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核紋が空の最弱冒険者、魔物を喰らって全属性で成り上がる  作者: 景都 (けいと)


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55/67

#55 呪核

指先が呪核に触れた。


 一瞬の沈黙。


 そして全身が裏返ったような痛みが走った。


「ッ……!」


 声にならなかった。

 空の器が自動的に発動した。

 右手の掌から紫黒いエネルギーが流れ込んでくる。

 今まで取り込んだ六つの核紋とは、根本的に違う流入だった。


 ゴブリンの暗視は冷たい水のようだった。

 リザードマンの水は海流のようだった。

 オークの怪力は地殻の重圧だった。

 炎竜の炎は灼熱だった。

 結晶竜の石化耐性は岩盤の堅さだった。

 ワイバーンの風は奔流だった。


 呪核は——穴だ。


 体の中に穴が開いている。

 そこから全てが吸い出されていく感覚。

 核紋のエネルギーが外に引きずり出され、代わりに紫黒い何かが器を侵食していく。


 視界が紫黒に染まった。

 暗視が機能しなくなる。

 水属性の防御膜が溶解する。

 地属性の安定化が崩れ、足元が揺れた。

 炎が消え、風が止まった。


 六つの核紋が一斉に悲鳴を上げている。


「やめろ……止まれ……」


 カイトは右手を引こうとした。

 動かない。

 呪核がカイトの掌に食い込んでいた。

 紫黒い結晶の表面がゲル状に変質し、カイトの手を包み込んで離さない。


「カイト! 離れなさい!」


 ソフィアの声が遠い。

 紫黒い霧がカイトの視界を埋め尽くしている。


 体の中で、六つの核紋が抵抗していた。

 闇の暗視が呪核の侵食と衝突し、紫の火花を散らしている。

 水が防壁を張り直そうとし、即座に溶かされる。

 地が器を硬化させようとし、内側から亀裂が入る。

 炎が呪核のエネルギーを燃やそうとし、逆に吸収されて弱まっていく。

 風が呪核を吹き飛ばそうとし、渦に飲まれて消える。


 全属性が負けている。

 六つの核紋の合計出力で、呪核一つに押し負けている。


「何だこいつは……核紋の逆だ……全部、逆に流れてる……」


 呪核は吸収ではなく侵食だった。

 カイトの「空の器」に入り込もうとしているのではなく、器そのものを喰おうとしている。


 空の器が——喰われている。


 意識が薄れ始めた。

 膝が折れた。

 床に倒れる感覚すらなかった。


* * *


 ソフィアは走った。


 カイトの右手が呪核に張り付いている。

 紫黒い結晶がカイトの腕を這い上がり、肘まで侵食していた。

 カイトの目が開いているが、焦点が合っていない。

 灰色の瞳が紫黒に染まりかけている。


「カイト! 聞こえてる!?」


 返事がない。


 ソフィアは両手を突き出した。

 水属性の治癒を全力で放つ。

 B級の蒼い光がカイトの右腕を包んだ。


 呪核が反応した。

 紫黒い光が蒼い光を弾き返す。

 ソフィアの治癒が押し戻された。


「通じないっ」


 歯を食いしばった。

 出力を上げる。

 B級の限界を超えて水属性を絞り出す。

 額から汗が流れ、指先が震えた。


 蒼い光が呪核の紫黒に食い込んだ。

 呪核の侵食速度が落ちる。

 だが止まらない。

 肘を超え、上腕に届こうとしている。


「お願い、止まって……」


 ソフィアは手を変えた。

 治癒ではなく、水の物理力。

 B級の水流を呪核とカイトの手の接合部に叩き込んだ。


 水圧が紫黒の結晶の表面を削った。

 呪核が軋む音。

 ゲル状の表面にヒビが入る。


 もう一度。

 水圧を集中させ、カイトの手首と呪核の間にくさびのように水を押し込んだ。


 ぶちり、と音がした。


 呪核がカイトの手から剥がれた。


 紫黒い結晶が床に転がり、カイトの体が後ろに倒れた。

 ソフィアが受け止める。

 カイトの体は異様に熱かった。


 右腕を見た。

 掌から肘まで、皮膚が紫黒に変色している。

 呪核の侵食痕だ。

 だが剥がれた以上、侵食は止まっている。


 ソフィアは治癒を注ぎ込んだ。

 蒼い光が紫黒の変色を押し戻していく。

 ゆっくりと。

 一時間かけて。


 カイトの腕の色が、元に戻り始めた。


 だがカイトの意識は戻らなかった。


* * *


 カイトの意識が沈んでいく。


 体の中で、六つの核紋が軋んでいた。

 呪核の侵食痕が器の端を焼いている。

 闇が明滅し、水が泡立ち、地が亀裂を走らせ、炎が点滅し、風が乱れている。

 六つ全てが暴走の予兆を示していた。


 ソフィアの声が聞こえた。

 遠い。

 水の結界を張っているのだろう。

 蒼い光がカイトの体を包む感覚がある。


 だが意識がそこまでだった。


 喰えなかった。


 空の器。

 全てを喰らう力。

 ゴブリンも、リザードマンも、オークも、炎竜も、結晶竜も、ワイバーンも。全部取り込んできた。

 吸収できないものはないと思っていた。


 だが呪核には通じなかった。

 それどころか、喰い返された。


 全部いけると思ってた。……甘かったな。


 それが最後の思考だった。


 カイトの体から力が抜け、完全に意識が途絶えた。


 ソフィアが駆け寄った。

 カイトの脈を確かめ、呼吸を確かめた。

 生きている。心臓は動いている。呼吸もしている。

 だが目を開けない。


 右腕を見た。

 掌から肘まで紫黒に変色した皮膚は、先ほどの治癒で色が薄まりつつある。

 だが器の内側の侵食は止まっていない。

 カイトの体の中で、六つの核紋が不規則に脈動している。

 指先から炎が漏れ、髪が風に煽られ、足元の岩盤が細かく振動した。


 核紋の暴走だ。


 ソフィアは両手をカイトの胸に当て、水属性の治癒を注ぎ続けた。

 B級の蒼い光が暴走する核紋を包み込み、押さえ込もうとする。

 炎が消え、風が凪ぎ、振動が収まる。

 だが手を離せばまた始まるだろう。


 19Fの歪んだ空間で、蒼い治癒の光だけが脈動し続けていた。


「……運ばないと」


 ソフィアは歯を食いしばり、カイトの体を背負い上げた。


 ここにいては危険だ。

 19Fは魔物の気配が濃い。

 意識のないカイトを守りながら戦うことはできない。

 上の階層に運ばなければ。


 意識のないカイトの体は重い。

 鍛え上げられた筋肉と、六つの核紋を宿した器。

 ソフィアの体格では、背負うだけで膝が軋んだ。


 それでも歩き出した。


 片手でカイトの腕を支え、もう片方の手から治癒を流し続ける。

 二つの作業を同時にこなしながら、歪んだ空間の中を進んだ。

 壁が脈動し、天井が波打つ19Fの通路を、一歩ずつ。


 背中に感じるカイトの体温だけが、唯一の安心材料だった。


 生きている。

 この熱がある限り、まだ間に合う。


 カイトの呼吸が、背中で微かに乱れた。

 核紋がまた揺れている。

 ソフィアは治癒の出力を上げ、唇を噛んだ。


「死なせない。絶対に」


 声は誰にも届かなかった。

 ソフィアは歩幅を広げ、18Fへ続く階段を目指した。

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