#50 深層獣の群れ
17Fは、16Fよりさらに歪んでいた。
床が傾いている。
壁面の星脈が異常に濃く、白い光が空間を埋め尽くして方向感覚を奪う。
重力の乱れが激しく、一歩ごとに体の重さが変わる。
「右に傾いてる。体ごと持っていかれそうだ」
マルクが盾を杖代わりにして踏ん張っていた。
「重力の偏りが16Fより大きいわ。ソフィア、結界の範囲を狭めて」
エルザの指示に従い、ソフィアが水の結界を四人ぴったりに縮小した。
結界の内側では重力が安定する。その代わり、四人は肩が触れ合うほど密集しなければならない。
「窮屈だな」
「文句言わないで。これでも魔力の消耗が激しいの」
通路を進む。
16Fとは構造が異なり、巨大な空洞が不規則に連なっている。
天井が高い場所では星脈の光が滝のように上から降り注ぎ、低い場所では壁面から光が滲み出して霧のように漂っていた。
「広いな。飛ぶのに適した地形だ」
カイトは風属性を薄く纏い、体を浮かせた。
結界の外に出ると重力の乱れが体を引っ張るが、風属性の出力で相殺できる。
「カイト、離れすぎないで」
「わかってる」
前方を偵察しながら進む。
三つ目の空洞に差しかかったとき、カイトは足を止めた。
空洞の中に、白い影が五つ。
「深層獣——5体」
カイトの声が結界の中に響いた。
「5体同時?」
マルクの顔が引きつった。
16Fで一体倒すのに、四属性の高速切り替えを使い切った。
それが五体。
「陣形は?」
エルザが冷静に問う。
「散開してる。空洞の各所に一体ずつ。こっちに気づいてるかは——」
咆哮が五つ重なった。
星脈の振動が空洞全体を揺らす。
五体の深層獣が同時にカイトたちに向かって動き始めた。
「気づいてたな」
「結界に反応したのよ。星脈のエネルギーと私の水属性が干渉して」
「理由は後だ。来るぞ!」
カイトは風属性を全開にして上昇した。
空洞の天井は高い。三十メートルはある。
飛行の利点を最大限に活かせる空間だ。
「マルク、エルザを守れ。ソフィア——」
「わかってるわ」
ソフィアが結界を解除し、攻撃態勢に切り替えた。
カイトは高度二十メートルから深層獣を見下ろした。
五体が地上で蠢いている。半透明の体に星脈の光が走り、それぞれが異なる色に脈動していた。
「上から行く」
右手に炎を集中させ、左手に地属性を発動する。
溶岩弾。
炎で融解させた岩石を、上空から投下する。
三発の溶岩弾が深層獣めがけて落下した。
赤く燃える岩が空気を焼きながら、白い影に叩きつけられる。
一体目が溶岩弾を吸収しようとした。
体が赤く染まる。だが溶岩弾は属性攻撃と物理攻撃の複合だ。
炎の部分は吸収されたが、岩石の質量までは吸い込めない。
岩が深層獣の体を貫通し、地面に激突した。
「複合攻撃なら通る!」
二体目にも溶岩弾を叩き込む。
だが二体目は一体目の結果を見ていたかのように、体を平たく変形させて溶岩弾を避けた。
「避けた?」
三体目が跳躍した。
半透明の体が信じられない高さまで跳ね上がり、カイトの高度に迫る。
「学習してやがる!」
深層獣は一体目への攻撃パターンを観察し、対策を立てていた。
溶岩弾の軌道を予測して回避する個体。
跳躍して空中のカイトに迫る個体。
カイトは風で横に飛んだ。
三体目の爪が空を切る。半透明の爪が星脈の光を纏い、空気を裂いた。
「ソフィア!」
「任せて!」
ソフィアが水の結界を展開した。
だが全体を覆うのではない。
五体の深層獣の間に水の壁を立て、空洞を区切った。
水の壁が三枚。
五体の深層獣が、二体、二体、一体に分断される。
「一体ずつ潰す!」
カイトは急降下した。
分断された一体に向かって、炎と風を同時に放つ。
火炎の渦が深層獣を包み込んだ。
吸収が始まる。
体が赤く染まっていく。
だがカイトは止まらなかった。
渦の回転を維持したまま、水属性を追加で叩き込む。
炎から水への切り替えではない。
火炎の渦の中に、水流を捻じ込んだ。
蒸気爆発。
炎と水が衝突し、爆発的な蒸気が深層獣の体を内側から破裂させた。
半透明の体が飛散し、核紋の欠片が散らばる。
「一体目!」
水の壁の向こうで、二体目が壁を食い破ろうとしていた。
ソフィアの水属性を吸収しながら壁に体当たりしている。
「壁が持たない! 早く!」
カイトは二体目に向かった。
同じ手は通じない。
火炎の渦を放つと、二体目は体を薄く広げて表面積を増やし、吸収速度を上げた。
