#56 密告
目を開けたら、天井が白かった。
ギルドの医務室だ。
消毒液の匂いが鼻を突く。
右腕を上げようとして、指先にまだ痺れが残っていることに気づいた。
「あ——起きた」
ソフィアの声だった。
ベッドの脇の椅子から身を乗り出してくる。
青い瞳に濃い隈がある。顔色も悪い。
「ソフィア……ここは」
「ギルドの医務室よ。ダンジョンから運び出して三日。やっと目を覚ましたのね」
三日。
カイトは記憶を辿った。
呪核に触れた。喰おうとした。逆に侵食された。そこから先がない。
「……俺を担いで上がったのか。19Fから」
「18Fまで担いだ。そこで他のパーティに合流して、地上まで運んでもらった。あんたは一度も目を開けなかったわ」
ソフィアの声が震えていた。
三日間、眠らずにカイトの体に治癒を流し続けたのだろう。
目の下の隈がそれを物語っている。
カイトは上体を起こした。
頭が重い。
体の中の核紋を探る。
闇F級、水D級、地E級、炎C級、地C級、風B級——全てある。
だが配列が乱れていた。
呪核に触れた時の反転エネルギーが、器の内壁をわずかに侵食している。
「治癒は?」
「三日間ぶっ通しで流し続けた。侵食は止まったけど、完全に消えてない。あんたの器の端が——少し焼けてる」
「悪かった」
「悪かったで済むと思ってるの?」
「思ってない。だから——次からは選ぶ」
ソフィアが瞬きをした。
「選ぶ?」
「全部いけると思ってた。俺の器なら何でも入ると。甘かったんだ。呪核は器を壊す。同じ失敗は二度としない」
右手を開いて閉じた。
痺れが少しずつ引いていく。
「選別吸収だ。有用なものだけを選んで取り込む。質の悪い核紋には手を出さない。……通じないものがあるって認めるのは癪だけどな」
ソフィアが大きく息を吐いた。
椅子の背にもたれかかる。
「あんたがそういう判断をするようになったなら——三日間起きてた甲斐はあったわ」
「起きてたのかよ。寝ろ」
「あんたが意識不明の時に寝られるわけないでしょ」
カイトは何も言えなくなった。
ソフィアから目を逸らし、窓の外を見る。
カスカーラの青い空が広がっている。
「……それで。三日間で何かあったか」
ソフィアの表情が変わった。
隈の下の瞳に、硬い光が宿る。
「あった。大きいのが一つ」
「何だ」
「ギルドの審問会が開かれることになった」
カイトは振り返った。
「審問会?」
「あんたの核紋喰いのこと。誰かがギルド幹部に密告したの。『カイト・アッシュフォードは他者の核紋を奪取する禁忌の能力を持っている』って」
* * *
密告の経緯を、ソフィアは淡々と語った。
カイトが意識を失った初日。
ギルド本部の幹部室に、一通の告発状が提出された。
内容はその能力の危険性を訴えるもので、人間の核紋を奪取できる可能性にまで言及していた。
告発者の名は伏せられていたが、ギルド内の噂は早い。
翌日には密告者の正体が割れていた。
「ヴェルナー・グリフォンハートよ」
カイトの目が細くなった。
「あいつか」
「あんたが呪核で倒れたのを知って、動いたんでしょうね。意識不明の間に審問を通してしまえば、反論される前に登録抹消に持ち込める」
「姑息な手を使いやがる」
「でもね——」
ソフィアが声を落とした。
「ヴェルナー一人の判断じゃないと思う。告発状の文面が、あいつにしては整いすぎてる。法的な論拠の組み方が素人じゃない。誰かがヴェルナーの嫉妬を利用して、告発状を書かせた」
「ヴァレンシュタイン派か」
「ギルド幹部の中に、深層情報の独占を狙ってる連中がいる。平民の銀級が未踏破区域に到達したら、情報の流通を管理できなくなるでしょ」
