪核と同じリスクがある。選別吸収——見送る判断も、喰う判断と同じくらい重要だ」
残り二体をソフィアと連携して処理した。
以前より速い。
結晶の安定効果と、選別吸収の方針が噛み合っている。
無駄な吸収を避けることで、戦闘に集中できるようになった。
* * *
19Fの最奥に辿り着いた。
通路が大きく開け、天井の高い空間に出た。
正面に下り階段がある。
その先から——光が漏れていた。
金色の光だ。
カイトの体内の核紋が一斉に脈動した。
結晶で安定しているはずの配列が、その光に引き寄せられて揺れている。
「あの光……属性がある。光属性だ。しかもかなり強い」
ソフィアが水属性の感知を全開にした。
表情が強張る。
「カイト。この先の気配——20Fのボスよ。とんでもなく大きい」
「どのくらいだ」
「結晶竜の三倍以上。……金色の核紋が見える。光属性で、A級クラスよ」
カイトは階段の入口に立ち、金色の光を見下ろした。
光が足元から脛を這い上がるように昇ってくる。
その光の中に、圧倒的な存在感が渦巻いていた。
胸元のポーチから結晶を取り出し、掌に載せた。
核紋が安定する。
呼吸を整えた。
「光属性のボスか」
カイトの灰色の瞳が、金色の光を映して燃えていた。
「……こいつは、喰いたいな」




