#48 壁面の記憶
通路の先が、開けた。
16Fの奥。
深層獣を三体追加で撃破しながら進んだ先に、巨大な円形の広間が現れた。
天井は見えない。
星脈の光が上方に向かって際限なく伸びており、どこまでが空間でどこからが光なのか判別がつかない。
「ここは何だ」
カイトは広間の中央に立った。
足元の星脈が特に濃い。白い光が足首まで満ちて、靴を通して温かさが伝わってくる。
「祭壇、かもしれないわ」
エルザが壁面を調べていた。
指先で石の表面をなぞり、目を細めている。
「壁に何か彫ってある。文字じゃない。絵だ」
四人が壁面に近づいた。
壁一面に、巨大な彫刻が刻まれていた。
中央に人の形。
両手を広げた姿で、胸の位置に大きな紋章が彫り込まれている。
左右にもそれぞれ紋章が一つずつ。
合計三つの紋章が、壁面に三角形を描くように配置されていた。
「三つの紋章……」
ソフィアが壁面に手を翳した。
触れてはいない。手を近づけただけだ。
「魔力を感じる。この壁は生きてる」
「生きてる?」
「星脈のエネルギーが壁面を通じて循環してるの。まるで血管のように」
カイトは中央の紋章を見上げた。
体の奥で、核紋が引き寄せられるように脈動している。
この感覚は知っている。
核紋の欠片が近くにあるときの反応だ。
「中央の紋章に核紋がある」
「確かなの?」
「体が言ってる」
カイトは壁面に右手を伸ばした。
石化痕のある右手。
指先が中央の紋章に触れた。
目が金色に染まった。
核紋喰いが勝手に発動した。
壁面の紋章から、光の奔流がカイトの掌に流れ込む。
今まで喰った核紋とは質が違う。
熱くも冷たくもない。ただ、圧倒的に「深い」。
そして、映像が来た。
暗闇。
どこまでも続く暗闇の中に、小さな光が灯る。
少年の姿が見える。
カイトと同じくらいの歳か、もう少し若い。
ボロボロの服を着て、膝を抱えて座っている。
少年の核紋は空だった。何の色もない、透明な器。
大地が裂けた。
映像が切り替わる。
地面に無数の亀裂が走り、そこから白い光が噴き出す。星脈の暴走。
街が崩れ、人々が逃げ惑い、大地が轟音とともに沈んでいく。
少年が立ち上がった。
暗闇の中で、空の核紋を持った少年が拳を握り、裂けた大地に向かって歩き始める。
そして、声が聞こえた。
女の声だ。
若い声ではない。疲弊し、掠れ、だが芯だけは折れていない声。
『——全てを喰らう力を持つ者が、いつか現れる。空の器に、この世界の痛みを預ける。それがわたくしの、最後の祈り』
映像が途切れた。
「——あ」
カイトは膝をついた。
掌が壁面から離れ、紋章の光が消えていく。
「カイト! 大丈夫?」
ソフィアが駆け寄った。
「なんだ今の……。誰かの記憶が流れ込んできた」
頭の中がまだ揺れている。
映像の残像が視界にちらつく。
暗闇の少年。裂けた大地。祈りの声。
「体の中に入ってきた。百年前の誰かの記憶だ」
「百年前?」
「大地が裂けてた。星脈が暴走してた。大崩落だ。あの映像は大崩落のときのものだ」
カイトは額の汗を拭い、壁面を見上げた。
中央の紋章は光を失い、ただの彫刻に戻っている。
だが左右の紋章は、まだ微かに光っていた。
カイトは左の紋章に手を伸ばした。
指先が紋章に触れる直前で、弾かれた。
物理的な壁ではない。
見えない力がカイトの手を押し返している。
紋章から漏れるエネルギーの質が、中央とは根本的に違った。
振動。周波数の高い、細かい震え。
耳の奥に、いや、耳ではない。体の内側に微かな音が響いている。
「音か。この紋章は音のエネルギーだ」
右の紋章にも手を伸ばした。
同じように弾かれる。
こちらは眩しい。紋章の表面が金色に光り、カイトの闇属性の暗視を貫いて目を灼く。
「右は光だ」
カイトは手を下ろした。
「左は……音? 右は……光? 俺の力じゃ無理だ」
「無理って?」
「俺の力が反応しない。中央は喰えた。でも左右は属性が違いすぎる。俺の器じゃ受け止められない」
エルザが壁面全体を観察していた。
「三つの紋章。三つの異なる力。中央はカイトの力で触れられた。左右は音と光。吸収の範疇にない力よ」
「別の誰かのための印、ってこと?」
ソフィアの言葉に、カイトは頷いた。
その瞬間、体内の全核紋が同時に脈動した。
闇も水も地も炎も風も、五つ全てが震えている。
喰った全属性が、壁面の彫刻に呼応するように共鳴を始めた。
「……何だ。体の中の何かが、歌ってる?」
「歌?」
「地面から光が来てる。西の方角だ。あと……北からも何か。俺の中の核紋が勝手に反応してやがる」
ソフィアが目を見開いた。
「西って……辺境の方角よね」
「知るかよ。でも——嫌な感じじゃない。俺を呼んでる……わけじゃないな。俺の中の核紋が、勝手に応えてるんだ」
共鳴は十数秒で収まった。
西と北からの波動が遠ざかり、カイトの核紋も静まっていく。
だが消えたわけではない。
体の奥に、二つの方角の記憶が残った。
西。北。
そこに、何かがいる。
自分と同じように——何かの力を持った誰かが。
「カイト、壁面の文字を見て」
ソフィアが紋章の下に刻まれた文字列を指差した。
古代文字だ。現在の共通語とは異なる書体だが、ソフィアの学んだ古代語の知識で部分的に読める。
ソフィアの指が文字をなぞった。
唇が小さく動き、一文字ずつ解読していく。
「『大いなる……崩落の後……星脈の奔流を……封じ……』」
カイトは黙って聞いた。
「『器を……待つ。空の器に……封印の核を……託す』」
「碑文と同じだ。エルザが前に解読した内容と」
「ええ。でも続きがある」
ソフィアの指が先に進む。
「『最も深き場所に……核は眠る。そして——三つの力が……集うとき……封印は……再び息を吹き返す』」
沈黙。
三つの紋章。
三つの力。
中央はカイトの力。左は音。右は光。
「三つの力が集うとき、か」
カイトは壁面彫刻を見上げた。
広げた両手の人物像。百年前に、誰がこれを刻んだのか。
あの記憶の中の声——「空の器に、この世界の痛みを預ける」と祈った女性の声。
ソフィアが静かに言った。
「ここに記されているのは……百年前の大崩落の記録。そして——封印の在処よ」
カイトは右腕の石化痕を見下ろした。
星脈の光と同じ白い脈動が、皮膚の下で明滅している。
百年前の祈りが、自分の体の中にある。
空の器を待ち続けた、誰かの最後の願いが。
「封印の核は、この下だ。もっと深い場所にある」
カイトの声は静かだった。
三つの紋章が、星脈の光の中で微かに震えていた。