「炎を学習してる」
カイトは炎を切り、地属性に切り替えた。
足元から石柱を打ち上げ、薄く広がった深層獣の体を串刺しにする。
体が茶色に変色する。地属性の吸収。
だが石柱の物理的な質量が体を貫通し、動きを封じた。
その隙に、風の刃で細切れにする。
「二体!」
三体目と四体目がソフィアの水壁を同時に突破した。
二体が左右からカイトを挟み撃ちにする。
「マルク!」
「おう!」
マルクが盾を構えて三体目の前に立ちはだかった。
物理攻撃は効かないが、盾に張られた星脈鉄の防御紋が深層獣の突進を一瞬だけ弾く。
一瞬で十分だった。
カイトは四体目に集中し、四属性の高速切り替えを叩き込んだ。
炎。水。地。風。
〇・五秒間隔の連打。
四体目が処理落ちを起こし、体に亀裂が走る。
カイトは火炎の渦でとどめを刺した。
三体目に振り返る。
マルクが弾き飛ばされていた。
「マルク!」
「平気だ——腕が痺れただけ」
エルザがマルクを引きずって後退させる。
三体目がカイトに向かってきた。
だがソフィアが横から水流を叩き込み、体勢を崩させる。
カイトは降下し、地属性の石柱と風の刃の連携で三体目を仕留めた。
四体。
「あと一体」
五体目は動かなかった。
空洞の隅で、他の四体が倒される様子を見ていた。
半透明の体がゆっくりと色を変えている。赤、青、茶、緑——四色が順番に体表面を流れていく。
「学習が完了してやがる。俺のパターンを全部見てた」
五体目が動いた。
速い。
他の四体とは段違いの速度でカイトに迫り、半透明の爪が短剣を弾き飛ばす。
カイトは風で上昇して距離を取った。
溶岩弾を放つ。五体目は正確に回避する。
四属性の高速切り替えを仕掛ける。五体目は吸収速度を変化させ、処理落ちを防いだ。
「——厄介だな」
ソフィアが叫んだ。
「カイト、追い込んで! 北側の壁に!」
意図を理解した。
カイトは五体目の退路を塞ぐように溶岩弾と風の刃を連射し、北側の壁面に追い込んだ。
ソフィアが全力の水流を壁面に叩きつけた。
水が壁の星脈と反応し、結界が形成される。
五体目が壁面に張りつけにされた。
カイトは火炎の渦を全力で放った。
逃げ場のない五体目が吸収を試みるが、壁面の星脈結界がエネルギーの循環を遮断している。
吸収が機能しない。
火炎の渦が五体目を焼き尽くした。
「——5体」
カイトは地面に降り立った。
膝が震えていた。
核紋の負荷が、今までにない水準に達している。
体内で五つの核紋が軋みを上げている。器の壁に圧力がかかっているのが、はっきりとわかった。
「詰め込みすぎか……。器がきしむ」
ソフィアが駆け寄り、治癒を施した。
だが今回は、治癒の効きが遅い。
核紋の負荷は外傷ではない。器そのものの問題だ。
「休みなさい。これ以上は危険よ」
「ああ」
カイトは壁に背を預けた。
五体の深層獣が消えた跡に、白銀の核紋の欠片が散らばっている。
16Fの一体目と同じ色。星脈そのものの色。
高純度の核紋だ。
今までに取り込んだどの核紋よりも密度が高い。
だが——不安定だ。
欠片の光が明滅している。規則的ではなく、断続的に強弱を繰り返す。
まるで壊れかけた心臓のように。
「あの核紋、喰えると思うか」
ソフィアに聞いた。
「吸収できるかどうかと、していいかどうかは別の問題よ」
「わかってる」
カイトは欠片を見つめた。
吸収すれば、今の器の状態では容量が限界に近づく。
不安定な核紋を取り込めば、体内で暴走するリスクがある。
だが純度は高い。
手に入れられれば、今までにない力が得られるかもしれない。
カイトは手を伸ばしかけた。
右腕の石化痕が痛んだ。
鋭い痛みではない。
内側から圧迫されるような、鈍い疼きだ。
核紋が「これ以上は」と警告しているように感じた。
カイトは手を下ろした。
欠片が光を失い、ゆっくりと消散していく。
「喰えるけど、喰っていいかわからねぇ。……こんなの初めてだ」
今まで、喰うか見送るかは単純だった。
取り込めるなら取り込む。
強くなるなら、何でも取り込む。
だが器に限界がある。
詰め込みすぎれば壊れる。
壊れれば——死ぬ。
「選ばないといけないのか。何を喰って、何を見送るか」
ソフィアが何も言わずに、カイトの隣に座った。
治癒の光が静かにカイトの体を包んでいる。
五つの核紋が少しずつ落ち着いていく。
17Fの空洞は静かだった。
星脈の白い光だけが、二人を照らしていた。




