#58 審問の余波
審問から三日が経った。
ギルドの空気は、以前には戻らなかった。
核紋喰い。
その言葉が冒険者たちの間で一人歩きしている。
カイトが酒場に入ると、カウンター周辺の冒険者が数人、さりげなく席を移した。
以前は「核紋なしの変わり種」として物珍しがられていたのが、今は「核紋を奪う男」として警戒されている。
「あいつ、本当に人間のも喰えるのか」
「審問じゃ否定してたけど、嘘かもしれない」
「近寄りたくねぇよ」
囁き声を背中に受けながら、カイトは奥のテーブルに座った。
いつもの席だ。
向かいにソフィアが腰を下ろす。
「今日も素敵な歓迎ぶりね」
「慣れた。スラムじゃ毎日こんなもんだった」
「慣れたって顔してないわよ」
カイトは黙ってスープを啜った。
スープの湯気が立ち上る。
周囲の視線を感じながら、カイトは店の壁に貼られた依頼書を眺めた。
16F以降の調査依頼が新たに追加されている。
推奨ランクは金級以上。
銀級のカイトには、本来手が届かない依頼だ。
「あの依頼、見てるでしょ」
「見てるだけだ」
「嘘つき」
ソフィアがスープをすくいながら言った。
「審問が保留の間は大人しくしてた方がいい。目立つことをしたら、規約改定の口実を与えることになるわ」
「わかってる。だが、ダンジョンに潜ること自体は禁止されてない」
「屁理屈」
「事実だ」
二人の間に、いつもの軽口が戻りつつあった。
審問の重圧から少しだけ解放された空気が流れている。
* * *
一方で、別の動きもあった。
昼過ぎ、ギルドの受付で依頼を受けていると、見知らぬ銀級の男が近づいてきた。
日焼けした顔に傷跡のある中年の冒険者だ。
「あんたがカイト・アッシュフォードか」
「そうだが」
「俺はクルツ。銀級で16F周辺を潜ってる。——お前、あのへんの魔物の配置、知ってるだろ」
カイトは相手を見た。
目に敵意はない。
むしろ——商売人の目だ。
「情報を売ってくれとでも?」
「売買じゃない。交換だ。16Fの魔物の弱点データをくれれば、こっちは17Fの素材の相場情報を渡す。未踏破区域の情報は金になる。お互い得だろう」
カイトは少し考えた。
「断る。魔物の弱点を教えたら、お前が死ぬかもしれない。俺の情報で他人が死ぬのは寝覚めが悪い」
クルツは目を丸くした。
それから低く笑った。
「核紋を奪う男ってのは、思ったより堅い奴だな。気に入った。まあ、気が変わったら声をかけてくれ」
クルツは手を振って去っていった。
ソフィアが呆れた顔をしている。
「情報を売れば味方が増えるのに」
「中途半端な情報で誰かが死んだら、味方じゃなくなる。深層は甘くない」
* * *
夕方、ギルドの掲示板の前を通りかかった時だ。
ヴェルナーがいた。
掲示板の隅で、一人きりで依頼書を眺めている。
以前はいつも取り巻きに囲まれていたが、今は誰もいない。
金級プレートが胸元にあるのに、その周囲には不自然な空白ができていた。
カイトの足音に気づいたヴェルナーが振り返った。
目が合った。
ヴェルナーの顔に複雑な感情が走った。
怒り。屈辱。そして——何か、もっと深いもの。
「……何を見ている」
「別に。掲示板を見に来ただけだ」
カイトはヴェルナーの隣に立ち、依頼書に目を通した。
横目で、ヴェルナーの装備を確認する。
以前と同じ高級品だが、手入れが雑になっている。
指先が微かに震えていた。
「密告は不発だったな」
カイトの言葉に、ヴェルナーが歯を食いしばった。
「黙れ。私は正しいことをした。お前の力は危険だ」
「危険かどうかは、俺が決める」
「自分で決めるだと? そんな傲慢が——」
「お前に言われたくねぇよ」
カイトはヴェルナーから目を離し、掲示板に向き直った。
「審問の後、お前の周りから人が減ったろ。密告者の正体はギルド中に広まってる。金級のくせに銀級を陥れようとした男って——そういう噂だ」
ヴェルナーの顔が白くなった。
「密告を持ちかけてきた幹部は、もうお前の味方じゃないだろうな。使い捨ての駒が不発に終わったら、切り捨てるのが連中のやり方だ」
「何を知っている。お前に何が——」
「俺はスラム育ちだ。利用されて捨てられる人間を山ほど見てきた」
カイトはそれだけ言って、掲示板から離れた。
背後でヴェルナーが拳を壁に叩きつける音がした。
振り返らなかった。
掲示板の前から離れると、ソフィアが待っていた。
「何を話してたの」
「別に。事実を伝えただけだ」
「あんた、ヴェルナーのこと嫌いでしょ。なのにわざわざ忠告するのね」
「忠告なんかしてない」
カイトは歩き出した。
ソフィアが半歩遅れてついてくる。
「嫌いだけど、あいつの炎は本物だ。資金と特権を剥がしたら、実力だけが残る。そうなった時にどう動くか。それは見てみたい」
「甘いわね。あんた」
「甘くねぇ。合理的だ。潜在的な脅威は、放置するより観察した方がいい」
ソフィアが肩をすくめた。
だがその口元は、少しだけ柔らかかった。
* * *
夜。
宿の部屋で、カイトは窓辺に座っていた。
カスカーラの夜景が広がっている。
港から漁火の光が点々と見えた。
ソフィアが向かいのベッドに座り、髪を解いていた。
「今日、クルツって冒険者が情報交換を持ちかけてきたでしょ。ああいうのは今後もっと増えるわよ」
「だろうな」
「あの力が公然の秘密になった以上、あんたの深層情報には価値がある。利用しようとする人間と、純粋に協力したい人間を見分けないといけない」
「面倒くせぇ」
「面倒でも、やるしかないでしょ」
カイトは窓枠に肘をついた。
呪核の事件。
審問。
ギルド内の風向きの変化。
ここ数日で、カイトを取り巻く状況が一変した。
「ソフィア」
「何」
「お前は——怖くないのか。俺の力」
ソフィアの手が止まった。
ゆっくりとカイトを見た。
「私はあんたの味方よ。どんな力を持っていても」
声が揺れなかった。
青い瞳が、真っ直ぐカイトを映している。
カイトは少し目を伏せた。
それから、照れを隠すように乱暴に言った。
「当たり前だろ。パーティだからな」
ソフィアが小さく笑った。
その笑顔に、いつもの姉貴分とは違う色が混じっていた。
「……そうね。パーティだからね」
カイトは窓の外に目を戻した。
港の漁火が、海面にゆらゆらと映っている。
「無闇に手を出さない。選んで喰う。喰った力で仲間を守る。——それが俺の答えだ」
「選別吸収。喰うべきものだけを取り込む」
「ああ。……そのためにも、もっと強くならなきゃいけない」
窓の向こうに、星が一つ瞬いていた。
カイトの灰色の瞳が、その光を映して静かに光っていた。




