#40 銀級
銀のプレートは、思ったより軽かった。
ギルド本部の受付。
カイトの前に差し出された銀色のプレートが、窓から差し込む午後の光を弾いている。
「カイト・アッシュフォードさん。15Fボス・結晶竜クリスタ再生体の討伐、および金級パーティの救出の功績を認め、銀級への昇格を決定いたします」
受付嬢の声が震えていた。
感動ではなく、驚愕だ。
「石級から銀級まで——最短記録を更新しました」
ロビーが騒然とした。
「核紋なしが銀級? 嘘だろ」
「嘘じゃない。15Fボスを二度倒してるんだぞ」
「金級パーティを救出して、そのまま再生ボスを倒したって?」
「鉄級なのにか? 鉄で15Fボスを?」
声が飛び交う。
カイトは銀のプレートを受け取り、掌の上で転がした。
石。銅。鉄。銀。
スラム街の孤児が、銀級冒険者になった。
核紋が空の少年が、カスカーラで百人しかいない銀級の仲間入りを果たした。
「……軽いな」
「え?」
「鉄のプレートのほうが重かった。こっちのほうが上のランクなのに」
受付嬢が小さく笑った。
「銀は軽い金属ですから。でも——重みは、これから増えていきますよ」
カイトは銀のプレートを首にかけた。
冷たい金属が鎖骨に触れる。
後ろからマルクが肩を叩いた。
「おめでとさん、銀級様。俺はまだ銅だけどな」
「すぐ追いつく。お前の腕なら」
「嘘つけ。お前の成長速度に追いつける奴なんかいねぇよ」
エルザが横から静かに言った。
「実績から考えて、マルクとエルザも近いうちに鉄級の推薦が出るはずよ。パーティの実績は個人にも反映されるから」
「マジで? やった」
「浮かれないで。鉄級になったら中級エリアの依頼が増えるわ。責任も増える」
「先生は相変わらず厳しいな」
「先生はやめなさい」
ソフィアがカイトの隣に立った。
何も言わず、カイトの銀のプレートを見つめている。
「……どうした」
「何でもない。ただ——あんたの首にかかってるのが石の灰色だった頃を思い出しただけ」
「遠い昔みたいに言うな。半年前だ」
「半年で石から銀よ。異常なのよ、あんたは」
「お前がいなかったら死んでた」
「知ってる」
ソフィアの口元が微かに緩んだ。
* * *
ロビーの隅で、ヴェルナーが壁に背を預けて立っていた。
金のプレートが首元で揺れている。
昨日まで誇りだったそれが、今は首を絞める枷のように重い。
銀級昇格の歓声がロビーに響いている。
カイト・アッシュフォード。
核紋なし。
自分が嗤った男が、自分を助けた男が、銀級になった。
昨日の記憶が頭から消えない。
結晶化ブレスを正面から受け止めた背中。
石化した部下たち。
這って退却した自分の惨めさ。
ヴェルナーの部下たちはソフィアの治癒で石化が解除されたが、全員が負傷しており、しばらく戦線復帰はできない。
金級パーティが壊滅した。
最高級の装備を纏い、支援要員を揃えて挑んだ。それでも、15Fボスに手も足も出なかった。
カイトが四人の仲間とテーブルを囲んでいる。
エールを注文し、杯を掲げている。
ボロボロの革鎧。質素な装備。
だがあの四人は、結晶竜を倒した。二度。
ヴェルナーは拳を握った。
何か言わなければならない気がした。
ありがとう——は、やはり言えなかった。
謝罪——何に対しての謝罪かもわからなかった。
悔しさは確かにあるが、口に出すのは違う。
結局、何も言えなかった。
ヴェルナーは壁から背を離し、ロビーを横切って出口に向かった。
カイトのテーブルの横を通り過ぎる。
カイトが顔を上げた。
灰色の瞳がヴェルナーを捉える。
一瞬、視線が交差した。
ヴェルナーは足を止めなかった。
