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核紋が空の最弱冒険者、魔物を喰らって全属性で成り上がる  作者: 景都 (けいと)


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#44 風の代償

風が止まらなかった。


 カイトは空洞の隅で膝を抱えていた。

 体の周囲で小さな旋風がいくつも生まれては消えている。

 制御できない。

 息をするたびに風が揺れ、呼吸のリズムに合わせて突風が吹く。


「落ち着いて。意識を内側に向けて」


 ソフィアが一メートルの距離で膝をつき、水属性の治癒を送っている。

 青白い光がカイトの体を包む。

 だが風が治癒の光を散らしてしまう。


「落ち着いてるつもりだ。体が言うことを聞かない」


 右手を開いた。

 掌の上に突風が渦巻き、結晶の破片が舞い上がった。

 握り込むと風は収まるが、次の瞬間には肩から別の風が吹き出す。


 六つ目の核紋——風B級。

 空の器が許容量の限界に近づいている。

 今までの五つとは段違いの負荷だった。


「ソフィア、もう少し離れてろ」


「離れたら治癒が届かないわ」


「いいから。危ない」


「あんたに危ないって言われる筋合いはないわよ」


 ソフィアは動かなかった。


 カイトが息を吐いた。

 風が跳ねた。


 突風がソフィアの方向に吹いた。

 ソフィアの頬を、風の刃が掠めた。


 赤い線が一筋、白い肌に引かれた。


 血が滲む。


 カイトの体が凍りついた。


「ソフィア——」


「大丈夫。浅いわ」


 ソフィアが頬の血を指で拭った。

 薄い切り傷だ。

 水属性の治癒を当てれば、痕も残らない。


 だがカイトの目から金色が消えた。


 風が止まった。


 暴走が、止まった。


「……俺が傷つけた」


「違う。暴走した風属性が——」


「俺の体から出た風だ。俺がやったことだ」


 カイトは両手を見つめた。

 右手の石化痕。

 左手の掌。

 ついさっきまで制御不能の風が暴れていた手だ。


「もう喰らわない方がいいのか」


 初めてだった。

 核紋喰いそのものへの疑問を口にしたのは。


 吸収すれば強くなる。

 強くなれば、もっと深く潜れる。

 もっと深く潜れば、封印の核に近づける。


 だがその過程で仲間を傷つけるなら——


 ソフィアが立ち上がった。

 カイトの前に膝をつき直し、目線を合わせた。


 青い瞳が、カイトの灰色の瞳を見つめている。


「カイト」


「……何だ」


「あんたが止まったら、誰が最深部に行くの」


 カイトは答えなかった。


「あんたの核紋喰いは、空の器に核紋を詰め込む力よ。代償は体の変質。暴走の危険。私も傷つくかもしれない」


 ソフィアがカイトの右手を取った。

 石化痕の残る腕を、両手で包み込む。


 水属性の治癒が手から流れ込んだ。

 温かい。

 風の暴走で疲弊した核紋が、少しだけ落ち着いた。


「でもあんたが進まなかったら、未踏破区域は永遠にそのままよ。封印の核も、碑文の真実も、誰にもわからないまま。あんたにしかできないことがある。だから——」


「だから取り込み続けろって言うのか」


「制御しながら喰いなさいって言ってるの。暴走したのは力のせいじゃない。制御が追いついてないだけ。だったら追いつかせればいい」


 ソフィアの手が温かかった。

 水の治癒の温もりが、石化痕の奥まで染み込んでいく。


 カイトはソフィアの顔を見た。

 頬の切り傷。

 自分の風がつけた傷。


「……その傷、治せ。俺を見るな」


「私は自分の傷くらい自分で治すわよ。それより——風の制御。今夜中にやるわよ」


「今夜中?」


「明日もダンジョンに潜るんでしょ。暴走したままじゃ話にならないわ」


* * *


 空洞の隅で、訓練が始まった。


 カイトは立ち上がり、両手を前に出した。

 風属性を意識する。

 体内の六つの核紋の中から、風だけを選び出す。


「小さく。まず掌の上に風を起こして」


 右手の上に風を集めた。

 旋風が生まれ——膨張した。

 風が腕を伝って肩まで広がり、突風が吹きかける。