カイトはベッドの縁に足を下ろした。
立ち上がると、一瞬だけ視界が揺れた。
ソフィアが腕を掴む。
「まだ安静にしてなさい」
「審問会はいつだ」
「明後日。出頭命令が出てる。……あんたと、私に」
カイトはソフィアの手を振り払い、窓に歩み寄った。
ガラス越しに、ギルド本部の塔が見える。
あの中で、自分の力を禁忌として裁こうとしている連中がいる。
拳を握った。
だがすぐに力を抜いた。
「……感情的になっても仕方ねぇ。あいつらが何を狙ってるか、わかった上で行く」
「カイト」
「俺の力は——俺が決める。ギルドの幹部にも、ヴェルナーにも渡さない」
窓ガラスに映った自分の灰色の瞳が、冷たく光っていた。
* * *
その夜、カイトは医務室のベッドに戻された。
ソフィアに「まだ安静」と念押しされ、渋々横になった。
だが目を閉じても眠れない。
体の中で核紋の配列がまだ軋んでいる。
呪核の侵食痕が、器の端を鑢で削るように刺激し続けていた。
天井を見上げた。
薄暗い医務室に、窓から差し込む月光が白い帯を作っている。
空の器。
その能力を知った時、カイトは万能感に酔っていた。
吸収すれば強くなれる。もっと取り込めば、もっと強くなれる。
だが呪核がその幻想を砕いた。
通じないものがある。喰ってはいけないものがある。
そして今、その力そのものが攻撃材料にされている。
ヴェルナーの顔が浮かんだ。
あの男の嫉妬は純粋だ。
金級の自分より強い銀級がいる。
その事実に耐えられなかったのだろう。
だがヴェルナーの背後にいる連中は、嫉妬では動かない。
深層情報の独占。
帝国との取引。
ギルド内の利権構造。
カイトはスラムで育った。
権力者が弱者を排除する手口は、嫌というほど見てきた。
「……上等だ。俺は俺のやり方で戦う」
寝返りを打った。
右腕の痺れが、枕に触れるたびに微かに疼いた。
* * *
翌日、カイトはギルドの酒場に降りた。
空気が変わっていた。
三日前までは「銀級の新星」として好奇の目を向けていた冒険者たちが、今はカイトの周囲に微妙な距離を取っている。
密告の噂は、もうギルド中に広まっているらしい。
「核紋を奪うってのは本当なのか」
「他人の核紋を奪うって——人間のもいけるのか?」
「近寄るなよ。喰われたらどうする」
囁き声がカイトの背中を刺す。
だがカイトは足を止めなかった。
カウンターに座り、食事を頼んだ。
隣のテーブルで、見覚えのある鉄級の冒険者が席を立った。
目が合っても、すぐに逸らされた。
ソフィアが向かいに座った。
「気にしてないふりが上手いわね」
「ふりじゃない。気にしてたら飯が不味くなる」
パンを千切って口に放り込む。
味はしなかった。
だがカイトはそれを顔に出さなかった。
「明日の審問会、どうするつもり?」
「行く。出頭命令だからな」
「作戦は?」
「作戦も何もない。事実だけ話す」
ソフィアが眉をひそめた。
「あんた、あの力のことを全部話すの?」
「隠す理由がない。俺は魔物の核紋を喰って強くなった。人間からは奪ってない。それが全部だ」
「でも——」
「心配すんな。俺はギルドの規約を破ってない。あいつらが俺を裁きたいなら、先に規約を変えろって話だ」
パンを飲み下した。
カウンターの向こうで、酒場の店主が複雑な表情をしている。
カイトに同情しているのか、恐れているのか、判断がつかない顔だった。
「密告? ……ヴェルナーか。あの野郎、やってくれるな」
カイトの灰色の瞳が、酒場の喧騒の向こうを見据えていた。