唇を引き結び、拳を握ったまま、ギルドの扉を押し開けた。
外の光が眩しかった。
目が熱くなるのを、日差しのせいにした。
扉が閉まった。
カイトはヴェルナーの背中を見送った。
「……何も言わなかったな」
「言えなかったんでしょ」
ソフィアがエールを口に運んだ。
「あの人のプライドは、ありがとうって言葉より重いのよ」
「面倒な奴だ」
「あんたも人のこと言えないわよ」
* * *
夕方。
四人でエールを三杯ずつ空けた。
マルクが酔って歌い始め、エルザが眉をひそめた。
ソフィアがカイトの隣で静かに杯を傾けている。
「ここからが本番だ」
カイトの声は静かだった。
「銀級になった。15Fまでは攻略した。でも——まだ先がある」
「16F以降ね」
エルザが酔ったマルクを横目で見ながら、地図をテーブルに広げた。
「あの壁の碑文、解読が進んだわ」
「読めたのか」
「一部だけ。でも重要な部分が判明した」
エルザが地図に書き込んだメモを示した。
「碑文の全文はこう。『大崩落ノ後、星脈ノ奔流ヲ封ジ、器ヲ待ツ。空ノ器ニ封印ノ核ヲ託ス。ソレガ唯一ノ安定化ノ道ナリ』」
テーブルが静まった。
マルクの歌も止まった。
「封印の核?」
「大崩落で暴走した星脈を封じた何かが、ダンジョンの最深部にあるということ。そして——空の器を持つ者だけが、それに触れられる」
カイトの核紋が微かに震えた。
右腕の石化痕が脈動する。
「空の器。俺の核紋のことか」
「断定はできない。でも状況証拠は揃っている。星脈と共鳴するあなたの器。普通の冒険者が滞在できない新通路で安定するあなたの体。百年前の碑文が語る『空の器』」
「大崩落の封印の核が、最深部にあるかもしれない——ってことか」
「ええ。16F以降のどこかに」
沈黙が降りた。
酒場の喧噪が遠い。
マルクが杯をテーブルに置いた。
「で、行くんだろ」
「当たり前だ」
「だよな。俺もだ」
「私も。観察者として、最深部を見てみたい」
三人がカイトを見た。
カイトはソフィアを見た。
「ソフィア」
「言わなくてもわかってるわよ。行くに決まってるでしょ。あんた一人で行ったら三日で死ぬんだから」
「……一日だな」
「自覚あるじゃない」
四人が杯を掲げた。
「16Fへ」
杯がぶつかる音が響いた。
カイトはエールを飲み干し、窓の外を見た。
夕日がカスカーラの街を赤く染めている。
ギルドの建物の向こうに、ダンジョンの入口が見える。
銀のプレートが鎖骨の上で揺れた。
軽い。
だが——重くなる。
これから先の道で、いくらでも。
* * *
深夜。
カイトは一人で新通路の入口に立っていた。
ギルドの進入禁止命令を破ったわけではない。
通路の外側、10Fの壁面に空いた亀裂の前に立っているだけだ。
白い光が奥から漏れている。
星脈の光。
脈動するように明滅する白光が、カイトの顔を照らしていた。
体内の核紋が震えている。
闇。水。地。炎。地。
五つ全てが、同じ方向を指している。
地底の奥。
16F。未踏破領域。
ギルドの記録にすら存在しない深層。
その先に、何がいる。
結晶竜より強い魔物か。
大崩落の封印か。
百年前の碑文が語る「核」か。
何でもいい。
カイトの目が金色に光った。
闇の中で、星脈の光と核紋の光が重なった。
「何がいる。どんな核紋を持っている」
声が通路の奥に吸い込まれていった。
五つの核紋が地底の何かに呼応して震えている。
右腕の石化痕が、星脈の白光と同じリズムで脈動していた。
「——喰ってやる」
カイトは通路を見つめたまま、口の端を上げた。
銀のプレートが星脈の光を反射して、白く輝いた。