「大きすぎる。もっと絞って」


「絞ろうとしてる。勝手に広がるんだ」


 風を止めた。

 もう一度、慎重に。


 掌に意識を集中する。

 風は空気の流れだ。

 炎のように一点に留めるのではなく、流れを制御する。


 流れを、細くする。


 右手の指先から風が出た。

 糸のように細い風が、掌の上で渦巻いた。


「それ。その感覚を維持して」


 カイトは息を止めた。

 風の糸が掌の上で回転する。

 安定している——


 息を吸った瞬間、風が膨張した。

 突風が顔を打ち、カイトは顔をしかめた。


「呼吸と連動してる。息を吸うと風が膨らむ」


「なら呼吸を制御しなさい。浅く、均等に」


「言うのは簡単だな」


「やるのは大変よ。だから訓練するの」


 繰り返した。


 風を出す。

 膨張する。

 止める。

 もう一度出す。

 呼吸を浅くする。

 膨張が少し抑えられる。

 また膨張する。

 止める。


 一時間が経った。


 カイトは汗だくだった。

 魔法を使っているのではない。

 核紋の制御だ。

 体の内側で暴れる風を、呼吸と意識で封じ込める。


「浮けるか試す」


「早くない?」


「感覚が掴めてきた。今のうちに試したい」


 カイトは風属性を足元に集中させた。

 体がゆっくり浮いた。

 十センチ。二十センチ。


「高さは?」


「30センチ。まだ安定してる」


 五十センチ。


 風が揺れた。

 体が傾く。


 カイトは歯を食いしばり、呼吸を浅く保った。

 風の流れを足裏に集中させる。


 一メートル。


 安定した。


「下りろ。今の感覚を覚えて」


 ゆっくり降下した。

 足が地面に着いた。


 二度目。

 一メートルまで浮き、横移動を試みた。

 風が乱れ、体が回転した。

 地面に落ちた。


 三度目。

 一メートルまで浮き、前進。

 風の流れを前方に傾ける。

 体が前に進んだ。

 だが速度が出過ぎて壁にぶつかりそうになった。


 四度目。五度目。六度目。


 真夜中を過ぎた。


 ソフィアは壁にもたれ、膝を抱えて見守っていた。

 治癒の手を休めず、カイトが落下するたびに水の膜でクッションを作った。


「何回目?」


「数えてない」


 カイトは額の汗を拭った。


 十度目。

 二メートルまで浮き、前進。後退。左旋回。右旋回。


 風が体に馴染み始めていた。

 暴走の感覚が薄れ、代わりに「流れに乗る」感覚が芽生えている。


 呼吸のリズムが安定した。

 風が呼吸と連動せず、独立して動き始めた。


 三メートルまで浮いた。


 空洞の中を一周した。

 結晶の柱を避け、壁沿いに飛ぶ。


 着地した。


 静かに、風が止んだ。


* * *


 夜明け前。


 カイトは空洞の床に大の字で寝転がっていた。

 全身が痛む。

 核紋の制御で体力を使い果たした。


 隣でソフィアが座ったまま眠りかけている。

 頬の切り傷は自分で治癒したらしく、痕は残っていなかった。


「ソフィア」


「……ん」


「飛べるようになった」


「知ってる。見てたもの」


「……でも、次はもっと慎重にやる」


 ソフィアの目が薄く開いた。

 疲れた顔に、微かな笑みが浮かんだ。


「それ、ちゃんと覚えておきなさいよ」


「覚えてる。お前の頬に傷をつけたのも覚えてる」


「もう治ったわよ」


「傷のことじゃない。俺の力が仲間を傷つけたことだ。忘れない」


 ソフィアは何も言わなかった。

 ただ手を伸ばし、カイトの石化痕の残る右腕に触れた。

 水属性の治癒が静かに流れ込む。


 カイトは天井の結晶を見上げた。

 星脈の光が薄い白色で空洞を満たしている。


 六つの核紋が体の中で静かに脈動していた。

 闇。水。地。炎。地。風。

 空の器に六つ。


 まだ入る。

 だが——次からは選ぶ。

 何を喰うか。いつ取り込むか。

 暴走しない範囲で、制御しながら。


 カイトの灰色の瞳に、決意と慎重さが同居していた。

 右腕の石化痕の上で、ソフィアの指先が温かく光っていた。

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